005-2

 その光の中に消えていくフィッシュマンを背にし、りおなはリザードマンと対峙する。

 それまでの感情の宿らない瞳とは違い、明らかな敵意をりおなに浴びせてくる。

 りおなはその視線に怯むことなく相手を見据える。


 ――なんぼ注入されとる『悪意』がりおなに向けられたもんでなくても、こっちを攻撃してくるのは間違いないけん、遠慮はせんからな!


 先に仕掛けてきたのはリザードマンだった。

 両のこぶしを絶え間なく撃ち込み、弾幕を張るようにして容易に反撃されないように攻めたてる。

 りおなは左右にステップして拳の連打を避けていくが、全てはかわしきれない。 二割程度はレイピアで受けざるを得ないし、軌道を逸らした拳の弾道は容赦なくりおなの肩や肘をかすめていく。


 ――一対一でも相手のがこっちよりがたいもでかいしパワーもある。でも全部が向こうに有利じゃないからにゃあ。


 ――相手にとっての長所は、こちらの動き次第で容易たやすく短所に成り下がります。

 チェスを指す時のように冷静に敵の動きを読み勝ち筋を見出してください。


 りおな、チェスなんか触ったこともないけん。


 チーフからの助言に心の中で反論しながら、それでも勝ち筋になりそうな契機を敵の動きから読み取ろうとする。

 変身した時のゴーグルを通して見るりおなの視界は、プロボクサーのそれを遥かに上回る情報をりおな自身に提供していた。

 敵の移動の軌跡、攻撃を繰り出す際の体重移動、打撃の軌道、攻撃後の微かな隙と、集中して見据えると全てが手に取るように把握できた。


 ――そんでもわかるだけで、全部の攻撃をガードできるわけやないからにゃあ。

 

 意識を相手の腕に集中して見ると、攻撃を繰り出す際、相手の拳が青く染まり、こちらめがけてストレートを放ってくると拳がオレンジ色を経て赤く染まる。

 それを目印に回避して攻撃のチャンスを窺う。


 左ジャブの連打をステップで回避した後、りおなに対して振り下ろしてくるような右ストレート、これはさっきと同じ流れだ。

 一手順前、りおなはレイピアで受けたが、今度は意を決し右腕の下をかいくぐり相手の懐に飛び込む。


 自らの腕が死角になり、リザードマンは一瞬りおなを見失う。

 その機を逃さず、相手の左足のつま先にレイピアを突き立て、コンクリートの床に足を縫い付ける。

 返す刀で、今度はリザードマンの右腕にレイピアを刺し、足と同じように腕と床とを縫い付け糸で固定する。


 機動力と必殺の一撃を同時に封じられたリザードマンは糸を解こうと必死にもがくが、直接縫い付けられた糸は容易には切れない。

 それでも自由に動く左腕でりおなを追撃するが、片足を封じられた今の状態では威力は半減する。


 がら空きになった脇腹めがけレイピアを一気に振り抜く。剣針の軌跡が白銀色の弓張り月を描いた。

 残された最後の力を振り絞るように、獣のような咆哮を上げながらリザードマンは力尽きた。

 消え去る前、虚空に舞い上がるオレンジ色の光がゴーグル越しでもりおなの目に強く残った。



「お疲れ様です、見事な勝利でした」

 チーフがネコ耳フードの中から声をかけてきた。


それを合図にりおなは大きく息を吐き、肩を落とす。


 ――勝てたのはもちろんよかったけど、こっからすぐ離れんと。誰か駆けつけてくるかもしれん。

 

 二体のヴァイスフィギュアを倒した所には、先ほどまで戦っていたのと同じデザインのトカゲと魚のモチーフの怪人じみた人形が落ちていた。

 個人的には特に欲しいとも思わなかったが、後で役立つ場合があるというチーフの意見に従い、おとなしく二体とも拾い上げる。


「さて、帰るか」

 りおながその場で変身を解除しようとすると、チーフが止めに入った。


「りおなさん、今変身を解除して普通に屋上のドアから下りると大変なことになります」


「なんで?」


「ソーイングフェンサーの装備に備わっている認識阻害ですが、有効範囲はそう広くありません。

 特に聴覚、音に関してはそれほど強く働きかけられないです。

 屋上で衝撃音や獣のような声が何度も鳴り響いたので、誰かが心配して確認に上がってくるかもしれません。

 ともすれば警察機関などに通報されている場合もあり得ます」


「じゃあ、どうすっと?」


「バッグなど荷物を全部持った上で人気ひとけの無い所を探してソーイングレイピアで降りましょう。

 そのあと物陰に隠れるなどして変身を解除してください」


「わかった、じゃけんど……」


「なんですか?」


「屋上のコンクリ、あちこち刺しちゃったけんど、器物損壊とかで訴えられるんじゃなかろか?」


「心配いりません。レイピアで布以外の物質に少々の傷をつけても時間がたてば自動的に修復されます」


「そうなの?」


「ただし、りおなさんが斬ろう、と思って斬った場合はその限りではありません」


 りおなとチーフがあれこれと話しているうち、階下に通じるドアの向こうから足音が聞こえてきた。

 誰かがドアを開けるのより一瞬早くりおなは屋上の鉄柵に飛び乗り、そのまま飛び降りた。

 すぐさまさっきと同じ要領で校舎の壁にレイピアの剣針を突き刺し、糸をゆっくりと出しながら壁を後方に歩くようにして、そろそろと降りる。


 足が地面に着いたところで剣針をつかに戻し、周囲を確認する。

 校舎の裏手には、こちらを注視する者は誰もいない。それでも念のため用具入れのプレハブの陰に隠れ、変身を解除する。


 何食わぬ顔で物陰から出て、りおなは屋上を見上げる。上の方で何か話し声が聞こえたが、気にしても仕方がない。


 ――ありゃ、くつ上履きのままじゃった。履き替えんと。

 

 校門に向かい下駄箱から靴を取り出し、ローファーに履き替えた。上履きを両手に持って靴底の土ぼこりを払って下駄箱に戻す。


 大きく伸びをしてから、りおなは自分が小腹がすいているのに気が付いた。

 自前の携帯電話で時刻を確認すると4時25分だった。夕飯にはまだだいぶ早い。

 コンビニにでも寄ろうかと思っていたら、トランスフォンに着信が来たので開いてみるとチーフからのメールだった。


【りおなさん、お疲れさまです。体力の回復のためにマグナバーガーに寄りませんか? 少々なら、予算の都合がつきます】


 校門を出ながらりおなは独り言のように麻袋に入ったチーフに尋ねる。


「あんた、日本のお金持っとうと?」

 問いかけて何秒かすると、またトランスフォンにメールが届いたので開いてみる。


【電子マネー限定になりますが、トランスフォンにいくばくか入っています。

 このメールを閉じてからガマ口のデザインのアイコンを選択して下さい。自動引き落としの形で支払いができます】


 メールの通り、ガマ口型のアイコンを開いてみると……りおなは自分の目を疑い、トランスフォンを開いたまま胸にあてた。動悸が急激に激しくなる。


「ど……どういうこと? これ」

 りおなは声を潜めて麻袋の中のチーフに声をかける。

 改めてトランスフォンに表示された金額を、人差し指で一けたずつ数えていくと0の数が信じられないほど並んでいる。

 そうこうしているうちに、またチーフからメールが来た。


【ご心配なく、ちゃんとした日本円で、ハッキングなどのデータ改竄かいざんなどで得たお金ではありません。

 ただ、資金の出どころは出資者の意向によりお教えできないですが】


 ――ほんとじゃろか、ここ二、三日の短い間で信じられんことばっかりじゃけど、この金額はムチャすぎるじゃろ。

 『お金持ちでニューゲーム』やないんやから。

 

 りおなは恐る恐るトランスフォンをバッグにしまう。心持ち肩をすくめて小走りでマグナローダーズバーガーに向かった。



 この時のりおなには知る由もなかったが、りおなが立ち去ったあとの中学校ではちょっとした騒ぎが起こっていた。

 屋上で異様な物音がするので物見高い生徒が何人か様子を見に行ったが、ドアを開けて辺りを見回しても、もぬけの殻で誰もいない状態であった。


 グラウンドで部活動をしていた生徒の中には「屋上で怪しげな声や音がした」、「校舎の壁を女が走っていた」、「屋上からオレンジ色の光が立ち昇っていた」などの現象を噂しあっていくうちに、様々な憶測や誇張が混じりあい、二日もしないうちに学校の七不思議として新たに加えられることになった。


 それから、りおなが屋上に行った際にいた男子生徒はチーフの読み通りに隠れて屋上で煙草を吸っていた。

 りおなとヴァイスフィギュアが臨戦態勢に入った時に恐怖や罪悪感でその場から逃げだした。


 だが灰皿代わりに使っていた空き缶をりおなの担任優子先生に見咎められ「学校で吸うんなら誰にもバレないように吸え!」などと一方的で教師にあるまじき理不尽な叱責を受けた。


 続けて、「この後用事があるからお互い見なかった事にしましょう。もし、誰かに言った場合は……解るわよね?」という威嚇と脅迫を含めた笑顔を向けられ、喫煙自体は不問に処された。



 彼はこの一件以降、煙草には手を出さなくなった、というより見るのも嫌になった。というのは全くの余談になる。

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