26話「天乃命/美枝香凛」

 目眩がするようだ。

 行燈の薄暗い明かりに影が揺らめき、彼女の顔に影を作っている。

「……どうして」

 夢の中で――それは、この世界に来てから、度々、彼女と夢の中で話をする――ただの明晰夢とか、記憶の整理とか、自己対話とか何かだと思っていた。

 どうして、彼女、天乃命がそれに答えられるのか。彼女が彼女の振りをしているのか? それともその逆か。

 夢を繋げて召喚すると言っていた、その名残とか後遺症なのか?

 命さんは十七歳――この世界で生まれたはずだ。あの町の人との繋がりは、たった一年やそこらで出来るものではない、本物である。

 自分より過去にこの世界に来たのか? 過去の勇者も、現代人が百年、千年と昔に表れているのだから、それはありえるが。

 それなら何故、彼女は天乃命なんて名乗っているんだ?

「……夢の中で……」

 今日、寝れば、彼女に会えるのだろうか。

 部屋に戻ろうかと思った。だが、鳴くような声で呟いていた彼女の声が離れない。

 免罪符と言わんばかりに、露出しているその手の平を握る。

「……もう少しだけ、待ってな?」

 卑怯だが、彼女の頭を撫でさせて貰った。

 彼女の隣を離れる。

 部屋を出てすぐに――

「……ミナカ様」

「……すこしは、甘えられたか?」

 神様は幼い顔で、年老いた母親の顔をしていた。

 見事に嵌めたそれを叱る気が、少し失せ冷静になった――怒りそうになっていた。

「……何をしたんですか」

「あれはの――素直になる薬じゃ。普段心に秘めている、言いたくても言えないことを、信頼する相手にのみ、素直になってしまう」

「……そんなもの」

「安心せい、あれは元々そういうものではない。言った通りただの美容品にしかならん。それを儂の力で――」

 噛み締めた力で歯が軋んだ。

「……済まぬ、そういうことではないな?」

 ため息を吐く――本気で嫌わずに済んだ。

 しかしそれだけで。何を言い何を聞けばいいのか分らない。頭の中はまだ混乱の只中にあった。

「……あの子は、何を言うたのじゃ?」

「……もっと、一緒にとか、やりたいことが……帰らないで……って」

「……そうか」

 まるで作り笑いのように頬を上げ、

「なあ、お主は……あの子の、近しい者じゃったのか?」

「……そうだったら、いいんですけどね」

「そうか、やはりの……」

 少し寂し気に、しかし満足げに、彼女は微笑んだ。

 そして、

「……あの子は……天乃命は儂の子じゃ。それは間違いない。もちろん血は繋がっておらぬがの?」

「……それで」

「稀人、については知っておるの?」

 頷きを返す。偶然、この世界に迷い込んでしまった者だ。

 まさかそれなのかと思うが、

「では……この世界に召喚される勇者の基本条件は、力と心、魂の資質じゃが、他にも条件があることは知っておるか?」

「……確か、元の世界に対して執着を持たない人間――」

「うむ、それゆえ天涯孤独の身や、己の人生に固執しない者が選ばれる。そしてこの世界に来る方法はもう一つある――」

 心臓に鼓動が奔る。

「……神様に呼ばれての転生」

「……もう、気付いておるのではないのか?」

 輪廻転生を拒み、生まれ変わることを望まなくなった魂の末路。

 魂の消滅を避けるため――世界全体で魂の総量は決まっていて、ある一定のラインを下回ると全ての世界が崩壊してしまう。それを防ぐ為、死が決まってしまった世界からそうではない場所へと送り、その死を無かったことにして優しい生を送らせることで、もう一度生きる意欲を与える。

 だが、

「……でも、美枝さんは、向こうでは眠ったままで……」

 転生という以上は一度死ななければならない。

 なら、それではない筈なのだ。

 しかし、それがもう単なる願いであることは分っている。

 誤魔化していたことがあるのだ。彼女はどうして『俺の所為ではない』なんてそれを残していたのか?

 あのとき、彼女はどんな状況にあった? 

 そんなの――

「――少なくとも、あの子は一度、自らの手でそれを選んでおる」

 喉の奥に、吐き出したくなるような痛みを覚えた。目頭が熱く――ひどく冷たくなった。

 体が眠り続けることを死と言うのか分らない。しかし、この世界での本当の死が魂の死を指すのであるなら、体が生きていても彼女は……。

「……まったく、あの子もいつか叱らねばならんの」

「なにを……」

「お主に話す必要はないの。これは母の仕事じゃ」

 そう言い、神様はふわりと浮かび俺の目元を拭った。それから子供扱いのように頭を撫でられた。優しい手だった。

 憮然としながら慌てて自分でもそれを拭った。

「――まあそういうことじゃ。あとはあの子に訊くとよい――儂はこの世界であの子の母親ではあるが、子細までは知らぬ」

「……神様でもですか?」

「勇気を持たねば己の恐れとは向き合えぬ。それは他人への信頼と愛情とは別腹じゃ」

「ああ、そういう意味で聞いたんじゃなくて」

「分っておる。見ようと思えば見られたが見んかった。……本人が向かい合えぬうちにほじくり返すなど余計に傷つくだけに決まっておろうが」

「……神様も怖かったんですね」

 単純に、彼女を傷つけることが、そして母親として嫌われること自体も。だから神の力を使わなかった、それにより距離が出来てしまうかもしれないことが怖かったのだ。正論を使ってでも今は触れるべきではないと判断した。

 その力を使えば簡単に傷を癒すことも出来たかもしれない、でもあくまで、人の親子として暮らしていたかったのだろう。

「……ふむ、お主は男にしておくのが勿体ないの?」

 どういう褒め言葉ですか。

 俺は神様を睥睨していると、彼女は誤魔化すように笑みを浮かべ、

「……儂は輪廻転生を管理する神ではないのでな? 分っておるのは、あの子が来たのは一七年前、気付いたらここに赤子の姿でおった……ということだけじゃ」

「十七年前――」

 それは向こうの世界で自分達がちょうど生まれた時だ。

 やはりやり直したかったのだろうか。

「ボンドよ」

「なんですか?」

「この世界でもう一度あの子の魂が死を望めば、今度こそ救いはない。出来ることなら、あの子の生き方を今はまだ、否定せんでやってほしい」

「……片想いの相手を?」

「ふふ、それは――天乃命にか? それとも」

「……それを言う相手は神様じゃないんで」

「うまく逃げおって」

「告白する相手は選べる――少なくと親への挨拶は娘の後です」

「まあそうじゃが――ああそれから、」

「はい?」

「いや……その、儂の事を嫌わないように、無理やり、ばらさせたようなものじゃし、その」

「ちゃんと親子喧嘩してください」

「うぐ、こ、怖いのじゃ、何せ旦那もおらぬから仲裁役がなくての、一度意地を張ったことがあるのじゃが張り通しで偉いことになってなかなか仲直り出来んで――プンプンしておるところがまたカワユくてのぉ……」

「ふざける余裕があるなら大丈夫です」

「――頼む!」

「はいはい。承りましたよ」

ダメ親め――しかしつい世話を焼きたくなるタイプ。

「じゃあ神様は娘の手でも握っていてください。それで起き抜けに泣きながら謝れば流石に許してくれるでしょ」

「なに? それでよいのか?」

「嫌われてなければ平気でしょ」

「いや、そうではなく……ここで寝ないのか? その、起きたら一番にそばに居たほうがいいのではないか?」

 うーん、正直、それもいいけど。

「……そんなの素で恥ずかしいですよ」

「純情じゃの?」

「……」

 告白もせずに片想いを続ける男が起きたら横に――って、女性には恐怖とかただ居心地の悪さ以外の何物でもないのでは? ホラーだろ?

「じゃ、待ち合わせの場所に行ってきます」

「……それなのに他の女子と話し込むなんて言語道断じゃの」

「やかましいですよ」

 俺は部屋へ行きさっさと布団を敷いた。そしてその上に横になり、後ろ頭に枕を合わせる。 深く深呼吸をする、二度、三度と、眠気を誘うように……。


 さあ、夢の中へ――

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