第36話 033 絢爛
程なくしてシャレルの
商業区にある、鮮やかな青色の壁が特徴的な三階建てのその宿は、立地の良さもあってまずまず繁盛している様子だ。
一階は酒と簡単な食事を出す食堂で、私達の部屋は二階にある三号室。
「あっ、お客様」
受付で初老の男に呼び止められて足を止めた。
「お客様宛てに、手紙が届いてます」
「どうも」
礼を言って封書を受け取り、階段を上って自室へと戻る。
先に帰っていたディスターは、ハルバードの手入れをしていたようだ。
「お帰りなさいませ」
「ああ……そっちの首尾はどうだ?」
窓の近くに置かれた椅子に座り、ベッドに腰掛けたディスターと向き合う。
「有益な情報はありませんでしたが、情報を求めていると各所で触れ回っておきました。礼金についても強調しておいたので、何かしらの反応はあると思われます」
「そうか。こちらも求綻者の情報は皆無だったが、結構な数の兵士に話を訊いて、ついでに司令部にも出入りしておいた。それなりに噂は広まってくれるだろう」
情報収集と同時に、我々が情報を求めているのを宣伝する、というのは最初に打ち合わせてある。
普通に情報が手に入ればそれでよし、失敗しても金で情報を買おうとしている自分らの存在が噂になれば、何らかの情報を知っている奴が報酬目当てに現れるか、何の情報も知られたくない奴が口封じに現れるだろう、という予想に基いた行動だ。
「早速、手紙が届い――」
『伏せて下さい』
ディスターの思念が急速に割り込んできたので、反射的に床へと倒れ込む。
直後、何種類かの破壊音が騒々しく室内に鳴り響いた。
そして木製の格子と窓ガラスの破片を散らしながら、何かが飛び込んでくる。
夜も待たずに突撃してくるとは、随分とせっかちな刺客だな――そんなことを考えつつ、剣をどこに置いたかを思い出そうとしていると、聞き覚えのある笑い声が頭上から降ってきた。
「予告通り会いに来たわよ、わたくしを愛するエリザベート!」
「やっぱりか……」
髪に絡んだ木屑を払い、てにをはの使い方がおかしい闖入者の姿を確認する。
透き通ったプラチナブロンドに、静かな気配を湛えた夜明け色の瞳。
誰もが認める美貌なのに、近寄り難さが滲み出ている不遜の塊の如き佇まい。
銀糸のドレスに金メッキされたプレートメイルのパーツを多数組み合わせた、鎧なのか何なのか分からない装い。
そして背中には、多彩な宝石が鏤められた大型の戦斧を担いでいる。
レモーラ・ド・アレアゼ――協会の公認でもなく【
見た目だけではなく、桁外れにデタラメな行動も、周囲からの評価に一役買っている。
関わるとロクなことがないのだが、レモーラが十年以上前から私を『妹みたいなもの』と一方的に認識しているので、時として意味不明なトラブルに巻き込まれる。
具体的には、ついさっき二階の窓を突き破って颯爽と登場したような感じで。
「レモーラ様……世の中にはドアというものがあるのですが、御存知ありませんか?」
「わたくしが出入する場所、そこが即ちドアになるのですわ」
ディスターが背中に二、三本の毒矢が刺さったような表情で呈する苦言も、レモーラには届いている様子がない。
「そもそも、予告って何だ!」
「何――と言われても、貴女が手に持っているそれよ」
握り締めたままの手紙には、確かに封蝋にアレアゼ伯爵家の紋章が捺してある。
「これか……まだ読んでもいないんだが」
「あら、そうなの? 読み始めに合わせて飛び込む手筈でしたが、少々ズレたのかしら」
「ゴメンゴメン。ちょっとタイミング間違えた」
割れた窓の外には、屋根の上から垂らされたロープを伝って、人間でいえば十歳くらいに見える
彼の名はシング――レモーラのレゾナだ。
だが、それにしても三年前と見た目が変わっていないのはどうなのか。
「いや、タイミングとかじゃなくてだな!」
「わたくしを追ってこんな辺塞まで来た、というのでこちらから会いに来たというのに、随分とつれない態度だこと」
「だから、この――」
「おっ、おおおお客様! 一体これは何事ですか?」
盛大に破壊された窓を指し、社会の常識を叩き込もうとしたところで、慌てふためいた様子の従業員がノックも省略して室内に駆け込んできた。
直後、目の前の惨状に固まってしまった相手に、レモーラはどこからか取り出した大陸金貨をフワリと放り投げた。
「それは窓の修理代。釣りはいらなくてよ」
「えっ、あの、んあ――はっ? はぁ……」
金貨をキャッチした若い従業員が、レモーラと手の中の金を交互に見ながら、しどろもどろに対応する。
現在のアーグラシアの物価であれば、これ一枚で窓が三枚は直せるはずだ。
「あっ、それと、お客様にこれを」
「お騒がせしました。片付けは、こちらでやっておきます」
慇懃な態度で従業員に謝罪しつつ、ディスターは差し出された封書を受け取る。
そして二人の従業員は、出端を問答無用で挫かれた体で引き下がった。
「はて、それは
レモーラは興味深げな視線をディスターに送り、シングは両手を合わせての謝罪の意をこちらに見せ、ディスターは「どうしますか」と言いたげな顔を向けてくる。
去年の春、密かに進めていた従叔父ロベールの疑惑に関する調査は、レモーラが絡んだせいで果てしなく延焼する大騒動になったな――と、忌まわしい記憶が胃の痛みと共に鮮やかに蘇る。
しかしながら、ここに至ってはレモーラが絡んでくるのは避けられないだろう。
「読み上げてくれ、ディスター」
ならば少しでもスムーズに事を運ぼうと、私は脱力感に苛まれつつ答える。
手紙の内容と私達の目的を知ったレモーラは、予想に違わず同行を申し出てきた。
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