000-2
「りおなさん、右です!」
「ああ、わかっちょる!」
りおなと呼ばれた少女は暗闇の中一歩踏み込んだ。
持っていた
が、相手は跳躍してかわし、鋭く突いた切っ先は虚しく空を切った。
りおなの真上に巨大な影が降ってきた。りおなは地面を蹴り相手の攻撃をかわす。
――――ハーー、ハーー、ハーーーー!
降りてきた影は前傾姿勢で荒い息をする。その影は身長2m強もある巨体で、身体は
だがその頭部は虎、それも覆面などではなく、生きているかのように動いていた。
鼻筋にしわを寄せ、牙をむき出しにして少女を威嚇する。
巨大な影は小柄な少女に渾身の突きを繰り出すが、少女の方は意に介した様子もない。
攻撃を素早い足さばきでかわし、レイピアでいなしつつ戦いの主導権を握っていく。
りおなが相手の足元を攻撃すると、影は不思議と動きを止めた。その場から離れようとしてもびくともしない。
影が足元を見ると、自分の足とアスファルトが光の糸でつながれている。
『縫い付けられた』のだ。
「この『ストップショット』はもって数秒です」
「ああ、みなまで言うなって!」
りおなは相手の脇腹に両手でレイピアを押し込み、一気に切り裂いた。
裂けた部分からは、オレンジ色の光の粒子が噴き出す。
暗闇の中で、光の奔流はひときわ眩しくあたりを照らした。
光が虚空へ消えると、りおなよりも大きな巨体は、手のひらから少しはみ出すくらいのゴム人形に姿、大きさを変えていた。
「『
りおなは、アスファルトに転がっている人形を拾い上げてつぶやく。
「ふーーーー、今無理して倒さんでもーー。
ほっといたら恵まれない子供にランドセルとか、でっかいプレゼントとかーー、人知れずこっそり配って回るんじゃなかと? そう思わん? チーフ」
尋ねられた『チーフ』は、りおなの首から下げられたフードから上半身を出した。
こちらも人形、ぬいぐるみなのだ。
「いえ、このヴァイスフィギュアは善行を行いません。
その名前の通りに悪意を注入され、また暴れることでその悪意をまき散らします。
2010年ごろからですか、年末にかけて何人もの『伊達直人』さんが無償のプレゼントをする光景が、ニュースやワイドショーで放送されています。
これは近年だけのことではなく、日本では古来より、匿名で善行を施す方がいたようですね。
時は1683年、天和の飢饉のさなかに出版された災害ルポタージュ、
『犬方丈記』には鴨長明『方丈記』のパロディーの著作がありました。
この作品は著者も主人公も、『今長明』という仮面を着けたままで、資金援助を
この書物を契機にして、都市から都市へと援助の輪が広まっていきました――」
りおなはチーフがいる側とは反対を向き、変身時に(勝手に)着けられるネコ耳を触りながら、おざなりに彼の説明を聞いていた。
正確には、りおながいつもしているツインテールの結び目に装着される、ネコ耳バレッタだ。
だが、ただの飾りではなく、戦う相手の次の行動をある程度予測する便利なものだ。
耳の中は細い毛が密集していて、触るとネコ耳がくすぐったがるように動く。
りおなはその反応が面白くて、少しの間みみげを触っていた。
「――りおなさん?」
「あーーはいはい、資金援助ね。それは大事だにゃーー」
「はい、それで今しがた言った『犬方丈記』ですが、調べてみたら現在国立国会図書館でも閲覧は可能です。
出版社は『山本七郎兵衛』とありましたから、個人出版かもしれません――」
――こいつはもう……バトルのサポートとか、アドバイスしてくれるのはいいけんど、説明が毎回長いにゃあ。
いつだかも『そんな話どこから仕入れんの?』とか聞いた日にゃあ、
『たまたま朝刊に載っていたのを見かけました』とかふつーーに返してくるからめんどいし。
『ぬいぐるみが新聞読む必要があんのか?』とか聞いたら、
『私は〈業務用〉ぬいぐるみですから、社会情勢や文化に目を向けるのは至極当然です』とか返してくるし。
そもそも、ぬいぐるみっちゅうもんは飾ったり可愛がったりするもんで、働くもんじゃないじゃろ。
仕方がないので彼が解説を始めたら、りおなはツッコんだりせず聞き流すようにしている。
「では帰りましょうか。りおなさん、何か買うものがあったのでは?」
「ああー、そうじゃった。コンビニ寄らんと」
りおなは夜中に家を出た、最初の目的を思い出す。
――英語の宿題してたんじゃけどはかどらんさけ、気分転換にペン入れの中身全部開けて、試し書きしとったんじゃった。
んで書けんペンがあったさけ、気分転換もしたかっしたかったし。
コンビニに来たらチーフに『ヴァイスが出たので公園まで出動してください』って連絡あったんじゃったのう。
ヴァイスフィギュア退治は―――ものの5分も経っとらんけど、ママに心配されるけん、買うもの買ってさっさと帰ろう。
「あ、そうだ。宿題が終わったら、ぬいぐるみ創りをお願いします」
「はぁ?」
チーフの提案にりおなは反射的に声を上げる。
「今さっきヴァイス退治やったじゃん。
そんで宿題片してぬいぐるみ創りって、りおなは『カニコーセン』か?」
りおなは、最近授業で聞いたばかりの小説のタイトルを口にする。
「それでしたら『あゝ野麦峠』や『女工哀史』の方が適切ですかね。
ただ私たちは、りおなさんにそんな過酷な事はさせません」
「中二女子には十分カコクだっつーの」
りおなは公園に誰もいない事をいいことに、唇を突き出し文句を言う。
「私たちの世界を再興するために、ソーイングレイピアの
『ぬいぐるみに生命を吹き込む』能力は最重要です。
生きたぬいぐるみを増やしてもらえれば、私たちの世界
ヴァイス退治も大事ですが、ぬいぐるみ創りこそがソーイングフェンサーの一番の強みです」
「その『
斬るのか縫うのか全然わからん」
「エントロピーの増大に伴う破壊よりも再生、創生を司るこの剣こそが真の強さといえます。
りおなさん、変身アイドルとしての自覚と自信を持ってください」
「それはわかったけん、宿題解らんところあったから手伝って。
それくらいしてくれてもバチは当たらんじゃろ」
「それはできません」
「なんでじゃい!」
即答するチーフに、りおなは思わず噛みついた。
「心苦しいですが、私も仕事があるのでこれで失礼します。りおなさんは明日までにぬいぐるみをさんにん創ってください」
車道に出る前にりおなは変身を解いた。
歩くたび、ミニスカートのポケットに何かが太ももに当たる感触がする。
そして、出がけに買うのを忘れないようにと、ポケットに入れておいたのを思い出した。
りおなは、ポケットに入れていた物――細い油性ペンを取り出した。
きゅぽっ、と小気味よい音を立てキャップを外す。
それを見た時チーフの顔が恐怖に歪んだ。
「りおなさん、それは……一体……?」
「なにもかにもないよ。
りおな、前から思ってたんじゃけど、あんたキャラはまずまずじゃけど顔の印象薄いじゃろ?
だから『マユゲ』描いてさらにキャラ立てようと思って。
やっぱし、変身アイドルのサポートキャラっちゅうんは、目立たんと意味ないじゃろ。
ぬいぐるみとかキャラクターグッズ展開せんと、あっという間に忘れられるから積極的に打って出んといけんし。
それに、そろそろどっちが
「いえ、私はそんなことでお金儲けしたくありませんし、悪目立ちしたくありません。
ではこれで――」
チーフはりおなから逃げ出した。
だが、身長17、5cmほどの身体では遠くに逃げようにも逃げられない。
「ふっふっふっふっ、無駄なあがきを」
りおなは口の端を吊り上げ、右手を前にかざした。
手のひらから光の柱が吹き出し、中からソーイングレイピアが現れる。
変身しなくても、レイピアを出せるよう緊急時の対策に付けられた機能だ。
剣針はチーフの斜め前、地面に刺さった。
声を上げる間もなく、チーフは剣針から伸びた光の糸に絡み取られた。
剣針はカシンという音と共に、チーフごとレイピアの柄に納まる。
「お帰りなさい、久しぶりだにゃー」
りおなはチーフを左手でつかんで、目の高さまでもってきた。
小刻みに震えるチーフに、りおなは微笑みを浮かべる。
「さて、何がいいかな。
定番はやっぱり世界を股にかける一流スナイパーか、それとも派出所勤務のお巡りさんか。
ああ、海賊一味の女好きのコックがいいかにゃーー……」
チーフは、ただ首を左右に大きく振っている。
りおながサインペンの先を近づけると、哀れな業務用ぬいぐるみは白刃取りのように両手で持って、顔をペン先からなるべく遠ざけるようにのけ反った。
「何がいいかな? 個人的にいいのがあったら言っておいて欲しいし。
どれがいい?
『好きなのを選べ。俺には選べない、お前が選べ』」
夜半過ぎの公園に、チーフの声なき悲鳴が響いた。
――――うわぁぁぁああああああああーーーー!!! マユゲ、マユゲいやだぁぁぁあああああ!!!
マ~~ユ~~ゲ~~~~~! きょう~~こ~~そ~~マ~~ユ~~ゲ~~だ~~~~~!
りおなは絶妙な力加減で、サインペンをチーフの顔ぎりぎりに近づけながら、心の中でつぶやく。
「あとどんくらいで、書けないのに気付くじゃろか」
りおながチーフに向けているサインペンは、実は中のベンジンが切れて
それこそが、宿題を中断して気分転換にコンビニに出向いた理由だったが、こんな形で役に(?)立つとは思っていなかった。
「もう30秒くらいしたらバラしてもいいじゃろ」
りおなはしばらくマユゲを必死に嫌がるぬいぐるみを相手に、変身アイドル特有の責務のストレスを解消する。
サインペンをチーフに向けながら上を見上げると、微かながら夜空に星が
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます