第一部:ヒルの怪

ヒルの怪

――暑い。


日本の夏って、なんでこんなに暑いんだ。


そりゃ、農作とか生物のバイオリズムとかには、そういうのもある程度は必要かも知れないけれど。


暑すぎるのは意味ないだろ。

意味ないだろって言うか、意味が分からない。


「なんかね、夏とか春は、太陽の神様がやる気出して、冬とかは死んであの世に行っちゃうんだって。

 んでね、春になったらまた戻ってくるの。だから冬は寒いんだって」

「そういうことを言ってるんじゃねーよ・・・。なんだよそのメルヘンは」


俺は自らの汗でぬめつく机からのっそりと顔を引き剥がしながら、覆い被さるように前方から覗き込んでいる

大きな影を見上げた。


「メルヘンじゃなくて、神話だよ。先生が言ってたもん」

「どうせまた、世界史の西宮だろ。

 ・・・あんまあの先生のたわ言を真に受けるなよ、加賀瀬」


前方の大きな影――つまり、俺が今『加賀瀬』と呼んだ女は、汗で頬に張り付いた黒髪を払いながら、

その忌々しいまでの長身を俺の頭上に傾けてきた。


「もー。上の名前で呼ぶのいい加減やめてよ、さっちゃん」

「お前こそ下の名前を童謡っぽく呼ぶのやめろ!」


――ああ、暑い。こいつと一緒にいると、ことさらに暑い。

だから俺は今までの人生のあらゆる夏季を、必要以上に暑苦しく過ごすハメになってきたんだ。




ここは日本国茨城県。

・・・の、どちらかと言うと太平洋側にあるとある市街地の、とある高等学校。


今日は2014年7月15日火曜日。快晴。今は昼休み中。夏。猛暑。暑い。

俺の名前は高加たかくわ さく。目の前にいる女は加賀瀬かがせ 美佳みか

高校一年生。15歳。こいつは4月生まれなんで16歳。暑い。


「だって、さっちゃんはさっちゃんじゃない。わたしにとっては、物心ついた頃からさっちゃんだし」

「お前がそうやって物心ついた時から今の今まで連呼してきたから

 小中高一貫のエスカレーター方式で俺のアダ名が『さっちゃん』で定着しちまったんだろうが!」

「わたしのことも、昔みたいに『ミカちゃん』って呼んで♪」

「人の話を聞け―――ッ!!」


暑い。

いや、むしろ今は暑いって言うより、熱い。

主に頭の中が。


「もう諦めてよ。少なくともわたしの中では、さっちゃんは一生さっちゃんだろうから。

 だいたい、さっちゃんが小柄で可愛らしいのがいけないんだよ。髪の毛はふわふわの栗毛だし、お目々もクリクリしてるし。

 いかにも『さっちゃん』って感じだもの。

 ・・・ふふっ」

「・・・お前がデカすぎるだけだろ・・・」


身長、180cm超。

相応の、黒く艶やかな長髪。切り揃えられた前髪。涼やかな釣り目。すらりと伸び上がるような長身。

どこの都市伝説系女妖怪かと見紛うような、嫌でも目立つ威容。


・・・ちなみに俺は、157cm・・・。


て言うか、今時そのリアルお菊人形みたいな髪型と長さはどうなんだ。

重いってもんじゃないぞ。


「もういい。もういいから話しかけないでくれ。ただでさえ暑いのに、お前と言い争ってると

 頭と身体が溶けちまいそうだ・・・」

「・・・溶けちゃうの?さっちゃん」


んなワケあるか。


「ものの例えに決まってんだろ。いちいちくだらんことを補足説明させんな」

「いや、でも最近、本当に溶けちゃってる人が出るらしいよ?」

「・・・は?」


・・・なんだこいつ。

また何を言い始めるんだこいつは。


「なんだよ、『本当に』って」

「あれ、知らない?『ヒル人間』の噂」

「・・・・・・・・・」


・・・今更改めて断るのも馬鹿馬鹿しいけど、こいつと俺はいわゆる幼馴染だ。それも、やたら距離が近いタイプの。

だからお互いの気性とか気質とか、不本意ながら把握しちまってるんだけれど・・・。


「・・・加賀瀬、お前な。

 人に説明する時は、思いついたことだけをそのまま口走るなっていつも言ってるだろ」


こいつはちょっと、足りない・・・とまでは言わないけど、

物事を論理的と言うか、三次元的に組み立てて考えたり喋ったりするのが昔から苦手なんだ。


長身で・・・まあ、長い黒髪も似合ってるから、黙って佇んでると賢そうに見えるんだけど・・・。


いや、決してバカではない。バカではないんだが。


「あ、えっとね、最近生徒たちの間で流行ってるっていう、ちょっと怖い噂だよ。

 わたしも剣道部の先輩から聞いたんだけれど、

 ・・・あれ?部活の先輩ではなかったかな?」

「・・・そこは飛ばしていいから、要点だけ聞かせてくれ」


・・・さっき自分で話しかけるなと言っておきながら、俺は舌の根の乾かぬ内に

美佳が持ち出してきた怪情報に聞き入る態勢に入ってしまっていた。


「わたしたちが山海に入ってきてから、急に流れ始めた噂らしいんだけれど・・・。

 ほら、ここの周辺って、ここ十年でだいぶ開発されたみたいだけれど、

 それでも山海の周囲って、まだまだ田んぼとか多いでしょ?」

「・・・まあな」


山海さんがいというのは、この高校の名前だ。

私立山海高校。

一応進学校なんだが、なんで美佳が入れたんだか・・・・・・まあ、今は置いておく。


「でね、夕暮れ時とか、下校時刻に田んぼの近くを横切ると、

 たまーに田んぼの向こうにヘンなものが見えるんだって」

「ヘンなもの?」

「うん。陽炎みたいにゆらゆらしてて、ナメクジみたいにぬらぬらした

 なんかよくわかんないものが立ってることがあるって」

「・・・・・・」


・・・俺は、自分の中で一旦はもたげかかった好奇心が、一気に萎んでいくのを感じた。


「・・・それ、『くねくね』じゃね?」

「クネクネ?なにそれ」


・・・・・・・・・・・・くだらねー・・・・・・・・・・・・。


今時、くねくねとか。


「知らないのかよ・・・。

 くねくねってのはネット上で有名な都市伝説で、田んぼとかに現れる、とにかくくねくねした妖怪だよ。

 たいていはその場でくねくねしてるだけなんだけど、目撃した人間は頭がおかしくなっちまうんだと」

「へー、そんなのいるんだ」

「いるわけねーだろ。ナンセンスだ。ただのネット上のヨタ話だよ、そんなもん。

 だいたいその都市伝説、流行ったの10年くらい前だぞ。いくらここが田舎っつったって、今更そんな・・・」

「でも、それだとわたしの聞いた話とちょっと違うね」

「・・・あん?」


失せかけた好奇心の残滓のようにやる気のない俺の説明を、美佳がきょとんと遮る。


「だってそのクネクネって、あんまりアグレッシブじゃないんでしょ?

 うちのヒル人間は襲ってくるらしいよ。かなりアグレッシブに」

「・・・そうなのか?」

「うん。でね、そのべとべとぬらぬらした身体で覆い被さってきて。

 襲われた人は、体中の血液とか体液とか、吸いつくされて死んじゃうんだって。

 だからヒル人間」


一瞬、わずかに蘇りかけた好奇心の残滓が、再び霧散していく。


「・・・なあ、加賀瀬。そのテの・・・まあ、いわゆる学校の怪談を聞いた時、いつも思うんだけどさ・・・」

「うん?」


軽く咳払いをしてから、俺は言葉を続ける。


「なんで遭遇者はその場で死んでるのに、噂だけがバッチリ広まってるんだ?

 あとそれ、下校時刻に、ってことは、犠牲者はここの生徒なんだよな?

 死因はともかくとして、在校生に変死者が何人も出てたら、校内でもっと騒ぎになってるはずだろ」

「・・・そんなこと、わたしに言われても・・・」


まあ、実際、美佳が悪いわけじゃないんだけど。


噂ってのは無責任なものであって、無責任じゃいられない。

この噂の発信者は、なぜ生存者がいないのに噂が広まったのか、説明しなきゃいけないんだから。

説得力のない都市伝説なんて、すぐに廃れて、立ち消えてしまうだろう。


「で、それがお前の言う『溶けちゃった人』なのか?

 ・・・なんかその情報だけだと、人型だかなんだかすらよく分からんようだけど」

「あ、うん、そうそう。それなんだけれどね、このヒル人間さん、ちょっと気になる設定があって」

「・・・」


・・・『設定』て。

お前も信じてないんじゃないか。


「襲ってくる際に喋ったり、歌を歌ったりするんだって」

「・・・歌?どんな歌を歌うってんだ。つか、そんなナリで言葉を話せるのかよ」


・・・とっくに興味が失せていたはずなのに、気が付くと結局、俺は美佳のペースに乗せられて

ヨタ話の合いの手を入れてしまっていた。


「歌の方はよくわかんないけど、なんか『お前じゃないー』とか、『お前も違うー』とか喋るらしいよ。

 人違いなら、血を吸うのもやめてあげればいいのにね」

「そういう問題かよ・・・。でも『お前も違う』ってなんのことだ?」


自分で口に出してから、我ながらナンセンスな疑問だと思った。

都市伝説の設定なんて基本的に不条理なものばかりなんだから、『考えた奴』の意図なんて量り始めたらキリがない。


「さあ、なんだろうね?

 ・・・案外、わたしたちを探してるんだったりして!」

「・・・お前な――」


ヘンなとこでお姫様思考な美佳の発言に突っ込みを入れようとした途端、頭上で聞きなれた音が響き渡る。

昼休みの終わりを告げる、予鈴のチャイムだった。


「あー・・・、昼休み、終わっちゃうね」

「・・・はあ。

 結局、お前のヨタ話に付き合って終わっちまった」

「なに言ってんだよ高加。毎日ヒマさえあれば、加賀瀬さんと楽しそうにくっちゃべってるクセに」


・・・いつの間にやら、右隣の席の石山――まあ、こいつの名前はどうでもいいんだが――が席に戻ってきて、

俺と美佳のやり取りをニヤニヤと眺めていた。


「べ、別に楽しそうじゃないだろ」

「わたしはさっちゃんとお喋りできるの楽しいよ?」

「・・・お前は黙っててくれ」


そりゃお前は楽しいだろう。

こういう時、からかわれる主体は常に俺なんだから。


「素直じゃないねえさっちゃん。とっとと付き合っちゃえばいいのに」

「さっちゃんって言うな!」


今度は左後ろの席の新見だ。

・・・これだから休み中に美佳と一緒にいるのはイヤなんだ。


「さっちゃんはね~♪ミカちゃんが大好きなんだホ~ント~はね~♪」

「うるさい!」

「だけどちっちゃいか~ら~♪」

「うるさいっ!!」

「ちっちゃいか~ら~♪」

「ちっちゃいか~ら~♪」

「そこだけリピートコーラスするな―――――ッ!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る