乱暴、かつ短絡的
「・・・ここも開いてるな」
先生はその感触を確かめるように、掛けた手に力を込めて鋼板製の引き戸を揺らす。
「え、ここも?
・・・俺、すっかり蹴破る覚悟でいたんですけど・・・」
俺は肩透かしを食らった気分になって、思わず物置の上端部を見上げた。
「まあ、余計な手間がないのは何よりだ。
・・・じゃあ、僕が中に入って灯油を探すから、二人はヒル人間が近づいてきてないか外で見張っててくれ」
「・・・ほんとに現実世界側はちゃんと施錠されてんのかなあ・・・」
―ここは北校舎のすぐ裏側にある、小型のプレハブ物置前。
あの後、階段から地上へと下り立った俺たちはすぐさま美佳に星を識別させ、進路の安全を確保してからこの物置へと歩を進めた。
美佳によると、星は非常階段から見て真東に出ているらしい。
その非常階段は校舎西端の北外壁側に設置されているので、つまりは校舎裏を沿うように進めということだ。
だから校舎裏に設置されているこの物置は結果的に、元より進行ルート上に位置していたということになる。
・・・らしいんだが。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・うん?どしたのさっちゃん」
立ち尽くして物置の方を見ていると、美佳がひょっこりと俺の顔を覗き込んできた。
「・・・なんか、気にいらん」
「・・・?
気にいらん?・・・って、なんで?
ワケわかんない目に遭ってるなりに、順調だと思うけど・・・」
「だからこそ、だ」
俺は眉根をひそめながら、美佳の方へと向き直る。
「・・・トントン拍子すぎると思わないか?
進路上のドアが二箇所も施錠されてなかったり、目当ての物置がたまたま進行ルート上にあったり・・・」
「・・・」
「自分で提案しといてなんだけどさ、俺、『灯油で燃やす』って手段、実は割とダメな発想だと思ったんだよ。
・・・だって、進路上に都合よく灯油が入ってる倉庫なんて、普通あるとは思わないだろ?」
「う~ん・・・」
美佳は少し困ったような表情で親指と人差し指を顎に当て、頭を捻っているかのような仕草をとった。
・・・こいつがこういういかにも考えるフリみたいなポーズを取ってる時は、
実際にはあんまり考えていないことが多いんだけど。
「まあ、灯油じゃなくても掃除用のワックスとかでもいいんだけどさ・・・。
なんにせよ、そういう可燃性の備品が入ってるのって、普通はこういう物置とか倉庫だろう。
だから、よしんば到達できたとしても今度はカギをどうするかっていう問題があったし、難しいと思ったんだよ。
・・・なのに、なんか不自然にあっさりいきすぎっていうか・・・」
あるいは施錠されていないからこそ、美佳の『星』はそのドアの方向を指し示したのかも知れないが。
しかし、この迷宮が地脈の操作によって引き起こされている現象だとしたなら、
正解ルート上のドアを解錠しておく必要なんて全くないはずだ。
むしろ、俺たちを確実に追い詰めたいのなら施錠して然るべきのはず。
「考えすぎじゃないかなあ?わたしは単純に、さっちゃんって頭いいな~としか思わなかったよ」
「別に頭よくなんてねーよ・・・。
・・・ぶっちゃけ、俺はお前がいなきゃなにもできないし・・・」
「・・・あらやだっ、今のってひょっとしてプロポ「確実に違うから安心しろ」
両手を頬に当て、照れるフリをしながらニヤつく幼馴染に少しイラっときた俺は、
美佳の口から発せられた『プロポ・・・』の発音が終わらない内から全力で否定の言葉を被せにかかった。
「ちぇ。
・・・でも、さっちゃんって昔からそうだよね。頭いいのに慎重すぎて、結局なにもしなかったり・・・」
・・・ガキの頃からずっと傍にいるこいつにそれを言われると、正直少し痛かった。
しかし田園の時がそうだったように、俺が足に任せて動くと裏目に出ることが多いのだ。
その点、美佳は生来感性の赴くままに動いた方がいい結果に繋がりやすかったので、
たびたびそのカンの良さを羨ましく思うこともあった。
「・・・俺が気がかりなのは、今挙げた『順調すぎる要素』が誰かの意図的なものかどうかってことだよ」
「ワナだ、ってこと?
竹刀を構えてみてもあの物置は全然暗く見えないから、大丈夫だと思うんだけどな~・・・」
美佳が物置の方に目を向けたのに釣られて、俺も再びそちらの方へと向き直った。
物置はカタカタとかすかに揺れ、開けっ放しの入り口からは時折西宮先生の影が覗く。
手伝った方がいいかとも思ったが、中が狭い割には備品を詰め込んでいるようなので
俺まで入ると逆に邪魔になってしまいそうだ。
・・・これがホラー映画のたぐいだったら、中にヒル人間が待ち構えていたとか、
気がついたら先生だけ全然別の場所に飛ばされてたとかありそうだが、
あらかじめ美佳のダウジング剣道で『シロ』と識別されている以上、さすがに大丈夫だろう。
「それももちろんあるが・・・。
個人的には、むしろワナじゃなかった時の方が気になる」
「・・・ん~~~?ワナじゃないなら別にいいんじゃない?
そもそも、ほんとに誰かがわざとやってるのかも疑わしいんだし」
「まあ、確かに取り越し苦労かも知れないけどさ。
・・・ただ何らかの作為が働いてた場合、『誰が』『なんのために』やってるのか知るってのは、根本的な解決に臨む上で重要だろう。
物置はまあ、敵にも重要だと思われてなかったんで雑に放置されてたとか一応考えられるけど、
あそこの非常ドアまでカギを掛けていなかったっていうのはさすがに・・・」
言いながら、俺はふいっと右上方――つまり、先ほど駆け下りてきた非常階段の4階出入り口辺りを見上げて
・・・・・・そして、固まった。
「・・・美佳!あそこ!もう来てる!」
「えっ?
・・・・・・あ!」
同じように非常階段の上方を見上げた美佳の身体が、一瞬びくりと震える。
『・・・とぉ・・・んせぇ・・・りゃ・・・せぇ・・・』
そう。既にヒル人間が4階の非常ドアを開けて、非常階段の上からその異形を晒していたのだ。
「ど、どうしよっ!?」
「・・・いや、落ち着け。あの鈍足だ。あそこから階段を下りきるまでは、まだかなり時間が掛かるはず・・・」
『・・・こぉ・・・は・・・ぉこの・・・ほ・・・ちじゃぁ・・・・・・』
・・・よくよく考えれば、廊下で最後に見た時の距離はそこまで離れていなかったのだから
鈍足と言えど、もう非常階段まで到達してたって何らおかしくはない。
こちらも少し悠長に気を持ちすぎたか。
「先生!ヒル人間が非常階段の上まで来てる!まだ見つからないんですか!?ワックスとかでもいい!!」
俺は三たび物置の方に向き直り、中の先生に向かって怒鳴り声で呼びかけた。
自分で提案したものを探してもらってるのに少々自分勝手な気もしたが、今はそんなこと言ってる場合じゃない。
「階段の上か!?・・・ちょっと待て、雑に積まれすぎてて奥に何があるのかよく分からないんだ!」
物置内でガタゴトと物音を立てながら、先生もまた大声で返事を返してくる。
「俺も手伝いましょうか!?」
「いや、ちょっと狭すぎてダメだ!二人入ると身動きが取れなくなりそうだ・・・」
やっぱそうか。
・・・しかし、一応危険物扱いのはずの灯油が、物置の奥にそんな雑に格納されているものだろうか。
あるいはとっとと見切りをつけて、前進を再開した方がいいのかも知れない。
「まあ、しばらくは持つだろうけれど・・・」
俺は再び非常階段の4階へと視線を戻した。
『・・・ひぃるこ・・・まの・・・ほそみち・・・ぁ・・・』
ヒル人間は相変わらず緩慢な動きでのたのたと蠢いている。
「・・・うん?」
・・・だが。
「・・・おい、美佳・・・。
なんかあのヒル人間、動きヘンじゃないか」
「ヘン?そりゃヘンだと思うけれど・・・」
美佳はいかにも見たくないものを無理矢理見ている時のように顔をしかめながら、
再び階段の上へと目を向ける。
『・・・ちぃっと・・・ぉして・・・くだしゃ・・・せぇ・・・』
「そうじゃねえよ。
・・・なんか、一向に下に降りる気配がないっつーか・・・」
そう。
ヒル人間は4階の踊り場でもぞもぞ蠢くだけで、階段に移動する気配がないのだ。
代わりに、まるでこちらを覗き込むかのように――もはや眼球がどこにあったのかすら判然としない姿だが――
踊り場のヘリから身を乗り出している。
『・・・ぃのち・・・の・・・ある・もの・・・』
「・・・やだ、こっち覗き込んでるよ・・・」
「いや、て言うか、なんか妙に身を乗り出してるが・・・」
『・・・とぉ・しゃ・せぬうぅ・・・』
そうだ。
身を乗り出している。
えらく身を乗り出している。
まるで、動物園で子どもが外柵にかぶりついて檻の中の動物を覗き込んでいる時のように、
ヒル人間は上半身と思しき部位をヘリから思いっきり乗り出して
落ちた。
「え」
「え」
刹那、階段の手前を汚物のように落下していく、青紫色の肉塊。
直後、眼前で汚物のように炸裂する、青紫色の肉塊。
「うわあぁああぁあぁぁあああッ!?」
「・・・・・・・・・・・・ひっ!!」
対照的な悲鳴を上げた俺たち目掛けて飛散する、肉片、肉片、肉片。
「なっ!
なんだぁあっ!?」
飛び散ってきた肉片が、脇をかすめて少し後方のアスファルトにへばりつく。
一瞬で起こった予想外の事態に、俺は足をもつれさせながら不恰好な姿勢で飛び退き、美佳は後ろに倒れ込むかのように尻もちをついた。
「・・・・・・さ、・・・さっ、サクっ・・・・・・」
美佳は脚の膝から下を『ハ』の字にしてへたり込みながら、すぐ足元まで飛び散ってきていた肉片を唖然として見下ろしている。
・・・あろうことか、非常階段の4階からずり落ちんばかりに身を乗り出していたヒル人間は
なんと本当にそのまま手すりからずり落ちて真っ逆さまに落下し、俺たちのすぐ十数mほど手前の地面で砕け散ったのだ。
文字通りの『自殺行為』だった。
「な、なんでっ・・・」
無意味な疑問が思わず口を突いて出る。
およそ知性が残っているとは思えない亡者のやることに『なんで』もクソもないんだが、それでも言わずにはいられなかった。
「さ、サク・・・」
「・・・あ!み、美佳、大丈夫かっ!?」
「・・・サクっ・・・」
俺ははたと我に返って、すぐ右手前で座り込みながらひたすら俺の名前を呼ぶ幼馴染の方へと向き直る。
「・・・た、立てるか?」
「・・・さ、サク・・・サク・・・」
美佳はどうやら腰を抜かしてしまったらしい。
最初にヒル人間を直視した後ですら竹刀を構える胆力を見せた美佳でも、今の刹那の自殺劇はさすがにこたえたようだ。
・・・いや、むしろ失神しないだけ大したものか。
「・・・サク・・・」
「ひょっとして、今のでどっか痛めたのか?」
「・・・・・・サク・・・・・・」
「おぶった方がいいか?
・・・俺とお前の体格差だと、あんまし長くはおぶれないけど・・・」
いくら体型自体はスレンダーだと言っても、軽く20cm以上もある身長差だ。
全く情けない話だが、あまり長距離おぶって運ぶ自信はない。
・・・が。
「・・・ち」
「・・・『ち』?」
そこでようやく美佳の口から、俺の名前以外の発音が漏れた。
「・・・ちがっ・・・」
「え?」
・・・要領を得ずに俺が困惑していると、美佳はわなわなと震える右手を手前へと差し出す。
・・・・・・あれ、そう言えば、少し前にもこんなことがあったような・・・・・・。
「・・・う・・・う・・・」
「・・・『う』?」
「・・・・・・うっ・・・・・・
うえっ・・・・・・。
・・・・・・うえっ!」
「は・・・」
差し出された美香の右手は、上方を指差していた。
・・・背筋に、うすら寒いものが走る。
その指先に示唆されて上方へと振り向くと
・・・いた。
またしても。
『・・・とぉお・・・・・・せぇ・・・とぉりゃ・・・せ・・・・・・』
「・・・うぅっ!」
時間が巻き戻ったのかと錯覚するくらい、さっきと全く、同じ光景。
そう、先ほどヒル人間が飛び降りた4階踊り場のヘリから、またもやヒル人間が身を乗り出していたのだ。
そして。
『・・・こぉこ・・・ぉこ・・・そ・・・ちじゃ・・・』
「ま、まさか!」
・・・そのまさかだった。
『・・・ひぃるこ・さぁ・・・
・・・・・・ぁ・・・・・・』
直後、手すりをずるりと滑り落ちる、ヒル人間の上半身。
流動するように続く、下半身。
・・・ふたたび階段の手前を汚物のように落下していく、青紫色の肉塊・・・。
「まっ・・・」
『マジかよ!』
・・・と言い切る間もなく、つい先ほど出来たばかりの『肉塊の爆心地』の数mほど左に、新たな肉塊が炸裂した。
・・・・・・またしても飛び散る、肉片、肉片、肉片・・・・・・。
「うわぁあぁっ」
目の前でリフレインされた忌まわしい光景に、俺もまた似たような悲鳴を漏らす。
「・・・・・・・・・・・・」
美佳に至っては、呆然として悲鳴すら上げられないようだ。
「な、なんで・・・。
・・・って言うか、なんなんだよ、これ!?」
俺はあまりの意味のわからなさに、ある種の怒りすら込もった声を上げながら二つの爆心地を交互に見る。
「・・・。
一体・・・・・・」
爆心地には二つの巨大な肉塊が、まるでひっくり返したミートパイのように平べったくぶちまけられていた。
・・・これじゃヒルというより、潰れたアメフラシだ。
「どうした、高加君!?今、なにか大きな音が聞こえたが・・・」
声に思わず振り返ると、物置の中から西宮先生の影が覗いている。
「・・・あ、・・・いや・・・その・・・。
・・・・・・あ!と、灯油!見つかったんですか?灯油!」
一瞬、目の前で起こった出来事をどう説明したものかと言い淀んだが、
すぐにここで待機することとなった本来の理由を思い出した。
「すまん、もう少し待ってくれ!奥の方にポリタンクらしきものがあるように見えるんだが・・・」
そうだ。灯油さえ見つかれば、こんなワケの分からない自殺現場からはとっととおさらばだ。
「ホントですか!?えっと・・・と、とにかく急いで!こっちはちょっとおかしなことになってるんで・・・」
・・・って言うか、ないならないでさっさと見切りをつけて、とにもかくにもおさらばした――
「!」
・・・と。
ふたたび正面へと向き直ったその時、視界の隅でなにかが動いた。
「・・・え」
・・・。
・・・なんだ?今の・・・。
かすかに疑念を抱きつつ視界を正面へと固定すると、またしても『なにか』が視界の隅で動く。
・・・ふたたび、背筋に冷たいものが走った。
「・・・・・・・・・・・・」
美佳・・・ではない。
美佳は相変わらず、俺の右手前で呆然とへたり込んでいる。
というか、美佳だったら俺の脳は『なにか』だなんてあやふやには認識しないだろう。
・・・三たび、なにかが蠢く。
いや、もう『なにか』じゃない。認めなければならない。
「・・・マジかよ・・・」
そうだ。最初にヒル人間を見た時もそうだった。
俺の脳ミソは見てしまったことを認めたくないとき、それを『なにか』などとあやふやに認識してしまうんだ。
『・・・こ・・・・・・の・・・・・・にぃ・・・・・・』
蠢いているのは、肉塊だった。
最初に落ちてきた、向かって右側の・・・
・・・・・・・・・・・・。
・・・いや。左側もだ。
今しがた、二番目に落ちてきた肉塊も蠢き始めてしまった。
「・・・・・・マジかよ・・・・・・」
先ほどは言い切れなかった言葉が、今度は思わず二回連続で口を突いて出る。
『・・・ぅみじ・・・ぉって・・・ぃりま・・・ぅ・・・』
ずるりと、めくれ上がるように右側の肉塊が起き上がり、その肉塊の表面を無数の肉片が駆け上っていく。
徐々に、徐々に、ふたたび異形の亡者の姿へと戻ろうとしているのが分かった。
『・・・いぃきは・・・こい・こぃ・・・かぇ・りは・でき・ぬぅうぅ・・・・・・』
4階から地面に叩きつけられて、原型を留めないほどぐちゃぐちゃに潰れたはずなのに・・・
・・・いや、違う。何言ってんだ、俺。
こいつら、元より原型なんて留めてなかったじゃないか。
水ぶくれで腐乱しきった肉体があまりにやわそうに見えたから
4階から落ちたならひとたまりもないだろうと思い込んでしまったが、違う。逆だ。
『・・・かぇ・れぬ・ながらもぉぉ・・・・・・』
元よりグチャグチャのズルズルだから、逆にどんなに潰れても砕けても平気なんだ。
ああ、そうか。なんだこいつら。ナンセンスに見えて、実に合理的じゃないか。
『・・・とぉお・・・りゃん・せぇ・・・とぉ・りゃん・せぇえ・・・』
『落ちる』なんて。
乱暴で短絡的だけれど、実に理に適った『移動手段』だった。
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