005-3

 りおなはマグナに行く前にコンビニでトイレを借り、トランスフォンの機能で私服に着替えた。


 ――チーフの話じゃとと服を着替えるとき着てる服やら持ち物なんかは、データ化されてトランスフォンに取り込められるっちゅう話じゃったな。

 制服は脱がんでも着替えられるんは助かるわ。


 チーフが用意してあった服は何種類かあったが無難にTシャツにジーンズ、ネコ耳仕様のニット帽にする。

 トイレの個室の中が少し光り、りおなは瞬時に着替えを済ませた。


「便利は便利だけど、なんか落ち着かないっちゃ」

 りおなが洗面台の鏡の前で自分のコーディネイトを確認していると、チーフが麻袋の中からそれに答える。


「トランスフォンは日常生活でも使える機能がまだまだたくさんあります。ぜひ有効に使ってください」


 ――りおなとしてはその便利さが怖いにゃあ。使い過ぎて感覚がマヒするやもしれん。


「料金チャージができるカードが使えるところでは、トランスフォンの電子マネーが使えます。ここのコンビニでも何か買われてはいかがですか?」


 ――チーフは気軽に勧めてくるけんど、それも考えものじゃな。

 『お金は使いすぎると癖になる』ちゅうのんをりおなは子供のころからおばあちゃんに聞いて育ってきたけん。


 それをチーフに話すと「解りました、では必要な時だと思った時だけお使い下さい」と、あっさり引き下がる。


 コンビニをそのまま出るのをためらわれたので、りおなは小さめのチョコ菓子と棒つきキャンディーをレジに持っていき自分の財布で精算した。


 お目当てのマグナに着いてから入り口前の広告に目を通すと『新メニューはちのすワッフル登場!』と大きく謳ってある。

 店員さんにどういうものか聞いてみると、全粉粒の小麦粉やふすまを多く使った素朴でヘルシーな女性向けの新製品、ということだった。


 ――なるほど、普通のワッフルとは違うにゃあ。

 四角形の……格子状? でなくて名前のとおりくぼみが蜂の巣みたいに六角形になっとるわ。

 ハチミツ入れてある容器が小さな壺っていうのもいい感じじゃし。


 りおなは、はちのすワッフル二枚セットとコーヒーをテイクアウトで注文した。 だが、支払う時には少々腰が引けた。チーフはメールで電子マネーを使っていいと書いていたが本当に使えるのか半信半疑だった。

 若い女性店員の顔色を窺いながら、トランスフォンをカードリーダーに押し付ける。

 見慣れないデザインの携帯電話を見た店員は一瞬怪訝そうな顔をしたが、普通に精算できるのをレジで確認した。

 焼き立てのワッフルやコーヒーのカップを袋に詰め、挨拶とともに笑顔でりおなに手渡す。


 ナイロン袋を受け取って店の外に出てから、りおなはトランスフォンの残高を確認してみると、確かに減ってはいるが、それにしても凄まじい金額だ。


 ――電子マネー限定っていっても、使い方次第だと国一個変えられるくらいあるっちゃ。


 りおなは首を小さく左右に振り、トランスフォンのジーンズのポケットにしまった。



 いつもの公園で『猫牛乳』をする。りおなが自分の指定席にしているベンチに近づいただけで白い母猫が茂みの中から現れ、程なくして6匹の愛らしい仔猫も次々にやってくる。

 プラスチック製の皿に牛乳を注ぐと車座になって飲み始めた。

 その様子を見ながらりおなはベンチに座ったまま大きく伸びをする。


 ――あーー、さっきまでバトルしてたんがウソみたいじゃ。

 心も身体もほぐれるし、やっぱし猫たちが牛乳飲んでるの見るのんはりおな専用の癒やしの場じゃ。

 りおな専用のパワースポットが確保できるんじゃったら、牛乳代なんかは微々たるもんじゃね。


 りおながストレッチをしながら思う存分『猫成分補給』を楽しんでいると、チーフがバッグから這い出し「りおなさん」と声をかけてきた。


 りおなは小さく驚き「アンタ、人に見られると目立つけ、中に入っとって」と手で制する。


「大丈夫ですよ、今私は自分に認識阻害をかけています」


「言ってもあんた、りおなには見えとるっちゃ」


「すでに私を強く認識している場合は効果がありませんが、道行く人たちには効果が発揮されています。それに」と、チーフはトランスフォンを指さす。

「普段のりおなさんでもトランスフォンを使えば認識阻害の効果が得られます」


 チーフ曰くトランスフォンの点線で描かれた人型のアイコンが認識阻害の効果を生むアプリのようなものらしい。

 りおなが早速試してみると低いモーターのような音が響きだす。


「これでりおなさんも周りに気付かれにくくなりました。

 ですが、存在そのものが消えたわけではないので大きな物音を立てたりすると、やはり気づかれます」


「わかった、気をつける」

 りおなは言いながら紙袋を開いた。

 中からはちのすワッフルを取り出し、小袋に入ったハチミツを上からかける。

 そのあと、小さく割った欠片をチーフに渡してから一口頬張る。ワッフルの香ばしさととハチミツの甘さが口いっぱいに広がる。


 チーフもりおなに倣いワッフルを食べる。


 ――りおなはもう見慣れたけんど、ミニチュアダックスの頭にスーツ姿の人形がベンチ座ってワッフルを食べてるんは、けっこうシュールじゃのう。


 しばらくの間、二人とも無言でワッフルを食べる。


 コーヒーを飲んで一息ついたりおなはチーフにもコーヒーを渡し話の口火を切る。


「あのヴァイスフィギュアっていうのあちこちにるん? 授業中とか来られたら迷惑やけんど」


 りおなが一人でいる時なら戦って倒せば済む話だが、例えば家族や友達があんな怪物に襲われでもしたら―――考えたくもない。


「現時点ではその心配はありません」

 チーフは受け取ったコーヒーを自分に合うサイズに調整しながらそう返す。


「今、人間界に来ているヴァイスフィギュアの狙いはトランスフォンのようですし、人間に擬態する能力を持つタイプは数が少なく、作るとしてもコストが高いです。

 それに人間形態からヴァイス本来の姿に変わる際少なくないエネルギーを消費します。そのため戦闘能力自体は言うほど高くはありません」


 ――あれでもそんなに強い方でもないんけ? 先が思いやられるのう。


「わざわざ人間界に遣わせてりおなさんと戦わせたのは、トランスフォンの回収が第一だったのでしょう。

 そうでなければ、挑発、もしくは相手の宣戦布告、それからソーイングレイピアのデータ収集、そんなところですかね」


「わざわざって事は、そのヴァイスなんちゃらはそんなにその、ルディブリ……」


「Rudiblium Capsaです。

 そこではこちらでは物質、物体に過ぎないおもちゃが命、心、魂を持ち、人間や動物のように活動しています」

 チーフは少し胸を張って語る。


「じゃあ、なんであのフィギュアは動けるん? その世界から来るとこっちでもフィギュアも動けるようになるん?」


「いえ、普通に来ても動けないでしょう。それについては一回説明しましたが、おさらいも兼ねてもう一度説明します」


 りおなはそれを受けて「はい、お願いします」と頭を下げる。


「りおなさんが持っている元ヴァイスの人形、それと同じ状態のままです。人間界で活動するためにはいくつか条件をクリアする必要があります。

 まず、『素体』の作成ですね、これは現段階ではRudibliumで作られていないとこちらでは活動できないはずです。

 次に移送ですね。今回私が使ったルート、手順でこちらに来ています」


「そのあんたが来た方法ってどうやるん?」りおなが質問を重ねるとチーフは手を挙げて制する。


「はい、順に説明していきます。まず、ヴァイスフィギュアの移送方法ですが、次元の裂け目、デジョンクラックを使っています」


「デジョン、クラック……」りおなは思わず復唱する。


「はい、Rudiblium側から故意に時空を傷付け、裂け目を作って稼働しているヴァイスフィギュアをこちら側に送り込みます。

 ですが、この裂け目は我々にとって不幸中の幸いですが、一時的にしか発生させられません。ことわりが違う世界がつながるというのは本来ありえない事なのです」


「うん」


「ですが、我々と対立する面々はその理を壊し人間より上位に立とうとしています。それを阻止するには、我々だけでは力不足です。

 なので、改めてお願いします」

 チーフはベンチの上で立ち上がりりおなに向かって頭を深々と下げる。

「りおなさんとソーイングレイピアの力が必要です。是非とも私たちの国、それ以上にこの世界を守ってください」


「……うん、わかった」


 ――りおなとしてもおもちゃの世界が荒廃して、それと連動して人間界が荒んでいくのは耐えられんけんのう。

 第一、自覚もないままぬいぐるみのこと可愛がれんちゅうのはたちが悪すぎるし。


「チーフ、頭上げて」


 言われるままにチーフは頭を上げりおなを見る。小さな目が薄暗くなってきた公園の中で磨き上げたヘマタイトのような光を宿す。


「わかった。ま、どーなるかわからんけどできる範囲でやるけん」


「ありがとうございます」再び頭を下げるチーフに対してりおなは「但し」と条件を出す。


「ひとつだけいいじゃろか」


「なんでしょう、私にできることならなんなりと」


「べんきょう、教えて」

 りおなは小さな人形に手を合わせる。

「変身アイドルやってて成績下がったらりおなにとって世界滅亡と同じくらい恐ろしいことになるけん、そんなことになったら担任の優ちゃん先生に何言われるかわからんけん。それに」と、りおなは付け加える。


「昨日、英語の授業でりおなが当てられたとき、ノートに答え書いてくれたのあんたじゃろ」


 チーフは少し間があったあと、「ああ、はい」と、思い出したように返事をする。

「少し差し出がましいと思いましたが、あの女性教師の方からはかなりの攻撃する意思を感じました」


「まあ、家庭教師役お願いします。あんた用の人形の家出すけん」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 チーフは右手を差し出す。スーツの先から出ている手は顔と同じくミニチュアダックスの手だ。


「こちらこそ、これからよろしく」


 りおなはチーフの手を人差し指と親指で挟み軽く振る。

 夕焼けが一人の少女とひとりのぬいぐるみをオレンジ色に照らす。猫の家族は牛乳を飲み終え思い思いにくつろいでいる。




 今ここにぬいぐるみやおもちゃの世界を救うための小さな小さなパーティーが正式に誕生した。

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