第2話 白霊鳥の羽ペン
「やあやあ、ジズ殿。相変わらずお美しい。さあ、お手を拝借。おお、なんと白い手だ」
手に口づけする振りをして血を吸い取ろうとした吸血鬼を女戦士は蹴り飛ばした。
「へぶぅ!?」
「ジズ、お客様に何て事を!」
「あたしゃ、こいつを客とは認めないね」
「ふ、ふふふふ。相変わらず厳しいね、ジズ殿。ああ、でもそこがす・て・き」
「ひたすら気持ち悪いんだよ!」
ジズは溜息をつく。
「それでアヴァ、これが手紙に書いてた……」
「おお、これが! なんと見事な虹の輝き。ここまでの品は私の吸血鬼生でも類を見ないぞ!」
既にワインを片手に蒐集物談義をしている二人を半目で見ながら、ジズは溜息をついた。吸血鬼アヴァはバトスの蒐集家仲間だ。蒐集家曰く、尊敬する先達。吸血鬼というのは永くを生きる不死者だ。血を媒介に生命を奪い、力を蓄える魔物の一種。その長い時間を美に費やして来たアヴァのコレクションは、蒐集家曰く相当なものらしい。冒険者にでも城を襲われて奪われりゃいいのに。こいつは夜の眷属の癖して、妙に腰が軽い。そして、いつも厄介事を持ち込んでくる。
「そういえばバトス。この前ブラン山に登山に行ったんだがね」
吸血鬼が登山。やべえ、目眩がしてきた。
「ああ、ブラン山ですか。秋の彼処は黄金に染まって、まさに大自然の美。私も久しぶりに行きたいですねえ。昔は父に連れられて、浅い所を歩いたものです。しかし今の季節、あそこは雪に覆われてるのでは?」
「あっはっは。吸血鬼は寒さに強いのさ。山頂から夜明けの太陽でも拝んでやろうと思ってね。いやはや、絶景だった。……まあ、朝日で燃えつきそうになったけどね」
「吸血鬼ですからねえ」
「夜明けの太陽も雪に反射して美しかったが、もう一つ美を拝んできたよ。君もきっと興味があると思うがね」
ジズの首筋を寒気がはしる。やべえ。厄介事の臭いがぷんぷんしやがる。
「白霊鳥って名前は聞いた事があるかい? ブラン山に住まう魔鳥なんだが」
「いえ、初耳です。もしかして……?」
「いや、綺麗だった。雪の中にあるのに新雪よりも白く輝いていてね。朝日を浴びた姿のなんと優美な事か」
「ほう!」
「羽の一つも持ち帰ってやろうと思ったんだけど、あいにく吐き出されたブレスで凍らされてね。いや、なかなかの魔力だった。後で
「おい、くそ吸血鬼! てめえ!」
「あっはっはっはっは」
既に蒐集物の目はギラギラと欲望に光っている。いきなり立ち上がって、ジズの肩をガシリと掴んできた。
「お、おい待て。蒐集家。冬の山は素人にはやばいって。あたしも経験ねえし。な、な? ほら冒険者ギルドで捨て駒雇って取りにいかせりゃ……」
「行きますよ、ジズ。美が私を呼んでいるのです!」
普段のひょろひょろっぷりからは想像できない大力で蒐集家は女戦士を引っ張ってくる。
「え、ちょっ。今は夜。今はまだ夜だって……てめえ吸血鬼、帰ってきたら絶対ぶっ飛ばしてやんからなあ!!」
「あっはっは。いってらっしゃい。良い旅路を」
笑顔の吸血鬼が遠ざかっていく。殴る。帰ったらぜってえぶん殴ってやる!
ーーーーーーーー
クーデルは狩人だ。三十年ブラン山で鳥を撃ち、狐を狩り、毛皮をとる生活を続けてきた。腕は自分でもいい方だと思っている。商人達がここに来てまずする事は、彼に挨拶をして上等の毛皮を買う事だ。色鮮やかな鳥の羽でマントを作るため、数寄ものの貴族がわざわざ足を運ぶ事もある。しかし、そんな彼にして今回の客人は奇妙だった。
「ああー、あのな、お二人さん。親切心で言ってるんだが、この季節の山は止めときな。他の季節ならともかく、この時期の山は異世界だ。そっちの嬢ちゃんは腕に自信がありそうだが、冬のブラン山で生き延びるには経験が足りねえ」
「だよな! よっし、蒐集家。帰ろうぜ」
滅多に見ないような美人が満面の笑顔で男の手を引っ張る。男は魅力的な誘いを振り払った。
「つまり経験があればいいのでしょう。ブラン随一の狩人、クーデル殿」
机の上に金貨が置かれる。
「貴方に案内をお願いしたいのです。貴方の経験を買いたい」
「……そこまでして山に行く理由は?」
「白霊鳥を見たいのです。雪よりなお白く輝くという魔鳥を」
爛々と男の瞳が燃えていた。取り憑かれたような目だ。学者のような細面が、鬼気迫るものになっている。……こりゃ言葉じゃ止まらねえな。
「金貨は30枚だ」
「払いましょう」
「おいおい、おっちゃん正気か?」
「この時期の白霊鳥には命を賭ける価値があるのさ、お嬢ちゃん」
「うへえ、何処もかしこも変人ばっかかよ」
その言葉にニヤリとする。変人で結構。此れ迄にクーデルは三度、冬の白霊鳥を見た。ブラン山の女王の姿を。もう一度見たい。結局自分もこの変な男と同類なのだ。
男が差し出した手を握り返す。
「改めて名乗るぜ。狩人クーデルだ」
「蒐集家バトスといいます」
熱意のこもった握手、こりゃ一踏ん張りしてやらにゃあなるめえ。
ーーーーーーー
ギシギシと雪を踏みしめる。先頭にあの狩人が、二番目に蒐集家、殿がジズだ。狩人が踏み固めた道を後続は歩いていく。
かなり反対したジズだが、別に雪山や魔物を怖がっているわけではない。蒐集家の体力は一般人に毛が生えた程度、こないだのように雪山で背負ってくれと頼まれたら、流石に見捨てざるをえないかもしれない。それは出来れば避けたい所だ。
ジズは蒐集家と違って、そこまで美に執着してはいない。もちろん蒐集家のコレクションは凄いと思うし、偶にだが真似して何かを集めてみようかとも思う。けれど、ここまで労苦を支払ってまで集めるつもりはない。
ジズにとって一番大切なのは金だ。それが手に入る限り、蒐集家を守護し続けるだろう。そう、こいつを絶対に死なせはしない。そう誓っているのに、ちょっと欲しいものがあると、虫のように蒐集家は火に突っ込んでいくのである。目が離せないったらありゃしない。あたしゃ、こいつのオカンか何かか。
「いやあ、雪山は初めてですが、中々に良いものですねえ。ほらジズ、枝が凍って、まるで氷の花が咲いているみたいですよ」
「ほんとだ。へえ、綺麗なもんじゃねえか」
蒐集家の指先には、透き通った氷が花のような結晶になっている。
「春は鮮やかな花、夏は鮮烈な緑、秋は落ち着いた赤と黄色、そして冬の氷華、ブラン山は最高の場所さ。おめえさんらも、また別の季節に来ると良い」
楽しげに笑う狩人、意外に詩的なおっちゃんだ。今の所登山は順調、このまま楽しいハイキングになってくれりゃ良かったんだが。
「……中型だな。おい、おっちゃん」
「へえ、勘が鋭いじゃねえか、お嬢ちゃん。この感じは兎だな。鍋にしたら美味いぞ。……まあ、俺たちが逆に食われるかもしれんが」
「兎に……食われる?」
ポカンとした蒐集家を押し倒す。首の後ろをぶっとい前脚が薙ぎ払っていった。
「おや、可愛い」
「和んでんじゃねえ! そこで大人しくしてろ!」
腰から棍棒を引き抜いて迎撃する。兎、確かに一見は兎だわな。ただこっちの肩口くらいまでのデカさがあって、牙と爪が鉈みてえになってるけど。あとすげえムキムキの筋肉してら。
「……可愛くねえ」
あ、首をブルブル振ってる。つぶらな瞳で鼻をフンスフンスと鳴らす兎らしき猛獣。やっぱ可愛いかもしんねえ。いや微妙、微妙すぎて分かんねえ。
ーーーーーー
パチパチと燃える枝が音を鳴らす。兎肉は、臭みがあり筋張っていたが、野趣があり脂は甘かった。洞窟の外は吹雪いている。これが去るまで身動きは出来ないだろう。蒐集家は外套に包まり眠っている。女戦士は入り口で、獣を警戒していた。年齢と性別を考えるなら、驚くほどに頑健だ。雪山を登っているのに疲れ一つ見せない。クーデルは火の番をしながら、まだ若人だった頃の記憶を探っていた。
父親に連れられ、兎狩りに山を登った。身を切るような寒さの中、震える体を励ましての狩りだ。冬のブラン山の天気は変化が大きすぎて、熟練の者でも読み違える事がある。突然の吹雪から避難した洞窟で何日も過ごす事になった。
少ない食糧を一口ずつ食べ、飢えを凌いだ。寒さが体力を削り、小さな火に頼って生き延びた。何日も、何日も。先に父に限界が来た。その命の灯火が消える前に、クーデルは賭けに出たのだ。枯れ枝のように痩せ細った父を布に包み、背負いながら吹雪の中に飛び込んだ。
死を覚悟した。凍り付いて終わるのだと思った。その瞬間吹雪は晴れたのだ。そしてそこにいた。救いの神の如く、確かに白霊鳥はいたのだ。
その後も2回、冬の白霊鳥に出会った。二度目は結婚式の一週間前に、三度目は娘が産まれる前日に。クーデルにとって、白霊鳥は人生の節目に現れる予兆であった。
「よう、おっちゃん。朝だぜ。ヒャハハ、無事に雪は止んでら。おい、蒐集家。起きろ。よだれでアタシのマント、べっとべっとにするのは止めろ。帰ったら代金請求するからな」
いつの間にか眠っていたらしい。朝日が洞窟の入り口から差し込んでいる。
「よう嬢ちゃん。火の番任せちまったか?」
「おっちゃんは体力がなくっていけねえや。ヒャハハ、歳じゃねえの?」
「そろそろ後継者でも探すかね。嬢ちゃんどうよ?」
「ダメダメ、こいつの護衛の方が儲かりそうだからな。おっちゃん、嫁さんいねえのかい? 子供は?」
「おお、いるぞ。娘ばっか3人でな。そろそろ嫁にやらにゃあならん」
「後継者は婿に期待しときな」
「ふぁああ、おはようございます」
「おう、おはよう。雪が止んでる内に距離を稼ぐぞ。大丈夫か?」
「ええ、なんとか」
歩ける範囲は終わって、傾斜のキツイ岸壁を登る。一番の難所だ。
「縄の結びはキチッとしろよ。落ちたら死ぬぞ」
「ず、随分高くまで登るのですね」
「白霊鳥は低い所にも姿を現わすが、巣があるのは山頂付近だからな。確実に見たいなら登るしかねえ。怖気付いたかい?」
「いいえ、むしろ燃えてきましたよ」
「その意気だ」
辛うじて座れる場所で休憩を挟む。香草の茶を沸かし、甘みの強い干した果物を齧った。
「ぷはあ、生き返った。おう、蒐集家、その干し葡萄こっちに寄越しな」
「駄目ですよう。貴重な食糧なんですから」
「ええー、いいじゃん。堅いこと言うなよ」
「駄目ったら駄目ですってば」
「仲がいいねえ、お二人さん」
初々しいったらありゃしねえ。嫁さんとは長年連れ添ったせいか、男女の仲というより、いて当然の関係になっている。今度土産でも買ってくか。
スッと、女戦士が戦場の表情になる。クーデルも背から弩を取り出した。
「足場が悪いや。おっちゃん、頼りにさせてもらうぜ」
「任せときな。ブラン一の凄腕を見せてやろうじゃねえか」
空から舞い降りたそれは、獣に蝙蝠の皮膜をつけたような姿をしていた。
「前肢がねえな。ドラゴンじゃなくてワイバーンか」
「魔物ではないようですね。ワイバーンというには少々大きさが足りませんし、顔立ちもどちらかといえば狐に似ています。毛皮が気になりますね」
「ありゃトビウサギだ」
名前を言った瞬間、なぜか美貌の女戦士がガクッとする。
「え、また兎? ってかなんで兎って呼ばれてんだよ。前のならともかく、こっちは全然違うだろうが!」
「知らん! 先人に聞け、先人に。それより来るぞ!」
クーデルは素早く矢を装填して狙いを定めた。一射で頭を射抜かれたトビウサギが墜落して岸壁を転がっていく。直ぐに次の矢を準備する。狙いの正確さだけでなく、矢をつがえる速度も彼をブラン一の狩人足らしめている要因だ。
「そらよっと! こいつら、顔が狐に似てるかと思ったけど、よく見ると結構ブサイクだなー」
女戦士は飛びかかって来たトビウサギを棍棒で綺麗に跳ね返した。一匹一匹はそこまで強くない。しかし数が多いのは難点だ。トビウサギは多産で凶暴。少々群れの仲間が倒れても、気にせず執拗に獲物に食らいつき続ける。
「チッ! キリがねえや」
女戦士が棍棒の代わりに剣を引き抜こうとする。
「ジズ、駄目ですってば! 雪山でその魔剣は危険すぎます。雪崩が起きたらどうするんです」
「けどよお」
クーデルは長期戦の覚悟を決めた。次の瞬間だった。
歌うような鳴き声がブラン山に木霊する。澄んだ空に、何処までも透き通るような、清浄な響き。求めていた鳴き声。
「……くる!」
クーデルは空を見上げる。彼に続いて二人の同行者も天を仰いだ。
ーーーーーー
巨大な影が山肌を覆う。小さき者の小競り合いなど見向きもせずに。悠々と。巨鳥が空を泳ぐ。その色は雪よりもなお白く、その体のなんと優美な事か。今、中天に座す太陽、その光のドレスが鳥を飾る。鳥の名は『白霊鳥』。ブランの天険に住まう美しき魔物である。
人間達はポカンとしたアホヅラをして、鳥を仰いだ。
「すげえ、クソ吸血鬼の話してた何倍もすげえじゃねえか……」
「これが白霊鳥……」
「……」
感動の涙を流しながら、蒐集家は鳥を見ていた。巨鳥が羽ばたく。その翼の一振りが、有象無象のトビウサギ達を追い返す。そして止まり木のように突き出た岩に、そのほっそりとした脚を止めた。
美に向かって手を伸ばす。足を滑らせた蒐集家をジズが必死になって捕まえた。そんな滑稽さに、初めて白霊鳥は人間に目をやった。
人と鳥の視線が交わる。魔物となりて、なお人であり続けた炎骨鬼とは違う。白霊鳥は生まれながらに、この地の王者だった。女王が羽ばたく。何処までも自由に、その穢れなき翼で天を駆ける。ほんの少しの、人と魔物の邂逅は、ここに終わりを迎えた。
はたと蒐集家は我に帰る。その胸には、いつの間にか純白の羽が一つ抱きしめられていた。
ーーーーーー
「ふんふんふーん」
「鼻声がキモチワリィ」
「ひどっ! ジズ、雇い主にそれは酷くないですか?」
「手紙見ながら音程外れの鼻歌やってる奴には当然の仕打ちだろ? ……で、誰から? 女か?」
「違いますよ、クーデルさんからです」
「ああ! あのおっちゃんか。元気そうか?」
ジズは気のいい狩人を思い出した。あの登りの数倍きつかった、山降りの地獄行を生き延びる事が出来たのは、紛れもなくクーデルのおかげだ。
「娘さんが結婚したそうですよ。お孫さんも、もう直ぐ産まれるそうです」
「そりゃめでてえじゃねえか! おっちゃん待望の後継者だな」
「ですねえ。そうだ! お返事しないといけないですね!」
いそいそと楽しげに蒐集家が返事をしたためる。その手にはブラン山の思い出が込められた、白く優美な羽ペンが握られていた。
蒐集家と奇妙な魔物たち ミート監督 @1073043
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