第3話

 コスモコーポレーション社長室の社長のイスに、社長の高城遥たかぎようが少しつまらなそうに座っていた。が、その瞬間何かを思いついたように悪戯っぽい笑みを浮かべ、広い机の上にある秘書呼び出しボタンを押した。

夏「社長、お呼びですか」

第一秘書の近松夏生ちかまつなつおが社長室に入って来た。

遥「ああ。今夜『CLUB BLUE MOON』に行く」

夏「『BLUE MOON』ですか。かしこまりました」

返事をして夏生は部屋を出た。

夏「大谷、今夜社長が『CLUB BLUE MOON 』へ行かれる。同行するぞ」

社長室を出た夏生は隣りの部屋に控えている新米秘書の大谷悠磨おおたにゆうまに言った。

悠「『CLUB BLUE MOON』って何ですか?」

悠磨はコスモコーポレーションに入社したばかりで何も知らない。

夏「カジノだ」

悠「カッ、カッ、カジノぉぉぉぉ~~~!?!?」

夏「シ―――!!声がでかい!」

悠「ス、スイマセン。でもギャンブルなんて違法じゃ…」

夏「そうなんだけどな、何故かあそこは大丈夫だとか言われてる。それに社長はゲームはしないんだ」

悠「ゲームしないんですか?じゃあどうして行くんです?」

夏「そこに来るその世界では知らない者はいない『椿凌』という人がいる。その人の勝ちっぷりを見に行くんだ」

悠「それだけですか?」

夏「それだけだ」

悠「また、なんのために」

夏「社長と椿さんは仲が良いんだ」

悠「それで、わざわざ見に行くんですか?」

夏「そうだ。文句言うな。お前だってカジノなんて、こんなことでもなきゃ行けないだろう。社会科見学だと思え。それより、椿さんにはくれぐれも失礼のないようにな」

悠「その人そんなにすごい人なんですか」

夏「そりゃあもう!この世界で椿凌を知らないなんていったらモグリだ。誰もが認める№1だよ」

悠「へぇ~。そんなのTVか映画の世界の話かと思ってた。本当にあるんですね」

夏「そうだ。社長の大切なご友人でもあるから決して失礼のないようにな」

悠「はい!わかりました!」

 そこに花ケ崎茉莉菜はながさきまりなが現れた。いつもながらの華やかな出で立ちでしゃなりしゃなりと歩いて来た。

茉「こんにちは。遥はいる?」

夏「これは、茉莉菜お嬢様。社長なら社長室にいらっしゃいますが」

茉「そう。今夜の予定はどうなっているの」

夏「今夜は『BLUE MOON』に」

茉「またなの?そう、わかったわ。そちらは?」

茉莉菜は夏生のすぐ横で突っ立っている見慣れない若者を一瞥して聞いた。

夏「今年入りました新入社員で、大谷悠磨と申します。さ、大谷挨拶しろ」

悠「初めまして!今年からこちらでお世話になっております、大谷悠磨です。どうぞよろしくお願いします!」

茉「そう、新入社員なの。頑張ってね。これから色々とあなたにもお世話になると思うからよろしくね」

茉莉菜はちょっと上から目線で悠磨に言うと、遥には会いもせずにさっさと秘書室を出て行ってしまった。

悠「今のはどちら様で?」

夏「社長のフィアンセで花ケ崎茉莉菜お嬢様だ」

悠「花ケ崎ってあの?!」

花ケ崎とは現在では百貨店の老舗で、家柄は鎌倉時代から貴族の流れを組む、新入りの悠磨でも知っているくらいの名門だ。

夏「そう、あの花ケ崎。いわゆる政略結婚てやつだな」

悠「へぇ~、許婚…本当にあるんですねぇ。これもまた…」

夏「TVか映画だろ?そうなんだよなぁ。本当にあるんだよ、こういうことって。しかもTVや映画にありがちな設定で、社長は茉莉菜お嬢様をあまり想ってはいない」

悠「え?」

夏「よくあるだろ、小説や映画とかでも。決められた相手以外に想う人がいるっていうパターンが」

悠「ありますけど…、社長は他に誰かいるんですか?」

夏「こないだあるお嬢さんを椿凌さんと助けてね、それからというもの何故かそのお嬢さんを忘れられないでいる」

悠「ええ!?じゃあよくあるパターンの身分違いの…ってやつですか」

夏「そこまで大袈裟ではないけど、それに近いものはあるな」

悠「どうするんです?」

夏「俺達には何もできない。あまりにも変な行動に走ったら手は出すけどな」

悠「はぁ…」

悠磨はポカンとした表情で夏生を見た。


 大学内、講義前の教室内で、洵の前の席にいる七海は後ろを向いて洵に笑顔を向けている。

七「ねえ朝倉くん、今日も行くの?」

七海は楽しそうにニコニコしながら洵に聞いてきた。

洵は手でカードを持つ振りをして

洵「これ?」

と聞いた。

七「そう」

洵「行くけど…」

七海はニコニコ笑っている。

洵「ダメ。三保さんはおとなしくしっかりと学生していなさい」

七「え~。だってもう一度朝倉くんがカッコよくゲームで勝つところ見たいんだもん」

洵「あ、ほら明日までのレポートがあったじゃない、やらないと」

七「もうやっちゃったわ。いつでも朝倉くんのお供ができるように」

洵「三保さん、俺のギャンブルは遊びじゃないんだ。こないだも言ったよね?普通に足を踏み入れて良い世界じゃない。怖い目に遭うことだってあるんだから」

七「もう遭ったわ。ギャンブル関係ではないけど」

洵「あのね、俺と…っていうか凌と付き合ってたらあんなことがまたいつ起こってもおかしくないんだよ?それでもいいの?」

七「ええ、いいわ。覚悟はできてる」

洵「三保さん…、覚悟って、本当に分かって言ってる?親御さんだってどう思う か…」

七「大丈夫、友達の家で泊りがけでレポート仕上げるって言ってあるから」

洵「言ってあるから…、ってもう言って出て来たの!?」

七「うん、朝のうちに言っておけば両親も安心するでしょ。高坂の御曹司から救ってくれた人のこと、ちゃんと話してあるから。朝倉くんがいれば安心って思ってるし」

洵「何!?じゃあ俺の家にいることになってるの!?」

七「ううん。家は麗華さんの家。女の子も一緒よって話してあるから。だって、どっちにしろ麗華さんの家には行かなきゃならないんだもの。麗華さんの家で  レポートしてることにしたっていいじゃない」

洵「まったく…用意がいいんだから」

七「ね、いいでしょ?」

洵「ダメだ。君は普通の学生であって、ギャンブラーじゃない」

七「朝倉くん…」

七海は捨てられた仔犬のような目で洵を見ている。

洵「俺は君をあんな世界に巻き込みたくないんだ。君を危険にさらせたくない。分かってくれよ…」

七「はぁ、わかったわ。行くのはやめる。でも麗華さんの家で待ってていいでしょ?」

洵「まったく…。わかった、それなら麗華と一緒に待ってて」

七「うん!それとね…」

洵「何?!まだ何かあるの?!」

七「もう、露骨に嫌がらないでよ。こないだ私を助けてくれた時一緒にいた社長さん?あの方にまだお礼をしてないの。何かしたいんだけど、会わせてもらえないかなぁ?」

洵「なんだ、そんなことならいつでもいいよ。高城さんなら俺より春の方が仲が良いから今晩会った時にでも頼むといいよ」

七「本当?!良かった。朝倉くんには毎日会えるし、春樹さんにも会おうと思えばいつでも会えるけど、社長さんには会えないからどうしようかと思ってたの」

洵「そんなに気遣わなくていいのに。あの社長さんの趣味みたいなもんなんだから」

七「人助けが?」

洵「そ。本当に良い人なんだ」

七「そう…」

七海はこの世にはそんな人もいるんだと思った。


 その日の夜、緑川邸。

麗「あら!七海ちゃんも一緒なの?!」

七「すみません。私がどうしてもって、きかなかったんです」

麗「いいのよ、七海ちゃんならいつでも大歓迎よ」

洵「麗華というお友達の家で俺も一緒に明日までかかってレポートを仕上げるということになってる」

麗「OK。分かったわ」

麗華はクスッと笑った。

洵「春は?」

麗「まだだけど。どうしたの?」

洵「うん、三保さんがね…」

麗「?」

七「あの、先日助けていただいた時に一緒だった社長さんに、私お礼をしてなくて、ぜひお会いしてお礼をしたいんです。朝倉くんに言ったら自分より春樹さんの方が仲が良いというので」

麗「なんだぁ、そんなこと。それなら春樹を待たないで私でもいいわよ」

洵「麗華、いいのか?だってお前…」

麗「いいのよ。実は今日『BLUE MOON』に来るっていうの。高城さん」

洵「え?!」

七「え!それじゃあ…」

七海は懇願するような目で洵を見た。

洵「ダメだ!『BLUE MOON』には連れて行かない」

七「だって…」

麗「そうね。七海ちゃんは連れて行けないから、彼を呼び出しましょう。洵、ここに帰ってくる時一緒に連れてきて」

洵「わかった。でも春が一緒じゃないと」

麗「大丈夫よ。凌として連れて来るんだから」

洵「そういう訳にはいかないよ。春どうしたんだろう、今日は遅いな…」

洵がドアの方を見た時、ちょうどそこに春樹が入ってきた。

春「ごめん、遅くなった。あれ、七海ちゃんこんばんは。洵はまだ着替えてないのか?」

洵「うん、春、今日さ、高城さんを連れて来てもらってもいいかな。三保さんがこないだのお礼がしたいって」

春「ああ、俺はかまわないけど、麗華いいのか?」

麗「いつも言ってるじゃない。この家は半分はあなた達の物だって。自由に使ってくれてかまわないのよ」

七「すみません。私が言い出したことから…」

春「ああ、いいのいいの。七海ちゃんの気持ちは当然だし、気にしなくていいんだよ」

春樹は七海に笑顔で言った。

七「ありがとうございます」


 『CLUB BLUE MOON』。今夜も華やかな客たちが華やかにゲームを楽しんでいる。

桐「いらっしゃいませ、高城様」

受付の桐野大樹きりのだいきが常連の高城遥に頭を下げた。遥は会員証を桐野に見せながら言った。

遥「今夜は椿さんは?」

桐「まだお見えになっていませんが」

遥「そうか、私達の方が早かったようだ」

夏「ええ、そのようですね」

悠「椿さんは顔パスなんですか?」

夏「もちろんだ」

悠「はぁ」

凌「おい、そこの。突っ立ってないで早く入れ。邪魔だ」

悠磨の背後からいきなり声がした。悠磨は突然“そこの”“邪魔だ”と言われ、ムッとした。

悠「な、なんですか!あんたこそ後から来てその態度はないでしょう!」

夏「大谷!いいんだ」

悠「よくないですよ、こういうことはきちんとしておかないと!幼稚園で習ったでしょう!」

夏「いや、いいんだ!この人が椿さんだ」

悠「ええ――!!こ、これは知らなかったとはいえ、大変失礼いたしました!」

遥「やあ、椿さん。うちの若いのが失礼しました。まだ入ったばかりなもので」

凌「どおりで見かけない顔だと思った。ちゃんと覚えておけよ」

悠「はい!」

凌は悠磨を一瞥すると今度は桐野に向かって

凌「お前もな」

と言った。桐野はムカムカしながら答えた。

桐「ええ、おかげさまで、一度で覚えさせていただきました」

凌はニィッと笑って受付を通って行った。

店員「椿様、いらっしゃいませ。ごゆっくりどうぞ」

遥たち一行も店内に入っていった。その後ろ姿を見送りながら桐野はまだムカムカしている。

桐「なんなんですかね、あの人は!」

店員「まぁ、そうイラつくな。大事な常連客だ。それも大物の」

桐「クッソー!誰かあの人を負かせられる人はいないんですか!あの人が負けるところを見てみたい!!」

店員「それは難しいな。期待するな」

桐「………」

 店内の中心でゲームが始まった。ポーカーではやっぱり凌がめっぽう強い。

凌「おい、まだか?夜が明けちまう」

凌はゲームの対戦相手の目の前で手を組み、親指だけを前後に交差し始めた。

それを見た周りの人々はざわめき出し、大戦相手は慌て出した。

客1「ひえ~~!社長!早くして下さい。怒り始めてますよ!」

客2「わかってる!ええいこれでどうだ!」

凌「悩んでるからもっと良い手かと思ったのに。俺もみくびられたもんだな」

相手はキングとジャックのツーペア、凌はストレートフラッシュだった。

遥「さすがです」

遥は嬉しそうにニッコリ笑っている。それを見ても凌は無表情で涼しい顔をしている。

悠「本当だ、すごいな~。独り勝ちですね」

凌のゲームを初めて見た悠磨は目を丸くして驚いている。

夏「そうだろう」

夏生は何故か自分が勝ったかのように誇らしげに言った。

 凌は席を立つといつもの様に支配人の元に行き、小切手を渡した。

その様子を見てから春樹が遥に近づいていった。

春「高城さん、これからのご予定は?」

遥「特に何もないが」

春「それじゃちょっと一緒に付き合っていただけませんか」

遥「ああ、いいだろう」


 夜の緑川邸に2台の高級車が入って行った。

麗「おかえりなさ~い。高城さんお久しぶり。お待ちしてましたわ。どうぞ」

遥「麗華さん、またいちだんとお美しくなられたのでは?」

麗「まぁた、そんな本当のこと言われちゃ、ね、春樹」

春「どうして俺に振るの」

麗「ところで高城さん、奥で可愛らしいお嬢様がお待ちよ」

遥「可愛らしいお嬢様?」

麗華と遥が歩く後をついて、悠磨は緑川邸の中をキョロキョロしながら見入っている。

悠「すごいお邸ですね~。どちら様なんですか?」

夏「今の方が緑川グループ会長の一人娘麗華さんだ。それでここは緑川邸。緑川邸は椿さんも自由に出入りしている。まぁここが椿さんのアジトみたいなもんだな」

悠「アジト???」


 緑川邸の長い廊下を歩きながら遥は前を歩く麗華の背中に向かって声を掛けた。

遥「麗華さん、可愛らしいお嬢さんというのは?」

遥はここに連れてこられた意味が分からないまま緑川邸の長い長い廊下を歩いている。

麗「まぁ会えばわかるわよ。七海ちゃ~ん、高城さんがいらしたわよ~」

遥「え?七海ちゃん、って…」

麗華はちょうど着いたわ、という顔をしながら目の前にある部屋の大きなドアを開けながら七海を呼んだ。その声に七海が部屋の中から出てきた。

七「おかえりなさい、皆さん」

麗「さ、ほら入って高城さん」

遥「失礼します。あ、あなたは、七海さん…」

遥は突然のことにちょっとうろたえている。夏生はその名前を聞いて青くなった。

夏(七海さんだって?!)

七「先日はありがとうございました。一度ちゃんと会ってお礼がしたくて。本当に助かりました」

遥「七海さん。気になさらなくていいんですよ」

七「いえ、でもそれじゃ私の気持ちが。お礼に何か私にできることはないでしょうか」

遥「いえ、何もいりません。こうしてあなたが会ってお礼がしたかったという気持ちだけで充分です。私はあなたに会えただけで、嬉しいんですよ」

麗「また、カッコつけちゃって。洵が妬くわよ~。あら、洵は?」

春「着替えに行ってる」

麗「そう。それじゃ先にやってましょ」

春「やるって?」

麗「みんなお腹すいてない?七海ちゃんと私の二人でお料理したの~♪」

春「え!麗華が!?」

麗「だから七海ちゃんと二人でって言ったじゃない。失礼ね」

遥「七海さんの手料理が食べられるなんて夢のようです」

遥は心底嬉しそうだ。そんな様子の遥を見て麗華が何かに気付いた。

麗「ねえ、どうしたの高城さん。いつになく、明るいような気がするんだけど」

春「さぁ…??」

春樹はまったく気付いていない。そして夏生は頭を抱えてしまった。

夏「あぁ~、もうダメだ。社長が壊れていく…」

悠「近松さん、社長の…って、もしかしてあの人ですか?どうするんですか」

夏「こうなったらどうもならん」

そこに着替えた洵が戻ってきた。

洵「どうしたの、なんかあったの?」

麗「ああ良かった洵、これからね七海ちゃんと私で作ったお料理を食べましょうって話をしてたの」

洵「麗華が作ったぁ~!?」

麗「もう!どいつもこいつも失礼ね!七海ちゃんも一緒だから大丈夫よ!」

洵「あ~良かった。麗華の料理は食べられたもんじゃないからな。三保さんは上手いんだ」

麗「あら、どうしてそんなこと知ってるのよ」

洵「前に食べさせてもらったことあるんだ、ね、三保さん」

洵は七海の顔をちょっと覗き込みながらニッコリ笑った。

七「ええ、助けてもらった後お礼に」

七海はちょっと照れ臭そうに言った。その様子を見ながら悠磨がふと気付いた。

悠「そういえば椿さんはどこに行ったんですか?」

その問いに夏生が洵を見ながら答えた。

夏「彼が椿さんだ」

悠「どれ?」

夏「あれ」

悠「え、ええ―――!!!嘘でしょう?!」

夏「いや、本当だ。彼は本名を朝倉洵さんと言って本当は青蘭学院せいらんがくいん大学の学生なんだ。この緑川邸で椿凌に変身する」

悠磨はまったくの別人を目の前にして、開いた口がふさがらなくなった。

夏「椿さんは本当はあんな横柄な人じゃなくて、とっても良い学生さんなんだよ」

悠「その様ですね…」

悠磨はまだちょっと放心状態で洵を見ている。

七「あの、高城さん。本当に何もしなくていいんですか?私、なんだか心苦しく て」

遥「七海さんがそんなことを気にする必要なんてないんです。私は七海さんの笑顔が見られるだけで充分嬉しいんですから」

七「すみません。ありがとうございます」

その様子を少し遠くから見ていた麗華が夏生にこっそり聞いた。

麗「ねえ夏生くん。もしかして高城さんって、七海ちゃんのこと、好き?」

夏「あぁ~~」

麗華に図星を指されて夏生はとうとう印篭を突き付けられたような気分でがっくりとうなだれた。

麗「やっぱりね」

夏「わかりますか?」

麗「まぁ、見てれば大体ね。七海ちゃんは気づいてないようだけど」

夏「はぁ~、どうしたらいいんでしょう」

麗「心配はご無用よ」

夏「え?」

麗「高城さんには気の毒だけど、七海ちゃんには洵しか見えてないわ」

夏「本当ですか?!」

麗「本当よ。だって、彼女だけよ。椿凌が洵だって見破ったの。あなたは判らな かったでしょう?それだけ洵を想って見てるってことよ」

夏「そうだったんですか」

麗「しかも洵は自分を助けてくれた人よ。もちろん高城さんや春樹の力を借りてだけど、自ら自分を助けに来てくれた人だもの、七海ちゃんにとって洵は“白馬に乗った王子様”なのよ」

夏「なるほどね…」

麗「洵もね、口にはしないけど、七海ちゃんをとっても大切に想ってるわ。傍で見てて妬けちゃうくらい」

夏「そうでしたか。安心しました」

夏生はホッとして胸を撫で下ろした。

悠「どうしました?」

夏「大谷、社長は失恋だ」

悠「え?どうしてです?だって、今だってなんか良い感じに話してますよ」

夏「あれは、七海さんの社長に対する社交辞令だよ」

悠「じゃあ、七海さんにはもう…?」

夏「そ、あれだ」

春樹と洵が話しているところを親指で指した。

悠「ええ!?長日部さん!?」

夏生は悠磨の頭をパコーンとはたいた。

悠「え?違うんですか??」

夏「すみません、バカで。新入社員なんです」

麗「ああ!どおりで見かけない顔だと思ったの」

夏「遅くなりましたが、ほれ!自己紹介!」

悠「はい!今年の4月から、高城社長の旗の下、コスモコーポレーションでお世話になっております大谷悠磨と申します!よろしくお願いします!」

麗「元気の良いのが入ったわねぇ」

夏「ええ、バカで」

麗「緑川麗華よ、よろしくね」

麗華はニッコリ笑って挨拶した。

悠「はい!よろしくお願いします!」

麗「ねえ、悠磨くん。もうあの女には会った?」

悠「あの女といいますと?」

夏「茉莉菜お嬢様だ」

悠「ああ、会いました!」

麗「そう。これから大変ねぇ。負けずに頑張るのよ!私は応援してるわ!」

悠「(なんだかわかんないけど)ありがとうございます!」

麗華はやれやれといった風にその場を去った。

夏「いいか、麗華さんの前で茉莉菜お嬢様の話題は禁物だ。茉莉菜お嬢様の前でも麗華さんの話題は禁物だ。わかったな」

悠「はい、わかりました。でもどうしてです?」

夏「ふたりの間にはまぁ、色々とあるんだ。だから麗華さんはほとんどうちの会社には来ない。何か用がある時は電話か、伝言に春樹さんを使うくらいだ」

悠「長日部さんを伝達係に使うんですか…」

夏「でも麗華さんは優しい人だ。安心しろ」

悠「はぁ…」

夏「さて、明日もあることだし、社長!我々はそろそろおいとま致しましょう」

遥「え?もう帰るのか。君たちはどうするんだ?」

遥は春樹たちに聞いた。

春「俺たちはこのまま泊まっていくつもりですが」

遥「じゃあ私も泊まっていく」

夏「社長!何を言い出すんです。明日も仕事なんですよ」

遥「ここからまっすぐ行くよ」

夏「またそんなことを」

その様子を見ていた麗華がコソッと春樹を呼んだ。

麗「春樹、ちょっと…」

春「なんだって、高城さんが七海ちゃんを。それで帰りたくないなんて言ってるんだな。わかった。近松くん!ちょっと」

それを聞いた春樹は今度は夏生を呼んだ。

夏「はい?」

春「今、麗華から聞いた。俺が全部なんとかする。だから今日は君たちは帰っていいよ」

夏「長日部さん。本当ですか?すみません、助かります。俺たちじゃどうしようも出来なくて…。それじゃあ社長のことよろしくお願いします」

春「うん。気をつけて帰れよ」

夏生は春樹と麗華に会釈してから悠磨に言った。

夏「大谷、帰るぞ」

悠「え?社長はいいんですか」

夏「今は長日部さんに任せよう」



 夏生たちが帰った後、緑川邸の広い広いダイニングの大きな大きなダイニングテーブルの上には麗華と七海が作ったという料理がズラーッと所せましと並んでいる。それを残った人間たちで囲んでいた。

洵「どっちが何を作ったかすぐに分かるメニューだな」

春「ああ、はっきりと真っ二つに分かれている…」

テーブルに載った料理たちは、明らかに高級レストランに出てくるだろうと思われる物と、一般家庭の食卓の載るであろうと思われるメニューで分かれていた。

麗「ほらほら皆、遠慮しないでどんどん食べてね~♪」

洵「どんどんって言ってもなぁ、麗華今何時だと…」

麗「あら、私たちが丹精込めてあなたたちのために作ったお料理が食べられないとでも?」

洵「わかったよ…」

洵はちょっとうんざりした顔をしていたが、遥はこの状況を心底嬉しそうにしている。

春「麗華、ちょっと」

春樹は麗華を呼んだ。

麗「何?」

春「高城さんには申し訳ないけど洵を使うことにした。協力してくれ」

麗「わかったわ」

春樹の言葉で麗華が動いた。

麗「ねぇ洵、これこれ!七海ちゃんが洵のためにって作ったのよ、まさか食べない訳にはいかないわよね」

麗華はニヤリと笑った。

七「あの、朝倉くん、前に生姜焼きが好きって言ってたから作ってみたの。どうかな?」

七海は照れて頬をちょっと赤くしている。

洵「ええっ、覚えててくれたの?嬉しいな、そうなんだよ、俺生姜焼き大好きで さ」

洵は白いご飯と一緒に目の前にある生姜焼きを嬉しそうに食べ始めた。

洵「美味しい!三保さんやっぱり料理上手だね。これ明日のお昼お弁当にして持っていこうかな」

洵が言った言葉に麗華はすかさず乗っかった。

麗「そうね!それがいいわよ。今日は七海ちゃんもここに泊まっていくんだし、七海ちゃん、よかったら明日の朝お弁当作ってあげてくれる?」

洵「え、いやそれは悪い…痛ぇ!」

洵が言い掛けたところで麗華が洵の足をテーブルの下で思い切り蹴った。

麗「洵も朝は弱いでしょう~?カジノで疲れて帰ってきてる訳だし~」

麗華のちょっとわざとらしい言い方に春樹は呆れていた。

春「七海ちゃん、俺からもお願いするよ。こいつゲームであれだけ勝ってるのに、訳あって実はものすごい貧乏なんだ。ランチ代が浮かせられるし、洵も嬉しいよな」

洵「あ?うん、まぁね…」

なんだか様子のおかしい春樹と麗華に洵はちょっと訝しんだ目を向けながら返事をした。

七「朝倉くん、貧乏なの?」

洵「え!?あ、うん、まぁ、そうね…。春、余計なこと言わないでよ」

春「そうかな…」

春樹はニヤニヤ笑っている。

七「ううん!私、朝倉くんのためなら何でも手伝うわ!私でよければ毎日お弁当 作ってもいいし」

洵「いや!それはいくらなんでも…」

麗「高城さん、どう思います?洵はもうちょっと七海ちゃんに甘えてもいいと思いません?」

遥「え、ああ、そうですね。七海さんにとって洵は恩人なのだから…」

麗「そうですよね~。ほら、高城さんだってこう言ってるし!」

春「洵、少し素直になってもいいと思うが」

洵「それじゃあ、毎日はいらないけど、明日はお願いしようかな…」

洵は渋々頼んだ。

 麗華はともかく、普段こんなことを言わない春樹に洵は戸惑ったが、そんな洵を余所に七海は麗華に焚きつけられ、春樹にも焚きつけられたのをきっかけに洵を誘った。

七「ねぇ朝倉くん、よかったら家にも来て。そしたら他にも色々作れるし」

洵「ああ、うん、そうだね。ありがとう」

洵はちょっと引きつった笑顔を見せた。が、それを見ていた遥が春樹に聞いた。

遥「春樹、七海さんは…その、洵が好きなのか?」

春「ええ、見ての通りです。何かありましたか?」

遥「あ、いや。なんでもない」

春「ところで次の仕事なんですが…」

遥「ああ」

春樹は遥の気持ちを切り換えてあげようと話題を変えた。


 翌日の朝、まだ朝霧が晴れ切っていない時間に夏生は遥を迎えに来た。

夏「社長、お迎えに上がりました。さぁ、会社へ行きましょう」

遥「麗華さん、一晩の宿をありがとう。春樹またあとで。洵、七海さんを大切にな」

洵「?」

遥「七海さん、あなたに会えて良かった。洵とお幸せにね」

か「は、はい?」

状況が分かっていない洵と七海は何の話だか分からなかったがとりあえず返事をしておいた。

遥「近松、悪かったね気を遣わせて。さあ、行こう」

遥たちは車に乗り、コスモコーポレーションに向かった。

春樹と麗華はその車をちょっと複雑な気持ちで見送った。

麗「気の毒だったわね、高城さん」

春「ああ。でもこればっかりは。あちらには茉莉菜さんがいることだし」

麗「それなのよ!相手があんな女じゃなかったらこんなに気の毒になんて思わないわ!」

洵「どうしたんだよ、みんな。なんか昨夜から変なんだよな」

春樹が洵の肩をポンポンと2回叩いた。


-遥の車の車内-

 遥は窓の外の流れる景色をぼんやりと眺めながら、あっという間の想いに別れを告げていた。



-第3話 終-


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