038-2

「誰? りおな? チーフさん?」


「私よ、驚かせちゃった? 陽子ちゃん」


 課長は陽子に近づく。星空の明かりの下でその巨体は陽子にとってひときわ大きく見えた。


「なんか用?」


「そうね、女の子の独り歩きは危険だし、護衛も兼ねて付き添い。と、言うのは建前で本当のところは『ノービスタウン』の住人を連れて来てくれたお礼。

 まだ正式に言ってなかったと思って。あなたの助けが無かったらりおなちゃんはもちろん、富樫君持両腕だけじゃ済まなかったと思うわ」


「いや、いーよー。お礼ならりおなにしてもらったし、ラーメンとかリゾットとかごちそうになったし。

 それより、石造りの街のひとたちはどうしたの?」


「ノービスタウンのひとたちなら、私がポータブルシェルターに入れて帰したわ。もっとも全員じゃなくて十にんくらいは開拓村に残ったけど」


「そう、ならよかった」


「助けてもらってから聞くのもなんだけど、あの時どうしてりおなちゃんを助けてくれたの? 恩人に理由聞くなんて失礼なのかもしれないけど、ちょっと気になったからね」


 陽子は言葉に詰まる。答えても構わないがそこは自分の一番弱い部分につながるところだ。できることなら答えたくない。

 陽子が黙ったままでいると課長が言葉をつなぐ。


「言いたくなかったら別にいいわ。でもあなたにも大事な人がいた・・んでしょ? それで自分の事より躍起になった。違ったらごめんなさい」


 その言葉で陽子自身がせき止めていた何かが溢れ出してきた。声を出そうとすると唇が細かく震えだす。


「なん……で?」声が上ずっているのが陽子自身よく解った。


 身長190cm程の課長は厚い胸を張って陽子に告げる。


「私は見た目はこんな感じだけどれっきとしたぬいぐるみよ。

 ぬいぐるみっていうのは、女の子に泣いていい場所を提供するために存在するんだから。

 いつでもは無理でも自分一人でため込まないで。泣きたいとき泣かないとそのうち壊れちゃうわよ」


 その言葉が合図だった。陽子は課長に抱き付き嗚咽する。

 無明の闇を歩くような心細い気持ちを常に味わってきた。涙が心の氾濫を表すようにとめどもなく流れ落ちる。

 星空の下、課長は陽子の肩を抱きながら彼女の涙が止むのを黙って見守っていた。





 りおなは岩山の高台に登って腰を下ろしていた。

 遠くには『ノービスタウン』の明かりが見える。目を閉じて意識を集中させると住人たちの楽しげな団らんの声が聞こえてくるようだ。

 目を開けて上を見上げると今にも降ってきそうな満天の星空がある。


 りおなは胸に手を当てて自分の様子を確認する。

 Rudiblium Capsaの社長、伊澤に受けた攻撃、『縛られた棺』チェインド・コフィンにより心に深い闇を強引に注ぎ込まれた。

 それから、チーフたちの献身的な儀式により、なんとか闇からは解放された。


 だからといって今の状態が前と同じとはとても言い難い。今まで小川のような意識、心の流れに強引に汚物の混じった濁流を注ぎ込まれた気分だった。

 今、その濁流が消え去ったあと、空虚さがりおなの心の大部分を占めている。


 ――りおな、自分で何がしたいかよく解らんくなったわ。


 陽子に指摘されることでよりはっきりしたが本当は気付いていた。自分はしたいことがあってこの世界に来たわけではないと。

 ただ、チーフや部長、課長に頼まれてRudibliumに来ている。確かにぬいぐるみやウェアラブル・イクイップを作っていくのは心身共に疲労するが、充実しているのもまた確かだ。

 

 ヴァイスフィギュアを倒すのも時代劇の主人公のような勧善懲悪を気取りたいわけではなく、目の前の理不尽な暴力をまき散らす存在が不快だから、それくらいの理由でしかない。

 ――ヴァイスフィギュアのエネルギー源は『悪意』じゃろ。人間なら生きてたらみんなが出してるもんやけ。

 もちろんりおなだって持ってるわけやし。


 悪用する側に非があるのは間違いないが、誰しもが持っているものと敵対していくという事実は強大で、それに対抗する自分の心は目の前に見える街の灯火のようにか細いものだ。

 りおなはまとまらない思考を続けながら、眼前の風景を何とはなしに眺めていた。


 りおなに近づいてくるぬいぐるみの気配があった。オレンジ色でおなかにMの形のアップリケがついているクマのぬいぐるみだ。


 りおな。


「エムクマ、どうしたと? はりこグマは一緒じゃなかと?」


 はりこグマはつかれてねちゃった。


 エムクマはりおなの隣に腰かける。手にはバスケットを持っていた。


 きれいだね。


 エムクマはノービスタウンの明かりを見てつぶやく。街のともしびはゆっくりと消えていった。街が休息を迎えたのだ。りおなとエムクマはその様子を黙って見ていた。


 りおな、ぐあい、だいじょうぶ?


 何も心配ない。と答えようとしたが、自分が創ったぬいぐるみに余計な気遣いは無駄だと気付く。


「んー、なんじゃろ。洪水に巻き込まれて何とか助かった感じ? だいぶ疲れたわ」


 今でも思い返すと、自分の中に悪意の奔流に巻き込まれていたのが思い出されて身震いする。


 すごくこわかったね。おおぜいの人がいっせいにさけんでるみたいだった。


 りおなはエムクマの顔を覗き込む。オレンジ色のクマはノービスタウンを見つめたままだ。

 ――ああ、そうか、そうじゃよな。


 とりおなは思う。りおなを通じて闇の浸食を受けたのだ。ましてやクマたちは創られて間もないし、人間社会のことにも明るくない。闇に対する恐怖はりおな以上だったろう。


 いろんな人がこっちに手をのばしてるみたいだった。おなかへった。さむい。なんでじぶんのことすきになってくれないの? 

 おかねがほしい。あいつがにくい。だれもたすけてくれない。すごくさみしい。

 たすけてくれ。ゆるしてくれ。わかってくれ。そんなこえでいっぱいだった。

 でも、りおなはちがう。ソーイングレイピアをもってるだけじゃない、こころのひかりをもっててみんなにわけてくれた。


 りおなは膝を抱えて頭を下げてエムクマの話を黙って聞いていた。

 涙の雫が岩に落ちる。ぽたぽたと零れるのが自分でもよく解った。それと同時に胸が暖かいもので満たされる。


 これ、かちょうにおそわってはりこグマとつくったんだ。いっしょにたべよう。


 エムクマがバスケットから取り出したのはミルクパンで作ったカステラとはちのすワッフルだった。


 はりこグマがぬいぐるみつくってりおなにあげてたでしょ。

 エムクマもりおなになにかあげたいなって。


 りおなはバスケットに入れてあったナイフでカステラを切り分けエムクマと一緒に食べた。

 初めて食べたはずなのに懐かしい味がする。りおなが記憶を辿っているとエムクマが話を続ける。


 このカステラ、りおなが小さいころよんだえほんにあったのとおなじだよ。


 驚いたりおなはエムクマを見る。そんなことまで話した覚えはない。

「なんで知っとうと? チーフか課長から聞いたと?」


 エムクマは首を横に振る。


 ううん、でもわかるんだ。あかとあおのふくとぼうしのオレンジいろののねずみのおはなしでしょ。りおなからもらったこころのひかりでしったんだ。

 チーフからきいたんだ。こころのひかりはただのイメージじゃない、たのしいおもいでとかつよいきもちとかがいっぱいつまったきれいなものだって。


 あくいとかやみとかにそまっちゃうと、こころのひかりもきえておもいでもわすれちゃうって。

 りおながやみにとじこめられてたとき、みんなもくるしかったんだ。


 でもおもったんだ、りおながもとのすがたにもどしていってるヴァイスフィギュアたちも、あんないやなきもちを入れられて、くるしんであばれてるんだな、ってかんがえると、こっちもむねがぎゅうってしめつけられるみたいなんだ。

 だから……その……うまくいえないけど……


 エムクマは言葉が見つからず下を向いている。

 りおなはエムクマの頭をなでてから、はちみつがかかったワッフルを口に運んだ。

 カステラと同じくらい久しぶりに食べたような気すらしてくる。


 ――最後に縫浜ぬいはま市で食べたんはいつだったっけ。


 そこで公園で牛乳をあげていた白い母猫と六匹の子猫を思い出す。

 チーフから聞いたのは部長と知り合いのおばあちゃんが里親を引き受けてくれた。それを聞いた時は不安は消え去っていた。


「そうじゃ、部長助け出さにゃいかんけんね。りおなが日本に帰るのも大事じゃけんど、まずはこのはちゃんともみじちゃんが待ってるけ、『出張』から帰らさんと」


 りおなははちのすワッフルの残りを半分に分け、一方をエムクマに渡した。

 はちのすワッフルを味わいながら考える。


 ――今やりたいことは、あの伊澤を止めることじゃ。それに日本に無事帰ること。

 思考ををまとめるとりおなは立ち上がった。


「エムクマ、ごちそうさま。じゃけんど飲み物は?」

 聞かれたオレンジ色のクマは首をかしげる。


 あーー、わすれちゃった。


「うん、じゃホットミルク、チーフに沸かしてもらおう。んで部長助けに行こう」




 エムクマと手をつないで車に戻る途中、陽子に会った。

「んー? 夜中にデート? いいねえ」


「うん、夜食おごってもらった。絵本に出てくるカステラとはちのすワッフル」


「えーー、いいなあ。クマちゃん私にはないの?」


 うん、つくりおきがあるからたべて。


「やったー! ちょうど小腹空いてたんだー」


 りおなと陽子はエムクマと手をつないで森の中を戻る。


「さっき課長さんから聞いたんだけど、部長さんがさらわれちゃったんだって? で、部長さんがいないとりおなは日本に帰れない」


「うん。ここも悪くはないけんど、やっぱりマグナでハンバーガー食べたり、デパ地下でお菓子買ったりしたいわ」


「私の場合は、ヒルンドが時速120km以上出した時に次元航行装置を使うとデジョンクラックを通して異世界へ行ったり来たりできるんだけど……二人乗り以上はやったことないからねえ」


 陽子が申し訳なさそうに言う。

「んや、やっぱし部長助けに行かんと。双子の子らに出張じゃってウソ言い続けるのもいけんし。部長にはそれらしくロングドレス着て待っててもらうわ」


「おお! いいねえ。で、部長さんてどんなヒトなの? かっこいい?」


「んー、顔は双子と同じでヨークシャーテリアじゃけど、腹は出てる。んで加齢臭もぼちぼち」


「マジで? ぬいぐるみなのに?」


「マジで」


「それは見てみたいわー。んじゃ、私はトレジャーハンターは一時休業、ライフセーバーに転職します。

 部長さん助けるまでりおな達に付き合うわ。報酬はご飯おごってくれればいいから」


 急な申し出にりおなは少したじろぐがすぐにうなずく。

「うん、あと部長は粉もん得意じゃけ、助けたらお好み焼きパーティーでも開いてもらおう」


「おお! それいいねえー。ああそうだ」

 陽子は不意に足を止めりおなを見る。

「さっきも聞いたけど、りおなはこの世界で何したい?」


「まず、一回帰ってから。何したいかはそん時自然に出てくると思うわ」

 りおなも陽子の目を見てはっきり答える。陽子は少し何か考えている風だったが一つうなずきを返す。


「うん、それがいいと思う。この世界じゃ逆ハーレムとかはムリめみたいだし」


「え!? そんな世界あんの?」

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