異物

「ぬふふふふ。ぐふふふふ・・・」

「妖怪みたいな笑い方すんな。なんださっきから気持ち悪い」


沈みかけた夕焼け空へと続く、田んぼのあぜ道。

俺は後森先輩のおせっかい通り、美佳の部活が終わるのを待って、一緒に帰宅することにした。


「だって、さっちゃんと下校デートするのなんて中学以来じゃない?しかも、わざわざ部活が終わるの待っててくれるなんて」


まあ待ってたと言っても、校門から出て100mくらい先で、だけど・・・。

校内で合流すると、こいつ絶対さっちゃんさっちゃんと大声で連呼するから。


「デートとか言うな。・・・しょうがないだろ、お前が剣道部に入って、普段はなかなか帰宅時間が合わないんだから」

「うん。今日は早めに部活が終わって、ほんとによかった!」


うかれる美佳を横目に何となく落ち着かない気分になった俺は、ふいっと周囲を見回した。

学校を取り囲むように広がる田園地帯とは裏腹に、視界に飛び込んでくる景色は意外なほど緑の彩りに乏しい。

数年前に市が立ち上げた土地開発計画の一環で、周辺一帯の森林があらかた伐採されてしまったからだ。

ウチの県はどちらかと言うと緑が豊かな県のはずなんだが・・・そのせいで反発が多かったのか、数年経った今もその『開発』とやらはさっぱり進んでるように見えない。

・・・いや、今はそんなことより、そんな見晴らしのいい場所を美佳と二人きりで歩くことに、妙なこそばゆさを覚えていた。

またクラスの奴らに目撃されようものなら・・・。


「どうしたの?さっちゃん」

「へっ?あ、いや・・・。

 ・・・あ、部活って言えばさ、よく本格的に剣道やる気になったな」


不審そうに顔を覗き込んできた美佳に、俺は慌てて話題を振り直す。


「うん?わたしが神社でおじいちゃんに剣道習ってたの、さっちゃんもよく知ってるでしょ?」


美佳のとこは父方が一族で神社を仕切っていて、去年亡くなった祖父はそこの神主だった。

まあ、神社と言っても分社だし、美佳自身の家は普通のサラリーマン家庭なんだけれど。

祀られている神様は確か、・・・・・・


・・・えーと・・・確か、アマ・・・アマツミ・・・・・・


・・・・・・なんだっけかな。ま、いいや。


「いや、だからさ、お前よくじいさんにしごかれて泣いてたじゃん。

 だから、竹刀なんてもう触るのも嫌なのかと思って」

「まあ、そういう時期もあったけどね。わたしが竹刀に触らないと、おじいちゃんが天国で寂しがるかなーって。

 おじいちゃんのとこで使ってたのは、竹刀じゃなくて木刀だったけど」


話の流れで分かるように、普段は温厚だった美佳のじいさんは、

だけれど稽古の時だけはまるで人が変わったかのような鬼師範と化していた。

つーか、孫娘の稽古つけるのに木刀とか使うなよ。死ぬぞヘタしたら。


「・・・部活では期待されてるんだよな?そういや」

「それがねえ、みんなわたしの『見切り』を見るとびっくりするんだよ。

 人間離れしてるとか、

 妖怪じみた動きだとか、

 魔界村のレッドアリーマーみたいだとか、

 上手すぎて逆に引いたとかって。

 もう、嬉しいやら恥ずかしいやら・・・」

「・・・・・・・・・・・・」


・・・まあ、お前がそれでいいってんなら、俺から言うことは何もないけど・・・。


「お前、よくじいさんによく分からん反応訓練とかさせられてたからな・・・」


見切りというのは要するに、間合いの調整と動体視力によって相手の攻撃を回避したり反撃したりする技術のことだ。

剣道というのは普通、経験を重ねる内に自然と身体が定石的な立ち回りを覚えるものなので

はっきりと『見切り』だと分かるような動きは、実はあまりしないらしい。


しかし、美佳と対戦した相手はみな一様に

「あの人はこっちの太刀筋を『目で追ってからギリギリで』避けてる」という印象を抱くようで、

あまりのアドリブ能力の高さに美佳のことを気味悪がる人まで出る始末だった。


まあ、俺自身は格闘のこととかよく分かんないんで、人から聞いた話の受け売りなんだけれど。


「しかし、目で追ってギリギリで避けるってのは、やっぱ技術がいることなんだな。

 今まではじいさんとばかり打ち合ってたから、見てる俺もあんまピンと来なかったけど」

「なんかね、星が見えるんだよ」

「・・・は?」

「対戦相手のとこにね、星が見えるの」


・・・・・・・・・・・・。


「相手の身体の中で、力が集中してるとことか、直後に動きそう、ってとことかに、

 小さな星みたいな光がキラっとしたような錯覚があって、

 そのすぐ後、こちらへの太刀筋が流れ星みたいにスーっと伸びるの。

 それは速いんだけれど、ひどくゆっくりでもあって、わたしはその流れ星みたいな太刀筋を避けながら

 試合してるんだけど」

「・・・・・・」

「それでね、それとは別に、相手の身体の中で鈍いとことか、体勢移動しづらいとことかも、

 明け方の星みたいに、ちょっと薄暗い光として見えるの。

 そこに正確に打ち込めば、たいてい一本取れてる」


・・・・・・また始まった。


「美佳・・・お前な~~~・・・」

「『説明する時は思いついたことをそのまま口走るな』、でしょ?

 ・・・しょうがないじゃない、ホントにそういう風に見えるんだから」


どうやら本人は真剣なようだ。

・・・しかし、そんな中学二年生がノートに妄想書きしてそうな自己申告を鵜呑みにしろって言うのか?

だいたい何だよ、『星』って。経絡秘孔でも見えるってのか。


「不思議よね。日常生活では、そんなもの全然見えないのに。

 竹刀を構えて集中すると、なぜか見えてくるの」

「・・・うさんくさ」

「ホントだってば!」


とは言え、こいつの体さばきの技術がやたら常人離れしてるのは、俺や美佳自身は元より

周囲の人間もみな認めるところなわけで。

一人違う境地にいる本人がそう見えると言うなら、凡人の俺は信じるしかない。


「・・・もしかしたら、ギフトってやつなのかもな」

「ギフト?お中元?」

「そうじゃねえよ。・・・ギフトって言うのは、数十人だか数百人だかに一人くらいの割合で生まれつき持ってる、

 常人離れした能力とかセンスのことさ。

 超能力とは違って、あくまで人間が本来持ってる五感とか知能とかが恐ろしく発達してるってだけなんだけど、

 本人がその才能を用いて事に当たる時、あまりに感性が発達しすぎてて

 常人とは全然違った見え方や感じ方をしたりするケースもあるらしい。

 で、生まれながらにして天から贈られた才能だから『ギフト』」

「なるほどねー」


あぜ道を歩きながら、美佳が腕組みしてうんうんと頷く。


「・・・絶対今の話理解してないだろ」

「うーん・・・。よく分かんないけど、要するにわたしって頭いいってことだよね?」

「・・・・・・・・・・・・お前、よくそんな絶望的なことが言えるな・・・・・・・・・・・・」


ただ、その理解もあながち間違ってないかも知れない。

一口に頭の良さといっても、色々あるから。

こいつは小難しく考えるのが苦手な分、本能に直結した判断力――要するに、カンが優れているんだと思う。

むしろ競技とか試合に身を置く時、理屈っぽい思考というのは

咄嗟の判断をする上で邪魔なクッションとなりうることもあるだろう。

なら美佳の贅肉をこそぎ落としたような頭も作りもまた、立派な知性の内なのだ。


「・・・加賀瀬。お前やっぱ、明日からは一人で帰れ」

「えぇええぇっ!?なんでぇえっ!?」


俺の冷めた一言を受けて、美佳が周囲一帯の田んぼに響かんばかりの大声を上げた。


「必要ないからだ。だいたい、一日二日ならまだしも、毎日異性の幼馴染を待ち伏せするとかさすがにムリだ。

 ・・・色んな意味で」


バカバカしい。

なにが『守ってやれ』だ。

なんの思い上がりで、俺ごときがこいつを『守ってやる』なんて言えるんだ。

むしろ、俺の方が足手まといになりかねない。


「ヤダよ~。捨てないでよ~さっちゃ~ん」

「大声でさっちゃんって呼ぶな!・・・って、うわ、ちょ、脚にしがみつくな―――っ!」


美佳は肩から掛けていた袈裟袋入りの竹刀をほっぽり出すと、

制服が汚れるのも厭わずあぜ道に膝をついて、俺の脚にしがみついてきた。

身長の割にはほっそりした体つきの美佳だが、それでも俺との体格差は圧倒的だ。

組み付かれると、俺には為す術がない。


ヤバい。他の生徒が通りかかったら、またあらぬ嫌疑を掛けられかねない。


「わ、わかった!落ち着け!週一くらいなら待っててやるから!なっ!?」

「やだ!全日フルタイムじゃなきゃやだ!」


なおも食い下がってくる美佳の猛攻に俺は体勢を崩してしまい、バランスを取るために思わず頭と腕を振り回した。

拍子に、周囲一帯の景色がぐるりと視界を流れる。


「バイトかよ!って言うかフルタイムってなん――」


と、そこまで言いかけて。

俺は視界に流れた景色の中に、一瞬妙なものが映ったのに気づいた。


「・・・・・・」

「・・・うん?さっちゃん?」


・・・。


・・・・・・うん?


・・・・・・・・・『妙なもの』?『妙なもの』ってなんだ?


「・・・・・・・・・・・・」


・・・俺は今、走馬灯のように流れた視界の中に、動く何かを見た。


一面の田んぼ。

民家の明かり。

電柱。

遠くのネオン。

・・・俺たち以外に、人影はない。


「さっちゃん?ちょっと、どうしちゃったの?さっちゃん?」

「・・・」


視界に景色が流れたのは、一瞬だ。俺は美佳と違って、あまり動体視力には自信がない。


・・・なのに、なぜ俺は今、視界に一瞬ちらついたそれを『妙なもの』と認識したんだ?

違う。今見たばかりのはずなのに、何を見たのか記憶にない。なのに俺はそれを『妙なもの』と認識した。


「・・・・・・美佳・・・・・・」

「・・・へ?」


・・・気になるなら、改めて周囲一帯を見回せばいいだけのこと。

なのに俺は、そんな簡単なことすらせず、何故か首を縮こめながら考え込んでしまってる。


「・・・帰ろう。早く・・・」

「ど、どしたの?って言うかさっちゃん、今わたしのこと、下の名前で――」

『・・・・・・んせ・・・・・・・・・・・・・・・・・・んせぇ・・・・・・』


・・・・・・うろたえながらもどこか嬉しげな美佳の声を、何かが遮った。


「・・・・・・え?」

「・・・・・・・・・」

『とぉ・・・んせぇ・・・・・・りゃ・・・・・・ぇ・・・・・・』


声だ。第三者の声だ。

どこからともなく、搾り出すかのような声がかすかに俺たちの耳に届いてきた。


『こぉこ・・・どぉ・・・の・・・そみ・・・じゃぁ・・・』

「な、なに?この・・・・・・声・・・?」

「美佳。早く帰ろう・・・。早く・・・」


俺は、既に立ち上がって竹刀を肩に掛けなおしている美佳の、ブレザーの袖を引っ張った。

・・・震える指で。


『てんじ・・・さぁま・・・そみち・・・じゃぁ・・・』

「って言うか・・・近づいてきてるような・・・」

「いいから。帰るぞ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・って言うか、走れ!!」


俺は美佳の背中を乱暴に押し出して、走るように促した。


「え?え?ちょっと?」

「いいから走れ!

 ・・・・・・いいから、走れ!頼むから!」


・・・違う。

『今見たはずのものが記憶にない』んじゃない。

『見たということを本能が認めたくなかった』んだ。


『えぇびす・・・さぁまの・・・ほそ・みち・・・じゃぁ・・・』


見えてしまった。それも、この夕暮れ時の中でなぜかハッキリと。

陽炎のようにゆらゆらとして、なめくじのようにぬらぬらとした・・・

・・・違う、そんな呑気なものじゃない。




ズルズルに腐乱して、巨大なヒルのように膨張した、人間の――

――恐らく、死体が。


立ち尽くして、こっちを見ていた・・・。




『とおぉ・・・りゃんせぇ・・・とぉりゃん・せぇ・・・』

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