002-2

 ――何が起こったと?


 剣の刃の部分がオレンジ色に光ったかと思うと、ベンチに置かれたカエルのぬいぐるみめがけて剣針けんしんが撃ち出された。

 反動で体が後ろにのけぞる。


 と同時に剣針の光がぬいぐるみに移った。

 それから、剣針がまた柄の部分に撃ち出された時と同じ速度で戻ってきた。

 剣そのものが鈍くビィィィィンと鳴っている。


「えっ!? うそ……じゃろ!?」


 ベンチの上であおむけになったカエルのぬいぐるみがむくっと上体を起こした。


 首元のほつれは、何も無かったようにふさがっている。

 それから両手を上げて大きく伸びをした。


「え!? あのカエル生きてんの!?」


 ぬいぐるみは辺りの景色を興味深そうに見回す。

 すぐにりおなを見つけて、深々とおじぎをしてきた。

 それが済むと満足げに後ろに倒れこむ。また動かない状態に戻った。


 それと同時に握りしめていた剣がバシュッという、コンプレッサーから空気が出るような音を立てて消えた。




 辺りは陽も落ちかけ、公園の中には静寂が広がる。

 りおなは目を大きく見開きベンチの上に立っているぬいぐるみ、チーフを見つめている。


「今のって、いったい……」


「今のがソーイングレイピアの能力です。

 その剣で縫い付けられたぬいぐるみは命、心、魂を吹き込まれ動くことができます。

 まあ、簡単に言うとミシンを剣にしたものですね」


「えらいことをさらっと言うね」


「もっとも、今の場合は変身していない状態で縫合しましたから、それほど動かなかったみたいですね」


「あんた自身はなんで動けるん?

 それから業務用って何? 持ち主がりおなってあんたの目的は何じゃの?」


「まあ、落ち着いて下さい。今は当座、必要なことだけかいつまんで説明します。

 最初に私自身のことですが業務用ぬいぐるみというのはレイピアの力が無くても、人間とほぼ同等の活動ができるぬいぐるみです」


「ふぅん」

 りおなはふと思い立って、バッグを開けて赤い厚紙の包みを取り出す。さっき買ったハンバーガーセットのフライドポテトだ。


「まあ、何もありませんが、これを」


「あ、どうもいただきます」

 躊躇ちゅうちょなくポテトの一本を取出しそのまま口に運ぶ。


「それでは失礼して、食べながら説明を続けさせていただきます」

 フライドポテトをぽくぽくと食べながらそう言う。


「食うんかい、それもさもふつーに」

 りおなは心の中でつぶやく。原理はともかく人間と大差ない生活を送れるらしい。


「あと私自身が苦手にしているのは、『マユ毛を描かれること』ですかね」


「そりゃ誰でもイヤじゃろ」思わず口をついて出た。


 ――そんでもいいこと聞いたわ。なんかあったらコイツにマユゲ描いちゃろう。

「……あれ? そういや聞き覚えがある声だなって思ってたけんど、あんた今朝うちに電話入れんかった?」


「はい、いきなりご自宅に電話というのも不躾ぶしつけだとは思いましたが、なるべく早くに知らせるべきと判断しましたので」


「電話だとりおながおんなじ夢何回も見てるって言ってたけど、そんなことまでわかるんか?」


「はい、トランスフォンの機能の一つに『警告夢アラーム』というのがありました。

 これは半自動で発動して、たとえ異世界を隔てていても真の持ち主に明晰夢で危険を知らせる便利な機能です」


「……悪いけどその機能切っといて」


 ――なんじゃそのめんどくさい機能。夢占い知らん相手には逆効果じゃろ、ノイローゼなるわ。



「話を続けますね。

 りおなさんに変身してもらう理由ですが、ソーイングレイピアの力で私達の国を救ってほしいのです」


「私たちの国? 外国かどっか?」

 ――アメリカのCGアニメ映画で人形が動くのがあったけど、あれと同じ感じか?


「この世界、地球とは全く違う世界です。正式名称はRudiblium Capsaといいます」


「るでぃぶりうむ……」


「地球の古代の言葉で『おもちゃ箱』という意味になります。

 住人がぬいぐるみやブリキ、木製人形やフィギュアで占められているおもちゃの世界です」


 ――それはアミューズメントパークみたいなもん?


 りおなは疑問を目の前のぬいぐるみに投げかけた。


「地球上や地底世界には存在しません。

 実体化した形而上けいじじょうの世界といえば一番簡潔な表現になりますかね」


「……なんですと?」


「実際に行くことができる、神話や寓話のような世界です」





 りおながチーフから話を聞いている間、公園を横切る若い親子の姿があった。

 夕方の気配が、次第に濃くなっていく広場。

 その真ん中を20代後半の若い母親は、ベンチに座ってぶつぶつつぶやいている女子中学生を視界に入れないよう、足早に歩く。

 公園を出るか出ないかというところで、今年四歳になる娘が目を輝かせながらりおなを指さし、母親に訴えかけた。


「ままー! あのおねえちゃん、おにんぎょうさんとおはなししてるーー!」


「――――早く帰りましょう……!」


 母親は我が子の手を強く握りしめ家路を急ぐ。

 ベンチ脇を通る時母親自身も気づいていた。女子中学生が何か変な人形と会話(?)をしている。

 

 ――なにか学校でイジメでも受けてるのかしら。あの子には悪いけど私には何もできない。

 もしイジメられてるなら一人で抱え込まないで、誰か両親か先生に相談してほしい。

 今自分がすること、それはこの子を現実と妄想の区別がつく、常識ある子に育てることね。


 母親は決意を新たにその場を後にした。



「一通りの説明は済みましたかね、りおなさんはアイドルの素質があるので選ばれました」


「アイドルって使い方違うじゃろ。そっちの世界では変身する人をそういうの?」


「そうですね、特殊な力を使いこなせる特別な存在を、時として我々はそう呼びます」


「にしても、なんでりおななん?

 世の中もっと強い人いっぱいいるじゃろ? 警備会社のCMやってて目からビーム出せる人とか」


「ただ単に腕力や格闘能力の高さというのはさほど問題ではありません。大切なのは現時点の能力よりのびしろと求心力ですね」


「求心力? あー、たしか、あのーー、『動悸、息切れ、めまいによく効く』……」


「それは『救心』ですね」

 チーフは淡々と答える。


「求心力というのは相手や周りに対して『この人を応援したい』と思わせられる力ですね。

 これこそがレイピア使い、ひいてはアイドルに必要な要素です」


「……なるほど」


「あと、『冬の砂浜で犬とたわむれている』のはだいたいアイドルです」


「……あーー、そりゃ確かにアイドルじゃねーー」


 向こうはボケたつもりは無くまじめに語っているのだろうが、時々こういう事を挟んでくる。

 りおなはりおなでツッコむ気力がなくなってきた。


「次にりおなさんに戦ってほしい相手ですが……」


 そう言いかけるとチーフは一旦言葉を切った。

 砂を踏む音がしたので、りおなが振り返るとそこに男が立っていた。


 りおなはその男に見覚えがあった。学校前にいた時、目が合った。


 ――たしか名前は山本じゃったか。


 整った顔立ちだが、りおなは彼の眼の奥にかすかな違和感を覚えていた。


「あなた変わった携帯電話をお持ちですよね。少し見せて頂けますか」


「なんで? そんな知らん人に携帯見せにゃいかんの」

 りおなは努めて強気を装って言い返す。


「それもそうですね。

 それじゃあ……力づくでも渡してもらう!」


 だいぶ間を置いてチーフが話を続ける。


「――アレがそうです」


 次の瞬間、男の姿が背中がみるみる丸く膨れ上がる。

 続けてスーツの背中が裂け、緑色の巨体が現れた。


 直立歩行するカエル人間といえば一番表現が近いだろうか。

 先ほど人間の姿をしていた時は身長175㎝くらいだった。

 それが今では2mを優に超えた巨体でりおなの前に立ちはだかっている。


「おとなしく持っている物を渡したら、命までは取らないぜ」

 しゃがれた声でこちらに要求してくる。


 この世で幾度となく放たれてきたであろう台詞だが、りおな自身に向けられたのは初めてだった。だが、何の感慨もわかない。


 あるのは生理的な嫌悪感不意の事態に対する驚愕、それに圧倒的な恐怖心だった。

 心臓の音がやけに大きく感じる。口の中が干上がって嫌な味が広がる。


 りおなが立ちすくんで動けない。まさにその時、低く落ち着いた声がりおなに届く。


「りおなさん、私が合図したらトランスフォンを開けて相手にかざして目をそらして下さい」


 巨大な異形から目を逸らさずりおなは小さく頷く。トランスフォンを相手に差し出すように突き出す。


 緑色の異形は満足そうに、トランスフォンに手を伸ばす。

 吸盤と水かきがついて、ぬらぬらした腕にりおなは顔を引きつらせる。


「今です!」


 チーフは低く鋭く叫び、右手で自前の携帯を操作する。

 反射的にりおなは親指でトランスフォンを開いた。

 液晶画面を相手にかざし顔を背ける。

 次の瞬間強い閃光がカエル型の異形の眼に照射された。


「グォォォォォォッ!」


 完全に不意を突かれる形で閃光の直撃を食らった異形は両腕で目を抑え後ろにのけぞり苦しみだす。


「りおなさん、こちらへ!」


 チーフが公園出口を指さす。りおなはトランスフォンとチーフを持ち駆け出す。この機を逃したら完全にアウトだ。


「グァァァアアアッ!」


 りおなが逃げるのを察した怪物は苦し紛れに右腕を振り上げそのまま振り下ろした。

 地面に叩きつけられる音を背中で感じ、りおなはさらに肝を冷やす。



 ――――もしあれをまともに食らってたら……考えたくもない!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る