第一章 天の女神よ、どうかご笑覧あれ
第一節 【 風来少女、空より来る 】
風来少女、空より来る
『女神と祖竜の加護厚き、英雄と王の愛しき娘よ。
いと高くに勝利を告げ、父祖の灯を煌めかせん。
まこと偉大なる血脈よ、汝が天に星樹の輝きのあらんことを。
星樹の木漏れ日差す所、悪の蔓延る影はなし!』
――竜の頌歌
歪んだ生命。
民間では化物なり怪物なりと呼ばれる、人類に敵対的な生物だ。
歪んだ、という形容の通り、怪物たちの生態系はひどく狂っている。
肉食でありながら肉を消化できない、自ら血液を生産出来ない、片足しかなく歩くことが出来ない、肉と鋼が混ざり合って互いを食い荒らしあっている――など、生物としては有り得ない姿に歪められている。
そしてその狂った機構は、大地に生きる生物に害をなすために作られている。
かつて四神によって追放されし神々の、おぞましき邪法の産物。
父祖が眠り、四神が守り、子らが生きる、この大いなる泥の大地全ての敵だ。
その上位種ともなると、理論的な思考を嘲笑うような奇怪な姿形を持つ。
その個体は、まずその巨体が目につく。家屋ふたつ分はある大きな体。
姿は芋虫だろう、大雑把に言えば。だが皮膚は樹木のように固くごわごわとしており、生半な刃では浅い傷をつけるのがやっとだ。
重たく緩慢に蠢く体を、ムカデのように生えた無数の腕が支えていた。歩みを邪魔する草木をばりばりと掻き分けながらのろまに前進している。
全身に毒性の強い粘液をこぼす触角をいくつも備えており、それは足元へ垂れ落ちていて、時折体を運んでいるはずの腕を溶かしてしまっていた。
のたうつ体は相当な重さであるようで、その負荷を人間の腕では支えきれず、常に骨が折れる音を響かせながら移動していた。
折れたり溶けたりした腕は他の腕によって根本から引き千切られ、正面へと運ばれていく。
少しすると、引き千切られた部分から腕が新たに生えてきた。
正面――顔に当たる部分には、無数の人面があった。人面と腕を配置して顔らしき形を描いていた。
体の下から運ばれてくる引き千切られた腕が、人面の穴に強引にねじ込まれる。そこが眼窩だろうと口腔だろうとお構いなしに、折れた腕を体へ詰め込んでいた。
そして咀嚼音。骨を噛み砕いているようだが耐え切れずに歯が砕けているらしく、時折ぼろぼろと折れた歯が転がり落ちた。
異形の循環。歪んだ生命の中でも、特段に邪悪で狂った生態だ。
勿論そんな循環で失われていく身体の全てをまかなえるはずもなく、歯や腕は僅かに目減りしていた。
つまりそれは、代わりを求めて活動している。
例えばそれは――。
「フィズッ!」
「皆さん離れてください!」
倒木に逃げ場を塞がれた、無力な少年のような。
「くそっ」
夜闇の深い、鬱蒼と茂る森の中。
邪魔な茂みを斧で切り払い、ギリアムは毒づいた。
体重と膂力で強引に樹木を押し倒すおぞましい姿の怪物。割って入るには遠すぎた。
見たところ飢餓で動く類の歪んだ生命だ。だからギリアムは、数が多くより大きい冒険者達に矛先を向けると思っていた。
だが損得を考える知性がないのか否か、異形の芋虫は目の前の餌を食んでから残りを食らうことにしたらしい。
ならばその身を脅かして注意を引くしかないのだが、これも難しい。
先程から弓手のドナが矢を撃ち続けているが、意に介していない。弾力と硬質さを兼ね備えた樹皮のような肌が矢尻を弾き返していた。
無数の人面と腕。人間一つを飲み込める穴はないのだから、どう捕食するかといえば恐らく、腕で引き裂いて食うのだろう。
「カルメロォ! 追い風を強くだ! ドナは火矢を!」
「しかしこれ以上は!」
「いいからすっ転ぶぐらい強くしやがれ!」
カルメロは追い風の加護を強めた。たちまち強風に煽られて足が浮きそうになる。
木の根を飛び越え、カルメロは僅かにたたらを踏む。彼は息子共々探索者で、正面切っての戦闘には慣れていない。
しかし熟練の冒険者たちは追い風で姿勢を崩すこともなく走り続ける。
「
「この距離じゃあ届かねえぞ!」
「何のための風だと思ってやがる! ぶちかませェッ!」
ギリアムが言い終えるより早く火球が夜の森を照らした。
追い風に煽られて勢いを増した火球が着弾し、炎を撒き散らす。
だが巨獣は身動ぎ一つでそれをやり過ごした。樹皮に似た皮膚には僅かな焦げ目しかついていない。
続いて火矢が放たれる。二人目の灯火術師がその火を操り、爆発させた。
流石に至近距離の爆発は効いたらしく、苛立たしげな声がいくつも上がる……人面の一つ一つが呻いていた。
そして、焦った様子でフィズへと歩を進めた。
「くそっそうなるのかよ!」
「危ないっ!」
毒づくギリアムに被さる少年の声。直後巨漢の戦士は目を剥いて声を張り上げた。
「散開ィッ!」
冒険者集団は咄嗟に左右に別れて飛び退く。触角から飛び出した緑色の粘液が汚らしい音を立てて大地を汚した。
ギリアムと並走していた戦士のリックが飛沫を盾で払いのける。塗装が見る間に溶けて窪んだ。
強い風が押し返していなければ危なかったかもしれない。無茶な接近のツケが来た。
「いってえ――ちっ汚い!」
飛沫に小手を溶かされた弓師ドナは素早く小手を外して、皮膚を拭った。
腕どころか拭った手のひらまで皮が剥がれて落ちる。
足を止められた冒険者たちを差し置いて、うぞろと無数の手が蠕動する。
まずい、と思うより早くギリアムは叫んだ。
「カルメロ追い風ェ!」
「風よ、風よ!」
追い風がついに暴風の域に達し、ギリアムはそれに乗って飛び出した。
常人の頭二つほど抜けた巨体が浮き上がる程の強風に、残る冒険者達が軒並み伏せる。
「ボクは大丈夫です! 皆さん離れて!」
フィズが声を張り上げるが、大丈夫であるはずがない。
異形の怪物の手がついぞ少年へと伸びる。
ギリアムが双斧を振り上げて飛びかかる。
間に合わない。
だが――。
「ユグさん!」
「おっけぇーい!」
少年が誰かを呼ぶと、天空から声がした。
そして、まばゆい光が目を焼いた。
「せーじゅのひかりのさすところーっ!」
暗い森が、夜の闇が、吹き飛んだ。
世界が昼間のごとくに照らし出される――陽光の担い手は、どうやら少女のようだった。
「あくのはびこる、かげはなーしっ!」
その手に剣。
大剣と呼ぶにはあまりに大きな、身の丈の三倍を超える木製の剣を振りかざし、少女は降りてきた。
吹き付ける風を物ともせず、歪んだ生命の真上へと。
「一刀竜、ガングレイス――」
深く暖かな琥珀色をした、豊かな長髪と鈴を張ったような瞳。
その全身から迸る、恒星にも炎にも似た、黄金の光。
少女は剣を振り下ろした。
「――
異形の巨体が割れて、浮いた。
あまりの衝撃に肥厚な巨体が潰れてたわみ、そして跳ねて吹き飛んだのだ。
真っ二つに断ち割られた穢らわしい肉の塊が、その体液で樹木を幾つか溶かし折りながら二度三度と跳ね、そして止まった。
撒き散らされた体液は少女と少年にも振りかかる。
だが、少女が放つ黄金の気魄に触れるや否や、それは音もなく蒸発して消えていった。
ギリアムは呆けていた。いや、大人たちは皆そうだった。
現実味のない光景だった。
幼い子供が、人より遥かに巨大な分厚い木剣で、歪んだ生命の上位種を一撃で切り伏せるなど。
「ぶいっ!」
当の少女――ユグは、二本指を立てて見せると、太陽のように笑った。
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