第6話〈後編〉

 朝のつばさ銀行本店の窓口で、真剣な表情で映美を見ている瞬と、それに戸惑いながら対応している映美がいた。

映「え?あ、いえ、付き合ってる人はいませんが…」

瞬「が?」

映「好きな人なら…」

瞬(ガ―――――――――ン!!!!!そうか、やっぱり長日部さんか……)

 「あ、いや悪かったね、聞きたかったのはそれだけなんだ………」

映「あの…私左遷では?」

瞬「左遷?何で?」

映「え?」

瞬は意気消沈してがっくりと肩を落としたまま頭取室へ戻って行った。

ドアが閉まった瞬間、周りはざわついた。頭取が今まで声をかけたこともない行員にわき目も振らず一直線に話し掛けに行ったのだから。

行員1「あいつ何かやらかしたのか?」

後方にいた行員たちに瞬と映美の会話は聞こえていない。

行員2「だろうね…」

行員3「しかも頭取直々なんて、かわいそうに」

行員1「それにしては頭取、落ち込んでなかった?足元ふらふらだったし」

行員2「倉木、頭取に一体何を言ったんだよ?」


 天宮邸の離れの2階に瞬の部屋はあった。夜、暗い部屋の中で瞬が一人落ち込んでいた。そこに天宮家に長年勤めているベテランメイドが入ってきた。

メ「瞬様、帰って来るなり閉じこもっちゃってどうしたんです?」

瞬「何でもないよ」

メ「またこんなところに服を脱ぎ捨てて」

ベテランメイドはソファの背もたれに掛かっていたYシャツと映美のスカーフを拾い上げた。

瞬「あ!待ってくれ、それはそのままでいいんだ」

メ「そのままでいいって、胸元に何ですかこれは?口紅ですか?早く落とさないと落ちなくなりますから」

瞬「だから、落とさなくていいんだよ」

メ「はいはい、分かりました。相変わらず変なことを言う人だね、まったく」

ベテランメイドはブツブツ言いながら瞬の部屋を出て行った。

瞬はまた一人暗い部屋の中で考え事を始めた。

瞬(倉木さんは、長日部さんが好きなのか…。長日部さんは誠実そうな人だし  な…。俺とはまったく正反対のタイプだな…)

 「ハァァア~~」

瞬は盛大なため息を吐いた。

誠「どうしたそんな大きなため息なんかついて。こんな暗い部屋にいたらどんどん暗くなるぞ」

ベテランメイドが開け放したままにしたドアから誠が入ってきた。

瞬「まこちゃん…倉木さんは長日部さんが好きなんだ」

誠「倉木さんがそう言ったのか?」

瞬「いや、好きな人がいるって…」

誠「それだけだろう」

瞬「うん…」

誠「それじゃ彼女が好きなのが長日部くんとは限らない。彼女が好きなのが誰かも聞かないで落ち込んでどうする」

瞬「え?」

誠「まずは、ちゃんと彼女の口から聞かなきゃダメだろう」

瞬「そっか、そうだよな。ありがとうまこちゃん!俺、明日彼女にちゃんと聞いてみるよ!」

誠「そうだ!その意気だ!(中学生か?)」


 次の日、本店窓口ではいつものように映美が日常業務をこなしていた。

映「27番の方どうぞ」

瞬「おはよう倉木さん」

次の人を呼ぶと、そこに27番の番号札を持った瞬が笑顔で近づいてきた。

映「頭取!?あの、何か…、あ!そのスカーフ…」

瞬は映美のスカーフを首に巻いていた。

瞬「そう、君の♪この口紅の痕の責任は取ってくれるよね」

瞬はニッコリ笑って言った。口紅がついたままのYシャツを着ている。

映「あ、そのシャツ…、やっぱり5,000円じゃ足りませんでしたか」

瞬「ああ、全然足りなかった。責任取って今日は俺に一日付き合ってもらうからね」

映「え、でも仕事が…」

映美が言いかけた時、瞬が大声で窓口の後ろ側に向かって言った。

瞬「皆!倉木映美は今日一日仕事で俺に付き合うことになった。あとはよろしく頼むよ~」

行員たちも映美も唖然としている。映美は制服のまま瞬にぐいぐいと腕を引っ張られながら外に連れ出されてしまった。

映「あの、頭取!どこへ行くんですか!」

瞬「ん~、俺の行きたい所。今日は責任取って付き合ってもらうんだからね。そうだなぁ、まずはこの格好じゃまずいな」

映「え?」

瞬は制服姿の映美を眺めて言った。

瞬「それじゃ俺のおススメのお店に行こうか」

瞬はウィンクして映美の手を取り歩き出した。

瞬は映美が行ったことのないような高級ブランド店を廻り、着せ替え人形のようにありとあらゆる服を試着させ、見るからに高そうな美容室でヘアメイクを整えさせた。

映「頭取、あの…」

瞬「おお、なんて素敵なんだ!見違えたよ」

瞬はやたら嬉しそうである。それに反して映美はおどおどしっぱなしだ。

映「あの、私、こんなの買えません。きっと私のお給料だと生活費や仕送りの分を引いたら返済に1年以上掛かってしまいます…」

瞬「何言ってるの。これは俺からのプレゼント」

映「え?だって責任取って付き合うのにこんな高価なプレゼントなんて受け取れません!」

瞬「今日は一日俺に付き合うって言ったでしょ。俺に付き合うことが君の責任♪」

瞬はニッコリ笑った。

映「…?…」


 高級ブランド服に身を包み、お高い美容室でヘアメイクを整え、すっかり見違えた映美を瞬は、今度は高級レストランに連れて行った。

映美の目の前のテーブルの上には見たことも食べたこともないような、見るからに高そうな料理が並んでいる。

瞬「どうしたの?食欲ない?」

料理に手をつけようとしない映美を、瞬は心配した。

映「いえ、すみません、こういうの慣れてなくて、頭取がいつも一緒にいる女性ひとたちなら慣れっこなんでしょうけど。でも、どうして急にこんなこと。私、頭取に大変な失礼をしてしまったのに」

瞬「だから言ってるでしょ、その責任がこのデートだって」

映「でも、どうして急に私なんですか。いつもの女性ひとたちじゃなくていいんですか?」

瞬「いいんだ。俺は倉木さんと話がしたいんだ」

瞬はニッコリ笑った。

映「頭取…」

瞬「倉木さんはいつもどんなことしたり、どんな所に行ったりしてるの」

映「あ、えっと、頭取にはきっと縁のない所とか、縁のないことをしてると思います」

瞬「そう?それじゃあこれから倉木さんがいつも行く所に行きたい。連れてってくれる?」

映「え?頭取にはつまらないと思いますけど…」

瞬「そんなことないよ。君と一緒ならつまらないことなんてないから」

瞬は優しく微笑んだ。


 その後街に出た瞬は、映美が案内してくれたカフェでお茶を飲んだり、ウィンドウショッピングを楽しんだ。瞬は素直にその時間が楽しかった。

 映美は一応頭取でも楽しめそうなことを選んだつもりだったが、正直緊張もあり、本当に楽しんでくれたのかよくわからなかった。

 瞬は夕方まで映美を連れまわし、暗くなる前に映美のアパートの前まで黒塗りの車で送ってきた。

映「今日はありがとうございました。こんな高価なものまで…」

瞬「こちらこそとっても楽しかったよ、付き合ってくれてありがとう。また誘ってもいいかな、今度は責任を取るとかじゃなく普通に」

映「え?あ、はい、私でよければいつでも」

瞬「よかった!その…、一つ聞いてもいいかな」

映「はい」

瞬「倉木さん、昨日好きな人がいるって言ってたけど、あれは長日部さんのこ  と?」

映「え?長日部さん??」

映美がキョトンとした顔をしている。

瞬「え?違うの?」

映「違います!どうして長日部さんなんですか」

瞬「いや、なんか良い付き合いしてるみたいな感じだったから、そうかと思っ  て…」

映「いいえ、長日部さんじゃありません」

瞬「それじゃ俺の知らない人か…」

映「いえ、よくご存知だと思います」

瞬「え!?俺のよく知ってる人?誰だろう…?」

映「頭取です」

瞬「え、俺?まさか…」

映「本当です。頭取が私の存在すら知らない頃からずっと見てました。だから毎日毎朝声を掛けられている他の女性ひとたちがずっと羨ましくて、私には一生そんな日なんてこないと思ってましたから」

瞬「倉木さん…」

映「だから今とても信じられないんです。あんな失礼なことした私にこんな…。頭取、どうして急に私なんですか?私みたいなタイプが珍しいから…?からかってるんですか…」

瞬「まさか!違うよ!君から見たら俺はただの軽い遊び人にしか見えないだろうけど、君に対しては絶対に違う。俺の中で、君と今まで俺の周りにいた女性たちとは明らかに違うんだ。信じてもらえないかもしれないけど」

映「・・・・・・」

瞬「本当に、また、誘ってもいいかな。こんなに楽しかったのは久しぶりなんだ」

映「え?」

瞬「もし良かったら、また俺に付き合ってほしい。もちろん倉木さんの都合の良い時に」

映「頭取……」

瞬は映美に優しく微笑むと自分の高級車で去って行った。

 自分の部屋に戻った映美は今日買ってもらったドレスを嬉しいが少し素直に喜べない信じられない気持ちで眺めていた。



 朝、あの日以来つばさ銀行本店では朝の恒例行事が完全に薄れていた。相変わらず瞬は女性行員たちから黄色い声を浴びているが、それを適当に流して一直線に映美の元へ歩いていった。

瞬「倉木さん、お疲れ様。今日の夜、空いてるかな」

映「夜ですか、はい、空いてますけど…」

瞬「ほんと!?倉木さんが好きそうなお店を見つけたんだ、今夜どう?」

映「はい、大丈夫です」

瞬「良かった!それじゃ仕事終わったら裏に来て、車まわしておくから」

頭取はとっても上機嫌である。嬉しそうに上に戻って行った。

 一方映美は瞬が今まで自分の後方で他の女子行員たちに掛けていた言葉と、今自分に向けられている言葉が全然違うのに驚いた。そしてちょっと嬉しかった。なんだか今まで見たこともないような瞬の無邪気さに映美もつい笑みがこぼれた。

春「こんにちは」

映「長日部さん!こんにちは」

春「何か良いことでもあったんですか?」

映「どうしてですか?」

春「なんだか嬉しそうに見えますよ」

春樹はニッコリ笑って言った。

映「そんなこと…」

春「あれから利河さんとはいかがですか」

映「どういう意味ですか?」

春「こないだレストランで一緒になった時、貴女のことをとても気にしていたみたいなので」

映「長日部さん、何かご存知なんですか」

春「いや、何も。ただ彼が誰かに興味を持つなんていうのは珍しいことみたいなんでね」

春樹はまたニッコリ笑った。

映「長日部さん、何かご存知なら教えて下さい。頭取の周りにはいつもきれいな女性ひとたちが大勢いて、私なんて存在すら気付いてももらえてなかったのに、あの日以来突然頭取に誘われるようになって、正直混乱してるんです」

春「嬉しくないんですか?」

映「いえ、嬉しいんです、でもどうして突然…。それが分からなくて…なんだかからかわれているだけなんじゃ…」

春「倉木さんが最近の利河さんを見ていて何か感じたことは?」

映「何か?そうですね、今まで頭取の周りにいた女性たちがいなくなりました。銀行員の女性たちの誘いも適当にかわしてるみたいだし…」

春「それをちょっと信じてみてはどうですか?」

春樹はニコニコ笑っている。

映「長日部さん…」


 その日の夜、“映美が好きそうなお店”と瞬が言っていたお店に二人で来た。

内装は木調で、テーブルには赤いチェックのテーブルクロスが掛けられている。壁にはドライフラワーやカントリー調の装飾品で飾られていた。

瞬「どうかな?ここ、倉木さんが好きそうだと思ったんだけど」

他の女性たちには選びそうもなさそうな可愛らしい感じのレストランだ。

映「はい、こういう感じの所好きです。あんまり緊張もしないし」

映美は店内を見回した。

瞬「良かった!気に入ってもらえて。どんどん好きなもの注文していいからね」

映「頭取、こんなお店来たことないんじゃないですか」

瞬「え?」

映「だって、どう見ても頭取が女性を連れて来そうな感じじゃないです。随分悩んだんじゃないですか」

瞬「実は……秘書にも相談して探したんだ…やっぱり俺には似合わないよな」

映「いいえ、全然大丈夫です。むしろそんな頭取も見れて、なんだか親近感湧い ちゃって、私は嬉しいです」

瞬「倉木さん…」

映「ありがとうございます。私のこと思って選んで下さったんですよね。すっごく嬉しいです」

瞬「いや、俺は倉木さんの喜んでくれた顔が見られただけで充分だから」

映「頭取…」


 天宮邸の離れのリビングで誠が新聞を読んでいた。そこに帰ってきた瞬の足取りが軽い。

誠「おかえり、何だか最近とっても楽しそうだな、瞬」

瞬「ああまこちゃん、ただいま!毎日楽しいよ!」

誠「それはやっぱり彼女のおかげかな?」

瞬「ああもちろん!」

誠「でも彼女は莉々亜じゃない。分かってるよな?」

瞬「誠、俺も最初はただ彼女が莉々亜に似てるから惹かれるんだと思ってたんだ」

誠「うん」

瞬「でも知れば知るほど彼女と莉々亜は違うんだってことが分かってきた」

誠「うん」

瞬「俺、今ははっきりと倉木さんが好きだって言える」

誠「そうか」

誠は満面の笑顔で答えた。


 その後のある日、瞬に誘われ今日もレストランで夕食を摂った後、映美はずっと疑問に思っていたことを口にしてみた。

映「あの、頭取、聞いてもいいですか」

瞬「何?」

映「どうして私を誘うんですか?他の人たちはいいんですか?前はあんなに他の女性たちと遊んでたのに…」

瞬「前にも言ったよね?俺は倉木さんと話したいって」

映「どうしてですか、ずっと気になってたんです。私は何が他の女性たちと違うんですか?どうしても分からないんです。私だって他の女性たちと同じなのに…」

瞬「え、っと…それは…」

映「やっぱり気紛れですか」

瞬「違う!それは絶対に違う。君に嘘はつかないよ」

映「それじゃどうして…」

瞬「俺の言葉を信じてくれるかな」

映「はい」

瞬は少し遠くを見ながら話し始めた。

瞬「俺には10年前『莉々亜』という婚約者がいたんだ」

映「え?」

瞬「俺がまだつばさ銀行の執行役員だった頃だ。その日の午後、彼女が俺達の結婚式の打ち合わせをしに銀行まで来たんだ。裏から入れって言ったのに、行員の皆やお客さまの様子を見たいからと言ってお客さまと一緒に表から入ってきた。その直後ライフルを持った4人組の強盗団が押し入ってきたんだ。そして奴らの一人がそこにいたお客さまを人質に取った」

映「・・・・・・」

瞬「彼女は気丈だったよ。俺の婚約者という立場を投げ出さず、自分はこの銀行の人間だからと言ってその人質のお客さまの身代わりに自分が捕まったんだ」

映「・・・・・・」

瞬「そこにセキュリティを感知した警察が乗り込んできた。逆上した犯人の一人が店内でライフルを乱射したんだ」

映「え…」

瞬「その時、お客さま3人と莉々亜が撃たれた。犯人グループはそのまま何も盗らずに逃走。撃たれたお客さまと莉々亜はすぐに病院に搬送されたが4人ともダメだった」

映「・・・・・・」

瞬「そして犯人は未だ捕まってない…」

映「そんな…」

瞬「莉々亜が死んで、俺は何もする気がなくなってその寂しさを忘れるために遊び歩いた。色んな女性とも付き合った。でも俺の中で彼女を忘れさせてくれる人は現れなかった」

映「・・・・・・」

瞬「これを見て、莉々亜の写真だ」

映「えぇ!?」

瞬「驚いた?俺も君を初めて見た時、莉々亜が生き返ったのかと思ったんだ」

映「・・・・・・」

瞬「君に惹かれないはずがない。でも君は莉々亜じゃない。倉木映美といううちの銀行員だ。それで君をちゃんと知りたいと思った」

映「・・・・・・」

瞬「君と話せば話すほど、君を知れば知るほど莉々亜とは違う人なんだって確認できた。それと同時に倉木映美という人にどんどん惹かれていったんだ」

映「え?」

瞬「確かに始めは莉々亜に似てる君に惹かれた。でも今は違う。間違いなく俺は倉木映美が好きだ。だからちゃんと言うよ。倉木さん、俺と付き合ってくれないか」

映「頭取…」

瞬「もう二人の時は“頭取”はやめてほしいな。俺も名前で呼ぶから」

映「それじゃ“利河さん”…」

瞬「なんで苗字?」

映「だ、だって…」

瞬「わかった、少しずつでいいよ」

映「莉々亜さんはなんて呼んでらしたんですか?」

瞬「ん?莉々亜は莉々亜、君は君。君は莉々亜じゃないんだから好きなように呼んでくれればいいよ。もう莉々亜は関係ない」

映「頭取…、あ!ごめんなさい…」

瞬「無理しない無理しない。俺もゆっくり待ってるから」

瞬は優しく微笑んだ。

映「はい、ありがとうございます」

映美も嬉しそうな笑顔で返した。



【第6話】終わり

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