閑話「夢の果て、異世界勇者のその後」
勇者は異邦人である。
根本的にこの世界に人とは帰属部分が乖離している、本当の意味でこの世界に馴染める者は少ない、いくら元居た世界に対する未練が無かろうとだ。だから暮らしていく内に自然と、目的を果たした勇者たちは帰ろうとする。
ただ、この世界に残ろうとする者もいる。
当初にそのことに気づかずにこの世界に残ってしまった者もいる。
勇者連盟はそんな同じ異世界人の確保に努めていた。
同郷の人間を救うために。そして努力を否定するような魔法文化を淘汰するため、この世界に科学知識や技術の理念を普及するために。
それは建て前でもあり本音でもある。
それが他にも意味を持つようになったのはいつ頃かはわからない。
後藤もかつては勇者としてこの世界に呼ばれ活動していた。
そして目的を果たした後もこの世界に残ることにした。
妻と子供が出来ていたからだ。それだけでなく元の世界に未練はなかったこともあるし、なによりこのまま勇者として活動を続けて人の為になることをしたかった。
能力は【算術】である。元は向こうでそろばん教室を開いていた。戦闘では目測だけで命中率、未来位置まで瞬時に計算し数値化できる。平時は普通にどんな計算でも暗算で出来る。ただし自分でそれに使う算術を覚えていなければダメ、一度覚えればそれはいつでも使える。
それを生かしこの世界でもそろばん教室を開いていた。
それでそれまでと同じく勇者として扱われたが――
いつの間にか。
それ以上に便利で都合のいい人としてこき使われるようになっていた。土木建築の応力計算や測距、月末や年末の忙しい時期、果てはギャンブルの確率まで。妻と開いていたそろばん教室はやがて妻一人の肩に圧し掛かる様になり、しまいには閉じることにした。
それでも人々は後藤のところに頼り切った。
勇者だから人に優しくして当たり前――と遠慮が無くなった。
――帰らない、と決まってから手の平を返したように白々しいほど粗雑に扱われた。
ああ要するにそういうことなのだと理解した。
帰らないようにお持て成していたのだ。帰らないとそれが決まったから――もう帰れないから。
愛する者と生きる為、勇者として――個人として残ったのに。
その個人を、人々は奴隷か馬車馬のように求めるのだ。こちらの都合も考えずに。
勇者は他人の都合を考えて当たり前――でも、普通の人は勇者のそれについては考えないのだ。とんだ理不尽だった、こんなご都合主義者たちに持てる力を振る舞っていたのかと。
彼らは自ら努力することからも我慢することからも逃げ始めていた。
そこで後藤は声を掛けられた。
――自分の思い通りに。助けたい者を助けよう。
正義も見返りも己で決められる、そんな場所をこの世界に作ろう、と。
それは後藤にとってこの世界に残された希望の光だった。
勇者が勇者らしく生きられる――今度こそ夢の異世界で夢らしく思いのまま生きられる。
良い事をするのは当たり前と教えつつ、そんなことをしている人はどこにもいないのが当たり前。
正しさも優しさも、搾取される側が自分を慰め誤魔化すために使うことの方が当たり前。
そんな現実世界と全く同じことをしなければならないのか。
どうして夢の異世界で普通に生きなければいけないのか。そんな不満が溜まりに貯まっていた後藤がそう奮起するのは当たり前だったかもしれない。誰だって自分の中の綺麗な物が人に利用されるだけ利用され泥を塗られてみれば、いつまでもその綺麗さを手にしていようとは思わないだろう。
その時から後藤は勇者として生きるために、勇者としての立場を捨てた。
それはあの時の自分に酷く魅力的に聞こえた。
もう二度と嫌だった。
だから。
この世界に来て身に着けた、特別な力――代えが聞かないそれらを持つ者を代表とし、もしくは身内に抱えることで彼らを敵に回したくない者からもこの組織を容認させる。
使い捨てにされる向こうの知識や技術ではなく――それが出来ない者達を集めていた。
権力者に説いた――勇者の力を管理しつつこの世界に適度に貢献させる。
既存の商売や文化を潰さないように、というのは建前の一つだ。
今のこの組織の主目的は、こちらが使い潰されないように――勇者たちの身を守るためだ。
異世界勇者連盟・技術監査局特務機関「世界樹の宿り木」その支部。
執務室で後藤は連盟に寄せられる技術提供の依頼、その出資、支出、その他、周辺地域への品出しの出納帳に目を通す。
この世界に来て特殊な力に目覚めた者を確保する――イリーガルな力を持つそれらを相手取ることは危険を伴っている、その実働班といえども平時は書類仕事の作業に務めなければならない。
「結局、子供が粋がってただけか……」
あの稀人異世界人――自称、勇者ではない、同じ日本人の彼からは何の音沙汰もない。
連絡がではない、情報がだ。
特に動きはない言うことだ。こちらの封殺に、何の手も打たないのか?
彼がやろうとしていたことを潰したのは、単純に彼の手札を消耗させこちらに引き込みやすくする為ではない――勇者としての成果を上げさせないためだ。
この世界で勇者をこれ以上活躍させるつもりはない。勇者が役に立つ、というイメージが無ければ勇者を利用しようなどとは思わない。それではこの勇者連盟も運営の危機に陥るかもしれないが、そこは積み上げた信頼と実績でカバーできる。
なにより組織の母体はこの世界の政府関係者だ。
看板としては、勇者という名前が付いているがそうではない――だからそこは問題ない。
それに、まともな社会経験などないであろう高校生では即戦力として期待できない――彼が持つ力に関してもそうだ。
あのとき、仲間の一人が見た力――【揺れない天秤】はこの勇者連盟では使えない。
平均してどんな力でも身に着く、だけど相応の努力が必要になる。
平均以上には上がらない。
これは全て、この世界の一般的な力に対してだ。
勇者や異世界人が持つことになる固有能力には適応されていない。こんな能力は派遣社員か都合のいいアルバイト、ブラック企業であればどんな部署のどんな穴埋めでもできるだろうから役に立つかもしれないが。
チートに見えてチートではない。非常に意味不明な能力だ。第一何故、才能があったとしても平均値になるのだ? どんな精神性をしているんだ。ただの怠け者じゃないのか?
平均値と言えば中間の値――みんなと同じ、それぞれに一番近い――という印象があるかもしれないがそうではない。平均値とは計算によって生まれるもので、それは理論値と言えるかもしれない、実際には存在しない数だ。
そこに質量として存在していない、と言う意味でだが。
人々が抱く平均という言葉の印象――普通、とは全く真逆のものである。
ある意味、普通なんて存在しない、という言葉通りであるのだが。
一体それで何が出来るのか――彼は何をしようとしているのか。
「後藤さん」
「なんだ?」
私は机の書類から顔を上げる。
「――魔法野菜の追加発注、今後どうしますか?」
「……向こうの状況は? 何かしているのか?」
「いえ、特には――ああ、何か冒険者ギルドに依頼を発注しているみたいですけど」
「……何をだ」
「ギルドからは、守秘義務だそうです――【千里眼】の相沢に頼みますか?」
「……いや、いいだろう、今から発注して何を得ようとしているのかはわからないが」
油断をしているわけではないが、あと三日だ。
何が出来ると言う訳でもない。
「あと、周辺地域へ祭りで使う食材や資材の仕入れと搬入が始まっていますね」
「そうか」
「それでうちにもカレー粉の発注が来てますけど」
「……それは通常の仕入れだろう?」
能力使用による量産ではない。
「ええ。ただここ三日、他より発注も増えていますね。それと先ほどの件と合わせて、新しい魔法野菜はないかどうか卸し先から注文が来てます」
それはおそらくリアの町で開かれる祭りのイベントの所為だろう。新たな魅力的野菜が出たから、そこで開かれる料理大会に使うのだろう、微々たるものだが何せ賞金が掛っている。
何にせよ町の関係者ではない。
「……カレー粉は卸せ、そのままこちらのいい宣伝と利益になる。他もこれまで通りだ。卸せるものを卸せ、ただし【農場主】に絶対に無理のない範囲で頼むように」
「……あのー」
「ん?」
「……本当にこんなことする必要あるんですか? 我々の力は他に真似できないものなのですから、仮に魔法や魔術の文化が発展したとしても我々の権益が置かされることはないと思うんですけど」
「それはもっともだがな……」
もう一つの目的がこの勇者連盟にはある。
それは、
「……我々はもう元の世界には帰れない、これからもこの世界に向こうの世界の人間は来る。我々のような人間は増え続けるだろう。
そしていずれ勇者として摩耗して、普通の人間として生きることを求めるようになる。
そんな時でも、異世界人はこの世界の人間は勇者は勇者として生きることしか認めない。
その生き方しか認められない――普通の人間として生きれば失望される、期待される。
それでも何もしなければ、人として正しく生きるという分を越えて、何も出来ない能無し、高を括った乾いた笑いを浮かべられる。普通に正しく、優しく生きるだけでは許されない。この世界の住民のいる場所で異世界人は勇者としてしか生きられない……!」
その点彼は上手くやっている――いや、なにも役に立つ能力が無かったから、最初から普通の人間として生きていたのだろう。運が良かったのだ。力が無ければ期待されることはない。
しかし、それは彼の話。
「――だからせめて、これから来る者たち、いや、異世界人達にとって本当に生き良い場所を作るには同じ異世界人の街が必ず必要になる。その為には出来る限り向こうの世界と同じ世界であった方がいい……だから」
それにはだ。
「一度、勇者は無価値であることを知らしめなければならない」
この世界に向こうの現代文明を完全に普及させるには、それこそ百年単位での進歩の時間が居る。価値観や生活習慣、文明、文化様式……。この世界はまだまだ向こうの現代社会に比べれば未発達だ。魔法や魔術になれていたからこそ科学概念の必要性が身に着かない。
だが、その利便さで勇者が利用されることになっている――
いつまでも夢を見ている人間が、勇者たちを利用しようとしてしまうのだ。
「だからこれ以上、勇者を――異世界人を成功させてはならないんだ」
勇者連盟が――国の機関が利益を上げるのは問題ない。
そこで稼いだ利益を使っていずれは異世界人だけの街を作る――理想は国だ。
この世界に残った異世界人の子孫も――過剰な期待に晒されコンプレックスや迫害に苦しんでいる。いわれのない誹謗中傷なんてざらだ。勇者の子供なのに無能なのかと。そんな人間が普通に生きるには、同じ痛みの価値観を共有できる場所しかない。痛さを知らないと人は人に本当に優しくできない。どうすればその人が救われるのか、何に苦しんでいるのかを絶対に正確には感じ取れない。
「……残念だが、どんなに努力しても彼は異世界人だ……いずれはこちらに来ることを踏まえても、今のうちにこうしてしまった方がいい……」
これ以上有益と見られるのはまずい。
本当に心が折れた人間には昨日までの今日や明日は見れない。
最初に、心が折れる前に心変わりしてしまったほうがいい。傷は浅くだ。
だから、
「まあここまで来たらもう十分だろう、あとは放っておいても」
「……後のことはどうするんですかねえ」
「ん?」
「いや、彼らの町興し、失敗したら、そこに住んでる人達は……」
下手をするとスラム化、野盗や盗賊の集まりになる。無法地帯だ。この世界に限らず元の世界でもそんな時代も地域もざらにあった。
そこまで無責任ではない。
「もちろん救済措置ならある――我々の下請けでも一つか二つ、それだけあれば住民の雇用の維持は出来る」
「……そうですか」
「……何か他にあるのか?」
「いえ。これで彼も楽になりますね?」
「そうだな」
向こうで普通に生きれいれば楽だったろうに。
少なくとも、無用な期待など背負い込まなくても生きていられたのだ。
等身大の自分で。
「……勇者なんて、なるもんじゃないな」
その期待で、自分の背中は寂れ切っていた。
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