第7話 007 蹂躙

 着地の衝撃は、思いがけない軽さだった。

 窪地に雨水が溜まることで、地質が柔らかくなっているのだろうか。

 幾つかの視線が、新たな闖入者である俺に向いているのが分かる。

 ついでに、ちょっとした撹乱もできれば一石二鳥だな。

 ファズを中心に巻き起こっている衝突音を聞きながら、矢の飛んできた方へとジグザグの軌道で駆ける。


 視界の端に、細身の男が口と鼻から血飛沫を撒き散らして勢い良く転がって行く光景が入り込んだ。

 ファズへの直接的な援護は、やはり必要なさそうだ。

 そんな一方的な戦闘を横目に大きく右へと跳んだ直後、さっきまで俺がいた辺りを何かが高速で行き過ぎる。


「ド素人か……動いてる相手は、行き先を予想するんだよ」


 思わずダメ出しの呟きが漏れてしまう。

 そんな独り言が終わらない内に、目指していた木の下へと辿り着いた。

 見上げた先には、黒ずくめの格好をした奴がいる。

 俺の接近を知り、慌てて番えようとして取り落とされた矢が、軽い音を立てて地面に刺さる。


「ちょっ――ちょっと待った!」


 涙声で懇願する男に、溜息混じりの嘲笑を返す。

 待ったところで、次の矢が飛んでくるだけだろうが。

 俺は赤いグリップのナイフを抜き出し、オーバースローで樹上へと放った。

 ところで、ファズはどうなった。

 重量物が地面を叩く音を背中で聞きながら、乱戦が行われていた辺りを確認する。


 五ケン(十メートル)ほどの距離を置いて、向かい合っている二人がいる。

 青髪の美少女とヒゲ面の男――ファズとナール。

 俺が一人を倒している間に、ファズが他の三人を蹴散らしたようだ。

 周辺に倒れている連中は、どいつもこいつも微動だにしない。


 琥珀色の瞳に見据えられたナールは、それを真正面から睨み返している。

 しかしながら、少なからず腰が引けているように思える。

 部下がほぼ全滅だからそれも仕方ないだろうが、この状況からどう動くのか。

 イザという時にはファズと連携が取れるよう、俺はナールの右斜め後方へと回り込む。


「バケモノめ……どういうつもりだ……」


 毒づく語尾に震えが混ざっている。

 それが圧倒的な力に蹂躙された恐怖と、手下の大半を数分で失った怒りの、そのどちらに由来しているのかは分からない。

 ファズは杖を握り直し、血や漿液で湿ったそれをナールに向ける。


『リム、こいつに伝えて――お前らは、人殺しで泥棒』

「……あんたら、盗賊だろ」


 ファズの言葉を俺なりに翻訳して告げる。

 その声に反応しかけたものの、ナールはファズから視線を外さない。


『お前は三十人よりもっと殺してる。二日前は女の年寄りを殺した』

「あんただけで三十人は殺してる。一昨日は婆さんを殺したな?」

「……何故、そんなことが分かる」


 具体的な数字を出して指摘された瞬間、肩を小さく跳ね上げたナールだが、冷静さを保って訊き返してくる。


『くさいから分かる。お前も死ね』

「……そんなの、どうでもいいだろ。あんたらが今この場所で死ぬ理由は、いくらでもある」


 翻訳難度が高いファズの断言をどうにか超訳して伝えると、ナールは息を呑んで黙り込んだ。

 道端の吐瀉物を見るようなファズの表情は、それを向けられた男の胸中に今どんな勢いの嵐を吹き荒ばせているのだろう。


「……んくっ、くっ」


 一分近く睨み合いが続いた後、唸り声だか呻き声だか分からない、妙な声がナールから漏れた。


「ふぅ……ぅはは、ふっ、ふははははははは、はははははははっ!」


 どうやら、笑いを堪えている声だったらしい。

 ナールは厚刃の短刀をファズに突き付け、さも愉快そうに大声で笑う。


「バケモノが! バケモノの分際でっ! 鬼の子ごときが人の法に従って俺を裁くのか? フザケた話だっ!」


 半ば怒鳴るような大声と共に、ナールは地面を蹴る。

 重量感のある見た目に反して、中々に機敏だ。

 体格に似合わぬ刃渡りの得物を使うのは、このスピードが理由だったか。

 一直線の疾走で、動かないファズとの距離は十分の一に縮まった。


 援護に入ろうと、俺はナイフをベルトから引き抜く。

 そこでナールが、不意に右に跳んだ。

 予期せぬ挙動に、ナイフを抜こうとしていた指先が固まる。

 だがファズは平然とその動きに反応し、同じ方向へと跳び込む。


「なんっ――げぁっ! ぅが、かっ!」


 無造作に杖が振るわれると、戸惑いの声が苦痛の叫びへと転調する。

 短刀を弾き飛ばしたファズの一振りは、まとめてナールの右手首をヘシ折っていた。

 直後に、左脇腹への追撃も突き入れられている。

 人体が発生源とは思えない音は、ナールの肋骨が数本まとめて破砕されたのを予想させた。

 

 大量の吐血があるし、内臓も無事では済んでいないだろう。

 俺がそんなことを思ったのと同時に、ナールは前のめりに地面に崩れる。

 ファズはボールを蹴るような何気なさで、まだ空中にあった頭を足の甲で蹴り上げた。

 首周りを鎧った筋肉の抵抗も虚しく、頚骨は所有者の人生が閉じる鈍い音を鳴らす。


 これで終わりか――と声を掛けようとするが、ファズはその場を離れ、さっき俺が樹上から叩き落した男の所へ向かう。

 ナイフの刃に塗った麻痺毒が効いているらしく、男はピクリとも動かない。

 どういうつもりだ、と思いつつ目で追っていると、ファズはナールにトドメを刺したのと同様に、男の側頭部を加減なしに蹴り飛ばした。


「なっ――おい!」


 反射的に怒鳴ってしまうが、ファズは返事もしなければ振り向きもせず、首がおかしな方向に曲がった男を置いて次の目標へと歩き出す。

 その先にいるのは、盗賊団ただ一人の生き残りだ。

 そいつは、さっきと同じくへたり込んだまま、近付いてくるファズに怯えきった双眸を向けている。


「ちょ、ちょっと待てって!」


 聞く耳持たない様子なので、急いで駆け寄ってファズの肩を掴む。

 すると、鋭いにも限度がある眼光で睨み返された。


『何』

「いや何、じゃなくてさ。そこまでしなくてもいいだろ? 動けなくなった奴や、戦意を喪失した奴はもう放って置いても――」

『そうしたら、もっとくさくなる』

「それは……」


 見逃したら再び盗賊として罪を重ねる、ということなのか。

 そんな考えが浮かぶと、ファズが小さく頷いた。

 杖がゆらりと動くと、少年は泣き笑いの表情を強張らせたまま、目の前に迫った自分の死を否定するかのように、首を猛然と左右に振っている。

 緩慢に後ずさりする股間には湿り気が広がっていて、俺にも知覚できるタイプの悪臭が漂ってきた。

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