校舎裏にて

「高加君!!

 ・・・あったぞ!奥のポリタンクに灯油が入ってた!」


すくみ上がる俺たちの金縛りを解いたのは、背後から聞こえてきた西宮先生の大声だった。


「え!?・・・あ!に、西宮先生!?」


まるでなにかを吐き出すかのように、硬直していた身体をびくりと跳ねさせると

俺はふたたび背後へと振り返る。


「・・・うわッ!?

 な、なんだこれはっ!?」


物置から姿を現した先生は、こちらを見るなり驚愕の表情で後ずさった。

当然の反応だ。


「ヒル人間はまだ階段の上じゃなかったのか!?

 ・・・と言うか、二人ともそんなところで何してるんだ!!」


先生からしてみれば、下りてくるまでまだ余裕があったはずのヒル人間がすでに地上まで来ていて

しかも俺たちはその近くでなぜか呆然としてるんだから、さぞかし異様な光景に見えただろう。


「え、えっと・・・と、とにかく、説明は後で!

 ・・・美佳!立て!逃げるぞ!」


俺はへたり込んでいる美佳の左腕を引っ張りあげて、自分の肩へと回す。


「さ、さっちゃん・・・」

「まだ腰抜けてるのか?でもさすがに走ってくれないとどうしようもないぞ!」


美香の身体を支えながら、俺はちらりとヒル人間たちの方を盗み見た。


『・・・とぉお・・・りゃん・・・せぇ・・・・・・』

『・・・・・・とぉ・・・ぉ・・・・・・りゃん・・・・・・』


肉塊の表面を肉片が駆け上がっていくおぞましい光景は、未だに続いている。

ただ、さすがに再生中は他の行動が取れないようで、二体とも落着地点から一歩も動かず棒立ちのままだ。

逃げる猶予は十分あるように思えた。


「だ、だいじょうぶ。自分で立てる・・・」


美佳は俺の手をやんわり振りほどくと、右手を地面に着けて立ち上がり始める。


「そ、そうか。なら、早く・・・」


・・・と、俺がわずかばかり安堵したところで。

美佳がこちらへと振り向いた途端、その表情がふたたびこわばった。


「サクっ!!それっ!!」


・・・そして跳ねるように指を突き出して、俺の身体の一点を指差す。


「え?」


美佳が指差してきたのは、俺の右手辺りだった。

それに釣られ、右手をふいっと顔の前に持ってきた俺は・・・


・・・血の気が引いた。


「うわぁあっ!?」


そして次の瞬間、俺は左腕で狂ったように『それ』を払いのける。


「・・・っい、いつの間にっ・・・!」


・・・そう。

いつの間にか、右手の甲に青紫色の肉片がこびりついていたのだ。


「だ、だいじょうぶっ!?」


払いのけた肉片が、ヘドロのようにべちゃりと足元に落ちる。

さっきの投身自殺の際に飛び散った肉片が、知らず付着していたようだ。


「くそったれ!気持ちワリぃっ・・・」


呪いの言葉を吐きながら、俺は右手の甲を上着の脇腹辺りに擦りつける。


・・・心なしか、付着していた部分がヒリヒリしているように感じる・・・。


「さっちゃん・・・だ、大丈夫なの!?」


立ち上がり終えた美佳が、狼狽しきった表情で俺の顔を覗き込んでくる。

ふと足元を見ると、払いのけた肉片がもぞもぞと蠢いてヒル人間の方へと這い寄り始めているのが見えた。


「・・・っ。

 気にするな。早く行こう・・・」


・・・くそ!

化け物め・・・。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「しばらく校舎裏に沿って行けば、たぶん大丈夫」

「・・・そうか」


北校舎の裏側を東に向かって駆けながら、俺はグラウンド越しに見える疑惑の三本楠をヒラリと一瞥した。


『とぉお・・・りゃんせぇ・・・とぉりゃん・せぇえ・・・』


背後から聞こえてくるヒル人間の歌声は、あまり遠ざかってはいない。

俺と先生がポリタンクを持ちながら走っているため、逃走速度を落とさざるを得ないからだ。


『こぉこは・どぉこの・・・ほそ・みち・じゃぁ・・・』




――あの後、大慌てで物置へと駆け寄った俺は

西宮先生が引っ張り出した灯油入りのポリタンクを引っ掴むと、二人と一緒にすぐさま逃走を再開した。


『ひぃるこ・さぁまの・・・ほそ・みち・じゃぁ・・・・・・』


ポリタンクはよくある青くて四角い高さ50cm未満くらいのやつで

物置の中に二つ保管されていたが、いずれも中身は半分も入っていなかったため、俺と先生とで一個づつ持つことになった。

俺が持ってるのも先生が持ってるのもまだ真新しく、ホコリもほとんどかぶっていない。



・・・そう。ホコリをかぶっていないのだ。



「やっぱ灯油運びながらだと、なかなか引き離せませんね・・・」

「・・・」


俺は右手の甲を時々脇腹に擦りつけながら、併走してる先生を横目に見る。


「・・・高加君。

 ひょっとして・・・

『いっそ焼き払ってしまおう』

 ・・・とか考えてるか?」

「えっ!?」

「・・・・・・」


先生は少しだけ訝しげな目つきで、こっちを見返してきた。


「焼き払うって、もしかしてヒル人間をですか?」

「うん。

 ・・・あれの実体があくまで腐敗した人間の死体だというなら、すごく燃えやすくはあるはずだからな」

「いえ・・・。

 先生が物置で灯油を探してるのを待ってた時は、確かにそれも選択肢に入れてたんですけれど」


俺は美佳と先生を交互に見ながら、言葉を続ける。


「・・・ただ、あの再生能力を目の当たりにした以上、灯油を消費してまで攻撃するのは賭けだと思うんです。

 確かによく燃えはするでしょうけれど・・・身体が四散しても再生するような連中です。倒しきれる確信がない。

 衝撃に強いからこそ、焼却して対抗すべきという考え方もできますけれど・・・」

「あ―・・・。

 最悪、燃え立つゾンビに追いかけられるハメになっちゃうかもね―・・・」


さっきは物理的に歩行が不可能な状態にまで破損してたせいで再生が終わるまで動かなかったようだが、

燃焼状態でも同様に動きが止まるという保証はない。

美佳の言うとおり、火だるまのまま追い掛け回される可能性もある。


まあ、普通は火だるまになった時点で歩行なんてほとんどできないんだろうけど・・・。

ただ、それはあくまで酸素を必要とする生きた人間の話だ。


・・・あの亡者たちは逆に、脆すぎるが故に何をやっても本質的なダメージを与えられるイメージが湧かないのだ。

なんとも奇妙な不死性・・・いや、死んでるんだけど。


「うん。

 ・・・それと、むしろこっちのが重要なんだけど・・・。

 あの丸太だか杭だかを焼き払うのって、たぶん繰り返し作業になると思うんだよ」

「繰り返し?」

「・・・例えば、単に丸太に灯油をかけて火を点けただけじゃ、

 地上部分が焼き尽くされた時点で火は消えちまう可能性がある」


喋りながら、俺はまた手の甲を右脇腹に擦りつけた。

まだ肉片がこびりついているような錯覚が、どうしても拭いきれないのだ。


「そうか。

 ・・・確かに、地中部分は酸素不足で火が消えてしまう可能性が高いな・・・」

「え?え?そーなの?」


・・・。


美佳・・・。

お前、こないだの物理の点数、何点だったんだ。


いや、今はそんなことはどうでもいいが。


「・・・まあ、だからもし途中で火が消えたら、一旦燃えカスを取り除いてから周りの土を掘り返して、

 また灯油をかけて火を点けなおす・・・ってのを、何度かやらなくちゃいけないかも知れない。

 ・・・なんせ、人智を超えた原理の術だ。あの丸太が地下何メートルにまで達していて、

 その『杭の形状』を具体的にどこまで破壊すれば術が解けるのかとか、まったく見当がつかない」

「・・・」

「焼却されることによって杭の形状がちょっとでも崩れれば、術は案外すぐ解除されるかも知れないし、

 逆に俺の想像をはるかに超えた深さにまで達していて

 これっぽちの灯油と俺たち三人だけの力じゃどうしようもないかも知れない。

 だから、灯油の無駄遣いは極力控えたいんだ」

「なるほど・・・」


なにせ、ルールをろくすっぽ把握できていない術の、そのルール自体を崩そうとしているのだ。

最悪、あの丸太を焼き払うという目論見そのものがまったく的外れな、この迷宮の打破に繋がらない徒労に終わる可能性だってある。


・・・だからこそ、手札はできる限り温存したままあの場所に到達したいというのが、俺の考えだった。


「・・・ほんとは、こんな逃げ足を鈍らせるようなものはとっとと消費して、

 ダメもとで目先の脅威を排除しにかかった方がいいのかも知れないですけどね・・・。

 ・・・なんか、さっきから右手がヒリヒリするし――」


――言いながら、俺は上着に擦りつけたばかりの右手の甲をちらりと見て




絶句した。




「・・・うん?高加君?

 ・・・・・・うわっ!?」


・・・そして、俺が唐突に言葉を途切れさせたのを不審に思ったであろう先生もまた、こちらを見て声を上げる。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」







・・・俺の右手の甲は、血まみれになっていた。

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