Episode.Ⅰ そして戦いの鐘が鳴る
一章 敗け知らずの少女
004 姉弟:N
赤い車。
赤い、二人。
――白い部屋。
白い天使。
それが、私の原風景。
ばかだなぁ、と思う。
こんなことをしていたら、私はいつかきっと破綻する。
そう知っていて、それをやめられない。
もう、あんな場所にはいたくない。
現実なんて複雑でぐちゃぐちゃで私にばっかり厳しくて、だいきらいだ。
だから私は、空を飛びたい。
いつだって、太陽のように眩しいものを目指していた。
この塔から出たいんだ。
翼が欲しい。
遠く、遠く、あの太陽まで飛んでいきたい。
たとえその先で、翼が溶け落ち、海の深くに落ちていくのだとしても。
私は……一度出た塔に戻ることは、出来ない。
与えられた翼を捨てることは、出来なくて――。
でも、一人は寂しくて。
ね、もしかして君も、空を飛べる人なのかな?
ドアを開けると、小難しい顔をした弟が立っていた。
夏希は先手を打って耳を塞いだ。
「姉さん、まーた無理したでしょ」
「あーあー、きこえなーい」
開口一番のお小言から逃げるようにベッドに飛び込み、ばたばたと足を振る。
「子供じゃないんだから……もう。服装もさ、もっとちゃんとしてよ」
夜も更けようという頃。普段なら夏希もそろそろ寝る時間だったが、今日は翌日の準備で少し遅くまで起きるつもりだった。
下着にパジャマの上だけという格好にまで及び始めたお説教を、夏希は遮ることにした。
「そー怒らないでよ真冬。深い事情があるんだって」
「またそんなデタラメを」
二の句を継がせないよう、夏希は仰向けになって視線を合わせる。
嘘ではないと理解したのか、弟、雛森真冬は口を噤んだ。
「すっごいヒト、見つけちゃったんだ」
「すっごいヒト、って」
「私が体当たり食らっちゃった。油断したけどさぁ、ただのフェザーダンスでだよ?」
「……正気?」
真冬は静かに驚いていた。
体当たりなんて直接的な攻撃を食らう姉ではないし、そもそもフェザーダンスは中距離を保つことに向き、機体の駆動系もそれに合わせられている。
可動範囲が狭く瞬発力に乏しく、有り体に言えば近距離戦に弱い。
そんなもので姉にチャージングを当てるとなると、よほど近接戦闘に才能があるのか、目がいいのか。
「あ、そだ。キックマニューバ改善出来ないかな? オートマトンも蹴りたいんだけど」
雛森真冬はサイバーエンジニアだ。
まだ学生であり、正規の技術者ではないけれど、技術だけであれば既に実地で身につけている。彼らの父親はエンジニアであり、弟は仕事場についていってまで父親の知識を貪欲に吸収していた。
というよりも、彼の技術を鑑みれば、彼は既にプロと呼ばれるべきだろう。
オートマトンの
姉も姉だが、弟も大概に天才だったのだ。
「いいけど、正直あれでも汎用性と機体性能間で限界が……って、それとこれとは話が別で」
「だからさー。すっごいペアだったんだって。飛んだセレネにぐいぐい食いつく近接型の子と、あの場で私にチャージングしてくる度胸のあるヒト、スコアもすごいよ。キルとダメージ、
夏希は両腕を大きく広げた。真冬は首を傾げた。
「でも、勝っちゃったんでしょ?」
「うん。ちょっとアツくなりすぎて。ずばばーっと」
身振り手振りで表現しようとする夏希だが、抽象的すぎて伝わっていない。
その時、彼の鼻先にARディスプレイが開いた。
『はいはい、そんときの映像。私の視点じゃなくて録画映像の見やすいやつね』
重いシルエットのアポローンが軽快に動き、フェザーダンスをメッタ斬りにする一部始終を見て、真冬はいよいよ溜息を吐きたい気分だった。
「あーあ……ありがとう、セレネさん」
『気にしないで、このくらい』
真冬が振り返ると、セレネが浮いていた。火照った肌は少しだけ赤みがさし、しとどに濡れたライトグレーの髪は可愛らしく結い上げられている。
色気たっぷりのバスタオル姿だけれど、それでも普段より露出が減るのがセレネというオートマトンだ。
オートマトンでも風呂には入る。仮想の、だが。
『まぁでも、マグロ相手にして熱を上げる夏希ってのも珍しいけど』
「セレネさん、下品」
『あーら、ごめんあそばせ』
セレネは態とらしくおほほと笑って、それから夏希に視線を戻した。
『どういうつもり? 特にあのイスカって女は相当な腕だけど……でも、あんたが注目してるのはそっちじゃなくて、うだつのあがらない童貞くんでしょ?』
「あー。うん、まぁ……そうだね」
夏希は頬を掻いて、内心で修二に「別にそういうつもりはないよ」と言い訳した。
「ひと目で、なんかね、ぴーんときたの」
『ふぅん?』
懐疑的な二人の視線を、しかと見返す。
そしてすぐ、
「こっち側のヒトだと、思うんだよね」
その燃え上がる目がどこか遠くを見つめ、一方二人は思案した。
夏希の直感は当たる。その勘の根拠は、明示できないだけで存在する。
セレネは、そうは見えないという懐疑を。真冬は、どんなヒトなのかという興味を抱いた。
「それは……姉さんみたいな?」
「さぁ? それは追々分かるんじゃないかな」
夏希は肩を竦めた。
『ほんとにね。夏希がこんなに入れ込むのは初めてじゃない? まさかあんなに積極的にアタックかけるなんて……』
「そうかな。……そうかもね」
「ちょっとまって、どういうこと?」
疑問符を浮かべる弟に、夏希は少しだけ瞑目した。
「ん? ……いやね、ちょっと嫌味かなとは思ったんだけどさ――」
傲慢に。泰然と。彼女を突き動かす勝者の哲学のままに。
目を開いた彼女が告げる結論は、真冬には到底理解できなかった。
「――その人とチーム組んだの」
とかく真冬は、彼女のチームメイトの行く末を案じずにはいられなかった。
もしも縁があったなら、可能な限り手助けをしてあげたいくらいに。
「……ちなみに、お相手さんのお名前は?」
「鷲崎修二くんと、イスカちゃん」
夏希が告げたその名前に、真冬は度肝を抜かれた。
「鷲崎、ってそれ――『イーグルアイ』の弟さんじゃないか!」
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