事件 二〇一三年 春
北九州市八幡西区、JR「黒崎」駅前は平日の昼過ぎとはいえ、人気(ひとけ)が少なすぎた。
長期的な景気の落ち込みから、駅前の大規模商業ビルすら客足が伸びずに数年前に閉店し、そのままテナントが入らないために放置されている。駅前商店街の活気のなさはさらに危険水域ぎりぎりにあり、シャッターを閉めた店舗もちらほらと見られるようなありさまだった。
そんな駅前を、福岡県警察八幡西警察署の河合(かわい)と安藤(あんどう)は、市民の通報を受けて、駅前商店街の一角に向かって覆面パトカーで移動していた。
二〇〇六年以降、福岡県では指定暴力団同士の抗争が激化していた。リボルバーによる射殺事件や、AK-四七|(いわゆるカラシニコフ)まで持ち出した激しい銃撃戦、手榴弾による爆破事件など、日本国内とは思えない凶暴な事件が続いている。福岡県警察はその対応にてんやわんやの状態であった。
二〇一三年六月に道仁会の抗争終結宣言書と九州誠道会の解散届が提出されて、抗争が終結したかに思われていたが、その最中の事件発生である。しかも、現場の状況から集団による犯行が考えられるという。彼らはうんざりとした表情をしていた。
それでも覆面パトカーは街をひた走る。
*
さて、一般的な感覚からすると理解に苦しむが、『暴力団』を結成すること自体は日本国憲法第二十一条「結社の自由」により、保証されている。そのため、国家権力といえども暴力団には迂闊に介入できない。強引に解散させようとしたら憲法違反となるからだ。
しかし、都道府県公安委員会は暴対法第三条の定めにより、特定要件に該当する暴力団を「集団的に又は常習的に暴力的不法行為等を行うことを助長するおそれが大きい」団体に指定することができる。そして、その指定を受けた団体の構成員は他の団体の構成員よりも強い規制を受け、実質的に抑圧されることになる。この指定を受けた団体が、いわゆる「指定暴力団」である。
福岡県は、その指定暴力団の本部を県内に五つ抱えていた。
さらに、指定暴力団の中でも「危険行為を繰り返す恐れのある組織」を「特定危険指定暴力団」、「抗争で住民の生命や身体に危険が及ぶ恐れがある組織」を「特定抗争指定暴力団」に指定できる。二〇一二年十二月には、福岡県を本拠とする三団体が、「特定抗争指定暴力団」に指定(工藤會が特定危険指定暴力団、道仁会と九州誠道会が特定抗争指定暴力団)されていた。
*
現場は随分前から閉店したままの店舗で、精肉店か何かだったのか、奥に巨大な冷蔵室が設置されていた。
事件は、この店舗に新しい借り手がつきそうな話が出たために発覚した。新しい借り手は業種が異なるので、内装の大規模なやり直しが必要になる。特に冷蔵庫は不要であることから、不動産業者が内覧前に現状の確認を行った。それがなければ、さらに発見は遅れていただろうと言われている。
現場を一見して、河合と安藤は不謹慎にも「むしろそのほうがよかったのに」と考えてしまった。
遺体は四つ。完全に白骨化してくれたほうが、扱いやすかったのだが、いずれもまだ「半生」である。
冷蔵庫内の温度は、通電こそされていないものの、春先ということもあって適度に低い。しかも一定温度には保たれていたらしく腐敗も最小限で、むしろそれが彼らの置かれた状況を生々しく伝えている。
いずれも凄惨な表情をしていた。
あたりまえだろう。
両手と両足をビニールテープで執拗に縛られて、さらに壁面にある鉄の棒に固定されている。その上で、まったく食料を与えられずに照明のない冷蔵庫内に閉じ込められたのだ。
全員が拘束から抜け出すこともできずに事切れていたが、仮に抜け出せたとしても冷蔵庫内からは扉を開けることができない。そのような配慮が欠けていた時代の代物である。むしろ、凄惨な状況が加速しただけだろう。
「ひでえなこりゃ」
河合はぽつりと呟いた。
彼は五十代前半の、地場のやくざとやりあってきた叩き上げの警察官である。短髪のアイロンパーマで、一見するとどっちがヤクザ者なのか分からないほどである。
その彼が顔を顰めるほど、手口が酷かった。
「口を塞いでいませんが、これはわざとでしょうね」
三十代後半の、課の中では若手に分類されるが、しっかりと修羅場は潜り抜けてきた安藤は、まだらに変色した遺体を眺めて言う。
四つの遺体はいずれも口が塞がれていない。
犯罪に「一般的」や「普通」という言い方は似合わないが、普通、監禁の場合は発覚を恐れて口を塞ぐ。それをまったく考慮していないというのは、冷蔵庫の遮音性能を熟知していて、ここに人がこないことも熟知していて、その上で――
被害者に最大限の地獄を味あわせる目的があったに違いない。
救いようのない環境に置かれた複数の人間が、一体何を話したのかは、河合も安藤も具体的には想像できなかったが、それが常軌を逸したものであっただろうことは感じる。
「こりゃあ怨恨の線だろうけどよ。その筋の手配にしちゃあ、ちょいとやりすぎじゃないか」
「そうですね。情け容赦ないというか、そもそもそのような視点が欠けているというか」
安藤は、唯一の女性被害者を見つめる。
「むしろ、なんだか子供っぽい感じがします」
「子供っぽい? なんだそりゃ」
「いえね、結果の悲惨さを想像できたらできないことなんで、それが想像できないような子供だったらどうかなと思いまして」
「子供じゃあ、大人を四人も監禁するのは大変だろうよ」
「不良少年が集団でかかれば、あるいは」
「いやいや、不良だったらむしろこんなことしないよ。あいつらは馬鹿だが、恐怖を知っているからな」
そう。いじめることの愉しさや、いじめられることの悲惨さを、不良はよく理解している。
「やり方が組織的だ。複数名を監禁するんだから、一人じゃあ普通できないわな。しかし、組関係ではない。情け容赦がなさすぎる。半グレでもここまではやらない。すると、どうなる?」
「後は、古いところで政治的な武闘派団体。新しいところで宗教的なカルト集団、ですかね」
「しかしなあ――」
河合は全体を眺めた。
一人の女が一方の柱に縛られ、その向かい側に三人の男が並んで縛られている。
「これは普通、女に対する恨みだわな」
河合は眉を潜めた。
(しかし、痴情の縺(もつ)れにしては関係者が多すぎる)
店舗の入り口からは、不動産業者の担当者が事情聴取に応じる声が聞こえてくる。
「新しい借り手ですか。名前はちょっと勘弁して下さいよ。向こうさんに迷惑かかるし。業種ですか? それくらいなら、まあ、いいいかな。学習塾ですよ。いずれにしても殺人事件の現場では、話が流れるに決まっています。もう、うちは散々です。久し振りの儲け話だっていうのに……」
安藤はそれを聞いて苦笑いした。
「第一発見者は商売の心配ですか。一般人も肝が太くなったものだ」
「作り物の映像や刺激的な映像が巷に溢れかえっているからな。死体を見てもリアルな感じがしないんだろうよ」
と、言いながら河合は、自分の言葉に引っかかる。
急に怪訝な顔をした河合を、安藤が不思議そうに見つめた。
「どうかしましたか」
「いやね。リアルな感じがしない、ってところに引っかかってね」
河合は首を捻る。
(残酷な映像を見慣れて感覚が麻痺している――マニアとか?)
しかし、それ以上、彼の推理は進まない。
それは、警電が新しい事件の発生を告げていたからだった。
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