吸血

通りゃんせ、通りゃんせ。


ここはどこの細道じゃ。


蛭子ひるこさまの細道じゃ。


ちっと通して下しゃんせ。


命のあるもの通しゃせぬ。


この子の二千ふたちのお祝いに。


海路うみじを通ってまいります。


行きはこいこい、帰りはできぬ。


帰れぬながらも。


通りゃんせ、通りゃんせ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


『・・・いぃ・きは・こい・こい・・・・・・かえ・りは・でき・ぬぅう・・・』


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


・・・足こそ止めなかったものの、俺はただ呆然とした思いで赤く染まりかけた己の右手を見つめていた。


「え、どうしたの二人と・・・きゃぁッ!?」


よく見ると、先ほど肉片がへばりついていた部分が青紫色に変色しており、大きなヒルのような形状のアザになっている。

そしてそのアザの部分の毛穴一つ一つから、ぷつぷつと血がにじみ出ていたのだ。


「高加君!?どうしたんだそれは!?」


・・・よくよく視線を下ろしてみれば、手を擦り付けてた上着の右脇腹部分もいつの間にか真っ赤になっていた。


「・・・どうやら、さっき肉片に当たったのがマズかったみたいです・・・」


噴き出した脂汗によってぬめつくポリタンクの取っ手を左手で持ち直しながら、俺はつぶやくようにボソリと漏らす。


「肉片?どういうことだ!?」

「って言うか!!早く手当てしないと!」


驚愕に見開かれた美佳の瞳から、見る見る涙がにじみ始める。

それこそ、俺の出血に勝るとも劣らぬほどの勢いで。


「・・・いや、いいから。このまま行くぞ・・・」

「バカ言わないでッ!!死んじゃうよっ!!」

「バカ言ってんはお前だっ!これしきの出血で死ぬかッ!!

 ・・・だいたいっ、手当てできる道具なんてあるわけねーだろ!!」


ヒステリックに怒鳴りつけてきた美佳を、俺はそれ以上の大声で怒鳴り返した。

途端に、美佳はびくりと身体をこわばらせて萎縮してしまう。


『・・・かえ・れぬ・・・なが・らも・ぉおぉ・・・』



・・・ごめん、美佳。

でも、今は問答無用なんだ。



「現世に戻れば手当てできるんだから、とりあえず今は走ろう。

 ・・・心配するな美佳。血はちょっとづつにじみ出てるだけだから、すぐにどうこうってわけじゃない」

「・・・・・・・・・・・・」


・・・だが。

言うまでもなく、今この中で最も動揺しているのは他ならぬ俺自身だろう。

脂汗が噴き出ているのは、もちろん掌だけじゃない。全身の毛穴が開いたような不快感がはっきりと実感できていた。


「とりあえず、ポリタンクは両方僕が持とう。

 ハンカチは持ってるか?高加君」

「・・・すみません・・・」


しかし、今立ち止まって押し問答したところで、いいことなんて何一つない。

最終目的地である程度の作業が予想される以上、ここで出来る限りヒル人間との距離を引き離さなければならないのだ。


『・・・・・・とぉおぉ・・・りゃんせぇ・・・とぉりゃん・せぇえ・・・・・・』


どういう原理でこんなダメージを受けたのかとか、毒のようなものがあったらどうしようとか・・・

・・・このまま青紫色のアザが全身に広がって、しまいには自分がヒル人間になってしまうんじゃないかとか。

とりとめのない疑念や妄想ががぐるぐると頭の中を駆け巡ったが、今はとりあえずまとめて棚上げしておくしかなかった。


「・・・・・・」


美佳も切り替えたようで、ふいっと前方に向き直ると無言で竹刀を構え直した。


「・・・しかし、肉片とはどういうことだ?

 肉片に触れたくらいでそんな風になってしまうのか?」

「先生・・・。

 あのヒル人間・・・そもそもの発端の話を覚えてます?」

「発端の話?

 ・・・噂のことか?」


俺は傷口をハンカチで押さえながら、淡々と言葉を続ける。


「ええ。

 その中で、ヒル人間は『犠牲者の血を吸って殺してしまう』とか言われてたはずなんです。

 ・・・だったよな?美佳」

「・・・うん。ヒル人間に覆いかぶさられると、全身の血を吸い尽くされちゃうんだって・・・」


美佳は落ち着いた調子で返事を返してきたが、その声色はわずかに涙ぐんでいるようにも聞こえた。


「そういえば、そうだったな・・・。

 じゃあ、肉片ですら触れただけで『吸われる』ということなのか・・・」

「恐らくは・・・。

 ・・・さっき、俺の右手に付着していた肉片は

 払いのけた後もまたすぐ蠢きだして、ヒル人間の本体の方に戻ろうとしていた。

 ・・・つまり、肉片のひとかけらまでちゃんとヤツらの意思が通っているんです」


・・・自我があるかすら怪しい連中に、『意思が通ってる』なんて表現を用いるのは皮肉だけど。


「・・・あいつら、あんまし攻撃性は高くないように見えるけど、実際は接触されただけでたぶんアウトです。

 肉片だからこの程度で済んだけど、噂にあるように覆いかぶさられたり抱きつかれたりしたら、まず助からないでしょう」

「うむ・・・。

 あの噂は、そんなところまでちゃんと『事実』を伝えてるということか」

「そこです」


俺は額に浮いた汗を拭いながら先生の方を振り向く。


「・・・あの噂・・・。

 誰が流したんでしょうか」

「・・・・・・」


俺の問いかけに、先生は少し考え込むかのように無言で俯いた。


「先生もとっくに気づいてるでしょうけれど・・・。

 あの噂って、言ってしまえば実体がないですよね?」

「実体?でも、今現にわたしたちが襲われて・・・」

「そうだな。

 ・・・でも、なんで今日俺らが襲われるよりずっと以前から、そんな妙に正確な噂が流れてたんだ?」

「えっ?・・・あ」


それまで正面を向いたままで返答していた美佳が、はっとしたようにこちらを振り返る。


「・・・高加君の言う通りだ。噂というものは、必ず先に『火種』がある。

 その火種はたいていの場合、他愛ない勘違いなんかがくすぶったものだったりするんだが・・・・・・しかしこれは違う。

 あやふやな情報に尾ひれがついたのではなく、実態を正確に把握している者が、正確に伝導させている」


そう。

あの噂は正確すぎるのだ。

異次元迷宮化のことにこそ触れていないものの、今のところ俺たちが見舞われている現象と矛盾する点がない。


「わたしたちより前に襲われた人たちがいる、ってことですか?」

「まさにそこだよ、美佳・・・。

 今日の昼に俺が言ってたこと、覚えてるか?

 あいつらに強力な吸血能力があると思い知った時点で、その人間はこの世にいないはずなんだ。

 ・・・仮に、俺みたいに肉片にごく一部を吸血されただけなら、『覆いかぶさられて吸い殺される』とは伝わらないはずだ」


つまり、ただの遭遇談ならまだしも、遭遇者が『全身から血を吸われて殺される』という情報を得ながら生還して噂を吹聴できる可能性はかなり低い。


「そうだな。

 ・・・また、例えば僕たちのように複数人で遭遇して、うち一人が殺されて他は逃げきったとかなら、学校内で何かしらの形で騒ぎになってるはずだ。

 あれはあくまで『学校の怪談』だからね。遭遇者も在校生とか、学校関係者と考えるのが自然だろう。

 ・・・だが僕が把握してる限り、少なくともここ数ヶ月では事故などによる教職員や在校生名簿の変更などはなかった」


そして犠牲者とは別の遭遇者が生還して吹聴したとしても、噂とは別の形で・・・つまり、犠牲者がいなくなったことが名簿なりに痕跡として残るはずなのだ。

万が一犠牲者が学校関係者じゃなかったとしても、消息を絶ったのが田園・・・学校近辺なら、学校側から注意喚起とか、なんらかの警戒を促すような通達があるはず。


「もっと言うと、この現象・・・はっきり言って、俺たち以外じゃ・・・って言うか、ぶっちゃけ美佳がいなけりゃ生還はムリだ。

 だから、恐らくこの現象に遭遇したのは俺らが初めてだし、俺らより先に遭遇した人間がいたとしても噂として流れるはずないと思うんだよ」


・・・言うなれば、ヒル人間に関連したこの一連の事態は、実態と噂の発生順序が本来と逆・・・

・・・火種より、煙の方が先に立っていたということになる。

そしてそれは今日の下校前、図書室で後森先輩から水死体消失事件を聞かされた時にも感じたことだった。


「それって、どういう・・・」

「分からん。

 ・・・だけれど、俺たちが見舞われてるこの現象・・・。

 もしかしたら、複数の立場の『意図』が干渉しあってるのかも知れん」

「・・・?

 んんん?」


美佳はこちらを振り向いたまま、眉間に皺を寄せて首をかしげる。


・・・うん。まあ・・・。

いきなりこんな言い方しても、そりゃ意味わかんねーよな・・・。


「・・・そうだな、例えば・・・。

 先生、そのポリタンクって、倉庫の奥にしまわれてたんですよね?」

「うん?・・・ああ。

 所狭しと物が積み上げられていたから、引きずり出すのに時間がかかってしまったが・・・」

「・・・なんか、違和感あると思いません?」

「・・・?

 違和感・・・かい?」


先生はこちらを向きながら、両手のポリタンクへとちらちら視線を向ける。


「・・・・・・そういえば、奥に埋もれていた割には妙にキレイなような・・・」

「そう。

 ホコリが全然かかってないんです。あんな雑然とモノが積み上げられてた物置の奥にあったのに・・・」


そこで初めて、先生ははっとしたような表情になってポリタンクを見直した。


「言われてみれば、確かに妙・・・いや、さっきは引きずり出すのに必死で気にも留めなかったが・・・。

 よくよく考えると色々不自然だ」

「・・・『色々』?」


美佳は眉をひそめたまま、先生が少し高めに持ち上げた右手側のポリタンクへと視線を向ける。


「灯油というのは危険物指定されている上に案外変質しやすいから、常識的には独立した保管場所に安置するか・・・、

 他の備品と併せて保管する場合であっても、最低でも目に付きやすい位置に整然と置いておくものだ。

 ・・・だから、あんなゴミゴミした物置に埋もれているのが知れたら、ヘタすれば管理責任を問われかねない。

 だが・・・」

「ええ。そんな保管状況だったにもかかわらず、ポリタンクの表面は妙に真新しい」


先ほど灯油の捜索を始めた際、先生の肩越しに一瞬見えた物置の内部は、引き戸を開けた反動でか塵が舞っていた。

現実世界側の状態がどこまで正確にこちら側に反映されるのかは分からないが、

それを差し引いたって奥側の備品にホコリがかぶっていないはずがないのだ。


・・・普通に格納した、のならば。


「う~ん・・・。

 でも、それがなんで複数のイトが干渉とか、そんな話になるの?」

「・・・このポリタンク、つまりは、元々はあんなとこに保管されてたわけじゃないと思うんだよ。

 誰かが割と最近、わざとあんな不適切な場所に押し込んだんだ。

 ・・・なんでだと思う?」

「・・・・・・」


俺の問いかけに、美佳は少し考え込むかのように目を泳がせる。


「・・・・・・わたしたちを助けるため・・・・・・?」


・・・が、そこからふたたび視線を戻して口を開くまで、長くはかからなかった。


「『助ける』という表現が適切かはさて置いて、

 俺らが使う『かも知れない』ことを想定して『配置』した可能性は低くないと思う」


考えてみれば、併せてもポリタンク一個分に満たないであろう量の灯油を

わざわざ二つの容器に分けて入れてあったのすら、即座に運べるようにわざとそうしたとも深読みできなくはない。


「裏を返せば、その『何者か』は

 俺たちが近いうちにこういう事態に陥るということを、事前に把握していたということだ」

「・・・わたしたち、が・・・?」

「ああ。

 だけれどそれは、恐らくはこの現象の首謀者とは違う、異なる立場の存在だと思う。

 ・・・状況証拠のみだが、物置の鍵を外しておいたり灯油を配置したその何者かの意図は、

 この迷宮の支配者の意図に反しているように感じるからな」


言いながら、俺は左手に臨む三本楠へとふたたび目を向ける。


・・・本来の北校舎の全長ならば、もうとっくに終点――つまりは東端側に到着してもいい頃のはずだったが、

それに関してあえて疑問を口にすることは三人ともしなかった。

ありえない走行距離など、俺たちにとっては今更になっていたからだ。

美佳の星がはっきりと標を指し示しているのだから、迷いなど生じようもない。


「・・・そうだとして、高加君はあの噂がどういう意図で流されたものだと思うんだ?」

「忠告とか、メッセージだったんじゃないかと思うんです」


俺は右手の傷口をちらちらと見ながら、先生の方を振り向かずに言葉を続ける。


「近い内に、そういうことが起こる、って。

 それが俺らに宛ててのものだったという根拠はまるでないし、

 そもそも噂を流した存在と、灯油を配置した存在が同一人物かなんて分かりようがないから、ただの当て推量なんですけれど。

 ・・・ただ、俺ら宛ての『メッセージ』には、他にも心当たりがありますよね?」

「・・・ひょっとして、図書室の早口言葉みたいなメモ書きのこと?」


そう。

第二図書室で、いつの間にかメモ帳にびっしりと書かれていた、あの怪文書のことだ。

あの時は、その異常な文面に怖ればかりを抱いた。


・・・けれど。


「うん。

 ・・・あれ、文体こそ常軌を逸した感じだったけど、結果的にはヒントを与えてくれていただろ?

 ・・・・・・誰か、いるんだよ。ヒル人間をけしかけて俺らを追い込んでいる奴とは別の、『メッセンジャー』が・・・」

『・・・ちがう・・・』

「・・・え?」


・・・予想外の否定の言葉に、俺は少し面食らったような面持ちで先生たちの方へと振り向く。


「・・・ち、『ちがう』って・・・」

「・・・い、いや、今のは僕じゃないぞ?」

「わ、わたしも違うよ!?って言うか、今の声って・・・」


声は野太かった。

美佳はもちろん、先生とも異なる声。

だが、聞き覚えはあった。




・・・・・・うんざりするくらい、聞き覚えのある声だった。




『・・・ちが、ぅ・・・』

『ちが、ぅう・・・・・・』

「な・・・」


声は、背後から聞こえていた。

振り返って、確認するまでもなかった。


『おま、え、じゃなぃぃ・・・』

『・・・おま・・・ぇ・・・じゃ、なぃ、い・・・』


・・・もっと早くに気づくべきだった。

いつの間にか、歌声が止んでいたということに。


『・・・・・・おま・・・・・・えぇ・・・・・・は、ちがぅう・・・』

『おまぇ・・・え、は・・・ちがう、ぅうぅ・・・』


声の主は、ヒル人間だった。

ヤツらは喋っていたのだ。歌を止めて。


『この、ち、はっ、ちが、ぅううぅううっ!』

『・・・このっ、

 ・・・ちぃっ、

 ・・・はっ、

 ・・・ちがっ、

 ・・・ぅっ、

 ・・・・・・ぅうううぅうぅぅうっ!』


ヒル人間たちの声は、徐々に大きく、険しくなっていく。


「・・・な、なんだ・・・あいつらいきなり!?」


・・・だが。


なぜ歌を止めたのかとか。

今聞こえてきた言葉が、何を意味しているのかとか。

ヤツらは、それに関して熟考する余裕を俺に与えなかった。

次の瞬間聞こえてきた言葉に、俺は思考が止まるほどの寒気を覚えたからだ。

それはヤツらと遭遇して以来、最もおぞましく、嫌悪を伴う寒気だった。


・・・・・・なぜならば・・・・・・。







『・・・かぁ・・・がぁぁ・・・せぇえぇぇ・・・・・・おぉ・・・ぉおぉ・・・ををを・・・!!』

『・・・・・・みぃいぃ・・・かぁぁ・・・あぁあ・・・・・・ほしぃ・・・いぃい・・・いぃいい・・・!!』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る