006 侍女騎士イスカ
イスカの普段着はメイド服だ。
修二がなんと言っても、装いを改めようとはしない。
『しがない従者でありますので』
と、主の意向を意図的に無視してそう謙遜するばかりだ。
ともすれば不機嫌にも見えるはずの冷たく鋭い無表情は、やや俯きがちになるだけで途端に物憂げな美女の様相を呈する。
修二の後ろを文句ひとつ言わず、静かに控えめに付いて回る姿はどこか献身的で、それ故に背徳を感じさせた。
今日もまた、修二はV.E.S.S.アリーナを目指していた。
周りの人間が遠巻きにこちらを見ていることを、彼はなるべく考えないようにした。
このご時世オートマトンに仮想させる連中は少なくないが、古式ゆかしいヴィクトリアンスタイルのメイドというのはどうにも珍しい。はっきり言ってかなりアングラな趣味――言ってしまえば人形趣味の系譜――であり、まぁ、修二へ向けられる視線というのも自然とそうなる。
加えて、街中でオートマトンを可視化して連れているのも珍しい。
更に言うならば、オートマトンとの電脳性交は法律でもグレーゾーンだ。そして
世間の目は厳しい。無論、修二とイスカの関係は潔白である。
相棒がどうしてもというなら認めてやるのもバディの努め――ともっともらしい言い訳を述懐するも、実際は過去に散々っぱら説得を試みて根負けしただけで、情けないだけだ。
当然、オートマトンを着せ替え人形にする趣味は修二にはない。
オートマトン。
量子電脳と
サイバー地平を駆け抜けるたった一つの電脳戦闘可能体、電子戦争の引き金にして主戦力。
確認された中で唯一の、非実体性知的存在。
ようはプログラムだ。高度で純粋な知性という名のプログラム。それがヒトの手にならない存在であることは明白としても――。
詩的に言えば、粒子機械の連関の中を泳ぐ電子の妖精。
修二は腕時計型のウェアコンのパネルに触れると、『認証』の二文字が光る。コンマもかからずに指紋・静脈・生体電気認証を終えた量子コンピュータが外界へと働きかける。
大気中に充満した粒子機械がウェアコンの指令を受け取って、整列・発光し、虚空に光学ディスプレイを生み出した。
空間連結粒子電網――
電子戦争に先立って世界を覆い尽くした、マイクロから百ナノサイズの微小な粒子機械群。大気中に充満したそれらが相互に通信し合い構築されるネットワーク。
旧世代の
ウェアコンには入出力端子が存在しない。ウェアコン一つだけでは映像も音声も発することが出来ない。着用者が出来る事は、ウェアコンを起動することだけだ。
オペレーションシステムはそこにはない。
OSは、粒子機械それ自体だ。
起動したウェアコンはNANに働きかける。周囲の粒子機械へとOS起動の命令を下す。
起動命令を受け取った粒子機械群の
音声による振動の検知、電磁波観測による映像の検知、指先の熱量及び生体電気の検知――三種の入力。
それらは何もないはずの空中に、タッチパネル・ディスプレイや3D映像を生み出すことを可能にする。
ウェアコンは、ナノマシンへソフトを提供する記録装置だ。
ネットワークでありディスプレイでありスピーカーでありタッチパネルであるところのナノマシンが、ウェアコンが要求する全てを提供する。
情報を検索し、対象へ接続し、映像を投影し、音声を発信し、操作を反映する。
それら全てが、大気のある所ならほぼ無制限に行える。
今や大気こそがハードウェア。地球は、コンピュータに覆い尽くされている。
空間連結体ネットワークは、人間に究極の
マイクロから百ナノ程度のサイズでありながら
そして
つまり――電子戦争の延長。
「……さて」
修二はやや躊躇いがちにメールボックスを開く。
夢か、さもなくば嘘であって欲しいと願う自分がいて、昨日のメールが夢でも嘘でもない事実に直面し、ため息をつく。
その情けない態度にまたぞろ後ろ向きな原動力が生まれる。修二の足はいつだって鉛のようだったが、今日はとりわけ重かった。
修二が通うアリーナの名前は『トライアーム』という。横浜、みなとみらい
昨日、あの少女と出会った場所でもある。
修二は右手を振ってディスプレイを掻き消すと、アリーナの入り口を暫く睨む。
そして逃げるように空を見上げた。
青空を覆い隠すように、光の柱が伸びていた。
「やってるなぁ……」
アリーナの多くは五百メートル四方の空間だが、未だ土地の余っているこの
だから、アリーナは上空に作られる。
――上空千二百メートル前後までアリーナは伸びている。塔のように。
高さ百メートルの戦場が十二個。単純な計算だ。
底面五百メートル四方、高さ千二百メートル。その威容に比べれば、ジェネレーターとカプセルピットを備えたアリーナ本体など小山の一つにもならない。
もっとも、これほど高い位置へアクセス出来るアリーナは全国的に見てもそう多くはないのだが、
ぐるりと修二が視線を巡らせれば、同じように空へと伸びる光の柱が、そこかしこ。
それがアリーナであることを表すエリア外縁部の青い粒子放射が、人の目を楽しませるようにはらはらと輝く。
数えて七つ。概ね六角形をした直径八キロほどの海上都市に、空中に作られるV.E.S.S.アリーナ。この狭い範囲に公式アリーナが七つ密集する土地は世界の中でもここだけだろう。
サード・アクアポリスは
なにせ十二年前の横浜エレクトリック・オリンピックに合わせ、設計時点からV.E.S.S.アリーナを組み込まれた競技都市である。
シミュレータを使う仮想アリーナに至っては公式非公式合わせて最早数えきれないだろう。
需要がある以上供給は集まり、必然この街には電脳系の装備開発会社やオートマトンの斡旋業者、果てはナノマシン関係の研究施設や最先端の粒子科病院までが集まっている。
西の瀬戸内
修二はこの街に生まれ育った。だからもう、随分見慣れた光景だ。
『修二様』
イスカの控えめな声で我に返る。現実逃避を許してくれるほど、彼の相棒は甘くない。
重い足を動かしたのは、そんなイスカの一声だった。
振り返るまでもなく、彼女の表情が思い浮かぶ。能面のような無表情に、わずかに乗せた呆れの色。
「ああ……うん、そうだな」
迫力にかけた返事と共に、アリーナのセキュリティ・エントランスへと踏み入る。
掲げた右手のウェアコンが、アリーナの身分開示要求に答える。次いでイスカのパーソナルデータが照合され、危険物・プログラムの有無を
大気で出来た膜が開く。
途端、吹き付ける戦場の熱気。
鼻先に提示される『Welcome to the Virtual Engaging Simulation Sports Arena "Tri-Arms"!』のヴァーチャルウィンドウを指で払いのける。
振り返ると、イスカは物憂げに目を伏せていた。ぱたぱたと風が吹いたかのようにアニメーションするメイド服。芸の細かさに少しだけ勇気をもらった。
修二は大きく深呼吸して、それからアリーナへと踏み込んだ。
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