閑話「14話、起きたらそこは」

 夢が終わる瞬間。

 彼女を掴んだ。

「っ――」

「……」

「――っ、あのっ……!」

「……もっと一緒にいよう……」 

「――」

 頭が酷く揺られる。夢から覚めそうだ。

 掴んだ物を離したくない。

 しかし、素晴らしい弾力と温かさだ。

 久しぶりに彼女と話した。もっとよく寝ていたい。話し足りない。 

 だからがっしりと両腕で抱える――最高の枕だ。もうちょっと寝よう。まん丸を二つ合わせたような、意外にみっちりした、それを五指で力の限り揉み込んだ。

「ぃ……っ、~~っ!」

 押し殺した声で悲鳴を上げているが、妙に色っぽい気がする。

「っ……くっ……」

「ごめん……もう少しだけ、寝かせて……」

「……後で、謝り過ぎないでくださいね……」

 なんのことか、でも、髪を撫でてくれる手が気持ちいい。

 うつ伏せになって寝ていた。何時寝返りを打ったのか。でも微妙に枕の位置が合わない。大きな枕のわりに、妙に横幅が狭い、この規模ならもう少し上に登れば楽になる気がする。

 ほふく前進し登頂した。長い谷の間を、また肉っぽい丸二つの枕を五指で更に握り込む。

「痛っ。――ぁ! ちょっ!」

 あごでよじり上る。枕を腕で思い切り引き寄せた。

 すぐに弾力の壁に突き当たった。何故、壁が、いや、クッションか。枕の上に手の平を、サワサワ確かめる。枕より細い。そして柔い、適度な抱き枕だ。くびれているから掴みやすく揉みやすい。

「ふっ!? ……、~~っ!」

 でも丸い方がいい。やはりそちらに手を落とす。一揉み、二揉み、三揉み、最高のふっくらむっちり感だった。

 それを両腕でがっしり抱え込む。なぜかひどく安心した。

 そしてうつ伏せの口元、穴あきの枕なのか、いい感じの窪みがある、三角形の。

 あご乗せではなく、完全に下を向き埋没する。

 呼吸が楽だ。おかげで寝息が楽に出来る。すー……、はー、すー、はー……。

「――ひっ! うぁっ! ~~?! っ!?」

 それ以上の致命的な何かの進行を抑えようと、頭の上からなんぞの両手がプレス加工した。

 窒息しそう。振り払う為、さらなる空気を求め穴の奥を目指した。底を鼻の頭でかき分けるように――枕カバー越しに砂利のような繊維質を感じた。

 摘みたての花のような、香水の濃密な匂いがする。

 限界だ、息ができない。

 より強烈に吸引した。

「いやああああああああああああああああああああああああああああああ」

「ごっ!?」

 拳が全力で打ち下ろされ、谷が真っ二つに分れて畳に顔が叩き付けられた。


「――なんでも致します」

「……」

「……もういっそこのまま頭を踏んでください」

 土下座していた。それはもう潔く丁寧に畳みに頭を擦りつけて。

 彼女は割と素直にぐりぐりと遠慮なく踏んでくれた。足袋を穿いた足裏で、

「……許すつもりでした」

 うん、もう許さないんですね?

 でも力加減しているその所為で頭皮マッサージでしかなく逆に気持ちいい。いやそういう変態じゃなしにだ。

「なんじゃ。ついにヤッタかと思えばただのラッキースケベか」

 神様は嬉々として炊き立てのお赤飯片手に『責任結婚!』と掛れたタスキを俺に掛けていた。真面目に、ふざけず彼女の味方をしなくていいのか?

「――なんでも致します」

「……何もしませんでした……」

 忘れてくださいという事ですね、分ります。

「なんでも致します」

「……本当に疲れてると思って、甘えてくれてると思って……」

「……なんでも致します」

「……本当に寝惚けていたのですか?」

「……なんでも致します」

「本当は起きて」

「寝ていました。何も覚えておりません」

 この犬畜生め(行為の内容的にも)を罵ってください。

 状況は理解している。俺がどこに顔を埋めていたのかも緋袴に着いたよだれの位置で分かった。ちょっとおもらしみたいになってる。本気でシャレにならないと思っている。何を鷲掴みにしていたのかも分った――以前の目視確認のふっくら感と違い、けっこうな弾力があった。

 正義の鉄槌を下した後、彼女はさらに全力の膝で蹴り飛ばし、俺の頭蓋骨を陥没寸前まで飛ばした――プニプニした脂肪で覆われているが、あの弾力は、ふとももの奥に紛れもなく鍛え抜かれた筋力を隠し持っている。

 蹴殺されるところだった。いや、悩殺されていた?

 ――じゃない。

 寝惚けていたとはいえ、俺は最低だ。

「……償いをさせてください」

「……どうすれば、いいのでしょうか」

 彼女は俺の頭から足裏を離した。

 俺は顔を上げる。

 そして、真面目に気まずげく顔を合わせた。

 いや、どちらも、合わせられずに半分目を逸らした。

 恥ずかしい。

「……いやらしいことを、楽しんでいたのではないことは、分りました」

「――でも、納得はできないでしょ。だから遠慮なく一発、全力の平手打ち、どうぞ」

「でも、……事故ですから……」

 そんな完全に泣き寝入りの顔をされても逆にこっちが泣きたくなる。

 本当に牢屋に繋がれるレベルの事をしでかしたことは分る。

「……拳で一発、いや、」

「……悪気があったわけでは……」

「やれやれ、どちらにしてもお互い収まりどころが悪いのであろう?」

 お互い困りながら、神様に頷いて見せた。

「なら、こうすると良い――今度デートして来い」

「……こういう時ぐらい真面目にお願いしますよ」

「……」

「なんじゃその空気読まないアホを見る目は。真面目じゃ、真面目じゃよ」

神様は慈愛に満ちた声色で、

「――お互いを大切に想い合うのじゃ。――それがお主らの本当にしたい事じゃろう?」

 存外に的を射ていた。びしっと指を立てて言うそれは、目から鱗というか、霧が晴れたというか。

「いや、でも、」

「自覚のある者に罰は不要じゃ。罰とは本来真っ当な道に戻る為にすること――じゃから結論から言えばそれが一番の罰じゃろう?」

「そう言われて見ればそうなんですが……」

「刑期など、己の罪を忘れぬよう心に沁みつかせたその生き方を身に着ける準備期間であって、まだ実質としての償いを行っているわけではない。贖いを受けているのじゃ。本来罰を受け罪を償い始めるのは贖い終えて初めて始まることなのじゃ」

 塀の中で規則正しい生活と奉仕活動をしても、罪に対しに何が還元されると思う? ということなのか?

「罰せられることに満足するな……って、ことですか?」

「そんなところじゃな。それで? これからお主らはどうするのだ?」

「……ラッキースケベ撲滅。それと、命さんに清く正しく、優しくさせて頂ければ……」

 ちらりと見る。彼女は悲しげな顔をしていた。

 ああそうか。分っていなかった。要するに、俺が度を越して疲れていたから――頑張り過ぎていたから彼女は普通は絶対に許さないことを許してしまったわけで。

 それが原因なので。

「……甘えられるときは、甘えさせてもらいます」

「……」

 じっと見てくる。嘘は言っていないぞ? 

「――命は?」

「私は……」

「命よ、どうしてこやつがお主に甘えようとしなかったのか、分るか?」

「……ボンド君は、自分に厳しい人だから」

「それだけではない。……お主もこやつを頼りにはしなかったではないか。それでは、その厳しい男はお主に甘えようなどとせんだろう?」

「ですが今彼は――」

「ならば、それが過ぎたら?」

「……」

「ほれ、この似た者同士め……。だからじゃよ、自然に甘えられるよう、もうちょい仲良くして来い」

 彼女と目を合わせる。分った。言われた通りなのだが。

 返事は来ない。まだ自分の落ち度としか感じていないのかもしれない。

 彼女の眼から見て俺はお客様ゲスト――それに自分から甘えることなど、口が裂けても出来ないだろう。

 例えば、ただ子供みたいに遊べ――それで自然に甘えられる関係にはならなかっただろう。現状、それ以上の一つ屋根の下の共同生活をしていてそれなのだ。

 なら、

「じゃあ……」

 俺はベタだが、腰を曲げて一礼しつつ、

「……命さん、俺とデートしてください」

 握手を差し出した。ストレートに行った。何気に人生初のそれだと言うことに気づき時間差で耳まで赤くなった。

 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……秒経った。

「……わたしで、よければ……」

 本当に遠慮がちに彼女は、それはもう掴んでいるのか分らないくらいにふわっと両手で包み込んだ。

 それは上目遣いでこちらの何かを伺いながらの――

「……デートはデートですよね」

「何の裏どりをしとるんじゃ?」

「なんか咄嗟に」

 いやだって、思わせぶりな態度なんだよ。本気のデートなんですか? って訊かれてる感じがしたんだよ。

 予防線くらい張らせてくれよ。こちとら女の子と付き合ったことなんてないんだから。同級生の女子とだって下手にカラオケにすら誘おうもんなら次の日からえらい揶揄からかわれて迷惑かけるんだぞ?

「……お嫌でしたら」

「超嬉しいっす」

「最初からそう言えばいいのにのう」

「普通の男にどんなイケメン対応を求めてるんですか」

 でも、そんなわけでデートをすることになりました。


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