少女と僕の、秘密

第27話 子どもたちの恋ごころ

 何歳くらいの時に初恋を経験したか、覚えている人ってどれくらいいるんだろう。

 いつの間にか経験して、さっぱり忘れてしまうことがほとんどだと思う。


 僕は恋についてご高説を述べられるほど立派な存在ではない。

 だけど、とかく人間は恋をする。

 それこそ自我が芽生えて、自分以外の存在を認知する、4、5才辺りから初恋を順次経験していくらしい。

 恋にまつわるトラブルやよもやま話は、それこそ全年齢対象だ。


 もちろんルシィたちにとっても例外じゃない。

 これは時計塔転送事件から約2週間後の話。


 今日は日曜日だから学校はお休みだ。

 ルシィはソレニィのお家で遊ぶため訪問中。

 一緒に宿題をした後は、ソレニィが最近ハマっているらしいブレスレット作り。

 廃材を花の形に加工してあって、それをいくつか組み合わせながら紐に通してブレスレットにするんだって。

 なるほど、面白い。


「ね、ルシィ」

「なあに」

「ルシィはさ、好きな人っているの?」

「いるよー」

「そ、そうなんだ……」


 おっと、女子トークが来ましたか?

 あっさり認めたルシィに、ソレニィはとても動揺している模様であります。


「ルシィの好きな子って誰?」

「うーん……ナイショ」


 そんな照れるなよ、アンテュールだろ?


「当ててみようか?」

「当たらないと思うけど、いいよ」

「……アンテュールでしょ」

「違うねー」

「え? 違うの?」『違うんだ?』


 ルシィの厳しい視線が一瞬僕に向いた気がしたけど、外野勢は気付かなかったことにしておくよ。


「体が弱くて可哀想だなって思うけど、好きっていう気持ちじゃないかなー」

「そっか……。そっかあ」

「……」『……』


 黙々と作業していたルシィの手がピタリと止まる。


「ソレニィはアンテュールが好きなの?」

「えっ」


 おっと再び炸裂しました女子トーク。

 突然のルシィのハートブレイクショットに、秀才と名高いソレニィも動揺を隠せない!


「そ、それはその……」


 ソレニィ選手は耳先まで真っ赤だ。

 もはや告白しているも同然。


「うん……。私はアンテュールが好き……かなって思う」

「やだっ。いつから? どの辺が好きになったの?」


 キャッキャとはしゃぐルシィにソレニィは真っ赤な顔を覆う。

 こういう話って本当に好きなんだろうね。


 ソレニィがぽつり、ぽつりと話してくれた。

 アンテュールの絵の上手さが好きになった理由の一つらしい。

 ルシィが学校に通っていなかった2年生の前期頃から気になっていたんだって。

 アンテュールはたまに学校に来ても大人しそうにしていたんだけど、ソレニィが落とした消しゴムをアンテュールが拾った時、ソレニィはアンテュールの優しい笑顔にハートを撃ち抜かれたらしい。

 可愛いね、ソレニィも。


「あたしはソレニィの恋を応援するよ!」

「みんなには内緒にして?」

「もちろんだよ!」

「う、うん。でも……さ」

「うん?」

「アンテュールはルシィのことが好きなのかも……」

「え? どうして?」

「ルシィはいつもアンテュールに優しいでしょ?」

「あー、なるほどー。確かに……」


 女の子座りしながら、うーん、と腕組みするルシィに、遠慮がちに視線を向けるソレニィ。


「じゃあ、あたしはちょっと遠慮するからさ、これからはソレニィがしっかりと助けて上げてよ」

「えっ、そ、そ、私にできるかな、ルシィみたいに優しく……」

「いつもと様子はどうかなーって見ていれば、きっと大丈夫だよー」

「うん……そうする……」


 それからまた手を動かし始めようとした所に、またふとソレニィが口を開く。


「ルシィの好きな人ってどんな人?」

「……うーん。一言で言うのは難しいんだよね」

「そうなんだ?」

「お父さんのようで、お兄ちゃんのようで、友だちのようで……」

「複雑そうだね……」

「ほんと、そうなの!」


 やけに力がこもっていますね……。


「そうなんだ。どれくらい好きなの?」

「そうだなあ……。世界の果てまで一緒にいたいくらい?」

「なにそれ、よくわかんないよ」

「うふふ」


 ……。


 *

 *

 *


「なんとか言ってよ、ちょっと恥ずかしいんだけど」


 その帰り道の事。

 口をとがらせるルシィに、僕はなんて答えればいいのか分からなかった。


 恋愛となると、僕は正直、よく分からない。

 好きか嫌いかで言ったら当然ルシィのことは好きだ。大好きだ。

 ただ、ありがちだとは思うんだけど、いわゆるLIKEなの? LOVEなの? って話になっちゃうかもしれないんだよね。

 僕は最初見た時からルシィは可愛いなあ、て思ったよ。そしてルシィのことが好きなんだけど、可哀想だなーと思っていたから、同情なのかもしれないって思った。

 ひょっとしたら保護者目線なのかもな、って考えたこともあった。

 何より、人間と鉛筆という超えようのない物理的な限界に、僕の心が一歩踏み出すことを躊躇わせてしまうんだ。ついでに言うと、9才という年齢にも。


 それでもルシィはいつも、僕に真っ直ぐぶつかってくる。

 僕は……ちゃんと答えられるのかな。


『……』

「……ねえ、ペント」

『なに?』


 近道の土手の上。

 夕暮れ時に照らされて、ルシィの足が止まった。


「ペントは、ずっと一緒にいてくれるんだよね?」

『それは……もちろんだよ、それは絶対に約束する』

「うん、あたしはもう1人は嫌なの。ペントだけはいなくならないで」


 ルシィの言葉に時々おかしい、と感じることがあった。

 必要以上に1人を怖がっている。

 だってルシィにはお兄ちゃん、お母さんっていう大切な家族がいるのに。

 家族は絶対にルシィを1人になんかさせないよ。


『ねえ、ルシィ、ちょっと聞きたいんだけど』

「なあに?」

『ルシィにはお母さんもお兄ちゃんもいるのに、どうして自分が1人だって思うの?』

「……」


 顔を伏せるルシィが優しくオレンジ色に染まる。

 頬に、涙が……。


「だって……」


 うん?


「だって、顔がぜんぜん違うもん。あたしとお母さん、お兄ちゃん」


 えっ……。


「……あたしはきっとどこかで拾われた子どもなんだわ。……だからいつかきっとまた、捨てられると思うの。ひぐっ……そう考えると……すごく怖い」

『……そんなことないと思うよ、ルシィ』


 涙まじりに話すその姿に、僕は呆然とした。

 オレンジ色に染まる寂しい空が、今のルシィの気持ちをよく表していたのかも。

 僕の励ましは、まるで虚しかった。


「ひぐっ……ううん。……ひぐっ……。そうだよ、きっと……。あたし……ずっと1人だった……。ひぐっ。そこにペントが現れてくれたの……。ペントの声が聞けるのは……あたしだけだから…… ひぐっ……ひぐっ。ペントは、ずっと一緒に……一緒にいれくれなくちゃ……いやだあ……」


 頬を伝う涙を拭おうともせず、ただ立ち尽くす女の子。


 ……僕は打ちのめされた。

 まるで聖母のように、誰にでも笑顔を振る舞うルシィが、こんなに孤独を抱えていたなんて。

 まだ、たった9才なのに。いや、9才だから?

 少しづつ大人に近づくにつれて、抱えていたものがどんどん大きくなっているのかな。

 この世に生を受けたルシィが年を重ねて、自分と他者を認識した時、お母さんとお兄ちゃん、そしてお父さんと呼ばれる存在が自分とあまりに違いすぎることに気づいたんだ。


 外見、性別、父子、という覆しようがない事実に。


 多分、お母さんもお兄ちゃんも、心の底からルシィを自分の家族だと思っているし、ルシィもそれは信じて疑わないだろう。でも外見が違いすぎる、という事実が心のどこかで家族を否定しているんだ。

 この子は絶対的に信じることができる、心の拠り所を探している。

 それが僕という存在なのかもしれない。


 じゃあ、僕が出来るこはすごくはっきりしている。


『ねえ、ルシィ』

「……ん?」


 ようやく涙が収まった頃を見計らって話しかけた。


『おやすみの後に、お母さんがキスをしにくるのは気づいてる?』

「うん。時々気づいてる」

『あの森に行く前の日のことなんだけどさ、お母さん言っていたんだ』

「……なんて?」

『”ルシィを授かった森に、また行くことになるなんて”って』

「……どういうことだろう」

『分からない。でも言葉の通りならさ、あの森でルシィを拾ったか、授かったか……ということだね』

「……そうだね……」

『ちゃんとお母さんに聞こうよ。ここで僕たちだけで悩んでちゃダメだ』

「……」

『お母さんには僕のことも話そう。そしてルシィが生まれた時のこと、ちゃんと聞こう』

「……」

『ね、ルシィ』

「……わかった」


 力強く頷いたルシィは、また少しだけ大人の顔つきになった気がした。

 こうして少女と僕は、ルシィ誕生の秘密に迫る。

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