第6話 006 圧倒
唐突な大音量の発生源は、半円形の左端にいた三十手前くらいの長髪の男だ。
叫び声を上げた男は、近くの岩に立て掛けてある槍のような武器――確かパルチザンと呼ばれているものだ――を掴む。
「おおおっ、おおおおおおおおおっ!」
もう一度吼えると刺突の構えをとり、大股でもってファズに突進する。
そんな動きに呼応して、他の連中もそれぞれの得物を手にし始めた。
両刃剣、サーベル、戦斧、山刀、戦鎚、その他諸々。
統一性の見当たらない装備だが、各人の得意とする武器なのだろう。
いくら鬼人とは言え、荒事に慣れた連中が十人相手ではどうなることか――
ファズに加勢しようと、俺はベルトに吊るした投げナイフを抜き出した。
『問題ない』
直後にそんな言葉が届き、俺はナイフのグリップを握った状態で動きを止めた。
どう考えても大問題が進行中なのに、どうしてそんな余裕の発言が。
戸惑う俺の視界の先で、状況は慌しく動き始める。
「どぅぶぁっ!」
濁った気合と共に、パルチザンの穂先がファズに迫る。
半秒後には首を刎ね飛ばされる、そんなタイミングでファズの右手が反応した。
薄暗がりの中、焚き火を照り返してオレンジ色に染まった杖が奔る。
鈍い金属音が響き、パルチザンが叩き折られた。
木製の柄ではなく、鋼鉄製の刃が。
「なっ――」
『遅い』
信じ難い光景に苦情を述べようとしたパルチザンの持ち主は、ファズの二撃目で強制的に沈黙させられた。
側頭部を殴られて首が妙な方向に曲がっているので、今後も永遠に黙ったままだろう。
続いて、大型の戦斧を担いで駆け寄ってきた額に傷のある男の腹に、杖のヘッドが真っ直ぐ突き入れられる。
「おぶっ」
呻き声を上げて倒れかけた男の顔面を、ファズは軽やかな蜻蛉返りをしながら右の踵で蹴り上げた。
歯の欠片と血煙を吐き散らし、斧男は仰向けに崩れる。
後頭部を強かに打ち付けた音の直後、半端な硬さの何かが砕ける音が続く。
ファズの振り下ろした杖を額で受け止めた斧男は、新たに刻まれた致命傷から頭蓋の内容物を弾け飛ばせていた。
これが鬼人なのか。
話に聞いてはいたが、このデタラメな強さは何事だ。
これなら確かに、問題ないと言いたくもなる。
俺が盗賊団の一員だったら、脇目も振らずこの場から逃げ出すのは間違いない。
しかしながら、男達にその選択肢はないらしい。
いや、一番若そうな奴はファズの非常識な強さに腰が抜けているのか、広刃の剣を傍らに放り出してへたり込んでいる。
残る連中は一騎打ちでは敵わないのを悟ったか、輪になってファズとの間合いを詰めようとしていた。
ナールは言葉を発さず、身振り手振りで部下に指示を与えている。
それに反応する部下達の動きは機敏だ。
ファズを囲む輪はジワジワと狭まり、ナールの口の端は余裕の笑みで歪む。
こいつらは想像以上に訓練の行き届いた、統率の取れている集団らしい。
ファズの戦闘能力が尋常の遥か上を行くにしても、この人数に同時に襲って来られては流石に――
『大丈夫。そこで見てて』
参戦しようと再び投げナイフのグリップを掴むと、また間髪を入れずにファズの声が響く。
そして――鬼が跳んだ。
髪をなびかせながら、影がフワリと宙を舞う。
比喩表現などではなく、文字通りに。
自分の身長の三倍半ほどの高さまで跳躍したファズは、攻囲の輪の外側へと静かに着地した。
背後を取られた薄手のコートを羽織った男は、素早く身を翻してサーベルで薙ぎ払う。
瞬時に気配を捉えたまでは見事だが、そこにはもうファズ本人はいない。
無人の空間を裂いたサーベルは、地面に突き立った杖に弾かれて刃を毀つ。
そして杖を支点に空中へと身を躍らせたファズは、男の顔面に右膝を衝突させて、容貌の凹凸を一つの陥没へとまとめ上げた。
戦鎚を握った坊主頭の肥満体は、すぐ隣にいたのにファズの敏捷性に対応できず、棒立ちで仲間が絶命する瞬間を眺めている。
顔面を潰された仲間が取り落としたサーベルが足元に突き刺さり、それで我に返ったらしい坊主頭は、五キン(二十五キロ)はありそうな鉄塊を振りかぶる。
対するファズは、こめかみに青筋を浮かせた男の方を見もせずに、その攻撃が届く範囲内に無造作に佇んでいた。
「あぶ――」
ない避けろ、と思わず叫びかけて、その声を呑む。
渾身の力で振り下ろされた、猛スピードの一撃だった。
しかしそれはファズの首ではなく、攻撃を繰り出した当人であるデブ坊主の左脛をヘシ折っていた。
巨漢の前にいたはずのファズは、いつの間にかその左斜め後ろに回り込んでいる。
支えを失い、巨体が崩れ落ちる。
「――げぁあああああああああああふぁ!」
数拍の間を置いてから、濁った絶叫が上がる。
目で追いきれなかったので自信はないが、戦鎚が下降を始めると同時に坊主の方へ突進したファズは、擦れ違うのと同時にヒジに一発入れたようだ。
戦鎚を放り出した丸坊主の右ヒジ関節は、本来の可動範囲を大幅に超えて捻れている。
耳障りに響いていた表音困難な喚き声は、髪のない後頭部に向けた杖のフルスイングで停止された。
既に四人、いや五人が戦闘不能だというのに、ナール達に怯んだ様子はない。
蛮勇なのか狂奔なのか、それともここから逆転する成算があるというのか。
スケイルメイルを着た男がファズの正面に立ち、見慣れぬ構えで長剣の切先を向けた。
ファズの背後には、山刀を提げた細身の男が回り込んでいる。
右側には手槍を振り回すアバタ面の男がいて、左側ではナールが不思議なシルエットの短刀を握っている。
普通ならば絶体絶命だが、ファズならば――いや待て、何かがオカシいぞ。
その俺の警戒心が伝わったのか、自分で異変を察知したのか、ファズがサッと身を屈める。
半瞬後、金属製の短矢が飛来し、青髪が十数本散ったのが見えた。
慎重に距離をとって隙を窺っていた男達は、ファズが体勢を崩したと見ると、四方から一斉に攻撃に転じた。
最も速かったのは手槍の男だ。
中腰に近い低めの姿勢から、掬い上げるようにして穂先を繰り出す。
だがファズはそれを軽々といなし、必殺の刺突を回避され愕然とするアバタ面の後頭部に乗っかると、そこを足場に跳躍して再び包囲網から脱出する。
「あん――だとっ?」
状況を把握できていない、うろたえた声が汚い踏み台から発せられる。
着地した所を再び短矢が襲うが、ファズは杖を一振りして弾き返した。
所々で違和感があったのは、敵の人数が足りなかったからか。
隠れている射手の武器は、直線的な軌道からしてクロスボウだろう。
大した腕ではないようなので、ファズなら致命傷を受ける心配はないだろうが、毒を使われていたらカスリ傷でも厄介だ。
日は暮れかけて辺りはかなり暗くなり、焚き火の明かりだけでは視界の確保が難しい。
俺は目を凝らし、矢が飛んできた方向を睨む。
木の上か――葉の繁った大ぶりの枝が邪魔して、居場所を特定できない。
仕方ない、行くか。
『動かないで』
いやだね。
『危ないから』
ファズから届く制止の声を無視して、俺は七シャク(約二メートル)の段差を飛び下りた。
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