第2話

 春樹の部屋に、3人の人間が顔を合わせていた。

麗「ひっど~~~い!私もその場にいたかったぁ。高坂って親子そろって気に入らなかったのよ。あの人達が負けた瞬間にいたかったぁ!どうして私を呼んでくれなかったのよぉ~~!」

リビングの3人掛けのソファの真ん中に座ってわめいているのはお嬢様の緑川麗華みどりかわれいかだ。

春「ごめん。時間がなかったんだ」

麗「む――」

心底悔しそうな顔をしている。

洵「ごめん。俺が独りで先走っちゃったから」

麗「あ~あ。そんな楽しいことがあったのに、私はそこにいなかった。他に楽しいことってないかしらぁ~。そうだ!ねぇ洵、その後その七海ちゃんとはどうなったのよ?」

麗華がちょっと乗り出して聞いてきた。

洵「どうって…?別に何もないけど」

麗「えー、どうしてぇ!?だって助けてあげたのに、ロマンスのひとつもないのぉ?」

洵「だって助けに行った時は“椿凌”で行ったんだよ?俺だってバレてたら大変じゃない」

麗「あ、そうか。んも~、何か楽しいことないかしら~」

春「楽しいことって言ったら、麗華、こんなところでこんなことしてていいのか?今夜麗華の好きなパーティがあるんだろう?」

麗「ああ、パーティね。以前は好きだったけど、今はどうでも」

春・洵「?」

麗「社交界にデビューしてからすぐの時は、みんなが私をちやほやしてくれて、みんなにダンスに誘われて、それは楽しかったわよ。でもね、それが私自身に向けられたものじゃなくて、私の父の財産が目当てだ、って分かってからは、どうでもよくなっちゃった。誰も私自身なんて見てくれてないのよ」

春・洵「麗華…」

麗「だから、財産とは関係なく付き合ってくれるあなたたちが大好きよ。じゃ、また来るわね~」

麗華は言うだけ言って部屋を出て行った。

洵「麗華、かわいそうだな」

春「そうだな。それで?人助けの好きな洵くんとしては今度は麗華がほっとけなくなったのか?」

洵「そりゃ、できればなんとかしてあげたいけど、俺たちには何もできないだろう。このまま友達でいてあげることくらいしかできないんだ」

春「洵は可愛いな。お前のそういうところが好きだよ」

洵「また茶化す!」

春「茶化してないよ。本当のことだ」

春樹は微笑んでいる。

洵「…」

春「洵」

洵「今度は何」

春「講義に遅れるんじゃないか?」

洵「あ!そうだった!」

慌てて出て行く洵。それを見て春樹はクスッと笑った。


-大学・教室内-

貴「また寝るなよ」

洵「寝ないよ」

貴「それより、こないだいきなりフケってどこに行ったんだ?毛利先生落ち込んでたぞ」

洵「え、ああ、あれは…」

洵が少し動揺していると、そこに七海が入ってきた。

七「いきなりフケったって、どうしたの?」

貴「いや、三保さんが休んだ日さ、こいつが、また毛利先生の授業中に、今度は寝てるんじゃなくて、いきなり血相変えて出て行っちゃったんだ。先生はとうとう出て行かれたって落ち込むし、俺にも理由は言わないし」

七「私が休んだ日…、血相変えて…」

七海が少し考えるようにしている。

洵「あ~ほら!ふたりとも先生来たぞ。お喋りはおしまいおしまい!」

七「…」


 毛利教授の授業が終わった。今日の毛利先生は気分がよさそうだった。そして教室を出た3人は構内を門に向かって歩いていた。

貴「今日は寝なかったな!」

貴士が満面の笑みで洵の背中を叩いた。

洵「そう毎日寝てられるかよ」

貴「今までは寝てたくせに」

洵(あんな話授業前にするんだもん、緊張して寝てられるか!)

洵はチラッと七海を見た。

 3人は門に着いた。

貴「じゃ、また明日な」

貴士の帰り道は、洵と七海とは反対方向だ。

洵「ああ、じゃあな」

貴士が反対の方へ行ってしまったので、洵と七海が残された。

七「ねぇ、朝倉くん、さっき羽田くんが言ってたことって…」

洵「え、なんの話?さぁ俺たちも帰ろう」

七「待って!朝倉くん、私ずっと考えてたの。あの風彦さん親子が大きい態度に出られないすごい人がどうして私のことを助けてくれたのか。ただ隣りの部屋でたまたま聞いてただけで、普通助けてなんてくれないでしょう?あそこでポーカーをやった人、朝倉くん、あなたよね?」

洵「なんの話してるの?俺そんなの知らないよ」

七「嘘、あれはあなただわ。朝倉くん、私の目はごまかされないわよ。あなた『椿凌』ね」

七海はズイズイと洵に迫ってきた。七海の目を見ていたら隠し切れないと観念した。

洵「―――。分かった。そう椿凌は俺だ。でも三保さん、これは絶対に誰にも言わないで。絶対に。学校に通えなくなるだけで終わらなくなるんだ」

七「正体が分かっちゃうとそんなに大変なの?」

洵「ああ。ギャンブラーで№1なんて響きはカッコ良いかもしれないけど、その分敵も多いんだ。しかもそのほとんどが悪いヤツばかりで」

七「そう。分かったわ、約束する!絶対に誰にも言わないわ。両親にも」

洵「ありがとう。貴士も知らないんだ」

七「え?あんなに仲が良いのに?」

洵「仲が良いからって話せることじゃないんだよ」

七「…」

洵「でもどうして分かったんだ?今まで誰にも分からなかったのに」

七「それは…、それは毎日教室で見てるから…」

洵「でもそれだけじゃ普通分からないでしょ?参ったなぁ。絶対に秘密だからね」

七「大丈夫!絶対に約束は守るから!でも、じゃあ昨日の人たちは知ってるの?」

洵「ああ、もちろん。俺のもうひとつの顔を知ってる人たちは、普通に学生してるだけじゃ絶対にお目にかかれない人たちばっかりだよ」

七「じゃあ、敵も大変な人たちばっかりだけど、味方も大変な人たちばっかりなのね」

洵「うん。そういうことになるね」

洵はちょっと笑って見せた。

七「そう」

洵「だから、三保さんは巻き込みたくないんだ。学生の時じゃない俺には関わらない方がいい」

七「朝倉くん…」

七海はちょっと複雑な思いだった。


 その日の帰り道、洵はまた春樹の部屋に直行した。

春「何!?七海ちゃんにバレた?!」

洵「うん」

春樹はうなだれた。

洵「でも、誰にも言わないって、両親にも言わないって約束してくれたよ」

春「当然だ。こんなことを彼女が知っていることがとんでもない奴にバレたら、彼女が危ないんだ」

そこに麗華が入ってきた。なんだか変な顔をしている。

春「麗華、どうした?何かあったのか?」

麗「私、狙われてる」

春「狙われてる?」

洵「また、お嬢さんぶっちゃって」

麗「本当なのよ。パーティで誰かに狙われてたの」

春「まぁ、麗華なら狙われてもおかしくないが。しかしなんだろう。今までそんなことなかったのに」

麗「それでね、また今週の金曜日の夜パーティがあるのよ。それには立場上ど~うしても出席しなきゃならないの。それで春樹と洵にボディガードとしてついてきてほしいんだけど」

春「ああ、それは全然かまわないけど、麗華の家でやるんじゃないのか?」

麗「来週は天宮財閥主催なの」

天宮とは“つばさ銀行”の経営者である。

春「天宮財閥か。でも確かあそこの主催だと婦人同伴じゃなきゃ入れなかったんじゃなかったか?」

麗「そうなのよ。どうしよう、女性がひとり足りないわね」

洵「俺も行った方がいいの?行かなくてもいいなら二人で入れるじゃない」

春「いや、洵には凌としていてほしい」

麗「私からもお願いするわ」

洵「じゃあ…、俺の秘密を知ってる女の子がひとり…」

麗「いるの?!」

春「まさか!」

洵「うん、でもやっぱりダメだ!彼女は巻き込みたくない」

麗「彼女って?」

春「七海ちゃんだ」

麗「七海ちゃんってあの七海ちゃん?」

春「そう、その七海ちゃん。バレてたんだ。彼女に」

洵「どうして分かっちゃったのか、わかんないんだけどね」

麗「えー!嘘!まだ気づいてないのー!?」

洵「え?何が?」

麗「そんなの洵が好きだからに決まってるじゃない!」

洵「ええ――!!そうなの?!」

麗「そうよ。ああ~、でもそっか。それじゃあ彼女は使いたくないわね。洵のお願いじゃ絶対断らないもの。大学の同級生ってだけで洵としても巻き込みたくない訳でしょ」

洵「ああ、もちろん」

麗「でも、他にいたかしら、『椿凌』の秘密を知ってる女性…」

洵「また高城さんにお願いできないかな」

春「無理だ。あの人は部下はたくさんいても女性には縁がなくてね。それより…、やっぱり七海ちゃんを使ったほうが良いと思うんだ」

麗「どうして?」

春「人間というのは人の秘密を知ると必然的に誰かに言いたくなるものだろう。でもその秘密を自分も共有すると、人は絶対に秘密にしておくものだ」

麗「つまり、七海ちゃんを仲間に引っ張り込んだほうが、『椿凌』の秘密が守れるってこと?」

春「そう。もちろん七海ちゃんを信用してない訳じゃない。でも万が一、何かの拍子に、ってこともあるかもしれないだろう。保険みたいなものさ。どうかな、洵」

洵「春がそう言うなら…。明日学校で三保さんに金曜日の予定聞いてみるよ」

春「うん。七海ちゃんに期待しよう」



 翌日、大学内。洵は授業が始まる前に廊下で七海を捕まえた。

洵「三保さん、ちょっといいかな」

七「どうしたの?改まって?」

洵「三保さん、今度の金曜日の夜予定空いてるかな?その、もし良ければ付き合ってほしいところがあるんだけど…」

七「ええ、今のところ予定は何もないけど。嬉しい!朝倉くんが誘ってくれるなんて」

洵「いや、それがそんなに楽しいところじゃないんだ。天宮財閥のパーティなんだけど…」

七「天宮財閥?!すごい、そんなところのパーティだなんて」

洵「うん。それで天宮財閥主催のパーティは女性同伴じゃなきゃ入れてもらえないんだ」

七「それに私が行ってもいいの?」

洵「うん。ただし、俺はそこには『椿凌』として行く。これがどういう意味だか分かるよね」

七「うん…」

七海は少し強張った顔をした。

洵「本当はこんな危険なこと君に頼んだりしたくないんだけど、俺の秘密を知ってる女性が君しかいないんだ。申し訳ないと思うけど、君を危険な目には俺が絶対に遭わせないから。約束する」

七「朝倉くん、いいわ。私なら大丈夫よ。でもそんなすごいパーティなのに着ていけるドレスなんて持ってないし…」

洵「ああ、それなら俺の友達がい~っぱい持ってるから大丈夫」

七「友達?」


 その週の金曜日、洵は七海を連れて緑川邸を訪れた。

七「す、すごい。ここがお友達の家?」

洵「ああ、そうだよ」

門から玄関まで歩いて5分ほどある緑川邸の石畳を、慣れた足取りで言いながら洵は、やたら大きな玄関のやたら大きなドアを、また慣れた手つきで開けた。すると、今か今かと待ち構えていた麗華が飛び出してきた。

麗「キャ~!待ってたわ、あなたが七海ちゃんね!本当可愛い!さぁ遠慮しないで入って入って」

七「あの…、朝倉くん…?」

七海は麗華の迫力に押され気味になりながら洵にこの人は誰?と目で訴えた。

その様子を麗華が見てすかさず言った。

麗「ちょっと洵、私のこと七海ちゃんに話してくれてないの!?まったくもう、気の利かない人ね。私は洵とはカジノの方での友達で、緑川麗華よ。もうあなたのこと3人で可愛い可愛いって、特にあの高城遥が褒めまくるんだもの、会えるのを楽しみにしてたのよ~。こんな形でだったけど、会えて嬉しいわ!」

七海は麗華の迫力に圧されている。

洵「三保さん、こいつこんなんだけど、ちゃんとここのお嬢様だし、とって食ったりしないから安心して」

麗「ちょっと洵、失礼ね!そんなことばっかり言ってたらあなたの恥ずかしい話、ぜ~んぶ七海ちゃんに話しちゃうから!」

洵「え!?俺の恥ずかしい話って何だよ!」

麗「あなたには教えないもんね~」

洵「はぁ、まったく元気だな。本当に狙われてるんだか」

その言葉を聞いて麗華は真剣な顔つきになって言った。

麗「本当よ。自分でなんとかできそうならこんなこと頼まないわ。しかも七海ちゃんまで巻き込んで」

洵「ごめん…」

麗「七海ちゃん、何があってもあなたに危険な目には絶対に私が遭わせないから!」

そこに後から来た春樹が現れた。

春「君の安全は俺が保障するよ。安心して」

七(この人たちって…)

七海は3人の自然な空気感を感じていた。

麗「さぁ、そうと決まれば七海ちゃんのドレス選びね。七海ちゃんにはどれがいいかしら。可愛いから何でも似合っちゃいそうね~。ああ、あなたたちも着替えておいてね~」

麗華は七海の手を引っ張って邸の2階に向かって行った。

春「まったく…。さぁーて、洵、俺たちも着替えておこう」

洵「うん」


 2階の麗華の部屋の中にはウォークインクローゼットという名の広い衣裳部屋があった。そもそも麗華の部屋のサイズが自室のサイズではない。小さ目のプールならそのまますっぽり入るほどの大きさの部屋に、続き部屋のドアが衣裳部屋のドアになっていた。その部屋の中で七海は見たこともないような美しく輝くドレスたちに囲まれていた。

麗「七海ちゃんにはどれがいいかしら。これもいいし、これも似合いそうね」

麗華は楽しそうに七海のドレス選びをしている。そんな麗華を見ながら七海はちょっと気になったことを聞いた。

七「あの、着替えておいてね、って、いいんですか、あのお二人をほっといて」

麗「ああ、いいのいいの。かって知ったる家だから。彼らの部屋は私よりも彼らの方がよく知ってるし」

七「え?彼らの部屋って、朝倉くんたちここにお部屋持ってるんですか?!」

麗「部屋って言っても衣裳部屋だけどね。でも持ってるわよ。『椿凌』はね、ここで作られてるのよ」

麗華はニッコリ笑った。

七「え?」

麗「凌の衣装は全部この家にあるの。だから洵はここで洵から凌になってカジノに行くってわけ。だから凌が何者か知りたくてカジノから凌を追ってこの家の前まで来ても出てくるのは洵であって凌ではないのよ。それで凌が何者か謎になってるの。ここまで追って来ても緑川邸に入られたんじゃ、向こうも容易に手出しはできないし。洵って凌になる時髪の色まで変えるでしょ?雰囲気も全然違うから『椿凌』を追ってきた人は洵を見ても誰も気づかないのよ」

七「髪の色も…。どっちが本当の朝倉くんなんですか」

麗「髪の色だけじゃなく、すべてあなたが知ってる方の洵が本当の洵よ」

七「…」

麗「七海ちゃん、洵が好きなんでしょ」

七「え?!どうして!」

麗「そりゃ分かるわよ。凌が洵だって見破ったって聞いてすぐ分かったわ。アイツらが鈍感なのよ。他のことに関しては鋭いくせに、ことこういうことになるとてんで役立たずなの。本当に鈍感で困っちゃうわよね」

七「麗華さん、あの中に誰か好きな人いるんですか?」

麗「え?私?いないわよ、そんなの。いないいない!」

七「本当ですかぁ?」

麗「あ~、そうね、たとえいたとしても洵ではないから安心してね」

七「もう、麗華さんてば!」

麗華と七海は楽しそうに二人で笑い合った。


 その頃、凌と春樹の衣装部屋、と言ってもそこは緑川邸、やっぱり規模が違う。廊下と部屋の間のドアは観音開き、そのドアを入ると約60畳くらいある洋室の真ん中に少し大きめの象嵌の円テーブルとそれを囲むように椅子が4脚置いてある。奥には約4メートルの天井まで届く鏡がはめ込まれたドレッサーがあり、左側にはソファセット、右の壁にはまた観音開きのドアがついている。それを開けると約20畳くらいのウォークインクローゼットになっていた。二人の衣装はここに全部収められている。

 準備を終えた春樹と洵は部屋の真ん中に置いてあるテーブルセットに座り、コーヒーを淹れて飲みながら待っていた。

洵「遅いなぁ、ふたり共」

春「女性の支度を急かしちゃいけないな」

洵「ほんっと、フェミニストなんだから」

春「お前もな」

するとそこにドレスアップした麗華が入ってきた。

麗「お待たせ~。さぁ、男性諸君、姫君のご登場よ!」

開いたドアから姿を現したのは麗華に負けず劣らずドレスアップした七海だった。

春「ほぉぉ~。これはこれは」

洵「…」

麗「素敵でしょう~!洵なんて見惚れちゃって、声も出ないみたいよ」

七「なんだか恥ずかしいです」

春「恥ずかしがることないじゃない。とっても素敵だよ」

七「ありがとうございます。でもこんな綺麗なドレスなんて着たことないから、なんかおこがましくて」

麗「あら、どうして?そんなに恐縮することないのよ。せっかく素敵な格好してるんだから、自信もってビシッとね!」

春「そうそう、『椿凌』と歩くんだから、おどおどしちゃダメだよ」

七「はっ、そうでした。私は今日は私じゃないんでした」

春「七海ちゃんも名前、変えた方がいいな」

麗「でも高坂親子が来てるかもしれないじゃない。面が割れてるわ」

春「大丈夫。あの親子は天宮財閥を出入りできないことになっている」

麗「あ、そっか。そういえばそうだったわね。あの品のなさと成り上がりが天宮に認められてなかったんだわ。それなら私の遠縁ってことにしておけばいいわ。名前はそうねぇ…橘彩乃」

七「“たちばなあやの”…素敵!」

春「OK。みんな口裏合わせろよ」

七「あの、椿凌さんて、そんなに恐れられてるんですか?」

麗「そうね、恐れられてるっていうより、敵にまわすと怖い人って感じかな。椿凌自身がっていうより椿凌のバックを敵にまわすと怖いって思われてる感じね。だから高坂親子は考えなしだったってことよ。普通ならあんな場面でも椿凌と勝負しようなんて考えないわ。しかもその場に高城遥もいたっていうのに。かなりのバカだわね」

春「まぁね。そういうことだよ、七海ちゃん」

七「はぁ。すごいのね、朝倉くん」

洵「そんなことないよ。俺はただ賭けをしてるだけだから」

麗「またカッコつけちゃって。さ、行きましょ。こんなところでこんなことしててもパーティには行かなくちゃならないんだから」


 緑川邸の黒塗りのリムジンは4人を乗せ、天宮邸へ向かう車の車内、春樹が運転をしながら口を開いた。

春「さて、最終確認をしよう、と言いたいところだが、今回の怖いところはターゲットが誰だか分からない。まったく心当たりはないのか、麗華?」

麗「ないから皆にお願いしたんじゃない。七海ちゃんまで引き込んで」

春「一体誰なんだ…」



 天宮邸に着いた4人は車を係の者に任せ、邸の中に入っていった。大広間に足を踏み入れると一斉に注目を浴びた。

婦人A「まぁ、ちょっとあれ見て、椿さんが知らないお嬢さんを連れてるわ」

婦人B「一体どこの誰かしら!」

彩「……」

凌「堂々としてるんだ。周りを気にしちゃダメだ」

彩「うん、分かったわ」

春「凌は№1の名を独り占めにしてるから女性には人気があるんだ」

麗「凌の時は見た目もカッコよく見えるしね」

彩「はぁ…」

 七海は凌の姿をしている洵と周りを見比べ、経験はおろか、見たこともない世界に圧倒されていた。

婦人C「あら麗華さん、お久しぶりですこと。今夜はお父様はいらっしゃらないの?」

一人の婦人が麗華に近づいてきた。

麗「ええ、父は海外出張に出ているものですから」

婦人C「そう。それより麗華さん、あの見慣れないお嬢さんはどなた?」

麗「彼女は私の遠縁にあたる者で橘彩乃と申します。たまたま家に遊びに来ていたものですから、椿さんのお相手をさせて頂いております」

婦C「そう、遠縁なの」

麗「彩乃、いらっしゃい。婦人、ご紹介します橘彩乃です」

彩「初めまして、橘彩乃と申します。お目にかかれて光栄です」

婦C「まぁ、まぁ、可愛らしいお嬢さんだこと。今度私の家にも遊びに来てちょうだいな。お茶会をしましょう」

彩「ありがとうございます。その折にはぜひ」

婦人Cはニコニコと機嫌良くその場を去った。

麗「すごい!あの婦人にお茶会に誘わせるなんて!七海ちゃん、演劇部にでも入ってたことある?」

彩「いいえ。すっごくドキドキしました!」

麗「これは天性のものね。すごいわ。私なんていつも嫌味言われたり、苛められるのよ」

そこにこの邸の主人、天宮誠あまみやまことが現れた。

誠「麗華さんいらっしゃい。貴女にお会いできるのを楽しみにしていたんですよ」

麗「誠さん、こんばんは。ご無沙汰してしまって申し訳ありませんでしたわ」

誠「いえいえ、今夜来て下さっただけで充分嬉しいですよ」

麗「お上手ね。ところで新頭取の…」

誠「ああ、利河りかわですか。すみません、今日は生憎欠席なんですよ。仕事でスイスに」

麗「そう、残念。先日のお披露目パーティの時には私が伺えなかったので、今日はお会いできるのを楽しみにしていたのに」

誠「また何かの機会がありますよ。貴女とはこれで終わりではありませんからね」

誠はニッコリ微笑んだ。


 彩乃はこの時、麗華と離れて一人でフロアを歩いていた。すると目の前に一人の男が現れた。

男A「お嬢さん、僕と1曲踊っていただけませんか?」

彩「え?私とですか?」

男A「はい」

男B「いえ、お嬢さん僕と」

男C「いえ、それより私と」

次から次へと別の男たちが七海のところへダンスのお誘いに来た。

 その様子を春樹と麗華と凌が少し離れたところから見ていた。

誠は麗華に挨拶を済ませると別のお客の方に挨拶に行ってしまった。

麗「彩乃、すっかり人気者ね」

春「たいしたものだ。でも今夜は遊びじゃない。目立つと困るな。凌、そろそろお前が行ってやらないと」

凌「ああ、行ってくる」

凌がぶっきら棒に返事をして彩乃の方に向かった。その後ろ姿を見ながら麗華が言った。

麗「ほんと、まだ慣れないのよね、あの洵と凌が同一人物だなんて。分かってても違う人に見えちゃう」


 凌が彩乃の傍に来て男Aに向かって言った。

凌「失礼、俺の連れなんだ」

男A「つ、椿さん!すみません、どうぞ!」

凌が現れた途端、彩乃に群がっていた男たちは方々に散っていった。

凌「彩乃、俺と1曲」

彩「はい、喜んで」

二人は手を取り、踊り始めた。

彩「嬉しいわ、朝倉くんに誘われるなんて」

凌「凌だ。遊びじゃない」

彩「あ、ごめんなさい……」

そう言ってちょっとうつむいている彩乃の後方に凌は知らない人物を見た。

凌「あそこに見慣れない奴が…」


 そして春樹と麗華も踊りながらフロアを注意深く見ていた。

春「あそこに見慣れない男がいる。正装はしているが、板についてないな」

麗「どういうこと?」

春「こういう世界の人間じゃないってことだ。麗華、このままターンするから心当たりがないか見てくれ。ちょうど真後ろの柱のところにいる男だ。こっちを見  てる」

麗「分かったわ」

踊りながらターンをした。春樹の肩越しに麗華は言われた柱のところにいる男を見た。

麗「あの男、先週の辰喜たつき邸のパーティにもいたわ。見かけたことのない顔だったんで珍しくて覚えてる」

春「そんなに出入りしてるのか。怪しいな、マークしておこう。麗華、俺たちから絶対に離れるなよ」

麗「うん、分かってる」

1曲終わって壁際に集合した。

春「凌、気づいたか?」

凌「ああ、あの柱の男だろ。春樹は麗華から離れないでくれ。俺はアイツから目を離さないでいる」

春「分かった。皆気をつけろよ」

凌「……」


 それから2時間ほど経っただろうか。しかし柱の男は何もしてこない。何事もなく時間は過ぎていった。

 春樹は自分の腕時計を見た。

春「麗華、だいたいの挨拶は終わったな?そろそろ行こうか。何もないうちに帰った方がいい」

麗「そうね、挨拶しなきゃならない人たちには皆挨拶したし。大丈夫よ」

春「それじゃ行こう。ふたりとも仕度して」

麗・彩「はい」


 4人は天宮邸の外に出た。

春「ここで待っててくれ。車をまわして来る」

春樹が車をまわしてきた。凌が車のドアを開けようと一歩前へ出、春樹の車に気を取られた瞬間、凌の後ろにいた麗華が背後から何者かに首を掴まれた。車内からそれを見ていた春樹が、

春「凌!後ろ!」

と叫びながら男が逃げようとした方向へそのまま車を前進させ、男の目の前に車で壁を作った。

男「チッ」

春樹の車のせいで前方を塞がれた男は麗華の首を掴まえたまま後ろを振り向くとそこに後から追ってきた凌がいた。

男「しまった!」

あっという間に凌に羽交い絞めにされ、隠し持っていたナイフも取り上げられた。

凌「この野郎、ナイフなんか持ちやがって!」

そこで跳ね除けられた麗華は道路に投げ出され、七海に助けられた。

七「麗華さん!大丈夫ですか!」

麗「七海ちゃん…」

春樹はすぐに警察に電話した。しばらくしてパトカーがやってきた。

警部「長日部さん!大丈夫でしたか!」

春「警部、すみませんこんな時間に」

警部「いえ、それよりお友達が襲われたと」

春「ええ、そうなんです。こちら緑川グループ会長のご令嬢で麗華さんです」

警部「ええ!?緑川のお嬢様が襲われたんですか!?お怪我は!」

麗「大丈夫です。頼もしいお友達に助けて頂きましたので」

警部「そうでしたか。長日部さんも大丈夫でしたか?怪我は」

春「僕も大丈夫です」

警部「こいつが犯人ですね」

春「ええ」

凌が取り押さえた男は後ろ手にされ、歩道に座り込んでいる。

警部は男を抑えている凌を見て春樹に聞いた。

警部「こちらは?」

春「僕の親しい友人です。彼が助けてくれたんですよ。僕ひとりの力では助けられなかった」

警部「そうでしたか。ありがとうございます。あなたも大丈夫ですか」

凌「ええ、なんとも…」

警部「それは良かった。それでは犯人を連行しますので、また後程ご連絡します。今日のところはお帰りください」

春「ありがとう。ご婦人たちを早くお帰ししたかったんです。それではまた改め て」

 その様子を見ていた七海がちょっと呆然とした表情をしながら驚嘆して言った。

七「すごい。春樹さん、刑事さんとも知り合いだなんて」

春「彼は刑事じゃなくて警部さんだ」

七「はぁ。すごいですね…」

春「さあ、家まで送っていこう」

すると、とたんに麗華が倒れこんだ。

春・凌「麗華!」

麗「ごめん。みんな無事なんだと思ったら急に力が抜けちゃって」

春「神経張り詰めてたんだろう。まったく」

春と凌に起こされて苦笑いをする麗華。その3人を見て、七海は思った。

七「ああ、やっぱりこの人たちってすごい…」


 大学内の穏やかな午後。

洵「七海ちゃん、こないだはありがとう。本当に助かったよ」

七「いいえ、こちらこそ。みんな無事だったし。それで、あの犯人のことは何か分かったの?」

洵「ああ、あれね、セレブなお嬢様好きの変質者だったんだ。麗華がちょうどヤツの理想にハマってたらしい。要するにストーカー」

七「怖い。麗華さん綺麗だから狙われちゃったのね。でも何にもなくて良かった」

洵「うん。本当に」

七「それとね、私、まだあのドレス返してないの。クリーニングに出そうと思ったんだけど、何か特別な所でしてるんだったら余計なことしちゃいけないし、とか思って…」

洵「ああ、あれは返さなくていいんだ」

七「え?」

洵「麗華が君にって。お古で悪いんだけどって言ってたよ」

七「そんな、いけないわ!あんなに高価なもの」

洵「受け取ってあげてよ。今回のお礼の意味もあるんだろうから。突っ返しちゃったらアイツ悲しむよ」

七「本当にいいの?」

洵「もちろん」

七「じゃあ、お言葉に甘えていただきます!嬉しい!あんな素敵なドレス」

洵「七海ちゃんが喜んでくれたら麗華も喜ぶよ」

七「ねぇ、朝倉くんは麗華さんのこと好きなの?」

洵「はぁ?!」

七「だって、麗華さんのこと呼び捨てだし、さっきも“アイツ”って…」

洵「まさか。アイツは他に好きな人がいるよ。俺じゃない」

七「え?朝倉くん知ってたの?」

洵「何が?」

七「麗華さんに好きな人がいること」

洵「ま、見てればだいたいね。俺と麗華は付き合いがちょっと長いだけ」

七「そうなんだ。なんだかおっかしい~」

洵「どうしたの?」

七「ううん。みんな自分のことには疎いだけなんだなって思って」

洵「なんの話?」

七「こっちの話」

洵「???」

洵は何だか分からない顔をし、七海はニコニコしている。

 天気が良くて、平和な大学内の昼下がりだった。


-第2話 終-

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