002 騎士と天使
イスカは初速さえ得れば飛行型も真っ青の速度で移動できた。こうなれば後は交戦地点までひとっ飛びである。
風景が線となって流れていき、目標地点へと近づいていくその中で、イスカは訝しげに眉を顰めた。
(静か……過ぎる)
戦闘音が一切しない――。
その意味を理解すると同時に、イスカはアーマースカートの前面を開き大きく地を蹴って、斜め上へ飛んだ。
ビル群を抜け、視界がぱっと開ける。
目標地点は、幹線道路の大型三重交差点だ。新東京の中心から、新宿祇園と都庁、旧都庁を結ぶ直交点。
本来空中道路を忙しなく飛び交うフライヤーも、三重交差点をすれ違う自動車も、今は煙を吹いて動きを止めた障害物になっている。
交差点を中心に戦闘の痕跡。そして障害物――ドローンとオートマトンの残骸が点々と転がっていて、それらは撃破判定を受けて消滅しつつあった。
三重交差点の一番上に、白い影。
シェイプは外観重視の、肉感的で妖艶な女性そのもの。背中のアタッチメントに翼のような装備をしている。
長方形の機械の板を十二枚等間隔に並べたそれは、ただの翼にしては少々物々しい。装備はそれ一つのみ。
紡いだばかりの絹糸を思わせるライトグレーの長髪と、青白い肌。細められた満月のような金色の瞳に映る、己の赤金の髪。
イスカの視界の端で、最後の残骸が消滅した。
躊躇いなく、イスカは急降下を開始した。その速度はそれこそ瞬間でイスカを敵の眼前へと運ぶ。
勢いを殺さぬよう、攻撃は刺突。脇でがっしりと構えられた穂先は事実、戦車であろうと一突きにする。
白い天使は、その突進を半身になって避けた。
イスカは地に足をつけると、そのまま駆け出す。水平な跳躍は飛行の勢いを殺さぬため。当たると思っての突撃ではない。
(やはり偶然居合わせた他人ではない)
翼だと思っていたそれがイスカを照準するのを見て、イスカは確信する。
観測が一分前。激突が四十八秒前。たったそれだけの時間で、この女は五対五の乱戦に飛び込み、それを終わらせたのだ――イスカは一層気を引き締める。全力で仕留めなければならない。
獲得可能なスコアは予定より大幅に減じた。修二にそれを伝達する余裕は、今はない。
赤い
長方形の板の翼の先には銃口が存在した。翼それ自体が
口元が釣り上がったのを、イスカは確かに見た。
天使の女、色彩の薄いあの妖女は、まるで運命の人と巡りあったと言わんばかりに微笑んだ。
『いいわね、あなた』
咄嗟にイスカは槍を大地に垂直に突き立て、両手で柄を掴んで飛んだ。
角度の狂った器械体操、振り子を思わせる動きで騎士の体は急転し、その足先を赤いビームが掠める。
急激な方向転換にまた少し運動エネルギーを失いながらも、イスカの疾走はまだまだ十分、風と呼ぶに相応しい。
『これはどう?』
銃口が照準を捨てる。
散弾のように撒き散らされた粒子弾は、点ではなく面での制圧を目論んだもの。
高速機動格闘戦が信条のイスカにとっては天敵の――だからこそ対策済みの攻撃。
試されている。イスカは気に食わない。
速度を落とすまでもない。その程度だと思われたのなら心外だ。侮辱ですらある。
『お茶請けには、少々甘すぎるかと……』
ビームの壁はイスカをすり抜けていった。
『胸がないと回避も楽そうね?』
『翼があると避けるのは大変でしょう?』
種も仕掛けもない。隙間に滑り込んだだけ。吹き鳴らされる口笛を前に、騎士は表情一つも変えない。
己の力量、見誤ったなら好都合。この場で仕留めるとイスカは決めた。
イスカは跳躍する。
『参ります』
イスカは
『な――』
イスカは嘲る。
瞬間的に大量の、何処から得たかも分からぬ量のジェットを吐き出し、イスカの体は爆発的な加速を見せる。
軽い彼女を飛ばすにはオーバーな、腰と脚部のジェットエンジン。イスカの翼は取りも直さずそれだった。
天使が間抜けな顔を見せる。不意を突いた急加速。
須臾で詰まる彼我の距離が互いの有利を決定づける。イスカの一足は長く、それは決して目で測りうる長さではない。
一刀の間合いになど、とっくの昔に捉えていた。
虚空に三日月。断頭台は空を舞った。
『――ぁんてね?』
鈍い金属音。
女を包むように鋼板が並び、その一撃を受け止めていた。小揺るぎもしない女の翼と、小揺るぎもしないイスカの表情。小賢しいとも思わない。その程度で死ぬ相手ではないとイスカは理解していたし、だからイスカは動きを止めることもなかった。
勢いを受け切られる前に槍先を滑らせて回転、そして地を蹴る。
振り上げた足が頭を越え、イスカの天地が入れ替わる一瞬でパルチザンは三度瞬き、それらを全て翼が阻む。
独楽のように回転しながら落下するイスカは、その過程でさらに身を捻った。自然と槍は引き絞られる。
振り返ろうとする女を見る。狙うはその頚椎への一突き。翼という体裁を取る以上、どうしても背の芯だけは防げない。
そしてこの距離において、イスカの一閃はそのまま必殺だ。動作はあくまでコンパクトに、羽根のように柔らかく、力を抜いて。
――
その槍の先が捻じれて開く。
「いくよ、セレネ」
イスカは、獲った、などと高揚することはない。
だから今まさに槍を突き込もうとした一瞬、翼の女が獰猛に笑ったのにも気付いたし、突然現れたそれにも気付くことができていた。
二人の頭上に影が差す。
使い捨てのステルス装置をかなぐり捨てて、鉄塊が降ってきた。
軽量級近接型ドローン『アポローン』。軽量級でありながら、重厚な装甲と高い出力、異常に少ない
天高く振り上げられたその手には機体を超えるサイズを誇る巨剣。
否。天高くと見た刃は、眼前にある。
イスカは咄嗟にジェットを吐き出し、かろうじて鋼の瀑布から逃れ出た。
持ち上げられた重厚な壁の向こう、天使は翼をこちらへ向けて、口元を細く歪めていた。
『あぁ……ゾクゾクしちゃう』
続くビームの掃射を横っ飛びに避ける。その先に巨剣の一閃。僅かにジェットを吐き出してホップし、背面跳びの要領で剣を躱した。後ろ髪を掠める暴力の塊には目もくれない。
視線はそのドローンに釘付けだった。
「やるねぇ、キミ」
呑気な声が響く。少女の声だ。年頃は彼女の主と何ら変わらない――だというのにイスカの背を悪寒が駆け上がる。
こいつはまずいと本能がアラートを鳴らし続けている。
あの天使の女も恐るべき使い手だ。
――だがこいつは。このドローンを動かす女は。
まるで人間のように一回転したドローンを見て、イスカは久方ぶりの恐怖を味わっていた。
その動きの滑らかさ。推進装置に頼らない、重心と四肢を使った移動。操縦桿でできる動きとは思えない。
イスカは己を一人の武芸者だと考えている。オートマトンとしては骨董品もいいところの彼女は、その槍一つであらゆる敵を打ち倒すために、ひたすら技術を磨いてきた。
だから余計に錯覚した。その足捌きにまで一本筋の通った理合い、ドローンで出来るとは思えない細やかな制動から生み出される動きの妙、それはアポローンという名の無骨で角ばった鉄の巨体ではなく、血と肉の通う熟練の剣士にしか見えなかった。
死を覚悟し、足掻ける時間を想定する。
その実力で負けたとは思わないけれど、それ故話は至極単純、サイズ差を前に勝ち目がない。
大人と子供、槍と剣。リーチの差は実力を超えるアドバンテージで、ましてや実力恐らく伯仲、急所に届かぬイスカの槍と、只管巨大な相手の剣――どちらが勝つかは明瞭だった。
だから。
「イスカ――ッ!!」
修二の叫びに、彼女は少しだけ救われたように思った。
「え、嘘、まっ……」
フェザーダンスとアポローン、真正面から激突し合った二機が絡まり合って吹き飛んでいくのを、イスカは半ば傍観者の体で眺めていた。
目を瞠るような機体操作の妙。少女の注意がイスカへ向いていたことを考慮しても、イスカ自身が目を疑うほどにキレた操縦。
忘我は一瞬。
「イスカ!」
いつも間の抜けた主が体を張った、そのことがイスカを奮い立たせた。
「そいつを頼むぜ、騎士様!」
『……殿方の言うことではありませんね』
それだけ言い残して、互いに正面の敵と向き合った。
無理だ。修二ではあのドローンには勝てない。力量差が違いすぎる。
けれどそれが最善だ。修二が引き付けている間にイスカが天使を撃墜し、二対一でもって勝利する。それしかない。
過去にないほどに奮い立つ主の姿、凡庸とは言えない彼の動きに、イスカは一分の希望を見た。
――誤算は、二つあった。
『言っておくけど』
超然と言い放つ天使は、空中にいた。
砲台だったはずの翼は赤い噴射炎を吐き出し、その妖艶な体を地から浮かせていた。
埋めようのない、距離という差。見下ろす天使と見上げる騎士。槍の届かぬその間合い。
イスカは一分の希望が五厘程へと減ったのを感じた。
『貴方達の敗北は決まっているのよ?』
――一つは、天使が本気を出していなかったこと。
「ふふ」
「づっ――!?」
蹴り飛ばされるフェザーダンス。
修二がどうにか着地する頃には相手も体勢を整えていて、その眼前に、もう一本の巨剣が
「さいっこうだ」
巨剣の二刀流。馬鹿げた発想だと修二は思った。大きな剣を二本振れば強い。だがそれは使いこなせればの話だ。
そしてイスカが手こずるような相手が、使いこなせない物を呼び出してくるはずがない。修二はそう考え、それが相手の本気だろうと、半ば自棄になって考えた。
相手は強化アスファルトに突き立つ巨剣をがしりと掴んで、左右へゆらりと広げて構えた。
所詮は仮想の機械だというのに、その一歩は鬼神の如くに感じられた。
「さいっこうだよ――キミ」
一つは。
その少女を本気にさせてしまったこと――。
「なんだよ、それ」
十秒経った。
フェザーダンスの四肢は切り飛ばされてビルに突き立ち、腰から下が分離したところ。まさに今、修二は縦に叩き割られる最中だった。
『修二様!』
『よそ見なんて! いい度胸ねっ!』
――
「どうやって、勝てっつーんだ……」
視界がブラックアウトする、その寸前に修二が見たのは。
『ぐ、っ――』
投げ放たれた巨剣に胴の正中を貫かれ、ビルに縫い止められたイスカだった。
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