06
結局、朝になっても大上さんは自宅に戻ってこなかった。
俺の記念すべき初の張り込みは、見事空振りに終わった。成果の出ない張り込みが、こんなにも気力体力を削られるものだとは思わなかった。しかも相手は犯罪者ではない、自分の相棒だ。
朝の刑事課はまだ人もまばらだ。ミーティングまでだいぶ時間がある。俺はふらふらと用を足しにいった。鏡に映る自分の顔は、いつにもまして冴えない新米のものだった。
気掛かりなのは昨日のあの女だ。彼女は何者だろう。「エージェント」と名乗られて、ハイそうですかと納得してしまったが、どこの組織で何のエージェントなのか、あの名刺では身元をつきとめようがない。
大上さんは今、一体どんな厄介事に関わっているというんだ。
直感が告げる。あの女よりも早く大上さんを見つけなければ。
「白川おはようさん。どうだ、大上さん見つかったか?」
そう声をかけてきたのは、俺と同時期に刑事課へ配属になった
「全然。家にも帰ってねえよあの人」
「まじかー」
男子トイレで二人、並んで会話するこの感じ、俺は嫌いじゃない。
「つーか、ここだけの話だけどよ」
こんな風に、世間話にも花が咲く。
「大上さんやべえよ。おまえ、あんま深入りしない方がいいかもしんないぜ」
……なぬ?
「やばいって、なにが」
「おまえ、監察ってわかるか」
「そりゃあ当然……」
刑事ドラマ好きをなめるなよ? と得意になりかけて、それが大上さんの話題とどう結びつくのか、すぐに理解した。
「大上さんが監察対象だってのか?」
監察――つまり警察官自身による犯罪・不祥事を未然に防ぐため、警察官を監視し取り締まることだ。監察対象になるということは、すなわち大上さんが悪事に手を染めている可能性が……高い。
「それだけじゃねえよ。ちょっと来てみな」
刑事課の大部屋に戻ると、芝田はバーテーションの陰で顎をしゃくってみせた。たしかに見慣れない男たちが数名、一角を陣取っているのがわかる。
「あの人たちは?」
「公安調査庁の奴ら」
「こうあん!?」
思わず声を上げてしまい、芝田に「声がでけえ!」とたしなめられる。それほどまでに、驚くべき存在なのだ。
ありえないだろう。国家機密やテロリスト犯罪を扱う機関の人間が、なんでこんな所にいるんだ。
そこでふたたび、俺は芝田の言いたいことを理解した。理解はしたが、とても納得できるものではなかった。
「大上さんが、スパイだっていうのか…?」
「監察と公安が同時に動いてるんだ。疑うなっていう方が無理だろ」
「そんな…そんなドラマみたいな話が……」
俺の脳裏に、昨夜の女の姿がよみがえる。まるでドラマから出てきたような女が、大上さんを探していた。あの女は――スパイ仲間? 彼女は言った。彼をこのままにしておくわけにはいかないのよ。仲間同士でなにかトラブルが起きたのか。
つながった一本の線に、俺は身震いした。
これはドラマじゃない。現実なんだ。
わかっただろ、悪いことは言わない、できるだけ大上さんに関わるな――そんな芝田の忠告が、耳を素通りしていった。
俺は無意識のうちに、何度も大部屋のドアに目を遣っていた。大上さん、現れないだろうか。ひょっこりと、何でもない顔をして。らしくもなく寝グセなんて付けたまま、ここに現れてくれないだろうか。
俺の願いもむなしく、その日も一日、大上さんが姿を見せることはなかった。
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