脱色

一瞬、視界が一面の闇で覆い尽くされた。


「・・・っは!」


・・・そう。

覆い尽くされたのは、本当にほんの一瞬だけだったんだ。

裏門の敷石を蹴って敷地の外へと踏み出したと思った時には、既に暗黒の帳は晴れていたのだから。


・・・突入した瞬間の感覚は、明るい廊下から消灯している部屋へと入った時のそれに似ていると言えば伝わるだろうか。

しかし、それすらも次の瞬間には消えてしまっていた。


「ここは・・・」


勢い余ってそのまま二、三歩ほど前へと進んだ西宮先生が、足を止めて前方へと視線を向ける。


・・・と言うよりも、唖然と立ち尽くしたと表現した方が、より正確だった。


「・・・・・・。

 どういうことだよ・・・」


――裏門から学校を出て、その前方に広がっていた光景は。


見慣れたグラウンド。

見慣れた校舎。

見慣れた真っ暗闇の空。

背後を振り返れば、見慣れた裏門。


・・・そして、見慣れた漆黒の帳・・・。


「戻ってきちまってるじゃねーかッ!」


そう。

俺たちは、『裏門から学校の敷地を出て』『また裏門から学校の敷地に入ってしまった』のだ。


「加賀瀬君、これは一体・・・」

「・・・・・・・・・・・・」


例えるなら、裏門を接点として、二つの学校が鏡合わせに隣接している・・・とでも表現すればいいのだろうか。


『・・・か・・・ぁ・・・が・・・・・・せ・・・ぇ・・・ぉ・・・を・・・』


もちろん、本来の鏡合わせのように左右が反転してるわけでもないし、そもそもそんな大掛かりな小細工でないことは

依然グラウンドの前方から接近してきている二体のヒル人間が証明して・・・



・・・・・・・・・・・・。



・・・違う。二体じゃない。


「おい!ヒル人間が増えてるぞ!!」

「え!?」

「っ!!」


『み・・・かぁあ・・・ほ・・・しいぃ・・・』

『・・・み、か・・・ほし、ぃいぃぃいぃ・・・・』

『・・・・・・・・・・・・・・・み・・・か、ほ、し、ぃい・・・』


視界の先でのたつきよろめく、三つの異形。

おぞましい亡者の二重唱が、いつの間にか三重唱へと変わっていた。


・・・いや、いつの間にかじゃない。数が増えてしまったきっかけなんて、容易に推測できる。


「美佳、どういうことだ!?状況が悪化したようにしか見えないぞ!」

「・・・・・・・・・・・・」


そうだ。

ヒル人間が増殖したのは、まず間違いなく裏門を踏み越えたのが原因だろう。

裏門から出たはずなのにまた入ってしまっているという現象自体、既に頭がおかしくなりそうな事態だったが

とにかくその際、この空間に何らかの『切り替わり』が発生したのだ。


今日一日でさまざまな『ありえない』を体験してきて、ある種の慣れすら覚えつつあった俺たちだったが

さすがにこれには動揺せざるを得なかった。

何より、この奇妙な引き戻し現象が今までと決定的に違ったのは、

『全く前進していないのに脅威だけが増殖している』ことだったから。


「・・・戻ろう」

「は!?」


そこでようやく、美佳がつぶやくように言葉を漏らす。


「・・・ううん、違う。戻るんじゃない。進むの」


美佳の声は震えていたが、かと言って迷いのようなものが生じているようにも聞こえなかった。

ヒル人間が増えてしまったことに関しては美佳も予想外だったようだが、

また敷地へと逆戻りしたことに対してはさほど狼狽しているようには見えない。


「美佳・・・」

「・・・・・・」

「いいんだな?

 ・・・信じるぞ?」


『戻る』にしろ『進む』にしろ、その言葉が意味するところは一つしかない。


つまりは、このまま踵を返してまた裏門を抜けるということだ。


「・・・星は今、わたしたちの背後・・・つまり、また裏門の向こうの方に出てる。

 ・・・行くしかないよ」

「・・・」

「ごめんね。わたしも、我ながらワケわかんない指示出してるな・・・って、分かってはいるつもりなんだけれど・・・。

 でもわたし自身、星が示していることに対して分かるのは『なんとなくそういうことなんだろうな』ってだけで、

 具体的に説明してみろって言われると・・・」

「・・・そうだな。

 ウダウダ言ってすまん」


俺はついさっき、美佳の道しるべに対して疑念を抱かないと誓ったばかりのはずだった。

にも関わらずこうも取り乱したのでは、さすがに我ながらダサすぎる。


「そうと決まれば、さっそく戻ろう。

 このままだとヒル人間との距離が縮まるばかりだ」

「そうっすね。

 ・・・美佳!」


俺に名前を呼ばれると美佳は無言で踵を返し、再び裏門の向こうに臨む暗闇の中へと駆け出し始めた。

それに応じて、俺と先生もまたその後へと続く。


「・・・っ」


刹那、再び視界が一面の闇で包まれ、そして晴れた。


「!」

「・・・。

 ・・・やっぱり、こうなるか・・・」


敷石を踏み越えて足を止めた俺たちは、辟易した思いで前方に広がる光景を眺める。


見慣れた北校舎。

見慣れた北グラウンド。

背後を振り返れば、当然のように見慣れた裏門。

そして・・・。


『・・・か・・・がぁぁ・・・せ・・・をぉ・・・』

『・・・・・・ちが・・・ぅううぅ・・・・・・』

『・・・おま・・・ぇ、は・・・・・・ちが・・・ぅう・・・』

『・・・・・・みかっ、・・・・・・ほし・・・ぃ・・・・・・』


・・・あまり見慣れたくはない腐乱死体が、今度は四体に増えていた。


「・・・・・・」


容易に想定できた結果だったため、先ほどのようなショックこそなかったが

だからこそ一種の厭わしさが俺たちを支配し始めていた。


「美佳・・・」

「・・・。

 ・・・もう一回」


美香は再び踵を返し、三たび裏門へと駆け出し始める。

俺と――恐らくは先生も、ある種諦観の思いで美佳の後を追った。


三たび、刹那の闇。そして――


『み・・・か・・・・・・ほ・・・し・・・ぃ・・・』

『・・・・・・ち、・・・・・・・・・を・・・・・・』

『・・・こ、の・・・ち・・・・・・・・・じゃ、なぃぃ・・・』

『・・・か・・・・・・がぁあぁ・・・』

『・・・・・・せ、をぉお・・・・・・』


「・・・・・・・・・・・・」


・・・どうする。

本当にこのまま、黙って美佳に従っていていいものか?

いや、他に選択肢がないことなんて分かりきってはいるんだが・・・。


「さっちゃん・・・」

「・・・」


恐らくは直感に即した知覚能力であるため、論理的な説明が困難だというのは分かるんだが

それにしたって、美佳には星の先に何が見えているんだろう。

口ぶりからすると、美佳自身もこの不毛とも思える反復行動の先に何があるのか、はっきりとは理解していないようだし・・・。


俺は何かに助けを乞うような思いで、大きく天を仰ぎ見る。

ある種の現実逃避だった。忌々しいまでに変化のない校内の景観を、何となく直視していたくなかったのだ。

今の俺たちにとって、この裏門から見える変わり映えのない風景は、進展のなさの象徴だったから。


変わり映えのしない北校舎。

変わり映えのしない北側グラウンド。

変わり映えのしない・・・

・・・。




・・・・・・あれ?


俺ははっとして、一旦は下ろした視線をふたたび天へと向けた。


「美佳!先生!」


俺に名前を呼ばれて、二人もまた俺の視線の先へと目を向ける。


「なに?なんか・・・・・・

 ・・・・・・あ!!」





・・・・・・・・・・・・あった。

変化が。





「空が・・・!」


そう。

先ほどまでは一点のムラもなく漆黒一色だったはずの上空が、かすかに深藍色へと変わっていたのだ。


深く、暗く、限りなく暗黒に近い・・・

・・・しかし、決して黒そのものではない、沈むような藍色に。

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