037-3

「んじゃ、出発しよっか」


「んー、お願いします」

 陽子の掛け声にりおなは控えめに返事をする。

 服装はりおなは日焼けを心配してブラウスとジーンズ。

 陽子は普段の黒いエナメルのようなミニスカートのワンピースではなく、黒いTシャツにダメージジーンズといたってラフな格好だ。

 陽子は危なっかしい手つきでジープのキーを回し、エンジンをかけた。


「んじゃ、出発進行!」エンジンがかかると陽子はレノン風のサングラスをかけ宣言する。


「んや、その前にシートベルト閉めんと」

 りおなは自分とひざの上に乗せたはりこグマに、きっちりシートベルトをしたあと陽子にやんわりツッコむ。

 

 数時間前、冷やしラーメンともやしときゅうりの和風サラダ、デザートに水ようかんとチーズケーキのムースを堪能した。

 コンテナ内でひと眠りしたりおなと陽子、エムクマとはりこグマは起きてから火山地帯にある温泉に行こうと話がまとまる。


 りおなは開拓民のぬいぐるみを創るつもりでいたが、チーフと課長に今日一日は休息を取ってほしいと言われる。

 手持ちぶさたになった時陽子から『ドライブでもどう?』と誘われジープに乗ることになった。


 温泉の場所に関しては、チーフの元同僚のRudibliumの本社営業担当(外回りして調査を行う役職らしい)に尋ねてあった。

 開拓村からほど近い東北東に100kmほどの海に近い火山地帯にあると教えてもらう。


 運転手役は最初はチーフが買って出たが、陽子が『普通免許なら持ってるから』ということで彼女に任せることにしたのだが――――


「大丈夫だって! 大船に乗ったつもりで任せてよ」

 陽子はシートベルトを閉めながら断言するが、りおなの顔は渋い。


 かろうじて

「乗ってんのはジープじゃけどね」

 という言葉をツッコミではなくただまぜっかえすだけだと思って飲み込む。

 日差しは初夏を思わせる陽気で赤土が見渡す限り広がっている。ジープにほろが付いているのがせめてもの救いだった。


「えーと、アクセルが右で、真ん中がブレーキ。んで左がクラッチペダル、と……」

 とつぶやく陽子に何とも言えない戦慄を覚えたりおなは、シートベルトが固定されているか今一度確認した。




「……りおな? 口数減ったけど大丈夫?」

 陽子が心配そうに声をかけてくるがりおなはそれどころではない。


「――酔った……」

 と一言だけ返すが当の陽子は

「ふーん、乗り物弱いんだー」

 と他人事のようにつぶやき運転を続ける。


「ヒドイとは思うちょったけんど、ここまでヒドイとは思わんかった」

 りおなはチーフの申し出を断った陽子を恨めしく思い心の中でつぶやく。


 意気揚々と出発したまではよかったが、延々5分ほどギアをローに入れたまま進んでいた。

 そしてトップギアに入れて急にアクセルを目いっぱいか踏んだかと思えば、地球では見たことのない謎生物や巨大アリがみちを横切っているのを発見して、そのつど群れの200m先で急ブレーキを踏んだりしていた。

 それからトランスフォンに表示されている地図でナビをしようとりおなが下を向いた途端、急ハンドルを切ってみたりと、かなり難があるドライブテクニックだった。

 ――とにかく同乗者に優しくないドライバーじゃな。

 とりおなは内心いきどおるが、口には出さない。


 獣道のような道路はところどころ海沿いの崖にほど近くなっていて、りおなは肝を冷やした。

 最初のうちはクマたちやこのはともみじもはしゃいでいた。

 だが、今は何も言わずに前に大きなリュックを抱えてぐったりしている。

 ソルもお菓子には手を付けず、少しでも気を紛らわそうとドアに前脚をかけ遠くを見ている。

 運転している陽子本人は車中の惨状には注意がいかないのか

「よーし、調子出てきたー!」

 などと能天気に語っている。

 りおな達を乗せたジープは見渡す限りの赤土の大地から低い木や草原が目立つようになっていた。


「まあ、交通事故なんてそうそう起こらんじゃろ」

 とりおなが横を向いたまさにその時だった。

 陽子が急ハンドルを切り右前輪が大きなくぼみにはまってしまった。

 衝撃を受けるりおなたちの前を、シカに似た謎生物の群れが我関せずといった感じで草をみながら横切っていく。


「大丈夫? みんな」全員の無事を確認した陽子はドアを開け車の現状を確認する。

「ありゃあ、壊れてはないけど前輪はまっちゃったー。どーしよー、ごめんね」

 陽子は両手を合わせて皆に詫びを入れる。


「んや、ケガとかはないけんいいけど、どうしよ、バーサーカーに変身して持ち上げよっか」


 りおなたちがあれこれ思案していると、後ろの方から車のエンジン音が聞こえてきた。




「もう、尾行とかしなくっていいのにーー」

 陽子は少しむくれるが、りおなは正直なところほっとしていた。

 ジープの前輪がはまって頓挫しているところにチーフがハイエースで追いかけて来てくれた。

 ジープを携帯電話で収納した後、エムクマとはりこグマ、このはともみじを車に乗せた。

 りおなは少し陽子に悪いなとは思いつつも、チーフのハイエースに乗り込みトランスフォンの機能を使ってお菓子バケツを出現させる。

 するとタイヨウフェネックのソルが大喜びしてハイエースに駆け込む。

 陽子は少しためらったが、結局チーフが運転する車に乗り込んだ。


「いえ、私ではなくイルカのヒルンドさんが知らせてくれました」


「ヒルンドが?」


「ええ、陽子さんたちが出発して間もなくため池から飛び出して誰に教わるでもなく追いかけていったみたいですね。

 途中で見失ったようで一旦開拓村まで引き返してきたんですが、どうも私に追いかけてほしかったようで、結構鼻先でつつかれました」


 ジープに乗っている時は気付かなかったが遠くから聞きなれた「ケルルルルルルルルル」という鳴き声が聞こえる。

 ――どうやら近くを飛んでるらしいにゃ。主人想いのイルカで助かったわ。


「もー、留守番しといてって言ったのにー」陽子はぼやく。

 ――んでも、結果的に自損事故とはならんでも窪みにはまってたからヒルンドの心配は当たっとったわ。


 りおなはジープに乗っている時よりリラックスしてお菓子を口に運んだ。




「うっわーーぁ! いーいとこだねーー、ここー!」


 陽子がオーバーアクション気味に歓声を上げる。

 りおなも大きく伸びをしながらあくびをした。

 ――今さっきの運転でだいぶ酔ったわ、あーーーー、しんど。

 目頭めがしらにたまった涙を拭ってから辺りを見回した。


 ごつごつした岩山の所々から煙が上がり、硫黄のにおいが鼻をつく。辺りの川からも水蒸気が立ち込めて、傾斜の緩い階段のようになった岩肌の裂け目の間をお湯がちょろちょろと流れている。


「ここらでキャンプを張りましょう。食事の準備は私と課長がしますから皆さんは入れそうな温泉を探して来て下さい。

 こちらの地質や水質は事前に調査済みです。有害な水やスタグネイトの巣窟は無いはずですが念のためトランスフォンは持って行ってください」


「わかったーー」

 りおながトランスフォンを掲げるとエムクマとはりこグマ、このはともみじも後に続く。

 ――まずは団体行動してくれるんは助かるにゃーー。


「えーと、『すたぐねいと』って何?」

 陽子が歩きながらりおなに尋ねる。腰にはホルスターに提げた『グラスクリスタライザー』を着けている。


「んー、詳しくは解らんけど地球のおもちゃの『がっかり感』がこの世界の地下にやってきてモンスターになる感じ。

 地上のひとらは冒険者になって、自分らがああならんことを感謝しながらやっつけて素材とか回収するっていうのが流れ。

 りおなも一回潜って戦ったけんど、精神的に疲れた」


 りおなは陽子にここ何日かで体験したことを陽子に話す。

 その話題はいつしかスイーツに関することになっていた。


「まあ、いろいろあるけどごはんとかスイーツやらがおいしいのは救いじゃね。スイーツは課長が担当しとるけ」


「え? 課長さんてあのおっきいヒト?」


「うん、『気は優しくて力持ち』を地で行く感じ。特にスイーツ作りに関しては命かけとるわ」


「ぬいぐるみなのに?」


「ぬいぐるみじゃからこそ、じゃと思うわ。まあ、見た目覆面レスラーみたいじゃけど」


「確かにね」りおなと陽子は少し笑いあった。




「ここいらでいいんじゃない?」

 やがて一行は開けた岩場を発見した。陽子が室内プール程の大きさにお湯が貯まっている場所に目をつけた。

 しゃがみこんでお湯に手をつけちゃぷちゃぷとかき混ぜる。

「うん、湯加減もちょうどいいしここに入ろっか」


「わあ! すごいです! わたしたち、おんせんなんてはじめて!」


「ねー、すっごくあったかーい!」

 陽子を真似てこのはともみじ、エムクマとはりこグマもお湯に手を浸けて温度を確認する。


「んー、いいけどここに入ると?」

 りおなは辺りを見回す。

 ――周りは岩ばっかしで他から丸見えじゃなあ。


「えー、入るよー。何? りおな恥ずかしいの?」

 陽子は何故か少し嬉しそうにりおなに尋ねる。


「んー、ちょっと見晴らし良すぎるかなって。コンテナかなんか置いて更衣室作らんと」


 りおながトランスフォンを操作すると陽子が手で制する。


「こんな時はこれ、グラスクリスタライザーです!」


 ホルスターから薔薇の意匠が施された水晶のついた柄を取り出した陽子は、水晶部分を眉間に当てる。そのあとグラスクリスタライザーを岩棚に向かって振りだした。

 瞬時にごつごつした岩が平らにならされ、一五畳ほどの大きさのすりガラスの床と半透明の吊り天井と壁が生成された。

 見た目はサーカスのテントを縮めたようにも見える。

 陽子はさらにグラスクリスタライザーを振り続け温泉の周りにすりガラス製の間仕切りを作る。

「こんなもんでどう?」

 陽子が誇らしげに皆に告げるとぬいぐるみたちは惜しみない拍手を送る。そのあとはしゃぎながらテントに入った。


「うわー! すごーい!」


「まほうみたーい!」

 このはともみじはテントの天井を見上げながら歓声を上げる。陽子は嬉しそうに胸を張った。


「んじゃ、晩ごはん前に軽く入ろっか」

 テントの中でいきなりTシャツをたくし上げた陽子を今度はりおなが手で制し、ビニール袋に入った真っ赤なビキニを渡した。




「もー、裸の付き合いを満喫したかったのにー」


 赤いビキニを着けた陽子が文句を言いながらも天然の湯船に浸かる。


「まーそう言わんと、子供らが水着用意してもらっとるけ、こっちが合わさんと」

 紺色のワンピースタイプの水着を着たりおなが答える。このはともみじは部長が買ったという緑と赤のお揃いの水着を着て泳いでいた。


「まあ、いいけど。ところでこの水着はどうしたの?」


「温泉行くってなったら課長が用意してくれたけ、一応は顔立てんと。『女の子は表で必要以上にお肌を出しちゃダメ』って言われたけ」


「そう言われたら仕方ないかー」

 陽子は言いながら空を見上げる。空は晴れ渡っていて日は傾きかけている。エムクマとはりこグマはお湯の中で泳いでいるソルと一緒に遊んでいた。

 りおなと陽子はしばらく無言でお湯に浸かるがやがて陽子がりおなに話しかける。


「体調はどう? どこか変わったとことか無い?」


言われたりおなは胸に手を当て少し考える。


「んー、なんか風邪引いて熱出て、そのあと熱下がった直後くらい。普段と違うけど良くも悪くも無いって感じ。

 『ノービスタウン』のひとたち連れて来てもらったり色々助けてもらったけど、なんでそこまでしてくれると?」


 尋ねられた陽子は遠い目をしてしばし考えている。

 エムクマとはりこグマ、このはやもみじはソルと一緒に湯船の中で追いかけっこを始める。その様子を眺めながら陽子は重い口を開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る