038-1  涙  tear

「誰かを助けるのに理由がいるかい? とか世間じゃよく言うけど、昔のこと思い出しちゃったからね。りおなが闇に飲まれてるのを見て、ああ、これは私だ。前の自分がいる。助けなきゃってね」


 りおなは黙ったまま聞いていると陽子は話を続ける。


「私んちってね小さい時からお父さんいなくってね、母ひとり子ひとりでつましくやってたんだけど、そのお母さんもある日いなくなっちゃって。

 んでちょっとずつだけど昨日のりおなみたいにね、どこも悪くないけど病気みたいになっちゃって。

 生きてるのか死んでるのかもわかんなくなっちゃってね。


 で、しばらく何にもしない状態が続いてて、ある日郵便受けに結構な額のお金と地図が入れてあって。

 少し変だなと思ったけど、何もしてないのにお金なんか受け取れないじゃない。

 怖かったけどお金返しに地図の住所行ったらおっきな廃墟の病院みたいな建物があって、中に入ったら色々おいてあった」


 言いながら陽子は湯船のそばに置いてあったグラスクリスタライザーを手に取り上にかざして見る。


「これもそうだけど、ソルとヒルンドもそこにいたの。

 ほらSFとかでよくあるじゃない、巨大な培養槽に実験動物とか入れられて特殊な液体に浸してあるやつ。

 あんな感じで仮死状態で入っててね、一回は帰ったんだけどその後であの子らを蘇生さしてね。


 で、その手紙には『君のお母さんは異世界で生きてる』みたいに書いてあって。私のこと騙すつもりならここまで大がかりなことするわけないじゃん? 

 ヒルンドもソルもそうだけど今の地球の科学力じゃまずできないだろうし。

 グラスクリスタライザーとかも、常温でガラスを生成するだけじゃなく私がイメージしたものがすぐできる。

 これって、発表したらどこの国でも欲しがるようなオーバーテクノロジーじゃない。

 なんで私にかっていうのは解んないけど、このままだらだら生きてったって仕方がないなって思って、んでトレジャーハンターやることになった」


 りおなは無言で話を聞いていた。自分にも思い当たる節があるからだ。

 気がつくとエムクマとはりこグマ、このはともみじは湯船から出てソルを鬼にして追いかけっこを始めていた。


「こらーー、まてーー!」

「にがさないぞーー!」


 ソルはあまり遠くに行かずにちょこまかと動いて周りを翻弄していた。遠くからはヒルンドの鳴き声が聞こえる。姿は見えないが近くを飛んでいるのが解った。


「まずはお宝じゃなくお母さん探しだけどね、これくれた人が手紙でひょっとしたら異世界に行ってるんじゃないかって。

 そこへお母さんが何で行ったかとかどうやって行ったか、全然わかんないけど探してみる価値はあるじゃない? 基本異世界だと年取んないから。


 ソルとヒルンドも、今の地球にはいない動物だけど一匹ずつだけじゃなくてきっとどこかに同じ種族がいるかもしれない。

 そう思って色々調べていくうちにどっかこことは違う異世界っていうことだけは解った。


 名前は『バイオスフィア・オメガ』、究極の地球って意味みたいだけど、どこかまでは解んない。別の銀河系の星か未来の地球か、そもそも行けるかどうかもわかんないけどね。

 まあ、納得いくまで探すけど。私が異世界旅してるのはそういう理由。

 で、りおなはこの世界で何したいの?」


 訊かれたりおなは息を呑む。急に自分の血液の流れが速く感じる。内面が静まりかえるのと同時に岩の間を流れる湯の音が大きく聞こえてきた。

 陽子はりおなをじっと見据えている。何か言いたかったがうまく言葉が出てこない。それでも聞かれたからには何か答えないと思って口を開く。


「りおなは――――」


「あっ、りおなさん! かちょうがきました!」


「おーい! かちょうさーん!」


 このはともみじが大きな声で課長を呼ぶ声が聞こえた。りおなが目線をそちらに向けると課長が手を拭ているのが遠くからでも見えた。


「そろそろ上がろっか、日も傾いてきたしね」

 陽子は伸びをしてつぶやく。


「みんな、迎えに来たわよ」

 課長が大きなタオルを全員に配る。湯船から上がったりおなはタオルを受けとり身体を拭きだした。


「りおなちゃん、疲れは取れた?」


「んー、だいぶ身体のコリとか重く感じるのは取れたわ。課長が迎えに来たってことはチーフがごはん作ってんの?」


「ええ、そうよ。このはちゃん、もみじちゃん温泉楽しかった?」


「うん!」


「とっても!」


「そう。おじいちゃんが『出張』から戻ってきたらお話ししましょうね」


「「はーい!」」

 このはともみじは元気よくテントに入っていく。


「おじいちゃんて?」

 陽子がりおなに尋ねる。


「あー、あの双子の子ぉらのおじいちゃんで部長やってる。ちょっと今出張しとる」

 りおなは陽子に近づき耳打ちする。

「今、ちょっと手違いで離れた場所にいるけど、あの子らにはそれ言わんといて、心配するさけ」


「ふーん、わかった」

 陽子はあまり深く追求せずテントの中に入った。




「配膳おわりました。ではりおなさん、いただきますの号令をかけてください」


「え? りおな? んじゃ、いただきまーす」


「いただきまーす」


 りおなが合掌するのに合わせて他の面々も両手を一礼して食べ始める。

 陽子が作ったすりガラス製の平らな足場の上に木製のテーブルと椅子を置いた。


 ――みんなして一つのテーブルで夕ごはん食べるのはなかなかいいにゃあ。

 家族でないけど一家だんだら・・・・みたいじゃわ。


 照明はテーブル中央に置かれた燭台の明かりだ。

 はりこグマもスプーンで夕食を食べるが、以前と比べて食べ物をあまりこぼさないようになっていた。


 メニューはイカスミリゾットにチキンのトマトリゾット。ブロッコリーとカボチャのサラダ、レンコンとピーマンの炒め物と豪勢ではないが手の込んだものが振る舞われる。


「んー、やっぱり大勢で星空の下で食べるご飯って美味しー。チーフさん料理上手だねー」


 陽子が夕食に舌鼓を打ちながらチーフに感想を言うとチーフが返す。


「鶏の胸肉は疲労回復の効果が高いですし、トマトは抗酸化効果が高いです。あと、副菜はビタミンCが多い野菜を中心に献立を考えました」


「ふーん、メニューってなにで調べてんの? ネット?」


「いえ、これです」

 言いながらチーフは携帯電話を操作してテーブルの上に漫画本を何冊か出現させた。


「私が参考にしているのはインターネットもありますが基本的にはこういう書籍ですね」


 漫画本を目の当たりにしたりおなと陽子は絶句する。そこには日本の料理漫画がいくつも置かれていた。


「……あんたいっつもこんなもん読んどうと?」

 りおなは食べる手を止め、漫画本をを一冊手に取る。往年の鉄人ロボットのように下顎が突き出たサラリーマンが主人公の漫画だ。


「……凄いね」

 陽子が手にしたのは左目に傷あとがある深夜限定で営業している食堂の店長の漫画だ。他にも岩手県の山村で若い女性が自給自足を営む漫画や、同性愛者の弁護士と理容師が同居している作品もある。


「やはりただレシピのみを追うのではなく、料理一つから展開されるエピソードやストーリー、果ては人生まで反映される、まさに文化の頂点のひとつですね」


「……ふーん、チーフさんこれ借りてもいい? ここしばらく漫画なんか読んでなかったからごはん食べ終わったら読みたい」


「ええ、遠慮なくどうぞ」


 陽子はページをパラパラとめくったあとまたサラダに手をつける。りおなはチーフの一面に妙に納得しながらリゾットを食べだした。




「じゃあ、ここからは自由時間にしましょう。就寝時間までは各々好きにしてください」


「んー、チーフさん。漫画読むからなんか明かりない?」


 陽子が食器を片付けだしたチーフに尋ねるとチーフがコーン型のお香を取り出した。


「何これ?」


「ホオズキホタルを呼ぶお香です。『調香師』パヒューマーのコビ・ルアクに調香してもらったものですね。

 火を点けると一本につき二時間ほど五匹くらいホタルを呼べます」


「へえ」

 陽子はチーフからお香五本とライターを受け取るとさっそく一本に火を点けた。

 柑橘系の甘い香りが漂うと、間もなく体形が丸い巨大な甲虫が飛んできてテーブルの周りでオレンジ色に輝きだした。

 陽子だけでなくクマたちや双子も歓声を上げる。


「うわー! すっごい明るーい! 光るとき身体が透けるんだねー!」


「うん、やっぱきれいじゃわ」


「あーやっぱりりおな見たことあるんだ」


「うん、最初見た時はダンジョンのなかやったけ、星空の下で見ると全然違うわ」


「へー、ダンジョンかー。行ってみたいけどがっかりするんでしょ?」


「んー、出てくるモンスター『スタグネイト』もそうじゃけど、やっぱし洞窟じゃからカビとか色んな匂いするのう。

 んで中はジメジメしてたりカビ臭いし、出てくるモンスターとかもゲームでやるのとだいぶ違ってソフビ人形とかカードやけん」


 りおなも料理漫画を読みながら返事をする。りおなが読んでいるのはぽっちゃりしたOLが楽しく自炊して料理を食べている漫画だ。


「やっぱりそうか、そんな興味本位で行くようなもんじゃないか」


「うん、なんちゅってもモンスターが『落胆した者スタグネイト』じゃけ、かなりがっかりする。

 んでもここの世界の〈冒険者〉は一生懸命やっつけるけど。

 んでソーイングレイピアで『心の光』を吹き込むと、その服とか装備品は『ウェアラブル・イクイップ』っていう装備になって、性能が上がったり装備したひとのLvが速く上がったり、戦利品の質が良くなったりするみたい。

 みんながいた開拓村で、荒れ地を開墾するのに効率がいいって言っとった」


 りおなは説明しながらなんとなく居心地の悪さを感じていた。

 陽子もりおなの目を見て話はきちんと聞いてはいるが、普段のような大げさな反応はしない。


 エムクマとはりこグマ、このはともみじもりおなに倣って絵本を読んでいるがそのうちあくびをしてゆっくりと舟を漕ぎだした。

 りおながチーフと部長に目くばせすると、二人は部長の孫たちを抱きかかえキャンピングカーに運ぶ。

「今、八時半くらいですから、十時にはここを出発しましょう。あまり部長を待たすわけにはいきませんから深夜には『ノービスタウン』に戻らないと」


 チーフの提案にりおなと陽子はうなずく。


「んじゃ、ちょっと散歩行って来るわ」

 りおなは携帯用の香炉とトランスフォンを持って大きく伸びをし岩山を上がりだした。


 陽子はそのあと少し漫画を読んでいたが一つ息をしてりおなとは別の方に歩き出した。


「あら、陽子ちゃん。散歩?」


「うん、そんな遠出しないから、すぐ戻って来る」

 念のためにとグラスクリスタライザーと、携帯用の香炉を持って岩山を登りだす。




 陽子は岩棚を足早に歩いた。目的など特にない、ただやさぐれた気分を紛らわすように歩を進める。


 ――また、やっちゃった。

 せっかく楽しい気分で温泉に浸かっていたのに、年下の女の子にわざわざ不幸自慢した挙句に相手にやりたいことはあるかなんて聞いちゃった。


 『お母さんを探す』なんて聞こえはいいけど言い換えればただの現実逃避かもね。

 クリスタライザーとかヒルンドにソルだけでなくって、お金まで提供してくれた相手が私のことだますわけない、というのがそもそも間違ってるのかもしれない。


 例えば信じられないくらいのお金持ちで超テクノロジーを持った誰かが、私の素性を調べ上げたうえで『母親がどこかにいる』なんてエサをちらつかせて私が右往左往してるのをモルモットみたいに観察してるのかも。


 むしろ母親が生きているよりそちらの方がリアリティーがあるんじゃないか、そんなことを考えるのも一度や二度ではない。


 旅の途中で異世界に関わる特殊な道具を与えられた少女と何人か出会って、異世界にもいくつか出向いたが調べれば調べるほど当初の目的から遠のく気すらしてきた。

 そこに来てこの世界Rudiblium Capsa。そこはおもちゃが転生して牧歌的な生活を営む世界。

 陽子が旅した世界の中でも、群を抜いて暖かいものに満ち溢れている世界だった。


「嫉妬、か……」


 ――自分でも自分の感情が何かよくわかってた。でも一回でも、出た自分の言葉はもう戻らないんだよね。


 相手は悪意の渦がら解放されてすぐだったのだ。もっと言葉は慎重に選ぶべきだった。

 陽子にとってりおなが過ぎるくらい恵まれていたというのは確かだ。

 荒廃しゆく世界をぬいぐるみを創って再興させていく、確実に実績がわかる上に周りから感謝もされる。

 母親を探すという自分の目的と比べればはるかに有意義だ。

 そもそも比べる事自体意味が無いのは陽子も分かっていた。だが羨望や嫉妬から吐き出される言葉は止められなかった。


 今の陽子に利害や方向で対立、敵対するものはいない。却っていてくれと願う時すらある。

 そもそも自分が何らかの形で危機に陥った時、誰かがあんなに真摯に献身的に自分を援けてくれるものか? 答えはNoだろう。


 今しがた自分が放った言葉が年下の少女の心に波紋を与えたのと同様に、陽子自身の心も波立っていた。

 否応なく母親と最後に交わした会話がフラッシュバックする。

 ――あの時も心無いせりふを吐いちゃった。


 あの時とりおなに尋ねた時が二重写しのように思い出される。


 お香の煙が消え、ホオズキホタルも陽子の元を離れていった。

 星空だけの明かりで急に足元が覚束なくなり段差でつまづいた。転ばずには済んだが自己嫌悪で表情が曇る。


 ――ソル? いつもはついてきてくれるのに、おなかいっぱいなのか。ついてきてないね。


 陽子が夜のとばりの下言いようもない疎外感と孤独をかみしめていると後ろから足音が聞こえてきた。



「誰? りおな? チーフさん?」

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