事件 二〇一三年 秋 二
インターネットで、
「長野県なら未成年と遊んでも罪にならない」
という無責任な噂が流れ出してからというもの、国道十九号線の松本市と塩尻市の中間に位置するこの施設にも、未成年を連れた客がたまにやってくるようになった。
松本市内では人目が多いからだろう。それに、鉄道といっても在来線しか通っていない松本市への訪問者は、自家用車を利用するケースが結構多い。
「奴らは、未成年とメールで連絡を取って、街中で素早く車に乗せるやいなやここにやってきて、事後に駅まで送って、そのまま高速で去ってゆくんだよ」
妙に事情通な雇い主は、そう言っていた。
――全く厄介だな。
木之本は小さく息を吐く。
犯罪にならなければ何をやってもよいわけではない。法律になくても、自ずから厳しく守らなければならない、人として最低のラインというのはある。むしろ、だからこそ自明のこととして法律になっていないのだ。
そう、木之本は考えていた。
二十歳の前半、青臭い正義感から傷害事件を引き起こして刑務所のお世話になっていた木之本は、いまだにその青臭さが抜け切っていなかった。
前科者、しかも顔に傷を持つものとして表通りの華やかな仕事にはつけなくなり、このような「顔を見せなくてもよい仕事」しかやりようがなくなった今でも、彼は当時のことを後悔していなかった。
その時、彼が自分の命を張って助けた女は、出所するまで彼を待っていた。暫くしてから彼女と所帯を持ち、共稼ぎでも厳しい家計の中、一人息子を立派に育てて大学まで進学させた。
成績優秀だった息子は、高校を卒業した時点で警察官になり、家計を助けたがっていた。
しかし、
「前科者の息子じゃあ、警察では出世できないよ」
とバイト先の店主から無責任なことを言われて、断念したという。
息子にとっては、出世できないことが問題だった訳ではない。それで木之本が後ろめたい気持ちになることを避けたのだ。
それを聞いた木之本が、
「ならばお前はちゃんと大学に行け。国立だったらなんとかできると思うから安心して行け」
と説得したこともあり、息子は松本市になる国立大学の法学部に進学し、弁護士を目指していた。
木之本からすると狂気の沙汰としか思えない、膨大な量の参考書と日々格闘する合間をぬって、学費の足しにとアルバイトをしている。
自分と似た青臭い正義感が心配ではあったが、木之本は黙ってその姿を見守っていた。
彼はそこで思いを断ち切るように頭を振ると、手元の台帳に客が入ったことを示す丸印と鉤の受け渡し時間を、荒っぽく殴り書きする。
そして独り言を言った。
「ラブホテルに未成年連れ込む客に、真面な奴なんかいるものか」
*
暫くして、戸惑いに満ちた未成年客が、部屋の鍵を戻しに来た。
妙に早い。上手くいかなかったのだろうか。手が小刻みに震えているから、多分そうなのだろう。
初めての経験で無残な敗北とは随分と可哀想なことだったが、これは良くあることだった。
幻想と勢いだけでここにやってきて、現実に打ちのめされて帰ってゆく若者を、彼はこれまで何組も見送っていた。
ところが、その後、他の未成年二組も立て続けに出ていった。いずれの手も同じように震えていた。
――軒並み不発かよ。
木之本は頭を捻りながら、台帳に退室時間を書き込む。そしておかしなことに気がついた。
三組が出ていった時刻が、ほぼ十分間隔になっていた。偶然だろうが、どうにも落ち着かない。
それから更に十分後に、一番最初にやってきた客が出てゆく。その更に十分後には、二番目の客が出ていった。そのわざとらしい時間間隔が、木之本は流石に気になって仕方がない。
そこで、帰った客が使った部屋の様子を確認した彼は、愕然とした。
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