005 姉弟:S


「ただいま……」


 修二はあの後、放心状態のままフライヤーバスに乗り込んだ。色々なことがありすぎて彼の脳みそは混乱しきっていたが、予選を突破したことだけはイスカに伝えてもらった。

気がつけば終わっていたし、その間出来たことなど殆どなかった。

 自分たちの得点はイスカの洗練された戦闘行動による加点ばかりで、それがまた修二の心に密かな貸しとなって積み重なった。

 イスカには情報収集を任せている。それが単に次の予選のためというわけではないことを、修二は情けなくも理解していた。


 修二は居間に視線を向けた。ドアから明かりが溢れている。


「おかえり、修二」


 相変わらず学校には行っていないらしく、本来聞こえるはずのない声が居間から響いた。


 ……修二は自分のことを平々凡々だと自覚している。

 熱しやすいが冷めやすく、聡くても迂闊だ。不細工ではないが端正でもない。運動はややできるが勉強が苦手だ。細かいことを忘れがちで、うっかり失敗することも多い。

 それなりに女の子に興味はあるけれど、告白されたような経験はない。それなりにファッションに気を使うけれど、流行の先端などとてもとても。


 一方、リビングで紅茶を嗜む彼の姉は、ほぼ正反対だ。


「またサボったのか」

「学校はもう行く必要がないだろ、私はさ」


 灰色のショートヘアと、全体的にほっそりした背の高い体つき。

 ちょっとつり目がちなくりっとした目と、どこか不敵そうなその顔。

 外出の予定もないだろうに、シャツにスラックスを着た姿は社会人にも見えてくる。


「そっちじゃなくて」


 どう正反対なのかと挙げればキリはないけれど、修二は一番分かりやすい説明として、姉と自分をこう比較する。

 最近始めたばかりのいちファイターと、去年の全国大会優勝者。


「そっちもだよ。不戦勝BYEを貰ってる。まぁ、荒らしに行くのも一興だがね」


 静的戦闘スタティクスを専門とする、稀有な狙撃特化ファイター。V.E.S.S.全国大会予選において、一撃必殺のまま決勝へと駒を進めた大物。

 それまで動的戦闘ダイナミクス優勢だったV.E.S.S.環境をひっくり返した、いわゆるニュージェネレーション。世界大会でもその手腕は遺憾なく発揮され、現在世界ランク十二位。


 世界に名高き『イーグルアイ』――鷲崎瞳の名を知らない人間はいない。


「ところで」


 姉の含みのある声に、修二の足が止まった。


「予選突破おめでとう。随分運が良かったそうじゃないか、修二?」

「姉さんの耳は空でも飛ぶのか?」

「顔が広くてね。耳もそこら中に生えてる」


 瞳が得意気に笑った時、窓から鴉が一羽やってきた。


『我が主ながら、よく言うものだよ。私を馬車馬のように働かせておいて』


 鴉は紳士然とした渋い声色で鳴いた。


「マルファス。どうだった?」

『急ぎの事情はない。後で文書にまとめておこう』


 鴉型アンドロイド系オートマトン。名をマルファス。

 瞳のパートナー。『高速飛行狙撃』という気の触れたようなお題目を実現した、空の覇者。

 普段身につけている幾つもの装備はどこにもなく、本来の機械型の姿と違い、今は一見して鴉にしか見えない。

 オートマトン特有の、粒子機械の些細なブレによる身体のちらつきがなければ、見分けがつかないだろう。


 修二はリビングに腰を下ろした。別段どうということはない、中流家庭のリビングだ。世界ランカーが暮らすには少々質素、とも言える。ティーセットは姉の趣味だ。

 低反発クッションを尻に敷き、円卓を囲むソファに腰掛け、修二は姉を見る。


「私が直々にコーチングしてやったというのに、無様に死に散らかしたそうじゃないか。その上負けた相手に手助けまでされたとはね」

「……一矢は報いた」

「勢いがつきすぎて引くに引けなくなった、の間違いだろう?」


 ――その通りだ、と修二は呻いた。

 別段、何か考えがあったわけではないのだ。引っ込みがつかなかったから、取れる最善を取った。結果的にそれが正しかった。

 そして、まぐれ当たりの一つや二つでひっくり返る差ではなかった。


「姉さん、目玉まで飛ばせるのか?」

「イーグルアイを舐めるなよ、ニュービー」

「……ああ、マルファスのおかげか」

『その通りだ。我が主はどうにも鳥を虐めるのが趣味のようでな』

「石でも投げてやろうか?」


 首を竦めてカァ、と鳴いたマルファスから視線を切って、瞳は対面に座る修二に向き直る。

 とんとん、とこめかみを叩いて見せて、これみよがしに溜息を吐いた。


「聞くだに無様な戦いだ。一連の流れにお前の意思が感じられない」

「――仕方ねーだろ、あんなの」


 視線を逸らした修二の鼻先に、ティーカップが突き出された。

 琥珀色の水滴が跳ね、溢れることなく水面に波紋を落とした。


「それだよ、修二」


 その所作とは裏腹に、姉の声は彼には鋭すぎた。

 ソーサーに置かれたカップの中身を彼は睨む。睨むしかない。


『仕方ない、は敗者の言だよ、修二君。仕方なくなるくらいに戦況に置いていかれた証拠だ』


 修二は何度目かの溜息と共にシュガーポットから角砂糖を取り出し、カップに落とした。


「お前の無様を始終録画したデータがここにある」

「遠慮しとくよ」

「まだ何をするとも言ってないが?」

「……自覚はしてるってんだよ、姉さん」


 思いがけず尖った声が出て、修二は自分でも動揺した。

 瞳はそんな修二を見てその目を細め、結構、と大仰に頷いた。


「忘れるなよ、修二。あやまって改めざる、これを過ちというのだ」


 修二はよく自覚していたけれど、それを改めるには必要な時間が多すぎた。

 純粋な実力の差は、ただ実力の向上のみでしか縮まらない――。


「……姉さんさぁ、そのどこから引いたかも分からない格言、寒いからやめろよ」


 誤魔化しにしては安い台詞だ。口に含んだ紅茶が妙に苦く感じられる。


「何を言うか。人類は思想と哲学の極地にいるんだぞ。それを学ばずして何を知るんだ」

「かっこつけのためにわざわざ使うなよ……」


 などと言う溜息を聞き流して、瞳は手にとった本をめくっていた。


 体のうちから、本をぽこぽこと吐き出しながら。


「我々は己について顧みることをしなさすぎた。その場に対して適応する――それは生存には必要だが、知的活動にはそれだけでは足りない」


 不定形の肉体の中に本を仕舞いこんでいたらしく、読み終わったと思しき本を軟体生物の触腕で運び出した。


「哲学というのは素晴らしい。当たり前のことを確認する。そこから新たな視点を得る。己の寄って立つべき物を定める……。思索は人類の最も優れた点だと私は思うね。全く実に優れているよ。シリコノイドではこうはいかない」


 鷲崎家はホストファミリーだ。

 珪素生物シリコノイドが社会の最小単位――家庭というものを学ぶために、こちらで言うホームステイを希望した、その受け入れ先である。


 修二が生まれる一ヶ月前のこと。

 やってきたのは、眼球のお化けだったという。


 ――瞳はまだ年若い。十八という年齢は赤子も同然だ。彼女たちシリコノイドにとっては。


「……そうそう」


 そしてその年若い姉は、世界でも有数の優れたシリコノイドとして名を知られている。

 美しく、聡明で、肉体の変成技術に長け、地球文明と人の精神活動に明るい。

 何より、目端が利く。


「イスカ君も気付いてないみたいだが、エアロスピアのパフォーマンス、少し落ちているよ」


 その灰色の肌をさわさわと波打たせて、瞳は言った。

 シリコノイドの体は九割が高度粒子機械で出来ている。彼らの姿は不定形であり、彼らの意思で変化する。

 ヒト生活圏で暮らす者は皆オーガノイドの姿に似せている。


 その上大体彼らは見目麗しい。肉体をモデリングするスキルはシリコノイドにとっては重要な意味を持ち、それは人間でいうお洒落に近い価値観だ。

 自身のスキルを誇示するには美しい姿や派手な肉体の変化が一番であった。

 その波打つ粒子の体は、彼らなりの自己アピールだ。


「ペア予選は明日だろう? 帰りにでもメンテナンスしてきなさい」


 わらわらと腕を伸ばして読み終えた本を本棚へ戻しながら、種族違いの姉は弟を見つめた。


「キミの勝利を願っているよ、私はね」




 ヒトと呼ばれる存在が単一でなくなったのは、今から六十一年前のことだ。そしてその発端は、更に二年前に遡る。

 つまり、第三種接近遭遇――シリコノイドの地球訪来。


 オーガノイドの前身たる旧人類は、その頃ようやく粒子機械技術の初歩を心得たばかり。

 一方彼ら珪素生物は、その肉体をして既に粒子機械だった。


 不定形にして可変の肉体を持つ、異文明の生命体。

 幸いにもシリコノイドと事を構えることはなく、彼らとは終始友好的なまま交流を進められた。

 シリコノイドは母星を失い後がなく、人類はシリコノイドの技術を何としてでも得たかった。いくらかの暴力的な例外を揃って排除し、人類は異星人を受け入れた。


 そうして提供された、人類にとってはオーバーテクノロジーに等しい彼らの肉体片。高度粒子機械のサンプルは人類の科学をまた一歩先へ進めた。

 特に炭素ベースのものは自発的に複製が可能なため低コストで、かつ生体にも害のない粒子機械として成立した。


 特に医療分野において、粒子機械は革命だった。

 遺伝病も難病も、その根本を分子レベルで修繕しうるならば治療は容易。

 だが何より期待されたのは、予防治療としての運用だった。

 そうして、粒子機械によって進化した新たな人類、オーガノイドが誕生する。


 高度粒子機械が相互に繋がり合ってエラーを検出、修正するシンセティックマイクロバランサー。

 炭素粒子機械は人類の体内で自発的に複製を繰り返し、適性な数を保つ。

 肉体の異常をそれ以前の肉体と照らし合わせることで即座に原因を検出、然るべき処理を行うそのシステムは、あらゆるウィルス、あらゆる細菌の活動を抑えこみ、そして代替した。


 それまで普遍的に存在していたあらゆる病気は、オーガノイドの前に駆逐された。怪我に対しての回復力も旧人類よりずっと高い。副次的に、身体能力も大幅に向上した。

 その分活動に必要な食事の量は増え、食糧問題がまた一つ深刻さを増したけれど、これは大型の食料プラントがある程度解決していた。


 オーガノイドの体内に細菌は存在しない。かつて人間の体内で行われていた全てを粒子機械が行っている。

 最早ヒトの生命活動の根幹にまで、粒子機械は根付いている。

 未だに血は赤く、人種は分かれ、内部の作りも変わらないけれど、それを動かす手法は全くの別物となった。


 それと前後する形で、量子コンピュータが実用化された。

 超並列演算が可能なコンピュータは家庭に普及しうるレベルまで低コスト化に成功し、民間への販売さえ始まった。

 そしてその高い性能と、二百年ほどは使い続けられるレーザー式シリコンメモリキューブの誕生、そして粒子機械による細々とした問題の一括解決、それらが新たな知性を生み出した。


 アンドロイドである。


 アンドロイドとシリコノイド。彼らの二種の知性が人間となんら遜色ないと理解された頃に、人権という定義は書き換えられた。


 ヒトとは高度知性体の総称であり、それは生物か否かを問わない。

 人権とは高い知性に付随する権利である。


 それは今日も社会の基板を成す、ネットワークに覆われた世界の常識だった。

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