カガセ○ミカ○○
『・・・み・・・か・・・、
・・・ほ・・・し・・・ぃ・・・ぃいぃ・・・・・・』
「美佳!・・・走れ!・・・美佳っ!」
俺は全身に走る震えを必死に押さえつけながら、右前方を走っている美佳に向かって必死に呼びかける。
『・・・か・・・が・・・せっ、
・・・お・・ぉ・・・を・・・をを・・・をっ!』
「・・・走ってるよっ!」
美佳からの返答は、その声色にわずかばかりの煩わしさを孕んでいるように聞こえた。
そりゃそうだ。
元々走ってる人間に対して『走れ』とは、こんな愚かな指示もない。
「そうじゃない!速度を上げろっ!」
だが、今の俺はそう呼びかけるより他になかった。
ヒル人間が初めて発した歌声以外の言葉に、言いようのない悪寒を覚えていた今の俺には
およそ気の利いた指示を出す余裕なんてなかったんだ。
・・・ただ。
先ほど発せられていた『ちがう』とか、『おまえじゃない』とか、そちらの言葉が意味するところも気にはなったが、
何より俺の思考を凍てつかせたのは、むしろその直後――つまり、今連呼されている言葉の方だった。
『・・・み、か・・・ぁ・・・っ』
『ほ・・・し・・・ぃいぃ・・・い・・・ぃぃいぃ・・・』
・・・こいつらは、何を言っている?
『み』『か』『ほ』『し』『い』。
『か』『が』『せ』『を』。
・・・・・・・・・・・・。
美佳、欲しい。
加賀瀬を。
そう言ってるように聞こえる。
そんな風に聞こえて欲しくないと思えば思うほど、そういう風に言ってるようにしか聞こえないのだ。
『・・・ちぃいぃっ、はっ、・・・これっ、じゃっ・・・・・・な、ぃぃいぃっ・・・』
『・・・・・・この・・・ちぃ、は・・・・・・。
・・・ちがぅう・・・うぅ・・・うぅぅ・・・ぅぅ・・・っ』
ある程度、予測はしていたはずなのだ。
敵の標的が美佳だということくらいは。
なにせ美佳の星を見る異能は、この異常な現象に対してあまりに噛み合いすぎてしまっているのだから。
まるで、その能力を使えることが前提だったとすら言わんばかりに。
それは図書室で西宮先生にも語って聞かせたことだった。
・・・しかし。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・か・・・・・・が・・・・・ぁあっ』
『・・・・・・せ・・・ぇぇ・・・ぇえ・・・っ』
人智を超えた化け物に『個人』として認識されるということは、こうもおぞましく感じるものなのか。
しかも・・・。
『・・・み、かっ、ほ・・・しっ・・・ぃいっ・・・!』
・・・『みか、ほしい』。
・・・・・・『ほしい』?『ほしい』だって?
・・・『ほしい』って、なんだ?
美佳が『ほしい?』『ほしい』って、どういう意味で『ほしい』んだ?
「とにかく全力で走れ!あいつらの剣幕、なんか尋常じゃない!」
その言葉が意味するところに考えを巡らせて、ますますうすら寒いものを覚えた俺は
美佳に対してヒステリックに加速を促し続ける。
「・・・ううん、大丈夫だから。このままのペースでいこう」
だが、美佳はまるでペースを上げる気配がない。その声色も、すでに落ち着き払っていた。
「いいわけあるかッ!!あいつら、いきなりお前を名指しで呼び始めたんだぞ!
このまんまじゃ――」
「・・・別にどうってことないと思うよ、さっちゃん」
「・・・え・・・」
・・・美佳がこちらを振り返った拍子に、その長髪が風を孕んでなびき、俺の鼻先をかすめる。
時代錯誤なまでに長くて、だけれど・・・・・・流麗で艶やかな、漆黒の髪が。
「見て。あいつら別に、なにか動きに変化があったわけじゃない。
・・・少なくとも、追いかけてくる速さは上がってないみたいだし」
「・・・・・・・・・・・・」
促されて、俺も背後へふいっと視線を向ける。
『・・・か・・・が・・・・・・せ・・・、
・・・・・・ぉ・・・お・・・ぉ・・・・・・』
ヒル人間たちとの距離は、先ほどよりは離れていた。
100・・・いや、150m近く引き離しただろうか。
その距離でこれだけはっきりと声が聞こえるということは、たどたどしいながらも相当な声量だということだろうが
確かに別段追跡速度が上昇したとかではなさそうだ。
その身振りも、相変わらずのたのたとしたものだった。
「そもそも、速度を上げられるなら最初からその速度で追いかけてきてると思うし。
わたしたちと違って、ペース配分とかあんまし考えなくてよさそうな人たちだしね」
「・・・『人たち』って・・・」
この学校迷宮において、俺たちが全力疾走せず常にそこそこの速度で逃走していたのは
単純にペース配分を考慮してのことだった。
なにせ、どこまで続くとも知れない逃走経路だ。
ましてあちらの基本追跡速度はこちらの歩行速度と同等以下なのだから、
星の示すルートから外れたり、あるいは・・・先ほどの階段落ちのような予想外の移動を行わない限りは
決して追いつかれることはないはずなのだ。
なればこそ、先ほどのように駆けながらも西宮先生と論議する程度の余裕を残すこともできた。
「名前を呼ばれてるのは、もちろん怖いけれど・・・。
でも、あんなのたぶんハッタリだよ。
・・・ね。こんなとこで全力で走って、余計な体力使うな・・・なんて、
いつもならむしろさっちゃんがわたしに言ってくれる立場なんじゃない?」
「・・・う・・・」
・・・・・・確かに。
って言うか、こんなのちょっと後ろを振り返って確認すれば、すぐ気づくことじゃないか。
一体、何をバカみたいにパニクってたんだ?俺は・・・。
「・・・今、ずいぶんと取り乱してたよね?
・・・・・・ねえ?」
「ぐっ!」
いや。
認めたくなかったが、無駄に取り乱してしまった理由は自分でも薄々気づいていた。
・・・もし仮に、名前を呼ばれたのが美佳ではなく俺自身だったなら、『俺は』こんなに取り乱したりしなかっただろう。
つまり、そういうことだ。
「お、お前だって俺のケガ見て取り乱してたじゃんか!」
「そりゃ、わたしはさっちゃんのことが心配だもの。
・・・・・・おんなじだね?」
「ぐぐっ・・・!」
さすがに顔つきこそ真剣だったが、美佳のその言葉には多分に含むところがあるように感じられた。
・・・俺が負傷した時、俺自身は比較的落ち着いていたのに美佳がうろたえまくって
美佳が化け物どもに名指しされたら、今度は美佳自身は冷静なのに俺が動揺しまくるとか・・・。
「・・・・・・せっ、先生!
・・・えーと、その・・・。
や、やっぱ、そっちのポリタンクは俺が持ちます!」
俺は話題を逸らすかのように、先ほどからだんまりしている西宮先生に向かって両手を差し出しながら声をかける。
・・・いや、まあ、逸らすかのようにって言うか、実際逸らしてるんだけれど・・・。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・先生?」
返事がないことを怪訝に思って視線を向けると、先生は何かを考え込むかのように顔を伏せっていた。
こちらの呼びかけにも気づいていないようだ。
「先生?・・・先生っ!」
「えっ!?・・・あ!な、なんだ高加君?」
そこでようやく、先生は我に返ったようにこちらを見返してきた。
「だからポリタンク、やっぱ片方は俺が持ちますって!
ってか何考えてたんですか?」
「あ、いや・・・。
・・・なあ、高加君、さっきの・・・」
・・・と。
先生が何か言いかけた、その時。
「あ――――――っ!!
ちょっと待って!二人ともストップ!!」
突然、美佳が素っ頓狂な声を上げながら俺たちに停止を促してきた。
「・・・あっ、ち、違う!やっぱ止まんなくてもいいんだけれど、でもちょっと待って!」
「な、なんだよ!?どうしろってんだ!」
「ご、ごめんっ。
・・・でも、とにかく今すぐグラウンドに向かって直進して!
星の出てる方角が変わったみたいだから・・・」
「・・・は?」
言いながら、美佳はふいっと左手――つまり、楠跡のある北側へと視線を向ける。
「・・・出てる方角が変わるとか、そんなことってあるのか?」
釈然としないながらも、俺と先生は美佳の後に続いてその場から直角に左折し、グラウンドへと歩を進め始めた。
「わたしにもよく分からないんだけれど・・・。
でも、さっきの道はもうあれ以上先には進めなかったみたい。
・・・代わりに・・・」
グラウンドの東側を北へと縦断しながら、美佳は竹刀の切っ先で北側フェンスのある一点を指し示す。
「・・・こっち」
指し示されたのは、例の三本楠
・・・ではなく、それらがある切り株群の、さらに右脇にある裏門だった。
「あそこの奥から、新しく星が出てる」
「・・・お、おい。
それって・・・つまり、このまま『杭』を放置して学校から脱出しろってことか?」
裏門の向こうに星が見えているというのならば、単純に考えてそこが『出口』ということになる。
確かに、この迷宮から抜け出せるのなら願ってもないことだ。
だが・・・。
「裏門か・・・。
しかし、あそこに踏み出すのは少し勇気がいるな・・・」
「・・・・・・」
先生の言う通り。
北校舎の4階廊下から景観を見下ろした時もそうだったが、
フェンスのすぐ外側から先の景色は、まるで黒いカーテンでも敷いてあるかのように真っ暗闇で何も見えないのだ。
もちろん、裏門の向こうも同様だった。
「このまま直進すると、切り株群のすぐ右脇を通ることになるが・・・。
そこまで接近しておきながら、むざむざ素通りしなきゃダメなのか?」
「う~ん・・・。と言うかね、たぶん、あの三本楠のところに辿り着いても、意味ないんじゃないかなあ・・・」
「そうなのか?・・・でも、さっきは星が三つ見えたって・・・」
先ほど図書室から垣間見えた現実世界の風景では、切り株群に紛れて埋まっていた三つの大杭――
つまり、この異次元世界側では三本楠として見えているあの場所に、三つの星が見えていると美佳は言った。
星が出ていた以上、そこがこの迷宮を攻略するための『ゴール』であるはずなのだ。
しかし、今はその脇を素通りして裏門から敷地の外に出ろという。
「うん。確かに『現実世界の景色では』三つ星が見えたよ。
・・・でも今、あの三本楠には星なんか全然見えない。
たぶん、あれは本当にただの『目くらまし』なんじゃないかな・・・」
「目くらまし・・・?」
「現実世界では丸太として存在しているはずのものが、こちら側ではにょっきり生えた楠に見えてるってことは、
それだけ現実世界から『遠い』ってことなんだと思うの。
だから『近づく』前に、とりあえず『近づか』なきゃいけない
・・・んじゃないかな―・・・って、思うんだけれど・・・」
「う~ん・・・?」
「ごめんね、うまく説明できなくて・・・。
また怒られちゃうね・・・」
・・・美佳は何を言わんとしているんだろうか。
ちゃんと要領が得られるよう問いただしたかったが、裏門はもう既に目前まで迫っている。
美佳自身、感覚的に察知したことを論理的に咀嚼して説明するのには苦慮しているみたいだし、これ以上の詰問は無駄だろう。
『・・・み・・・・・・か・・・・・・
ほ・・・・・・し・・・・・・』
『・・・・・・か・・・が・・・・・・せ・・・・・・・・・ぉを・・・・・・』
声にふと背後を振り返ると、ヒル人間たちはもう校舎裏のアスファルト地帯を抜け、グラウンドの土を踏みしめようとしていた。
「どうやら、加賀瀬君の言う通りに『下校』するしかないようだな・・・」
「・・・みたいですね」
当然ながら、俺も先生も裏門へと駆ける足の速度には微塵のたゆみも見せない。
もはや美佳の不器用な超能力に対して、頭を捻ることはあっても疑うということをするつもりはなかった。
「ありがとう、二人とも・・・。
じゃあ・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・行きます!」
美佳の静かな
俺たちは裏門のレール付き敷石を威勢よく踏み越えると、その先に口を開ける暗黒の帳の中へと飛び込んでいった。
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