第二話 馴染 一

 かくして隆のバイト先は、本人の意思とは全く関係なく大衆食堂『月光』に決まった。

 ただ、それが巻き込まれるような形でなし崩し的に決まってしまったものだから、隆は内心、

 ――これはいつもの「災難の始まり」に違いない。

 と確信する。彼はともかく厄介事に巻き込まれやすい。ただ道を歩いているだけでも、勝手に災難のほうから近づいてくる。

 ――きっとブラックな職場に違いない。

 そう考えた隆は、最初に労働条件を確認することにした。

「美幸さん。アルバイトで雇いたいと言うのは分かりましたが、だったら条件を教えて下さい」

「細かいことに拘る男だねえ」

「いやいや、それが普通ですから。時給とか勤務時間とか聞かずに働くほうがどうかしているでしょう?」

「いっぱしの男なら『そこまで自分を買ってくれるのならば喜んで働きましょう』と、二つ返事で応じるものじゃないのかねぇ」

「応じません。俺はいっぱしの男じゃありませんから。それに買われた覚えがありません」

 隆はきっぱりと言った。

「志が低いねえ。分ったよ、じゃあ時給は千円にしようじゃないか」

 やれやれという顔をしながら美幸がそう言ったので、隆は即座に切り返す。

「そもそも払えるんですか、美幸さん?」

「心配なら只働きしてもらっても、私は構わないよ」

「そういう意味ではなくてですね」

「働く前から給与不払いの心配なんて器量の小さい男だねえ」

「だからそういう意味ではありません。支払えるほど店の売り上げがあるようには見えませんが大丈夫ですか、という意味です。払えもしないのに無理にバイトを雇う意味がどこにあるんですか」

「まだ働いてもいないのにどうしてそんなことが言えるのかね。今の時間は確かにガラガラだけど、夜になったら満員御礼になるかもしれないじゃないか」

「そんな訳ないでしょう。カレーがあの味だったら、気の迷いで入ってきたお客さん以外、期待出来ないじゃないですか」

「馴染の客ぐらいいるって」

「え――」

 隆は驚く。

 自分が決死の覚悟で食べたカレーである。他のメニューがどれほど悲惨かは未体験だが、そもそも清が「メニューにあるものを作るのが苦手」と言っていたから、似たようなものだろう。

 それなのに馴染客。

 ――我慢大会か何かだろうか?

「あんた今、我慢大会じゃないのか、とか考えていなかったかい」

「いやあ、そこまで酷いことは……考えていました」

「ふむん。まあいい。働いていればそのうち分かるだろうよ。ともかく、アルバイト代は普通に払えるから大丈夫だよ。加えて――」

 そこで美幸の皺に埋もれた細い目がきらりと光る。

「――特殊任務をクリアすると特別ボーナスが出る」

 腕組みをしながら聞いていた隆は、特別ボーナスのところで眉を顰めた。

「なんだい。ここは驚くところじゃないか。若いのに冒険心がなくて困る」

「いやいや、だからおかしいでしょう? 普通の大衆食堂のアルバイトが、どうして特殊任務をやらなくちゃいけないんですか。そもそも、何ですか特殊任務って。その筋の事務所に出前でもするんですか」

「うちは出前はやらないよ」

「だったら余計におかしいじゃないですか」

「おかしかないよ。だいたい爺さんからうちのこと聞いたんじゃないのかね。裏の話をしたんだろう?」

「ああ、まあ、それは。確かに聞きましたけど『秘密結社』というのは流石にどうかと思います」

「事実だから仕方がないだろ」

「だから、そう開き直られても困りますって。すると何ですか、秘密結社の世界征服の陰謀に加担する特別な任務を完遂すると、背後にある巨大組織の資金源から莫大な成功報酬が貰えるとか、そんな話ですか?」

 隆がすらすらとそう言い切ると――


 美幸は驚いたような顔をしていた。

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