20話「幻の願い」

 ダンジョン。それは冒険者の聖地。

 暗い迷宮とか洞窟とか塔とかに限らず、その辺の原野や森に山、谷間なんかにも割と存在している。共通点としてはどれもが晴れない霧が立ち込めていること。

 開放フィールド型なら中からうすぼんやりと、迷宮型ならその周囲を覆う。それが不思議の境界線らしい、というわけで。

「ここかー」

 俺は命さんとリアの町、その近くの森に来ていた。当然装備を整えてだ。

 といっても普段着+短剣である。他に普段と違うのは、背中に大きな籠を背負って完全に山菜取り気分ということだ。あと森歩き用の棒も持っている。

 短剣もダガーとかナイフとかじゃなく、錆が浮き出た狩猟刀で、柄の部分まで金属の空の筒状、袋状に丸めてある。もう一本、鉈もある。

 それは森歩きで安全に藪をかき分ける為の棒に取り付けられる――兼用の槍だ。

 その帯剣用のベルト付き。何分素人なので剣とか刀とか弓矢は扱えない。

 そういう勉強はしていなかった。学校でも武道は剣道ではなく柔道で、その寝技も投げ技も関節技もスライムや猪、兎相手には使えないだろう。

 役場の装備を借りている。事情を話したら物置から出してくれた。

 たまに大人達で手分けして、町の安全の為にも集団で狩りを行うらしい。魔物じゃなくても野生動物は定期的に狩らないと大型の魔物の餌になりそれを呼び込むし、そうでなくても麓まで降りてきて畑の農作物が荒らされてしまうのだという。

 あるある。夜、人がいない時間に近所の農家さんの畑がよく猪や鹿に荒らされるのだ。道路とか線路とか自然と人里の境界を普通に越えて、たまに住宅地どころか家の庭までくる。

 そんな田舎ネタをファンタジーでも味わうとか、親近感湧くわ。

 ダンジョン探索じゃない。本当にただの森のピクニックだ。ていうか野良作業。

「準備は宜しいですか?」

「OK、OK」

 命さんは普通に巫女服のままだ。もうちょいピクニックぽいレジャーな格好でもするのかと思ったが残念。

 ただし弓と矢筒を背中と腰に、それから小刀もだ。

「命さん」

「はい。なんですか?」

「実は内心ちょっとビビってます」

「……普通の森と変わりません。大丈夫です」

「あ、そう?」

 失笑気味に言われ、なんとなく安心する。

 それから改めて俺は森へと足を踏み入れた。


 露の匂いがする。湿った苔や樹皮から立ち上る土と風の匂いだ。

 入るとき周囲にうっすら漂っていた霧はもう無い、別世界に切り取られたようだ。

 で、問題は、魔法の芋に必要な魔法の植物が必要なわけだが。片手に持った図鑑のイラストを頼りに。

「……」

「……」

 ガサガサ、ガサガサ……、ガサ、ガササ。

 地味に、長い棒で繁みを丁寧にかき分け探索する。小さなヘビとかスライムとか、そこから飛び出て不意打ちされるかもしれないからだ。

 それを斜め後ろから、俺の前方を含め周囲を警戒し命さんが護衛している。

 無言で。いやホント、昨日は危ない森でドッキドキ二人きりの疑似デート――なんて盛りあがった自分をバカにしたい。

 それはともかく、

「……結構普通の森だな、本当に」

「……期待外れですか?」

「逆逆。人食い熊とか出なさそうでホントよかった、て話」

「出ても、私はそれぐらいなら……」

「――マジで?」

「はい」

 うん、まあね、この守られてる現在位置ポジションでなんとなく分っていたけど。

「……俺本当にスライム相手に死ぬレベルか」

「……怪我をするくらいではないでしょうか」

「あ、フォロー無し?」

「危険な事なので」

 取りつかれたら本当に骨まで溶けるらしいです。

「でも、そのスライムもなかなか出てこないんだな」

 普通のバッタとかカミキリムシとかなら居るんだけど、どれもモンスターじゃない。ひょっとして熊を殺せる巫女さんが居るせいで敬遠されてるとか――

「あ、来ました。そのスライムが」

「えっ、言ってる傍から? そんな基本に忠実に?」

 フラグか? フラグは立てたら即回収されるのか? 願ったら叶っちゃうのか?

 周囲を確認しながら腰の狩猟刀を抜き、棒の先端に取り付け止め釘を横から差しロックする。突いたら捻らずに使わないと仕掛け部分が壊れるらしい。

 落ち着いて、腰を落とし、穂先を向ける。

「……あれが?」

「はい。あれがスライムです」

 湿ったふかふかの腐葉土と雑草、苔の上、こちらをみて並んでいるスケルトンな丸球が3個、目玉とか無く、ぷるんぷるんと整列している。

 なんだか様子を見てるっぽく、会話してるっぽくプッチン、ぷりんぷりん揺れている。

「家族かな」

「そうかもしれませんね」

「あのさ」

「はい」

「……襲ってこないんだけど」

「……ボンド君がただ見たがったから、ただ出てきただけなのかもしれませんね。敵意を感じません」

「何そのサービス精神」

 スライム達は横一列に並んで見ている。

 ターン制かよ。と言いたくなるくらい微動だにしない。こちらの動きを待っている。

 なので槍の構えを解いて穂先を外しナイフに戻して鞘に収めてみる。すると、スライム達は丸いお掃除ロボットが柔軟に移動するようこちらに近づいて来た。

 そして、おひねりを強請るっぽくコップの形にその体を変形させる。

「……ええっと、ちょっと待ってね」

「……猫にあげちゃう人なんですね」

 いや、思わずポケットを漁ってしまった。

「……あ、飴玉なら」

 スライム達はそれでいいというようにコップになった自身の体を揺らした。

「……はい。じゃどうぞ」

 包みから出して一人一つずつコップに入れる。飲み込むとうねうね、シュワシュワと中で転がし甘味を堪能していく。

 徐々にそれぞれが飲み込んだ飴の色に体が染まっていく。

「……ひょっとして今こいつらフルーツ味?」

「……そういう問題なのですか?」

「うん。……スプーン入れればゼリーとして食えそう――」

 スライム達はビクンとした。

「あ、安心して、食わない喰わない」

 そう言うと、彼らは何やら肉体言語で相談し始め、猫が額を差し出すよう伸びをしてくる。うん、餅を伸ばしているようだが。

 撫でる。三匹それぞれに丁寧に、くすぐったがりの子には触れるか触れないかのフェザータッチ、自己主張が激しい奴はちょっと強めに揉んで捏ね上げて、怖がりな奴は赤ん坊をあやすようにぽむぽむ撫でた。

 スライム達はその身を震わせ始めた。

 ――スライム達の様子がおかしい。

「……進化か?」

「いいえ。これは……まさか」

 次の瞬間、彼らは素早くフォーメーションを組みそして変なポージングと共に合体――

 爆発した。


 ボムボム、どかんどかんボヨンボヨンとスライムが飛散しスーパーボール並に跳ね回る。それに直近していた俺はタコ殴りのような打撃の雨に直撃していた。

 痛い。でも命の危険はない。熱々の弾けたポップコーンを一気に顔面で受け止めたみたいな痛さが全身からだけだ。

「……何今の」

「……多分、スライムの子別れです。初めて見ました」

「子別れ?」

 そこら中がカラフルな原色生命体の破片に彩られる。こう、開かないグミの袋を全力全開で開けちゃったみたいな。

「……これ、殆どスライムの核ですよ。ここからまた成長して少しづつ大きくなるんです」

「え、あ、そういえば――マジ?」

 軽く屋台のスーパーボール掬いくらいある。質量は三匹ぶんのようだが、およそ求めていた量は手に入るだろう。

 とりえず二人して拾い籠の中に放り投げながら、

「普通は倒すと一匹に付き一個ほどなのですが。……スライムに認められて……気持ちよくしてあげるとこうなるそうです。……冒険者の方々はやらないという話ですが」

「へえ、そりゃなんで?」

「危険だからだそうです」

「……ああ、これが全部成長したら?」

「いえ、その前にほとんどが食べられてしまうので――ああして爆発して茂みや木のうろの中に落ちるよう広がるようにするそうですので、そこは大丈夫です」

 生物界の掟か。

「じゃあ、問題ないんじゃ?」

「いえ、今の爆発で森の魔物が引き寄せられるはずですから……」

「ああ、食べるって言ったね――」

 つまり格好の餌だ――

 うん、ここにいる俺達もじゃないのか?

「……ブービートラップじゃないの?」

「……冒険者の方々はそう呼ぶそうです」

「……早く逃げないと」

「いえ。この森にいるくらいの魔物なら、集まっても小さな虫位から野兎、野ネズミ、それを捕食する鳥類でしょうから。ボンド君にはちょうどいい訓練になると思いますよ」

「訓練て。俺一般人だよ? ここは逃げる一択じゃないの?」

「いいえ。勇者です。私はそこの木の上で矢を構えていますね。本当に危険だと思ったら射ます」

「そこの――」

 振り向いた瞬間、彼女は軽くしゃがみ込むと反発するよう飛び上がった。

 そして大木の枝を足場につま先で座る。それから片膝に崩し、さりげなくスカートと同じように膝裏に袴を上品に手で押さえて脚を包み込んで、宣言通りに弓と矢を用意する。

 さりげなく人間越えの動きだが。

「……今の魔法?」

「はい。体の感覚に飛ぶイメージを乗せるんです。出来る方は無意識に使います」

「すげー」

「……来ました」

「え? どこどこどこ!」

 また慌てて棒に狩猟刀を装着する。レベルアップするのかな俺。へっぴり腰で。

 すると、

 ――モフ。

 モフモフのぷっくりした口元。ぴょんぴょんひょこひょこ歩く足。

 もこもこに盛り上がった太もも。

「……兎です」

「武器を捨てて話し合おう」

「……動物、好きなんですね」

「まあ――うん」

 猫にエサは上げない――その上で撫でるだけで篭絡して見せるとも。

 それでこそ真のモフリスト。

「でも魔物です」

「まあこんな兎一匹くらいなら」

「肉食です」

 ……スライムの核を一個モフモフの彼の元にスローイングした。

 菜食主義のはずの奴はそのアミノ酸の塊をしっかりキャッチし口の頬袋に○っと収めた。二個目を要求してこちらを見てくる。それも後ろ足でしっかりタンタン!と威嚇行動スタンピングまでして。

 やる気だ。力で奪い取る気だ。でも可愛い。

 俺は、籠を静かに地面に降ろし、万全の態勢で、武器をすべて捨てた。

「ボンド君、素手で魔物はちゃんと訓練してからでないと――」

「元飼育委員の意地を見せよう」

 兎の相手なら既に経験済みである。魔物であろうと弱点は変わらない筈だ。

「……来い」

 俺は無手で毛玉と勝負する。


 魔兎は合図とともに疾駆、そして空中へと飛びそのモフモフの足を振り上げスピンしながらあびせ蹴りを放ってきた。

 兎の動きじゃねえ――!

 だが悲しいかな小動物だ。そしてそれぐらいの早さなら小学生の時脱走した兎で経験済みだ。

 横にスライドしながら前に踏み込む。半歩斜め前へ、そのつま先を内側に、後ろ足は踵からスベリながらもしっかり重心を真っ直ぐ下に降ろすことを意識する。そうすることで無駄な勢い無く最小限の速度と半径でウサギの後ろに回り込んだ。

 ローリング中の背中はがら空きだった。耳を即座に掴みそして撫でるようその背中に手を添えながら、自分の手元に引き寄せ両膝を地面に降ろした。

 音もない正座と共に仰向けに抱っこした。と同時に目に手の平で蓋をする。

 視界ゼロ、そして、もはや身動き取れず命を握られたに等しい魔兎は、抵抗できなかった。

「おやすみ」

 悲鳴も上げられない。

 全てを理解できないそんな状況の中無慈悲に手が降ろされる。

 決着はその時点でついていた。

 俺はまず耳周りからあごのラインを指の腹で優しく押しながら――徐々に手の平全体でそのふわふわでムニムニの無防備な腹を撫で摩った。

 でも逃げられない、兎はその体勢に思考が停止していた。自然界で無防備に腹を見せる行為は信頼か死で強制的に取らされるそれは屈服だ。しかし気持ちいい――意味も分からずそう言いたげに、ぴく、ぴくん、と時折その足が震える。すぐに戦意は解けだらんと絨毯のように広がった全身からだらしない姿をさらしていた。もはや手で目隠しもしていない。しかし至福! と言いたげに目を閉じたまま口元をモフモフ半開きにしている。

 そしてそれは既に一匹ではなかった。最初のそれは既に昇天し地面に仰向けで熟睡中である。

 撒き餌(スライムの核)を目当てにやってきた他の魔兎も次々と涅槃へと送られていた。昇天の余韻で横一列に並んでいく姿を見て、現在進行系でモフられて至高の世界に連れていかれる姿を見て、やがて兎達はスライムの核が目当てではなくその膝上を求めて殺到しだした。順番に、

「ほら、おいで?」

 順番に、丁寧に丁寧に気持ちよさげに横たわらせていく姿に兎達はやがて自分たちが食べている草を無言で置き始めた。

「――珍しい植物はある?」

 貢いだ。貢がされた。貢いだ子から可愛がられた。

 それも濃厚に。余りの気持ちよさに暴れ回る毛玉も居たが数秒でビクンと動かなくなった。雑草しか見つけられない申し訳なさそうな子も丹念にモフった。

 くやしげにしている子もいた。リベンジに挑みかかる子もいた。モフった。

 最初は皆鳴き声を上げなかった、兎は滅多に鳴かないのだ。でも鳴いた、泣かないと耐えられないようだった。途中からはむしろ啼きたがった。モフった。

 やがて動ける兎は一匹もいなくなった。

 全滅だ。


「――ふう、」

 いい汗を掻いた。さいこうのぷにぷにとモフモフのワンダーランドだった。

「……終わりましたか?」

「――もう二回戦はいけるけど……」

 それを聞いた瞬間、これ以上は本気で耐えられない! と、絶望と天国の狭間な顔で兎達は首を横に振っている。確かにこれ以上は体力が持たないだろう――リラックスのし過ぎでも精神と肉体は壊れるから。

 俺は立ち上がる。

「素材はこんなところでしょうか――少し先に安全な場所がありますから、そこでお昼にしましょう」

 最初は周囲を警戒していた命さんも、木から降りて貢ぎ物を同じ物事に包んで整理し籠に入れていた。そのとても丁寧な仕事に、

「うわ、すごい綺麗じゃん」

「……これぐらい普通ですよ?」

「ううん。それでも助かったから。ありがとう」

「……どういたしまして。それじゃあ、行きましょう」

 程なくして、巨石がごろごろ転がる森の裂け目に出た。

 そこで周囲を警戒し、巨石に背中を守らせ、交代で荷物から水筒などを取り出し、ちょうどいい大きさの石を椅子にした。

「……どうぞ」

 布の包みを手渡される。解くと中から朴葉で包まれたおにぎりが見えた。

「……うわ。美味そう……頂きます」

 早速食べる。塩の効いたお米に蒼い朴葉の香しい匂いが移って、中の具である蒸し鶏の柔らかい甘さ引き立て合っていて嬉しい。

「うま。笹で包むとかは聞いたことあるけど、朴葉ってこうなるんだ」

「――包んで軽く蒸しているので、悪くなりづらく、しっかり香りもついて――それにこれなら、食べ物匂いも森の匂いの中に誤魔化せるんですよ」

「へえー、すごいな命さん」

「……教わったことですから、ボンド君にもできますよ?」

「じゃあ、今度一緒に教えてくれる?」

「……いえ、その、これは私の仕事ですので」

「……あはは。秘伝は教えられないんだ」

 何故だか彼女は、ほんの少し疎まし気に唇を窄めて、おにぎりにパクついた。

 自分が努力して磨いた技術や発見した知識はそうやすやすと教えられるわけがないだろう。けち臭いとは思わない。

 それとは別の理由っぽいが、褒め過ぎて照れているのだろう。ちょっと自重した方がいいか。

 海苔ではなく葉で包んであるので、汚れた手のままでも食べられる。しかし行楽弁当と同じか、桜の花見でバーベキューはせっかくの淡い香りが掻き消える。

「……そういえばこうして二人で出歩くのって初めてだよね」

「……そうですね。そういう機会もありませんでしたから」

「普段は――ミナカ様のお世話に、お守り作りとか、街中での祭事の代行だっけ?」

「ええ。最近は新しく家を建てることもないので。季節の変わり目に、天候の祈願などで畑に出向くくらいですね。そして、一番多いのは出産の後の祝福でしょうか」

「あ、来れないから?」

「ええ。なにより、一番やりがいがあります」

「――そうだろうなあ……出産と言えば幸せの代名詞みたいなものだし」

「……私は孤児として生まれましたから、そこに人一倍強い憧れや、願いの様なものもありますので」

「――そうだったんだ」

「はい。生まれた時には、もう、ミナカ様に抱かれていた記憶がありますので。逆に、親と言えばミナカ様の事だと思っていますので、それほど寂しいと感じたこともないのですが……普通の家庭とはどういうものなのか。今もちょっとだけ、知りたいですね」

「……そっか」

 まあ、あの神様じゃ、普通より賑やか過ぎるところもあるかもしれないか。

 ……いや。

「……でも、十分普通の家族だと思うけどな」

 あの騒がしさは。

「……そうですか?」

「親がちょっと口煩いっていうか、訳もなく騒ぎ立てたり、面白がったり、ふざけてからかわれたり――何気に過保護だったり、放任的なところも。探してみれば、どの家族にも普通にあるから。もちろんダメなところもだけど、大丈夫だよ、みんな実は変わらない」

「……そうですね、そうかもしれません」

 もちろん本当に普通じゃない家族も多々あるが。この家はそうじゃないと思う。

 それと同時に、彼女は、自分はそうじゃないと思うかもしれないけど。

「……ボンド君の家族はどうだったんですか?」

「……うーん。そうだなあ……普通に普通のダメ家族かな。毎日生きることに精いっぱいで、子供の面倒も仕事で疲れてるを言い訳にして押し付け合うような親だったし、多分普通じゃないの部類に入るのかな。でもちゃっかり、進路には口出ししたり、間違ってないこと言うし、子供の頃には旅行にも行ったり休みの日に遊んだり――なんか訳分んなくて矛盾だらけでごちゃごちゃになってる――しっちゃかめっちゃかな家族で。でも聞いてみると他の家も割とそんなもんだって聞くしなあ、どうなんだろ……」

 幸せでも不幸でもない普通と言うか。割と何とも言えない。

「……うん、アレだ」

聞いて? という視線を送る。

「……なんですか?」

「みんな苦労してる」

 一本筋が通った人間も組織も家族も滅多にいない。善とか悪とか一言では語れないのってその所為だろう? そういう場所って、そこに居る人は割となんとも言えない毎日をどうにも出来ず過ごしていると思う。 

 彼女の背中がハッとしている。ほんの少し、納得してないような空気もある。

彼女はまだ頷いていない。が、まあ俺がしたいのは彼女にそんな共感を得たいのではないので別にいい。お仕着せがましいが、

「――だからって訳じゃないけど、もし何か苦労したら、そのときはこうやって話させてくれる?」

 そういうことだ。その意図が伝わっただろうか。

 普通であろうとなかろうと、勘違いをしていようと、彼女の味方になりたいのだ俺は。

 それはこの世界といずれは別れる以上、軽口の安請け合いなのかもしれないが、そう言わずにはいられなかった。

「……分りました。その時は、是非、お願いします」

 彼女はそう言った。

 相変わらず眼は見えないけれど、口元だけは確かに笑っていた。

 

 森を歩く。

「……それにしても、ちょっと予想外過ぎます」

「うん。俺もこれでいいのかと、ちょっとおかしなことになってる気はした」

 魔物をモフって倒すとか。これ絶対ステータス的なレベルアップはしないだろう。

 ダンジョン攻略なんだよな、これでも、冒険と剣と魔法の世界なのに。

 まあ最初からおかしかったか。勇者なのに町興しだもんな、別にいいか。

「……でも熊が出てガチバトルよりましだと思わない?」

「……これから出たらどうしますか?」

「逃げる」

「逃げられませんよ」

「まあそうだろうね」

 熊って原付き限界速度で走ってデカい奴だと軽自動車並に重いしな。

「……まあ、目的のものはほぼ揃ったわけだから――あとはダンジョンの踏破だけ?」

 普通の植生から手に入る薬草や野草、樹木系モンスターの苗木やへんな生物系の草も、しっかりアイディアに出ていた材料はほぼ確保できた。あとはそれ以外、未知の可能性の分野、完璧な【魔法みたいな芋】用の素材だけだ。

 つまり、俗にいう、クリア報酬だ。

「もうすぐ開けた場所が見えます。そこがヌシの領域です」

「……やっぱ熊かな?」

「何になるかはその人次第ですが。魔法のお芋の材料を希望しているので、植物類かもしれませんね」

「ああ、喋る木とか歩く木みたいな?」

「一応、街の人では一人では太刀打ちできない相手になりますので。本当に命に関わりますよ?」

「――おふざけは出来ないんですね」

 念のために持ってきたハチミツは永久に仕舞っておこう。熊は流石にモフモフで乗り越えられる相手ではない。

 武器は最初から用意して歩くようになった。

 こころなし、この森に入ったときの霧が増えてきていた。いや、それが明らかに、地面から水蒸気が立ち上るよう辺りを白く覆い尽くしていく。

 濃霧だ。光を吸い込み、森の木陰をより強く強調し、薄透明な闇に仕立て上げている。

 森の音がしない。木々や虫、風の音が。いつの間にか静けさが――あの神様が現れた時の無音空間が広がっていることに気づく。

 不気味だった。超常が起こる気配に緊張していた。

 それが途端に晴れる。

 境界を越えて、そこには晴れの日差しが降り注いでいた。

 森の広場――

「……」

「……」

 居る。それは酷い巨体だった。それを見た瞬間俺たちは閉口していた。

 それはバリバリ、木を野菜スティックのよう高速で咀嚼している。

 それは真っ黒の毛皮をしていた。

 クソ馬鹿でかい兎だ。

 馬――いや、ワゴン車並みのデカさと厚さの兎――兎か? 丸に直接ウサギ耳と手足をくっつけただけのゆるキャラが、先ほどモフり倒した兎達に囲まれている。

「――どうぞ」

「いやいやいや、あのデカさは無理。ちょっと飛び込んで抱き着きたいけど……熊は?」

「……」

「……あ」

 あ、こっち気付いた。

 木屑をまき散らしながら、巨大黒丸ウサギはそれを建機のように吸い込みモシャモシャ、ごくんと呑みほす。それからゲップをしてはぁーと溜め息、鋭い目つきをこちらに向ける。

やる気か。いや、まさか食べる気か? あんな建機みたいな食べ方されたら一瞬でミンチと血の海だ。

 取り巻きの兎達がこちらを――俺を見るなり「――あいつです!」と言いたげな仕草でひっきりなしに何かを訴えている。

 大きな黒丸は何やら感心するような仕草でほうほうと頷き、ゴロンと横になった。

 そして、その長い耳を手のように動かし、クイクイ、ちょいちょい、と、自分の腰を指してうつ伏せのまま「――さっさとしろ」と、横眼の流し目で指図してくる。

 なるほど、確かにこのダンジョンのBigBoss――ちょっとヤクザの親分ぽい。

 人食い熊よりマシだが別の意味で酷い、ボスってそういう意味じゃないだろ。

 命さんが半ばあきれているような気配がするが振り向けない。これ、俺の所為じゃないだろう? 別にそんな胸キュンアニマルで癒しなんて求めていない。

 それはともかく。すっかりマッサージ待ちの親分に。

「いえ、あの……その丸さでは登頂できないんで」

 デカいし。

『――仕方ないわね』

「あ、喋れるんですか」

『ええ、そうよ?』

 ていうか気怠げな女の声がした。雌かこいつ。

 それは、何やら周囲の霧を集めて煙幕を作った。その中で陰影が凝縮されていく――

 ウサ耳を生やした人の形に。それが霧の中から出てくる。

「――これでいいでしょ?」

「……え?」

「なに?」

「いや……」

 その姿は、仮面をつけていない素顔の命さんだった。

 そしてバニーガールだった。


 大人っぽい黒のレオタードに網タイツの、アダルトで色っぽく生足が締め付けられた。

 それだ。ハイヒールで。

 すごい物を見ている気がする。

 何故か胸がぺったんこに減量されている。何故だ。

 丸い尻はそのままだが。

 ……ダンジョンって、人の願望に影響されるんだよな。

 はっとした。つまりそういうことだ。幻滅されると思って彼女を見た――が既に彼女は酷く硬直してこちらを見ていた。

「――いや、いや! 俺こんなこと欲望に思い描いてないから!」

「……」

「眼を見て」

「……いいんです。男の人として、むしろ大人しいくらいではないですか?」

「普段どんなの想像してると思ってるんだよ!?」

 お互い、耐えきれないといった様子で。

 いや、男がそんなAVみたいなことばかり希望してると思ったら大間違いだ。むしろ女なんかよりよっぽど純情な妄想してる男が一杯いるからな。

「……分りません。そんなこと考えたこともないです」

 ホントだろうな? 女って男よりエグイところあるし。

 そもそもバニーガールより普段の巫女服の方がよっぽど――

 はっ。 

 考えた瞬間、バニーガールの命さんが――何故だか巫女服の巫女さんになっていた。

「……」

 不審者を見る視線で、おまわりさん、この人です! の一歩手前の顔をしている。

「ち、ちがう、普段からそんな眼で観てるなんてことは絶対……」

「……絶対?」

「絶対……ない……」

 言い切れない。

 ごめん、本当はいい景色だな……、とか思ってました。

 言えない。言ったら確実に終わる。

 ――ていうか、今は目の前の景色がそれ以上にやばい。

 二人いるのだ。明確な区別は脅威の胸囲のボリュームのそれが。豊、貧、どっちの命さんもイイわけで。ある意味最高の贅沢状態なわけで。

 じゃない。おっぱいは全面的に素晴らしい。でもない!

 そして兎の彼女は彼女を見て告げてくる。

「――そうじゃないでしょう?」

 まるで全て分っているというような。

 幻惑される。そこに本物の命さんが二人いるようだ。

 いや、素顔のそれはむしろ、彼女は美枝香凛みえだ かりんの顔をしていて、彼女に言われているようで。

 それが唐突にふわっと、腰と腰を押し付けるように低い位置に腕を回してきた。

 動けなかった、正面から抱き着かれている。そして無い胸を押し付け、ウサ耳で器用に俺の耳とあごをくすぐり、ぺちぺちと頬をビンタしてきた。

 彼女ではない証拠――それが無かったら吐き気がしていたかもしれない。

 彼女を見ながら、挑発するように、

「兎は寂しがり屋だから、一人だと死んじゃうのよ?」

「俺はこんなことさせたいとか言ってほしいとか思ってませんから!?」

 流し目で、また兎の彼女は彼女のことを観る。

 彼女の方が偽物だというようだ。

 まるで比べて欲しいと言うようだ。

 混乱する。まるで美枝に責められているような。

「……ほら、素直になりましょう? どうなるのか興味あるわ。あの子たちみたいに可愛がって?」

 そうだ、これが俺の願いなら――

 強く心に念じる。

「絶対こんなこと言わない! 命さんはこんなこと言わない!」

 何より美枝はこんなところに居ない。

「本当は可愛がってほしいの。もっともっと一緒に居たいのよ?」

 こんなこと言って欲しいなんて俺は願っていない絶対に。でも消えない。こんなねつ造された可愛さなんて俺は彼女に求めていない。彼女にではなく彼女にそう願ってはいたこともあったが――それは弱音を吐いて頼ってほしいという意味で――

 違う違う違う、そんなおこがましいことは願っていない。俺は彼女にただ幸せになってほしくて、少しでも重荷が軽くなればと思って――

 彼女と彼女と彼女の姿が眼の奥で重なった。

 そうじゃない。今目の前の問題は目の前の命さんと俺の事だ。

「――あら、間違ってないわよね?」

 命さんは、何故かひどく青ざめた顔で絶句していた。

 軽蔑されたのだろうか。まさか――そんなことはないだろうが。

 居ても立っても居られなかった。この誤解をはやく解きたかった。

「……あああもう!」

 もうわけが分らず、理屈ではなく咄嗟に俺は偽りを振り払い本物の彼女に駆け寄る。そして暴力的にギュッと抱き締め叫ぶ。

「――全部! 俺にくれ!」

 その瞬間、兎達は全て霧になって消えた。


「……や、やったのか?」

 それは言ったらいけないセリフだとかそういうことを考える余裕もなかった。

 復活する気配はない。そして霧が消えたそこには、兎マークの緑石と、木の実のような種が数粒落ちていた。

 あと、バニースーツも。それは捨てていこうと思う。

 ギリギリだった。命の遣り取りより危険な戦いだった。確実に俺の中の大切な何かを削り取った。

 そして、

「……」

「……」

 命さんを熱烈に抱き締めた状態であることに気づく。彼女は俺の胸板に埋没しながら俯いていた。

 いい匂いがしている。腕の中に柔らかい重みと、そして固さがある。

 強張っている。どこか身を守るようなそれに、俺はゆっくりと腕を解いて一歩後退った。

 彼女は半ば俯いたまま、押さえつけられ乱れた髪をいじり、

「……すごい力でした。……言葉も同じくらい」

「……」

「……困ります」

「……」

「……あまり、思わせぶりなことを、しないでください」

「……うん」

「あなたは、帰るんでしょう?」

「……分った。これからは気を付けるよ」

 ただ、叱られているんだろうか。

 彼女は顔を上げ、泣きそうなのか、歪んだ口元でどうにかいつも通りの澄まし顔をしようとしていた。そして、落ちていた種と、兎マークの緑石と、スーツはスルーして。

 俺たちはその場を後にした。

 出口に無言で向かって歩きながら、そぞろに辺りを見渡すことを義務にして、彼女とはろくに目も合わせられないまま、思う。

 あのとき、偽物の彼女と、ここにいる彼女と――

 そして、俺の中にいる彼女が居た。

 もし、もし本当に――元の世界に帰るとき、俺は何も想わずに帰れるのだろうか?

 そんな疑問が残った。

 そして――


 街の様子がおかしかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る