第14話 森の祠

 とてもマズいことになった。

 そっとルシィの様子を確認。うん。愕然と立ち尽くしているね。


「どうしよ……これ……」

『うん、不思議なことが起きたね』

「……」


 馬鹿か、俺は。

 もっと気の利いたことが言えんのか。


「……」


 ぎゅって胸元を――鉛筆を握りしめてる。

 うん。大丈夫だよ。


 ポケットの暗記カードも握りしめている。

 そうだね。使いたくないかもしれないけど、使わないといけないかもしれない。


『ルシィ、怖い?』

「……うん」

『大丈夫。俺が絶対に家まで送るよ』

「ありがと」

『とりあえず、深呼吸しようか』

「すーはー、すーはー」

『落ち着いた?』

「うん」


 周りをゆっくりと見渡す。

 うーん。視界の彼方まで森、森、森。

 これっていわゆる瞬間移動テレポーテーションだよなあ。


『お母さんが近くにいるかもしれない。方向を変えて、大きな声でお母さんを呼んでみようか』

「うん……」


 大きく息を吸って……。


「おかーーさーーん!」


 ……。

 ……。

 ……。

 都合3回。うん。反応がないな。

 森の中だけど、妖精の石塔から離れた、どこか遠いところだ。

 冷静に、冷静に考えよう。

 俺が一番不安に思っちゃダメなんだ。

 絶対にこの子を無事に家まで帰すんだ。


『まだ明るいから、時間は経ってないね』

「そだね」

『太陽がどこにあるか分かる?』

「太陽?」


 木漏れ日が少し漏れているから、太陽の方向はわかるはず。


「うーん……。太陽はあれだよね」

『いいね』


 太陽の位置が分かれば、現在位置と方角はなんとなく把握できる。

 この世界は地球じゃなかったけど、太陽は地球と同じように東から西へ沈んで行く。

 日付や時間の測り方も太陽を基本にしていることは理解していた。


 そしてダントンの街とバミィ川、この森の位置関係。

 バミィ川はダントンの東にあるんだ。そしてこの森は川を渡って、さらに東にある。

 つまり西へ、西へと向かえばいずれバミィ川に出る。

 ダントンの街からバミィ川に沿って街道がずーっと南北に貫いているのは地図を見て把握していたから、川まで出れば、誰かが見つけてくれるはず。それなら絶対に助かる。


『右手で太陽を指差して』

「こう?」

『そう』


 ちょうどお昼すぎに森に入ったから、太陽はまだ天頂あたりにあるはず。

 今は冬が超えたばかり。太陽はまだ少し低い。

 ルシィの右手は頭より少し上になると思う。

 うん。読み通りだ。


『その右手を、そのまま横に』

「……」

『そこから少し前に……。はい、この方向に向かって少し歩いてみよう』

「うん」


 こういう時に素直な性格はありがたいけど、俺の判断ミスで取り返しの付かないことにもなるってことだ。

 ルシィの体力を考えながら、慎重に、冷静に考えよう。

 ルシィの願い事が叶う、俺の能力は最後の手段だ。


 助けて、とか、森から出して、みたいな願い事は多分叶わないと思う。

 具体的で、確実な願い事を考えよう。


 概ね西方向を確認して、とりあえず歩こう。

 時計を持っていないから分からないけど、15分くらい。

 それから少し休憩。


『喉が乾いた?』

「うーん……。平気」


 こういうアテのない歩行の時、水分の確保は最優先だ。

 喉が乾いてからじゃ遅い。喉の渇きは脱水症状の前兆なんだ。

 脱水症状が起きると、本当に動けなくなるからね。


 そう言えば、遭難した時は動いてはいけないという話を聞いたことがある。

 それは救出隊が結成されている見込みが確実にあって、自分のいる場所が予想できるだろう、とわかっていればその通りだと思う。特に山の中で遭難した時は絶対に動かない方がいい。体力を温存してじっと待った方が生き残る可能性が遥かに高くなる。


 最初はそれも考えた。下手に動かない方がいい。

 でもこの起伏が少なく、特徴らしい特徴のないこの森の中。雨が降りだしたらあっという間に体力を奪われてしまうだろう。そうすると動かないことが裏目に出てしまう気がした。少しでも何か手がかりが欲しい。

 動かずに待ちの一手を考えるのはそれからでもいい。

 賭けだったけど、何かの直感が、そう思ったんだ。


 その時、ゆっくり歩き始めたルシィが呟くように話しかけてきた。


「あのね、えんぴつさん」

『うん?』

「あたしね、怖いんだけどね、ちょっと楽しいなって思うのは変かな?」

『ハハッ』


 思わず笑っちゃったよ。

 この子は強い。こんな逆境を楽しむ余裕が出来てる。

 それだけ俺を信じてるってことだ。絶対に大丈夫、絶対に帰れるって信じてるんだ。

 期待に応えないと、男がすたるってもんだろうよ。


『そうだね。こんな森の奥まで来るとは思わなかったよ』

「ねー」


 ルンタッタ、ルンタッタ、と鼻歌混じりのルシィ。

 地上に張り出た根を乗り越え、何本もの大木を横に見て、また目の前の大木を避けて……。


『……ストップ。何か聞こえない?』

「え?」


 じっと耳を澄ますルシィ。

 川の音かな?


「川?」

『うん。方向はわかる?』

「……うん、こっちかなあ」

『よし、そっちへ歩こう』

「うん」


 そしてゆっくり、ゆっくり歩いていると、小さな川が見えた。

 ルシィの小さな体でも、ひとまたぎで超えられる幅30センチくらいの小川だ。

 でも今は、この川が命の水。


『少しだけ水を飲んでおいた方がいいよ』

「喉、かわいてないよ」

『少しだけでいいから』

「はーい」


 いい子、いい子。

 小さな手で、ひとすくいだけ水を飲んで、水分補給。

 よしこれでまた、しばらくは大丈夫。


「ね、あれって」


 気づかなかったけど、ルシィが指差した木の向こうに、妖精の石塔……じゃないな。

 何かが見える。


『建物?』

「うん」

『……行ってみようか』

「うん!」


 ぎゅって鉛筆を握りしめるルシィ。

 不安と戦いながら、辿り着いた場所。


 森の中で見つけた、石積みの小さな祠だった。

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