9話「異世界ローカル事情、ぶらり編」

 和風とも洋風とも言えない景色が広がっている。

 さっきまで、ドラゴンとかグリフォンとかヘンテコ鯨とかに宮大工の神社と和洋折衷だったのに。

 壁は頑健な石積み、紅茶色のレンガ、煤けた木板、左官の土塗り、白の漆喰。

 屋根は木の皮? それを瓦のように何枚も重ねている。薄く切り出した石もあるし瓦もある。

 和服でも洋服でもないコスプレ衣装を街全体が着ている、そんな気配だ。

 なんていうか、西洋の中世~日本の大正辺りまでの時代がごちゃごちゃしている。

 だがそれが自然に風景として馴染んでいる――それはとても不思議な光景で、外国に行くとこんな気分なのかと思わされる。

 そんな景色の中央を貫く、一番大きな道が、隣の街と街に繋がっている街道であり街の主要道路である。大規模輸送に使われなくなったそうだが、周辺地域への配送には今も細々使われているらしい。

 そこを眺める食堂に、俺は居た。出来の悪い気泡の入ったガラスの窓から外を眺める。

 そのテーブルで、俺は丸い食べ物に手を伸ばす。

 まだ熱い、それを大口に噛み千切って食べる。

「……うま!」

 ごくんと呑み込んで一言そう言うと、しげしげと見守っていた二人は破顔した。食堂は人がまばらだが、それは単に混雑する時間を外しているからだろう。寂れているからではない。

 そして驚くことに――食堂のメニューを見て――この世界の言語は日本語なのだということを――

 と、思ったのだが違った。それは既に彼女たちにも確認済みである。

 ありがちな話、なぜか通じる異世界の言葉のワケで――

 自動翻訳が掛っている。召喚された者はこの世界の言葉や文字がそれぞれ母国語に変換されているらしい。それは双方向で、この世界の住民から見た召喚者が書いた文字もこの世界の言語に変換され見えるということ。

 それはこの世界の魔法だとか。流石ファンタジー、分り合える素晴らしき世界。きっと外国旅行も頻繁だろう、勉強要らずである。

 しかし、じゃあこの世界の住民は勉強しなくても読み書きできるのかといえばそれは違うということだ。何故ならそれは、そもそも文字が読めない者、言葉自体まだ覚えていない者には変換すべきものが頭の中にないから翻訳自体がされない、ということである。

 なるほど、とそんな理屈は置いといて。

 食べていたのは、ぺた焼き、生地に炒めた野菜とひき肉、ジャガイモが包まれたものだが。その表面は固く香ばしく焼かれていて、まるで囲炉裏の灰の中で灼かれた【お焼き】のようで――

 しかし餅のように伸びる、焼いたパンのような生地(?)が表面パリッと、中がもちもちのフチフチ面白い。

 米粉のパンが更なる進化を遂げたらこんな感じだろうか? PONでリングの生地に似てる。

「でもこれ……」

 その味に疑問を覚える。この、独特の発酵系塩分の風味。

 記憶にめっちゃジャストフィットしてるこの味は、

「……味噌?」

「ええ。最初の勇者様が広めたんです。お気に召しましたか?」

「懐かしい味だねー」

 食リポにおける決して美味しくないの言い回しではない。ただ単にすっごい和だ。

 驚くに驚けない、リアクション殺し。いや、美味いけど。ファンタジーらしく見たこともない幻想的な料理が出てくると思ったら、このド普通。

 いやこれ、異世界は異世界ではなく実は遠い未来の日本だったとかそういうオチじゃないだろうな。

「これって料理としては勇者産?」

「いいえ? 似たようなものがどこにでもありますが、この世界産の料理ですわね。でも餡に芋を重用するスタイルはこの地方のこの辺りの独特の様相でしょうか」

「へえーそうなんだ……あむ」

 むしろそっちより生地が癖になる。

「ええ。この辺りの家では余った料理の端っぱを芋で量増しして炒めて包んで焼くの。この辺りの定番のおやつなんだけどね? 片手で食べ易く冷めてもそこそこおいしいから街道沿いの道端でも売りに出していたんです」

「んぐ……なるほどねえ……」

 やはり商人の娘だけあってトリエは色々な場所を見回っているようだ。もちろんミーナもしっかり語ってくれるので助かる。

 もう一口とバクバク頬張る。味噌の風味あるしょっぱさ、ピリッとしっかり効いた胡椒のアクセント、甘みがコクもまろやかな肉味噌のようで、ジャガイモのボリュームと自然なほっくりとした甘さが味全体を口の中豊かに広げてくれる。

 頑張って食リポしようと思ったが、いや、やっぱり日本の味だこれ。

 細かく現実の匂いがする。とても悪い意味で。

「でも、こんなものでよろしかったんですの? せっかくのお持てなしですのに」

「まあ俺としても軽く親睦会みたいに行きたかったけど……気を遣ってほしくなかったてのもあるし、今後の為でもあるし、地のものを食べるべきなんじゃないのかなーってね、これから、この街で生きる住民として」

「……そういうことでしたの」

「食べ物ってその土地柄が率直に出るって言わない?」

「それはありますわね」

「……さっそく色々と考えてるのね」

「ああでも、申し訳ないけど、言った通りなけなしの付け焼刃の知識だから」

「そうではないと思いますわよ?」

 そうだろうか。まあ、勉強のつもりではあるが。

 他にもテーブル上、自分の手元にはあまりぱっとしない料理が並んでいる。

 どれも安い。そしてすべて地元料理だ。もっとも、それは自分の手元だけ。

 大っぴらにお持て成しなんてすると俺の立場がおかしなことになる。二人は割とフランクに話してくれる気配だが、一応町の有力者の娘さんなのだ。そんな人間に歓迎されおごらせる体では何事かと思うだろう。

「――それで、早速何かお気づきになられたことはございますか?」

 もっさり日本ぽい。とは言えない。

「ええ? あー、うーん。そうだなあ……」

 地のものを食べて他に気づいたことは――この街は野菜料理がメインであるということか? 

 肉や魚が味付けというか出汁程度で。

 特に芋、サツマイモ、カボチャ、保存のきく干し野菜、それらを使った料理が多い。単純なメニューだけ見ると。地元料理を除くと普通の定食屋っぽいのだが。

 そこから分ることなんて……。

 うーん。当てずっぽうで悪いが。

「……この辺りって昔、そんなに土地が豊かじゃなかったりする?」

「そうですわね……大人の話の端々に、そういう昔話を聞きますわ」

「そうですね。おじいちゃんやおばあちゃんの世代は特に」

 あ、当たってた?

 芋類は土さえあれば大概育つ。だから地域によっては米、麦、穀物以上の主食になるのだが、それと同時に救荒作物として側面を持つ――だったか? 地理と歴史の先生。うろ覚えでごめんなさい。帰れたら真面目に授業ウケます。

 たしか自由に使える食材=量に余裕のある食材で、特に腹が膨れやすい料理――は土地がやせ細っている時と場所で必然的に発生しやすいのである。戦争直後のパンも配給の小麦粉消費のためだったか? すいとんもそうか? それ以外使えるものが無かったというものあるが食事の量が増え腹に溜まる、満腹感を得られやすいから作られる。

 ただ、芋食文化を貧困とするのはこじつけでしかなかった。

 例えば環境上の理由で穀物の量が取れる広大な農地や環境がない場所では主食として米麦以上に最適で、それは貧困から芋を食べているのではなく土地で育つべく育った立派な食文化だ。一部先進国の豊食的価値観に当て嵌らないことは多いはず。

 炭水化物はどこまでもただの炭水化物で、焼きそばパンも力うどんもあんころ餅も炭水化物×炭水化物だ。貧困に見えるか? 美味いからで作って今も作られている。全部好きだよ。

 テーブルに並んだ椀の一つを手に取る。野菜スープだが、白玉団子のようなものが浮いている。それはみじん切りにした玉ねぎを片栗粉で練って蒸し上げたネギ玉というものらしい。すっきりとした甘みともちもち感に、干しキノコの風味と香ばしいスープが染み込んでいる。

 スープを一緒に飲み干すと口の中でさらに味が馴染む。これもここの地元料理だ。

 ……なのだが。

「……ですから、正直に申し上げますと、他のものをお勧めしたかったですわ」

「えっ、そうなの?」

「ええ。なにせ若者は好まないものですので」

「へえー、うまいのになあ」

 もう一口飲む。

「そう言ってくれるのは嬉しいですけど――」

「不味くはありませんが田舎料理ですし、決して洗練された味ではないから旅先での贅沢としては失格なんですわ。昔ならまだしも、今は特に」

「……舌が肥えた?」

「ええ。古き貧しさが思い出ごと廃れていくのは、生活が豊かになる弊害ですわね」

 昔と今を比べてしまうと、どうしても乏しい食材から作ったありあわせの料理になるのは仕方ないのか。

「今らしくお肉や他のお野菜を入れて具沢山、贅沢にすると、それはこの料理じゃないってなるのよね」

 それは確かに郷土料理ローカルフードの宿命である。舌と記憶が拒否反応を起こす。

 それは置いておこうか。ていうか、他にも気づいた重要な事はあるのだ――

 それはなんというか、


「……ところでお嬢様が食べてるそれは……」

「カレーですわね」

 ジャパニーズ三大国民食。現代版。

 つまり幻想をぶち壊す食べ物だ。ご当地食材を使ったご当地料理、地産地消を味わう傍ら目の前でそれを全否定する物が存在しているのはなぜだ。何故なんだ。

 日本らしい日本料理を押し退け国民食に収まった外来食の代表選手なんだが、異世界でも現地職を蹂躙するのかこの魅惑のスパイシーは。

「それは……勇者産?」

「ええそうです。ただ元々こちらにも似た料理があってその材料を持ち帰り改良したとかで、それからここまで誰でも食べられる料理になったという話ですわ」

「へえー」

 え、誕生プロセスまで同じ? でも黄色いルウに真っ白なご飯、刺激的な香辛料の数々が匂い立つ。

 まあカレーは生活必需品だしな。違うか。勇者の誰かしらはやってるとは思っていたよ、どんな異世界物でもほぼカレーは再現されるしね。それにそれがこの世界に元々あったのなら仕方ない。進化の収斂とかそういうことにしとこう。

「……ミーナさんが食べてるのは……」

「焼き鮭定食ですよ?」

 だがな? そんなクールJAPANしたいのか。

 だからなにこの日本贔屓ぶり日本を作ったらしいあの神様が関わった世界だから仕方ないのか? いやそこではない、問題は――

「……それはマヨネーズ?」

 ――ある。

「ええ。何にでも合うのよね~」 

 赤い蓋と透明なガラス瓶で、ミーナはそこからスプーンで掬い、これまたがっつり焼き鮭の身に塗り着け食べている。あるあるあるある。いるいるいるいる。

「……その食べ方も勇者が?」

「確か最初期の勇者様の誰かが」

 そんなジャンクな食べ方まで何広げてんだよ。

 日本人勇者はファンタジーを潰したいのか。……日本食にマヨネーズを求めるのはむしろ外国のこってり文化か? 

 まあいいか。もう気にしないでおこう。気にしたら多分だめだ。

「……鮭マヨネーズ、うまいっすよねー」

「私はツナマヨ派ですわ」

「そっちも美味しいよね~。でも明太マヨも捨てがたいのよ~」

「ははは」

 絶対コンビニおにぎりがあるよ! 

 俺は見る。テーブル上にはしっかり中濃ソース、ウスターソース、トマトケチャップ、タバスコ、食べるラー油まであるんだよ。

 もう、この食卓B級方面ではもう何もできないと思っていた方がいいかもしれない。コンビニおにぎりがあるということは間違いなくコンビニはあるしそれどころかきっと牛丼の大吉牛、花◎うどん、○亀製麺、マスバーガーもドライブスルーで完備されている気がする。嫌なんだけど。そんな幻想、誰かぶち壊してよ。彼女達は気付いているだろうか、俺の生活範囲にある日常知識では既にアイディアの限界を感じ始めていることに。出す前からことごとく潰されていることに。

 いやー、よかったよかった……最初から『無理』って言っておいて『やる』とは言っても『出来る』とか言わないでおいて本当によかった。マジで勉強頑張ろう、じゃないと絶対無理だわこれ。

 日本文化の進化は終わった。これからは西洋文化を見直す時代だわ……西洋×幻想、あれ普通?

 椀物を音を立てず啜りながら思う。

(……ていうかこの分だとこの世界のどこに独自の文化があるのか分らねえよ)

 この分だと萌え文化やオタク文化まで感染拡大アウトブレイクしているんじゃないだろうか。もう最悪エロゲ原作アニメで町興しとかそれすら既にどこかがしてそう――いやそれだけはない。ないよな? 

 そんななりふり構わない地方自治体が現実にはあったが。

 

 俺は色々な不安を脳の片隅に置き、彼女らと遅めの朝食を終えた。

 善意の無銭飲食タダ飯のお礼を言う気分は複雑だった。

 早いところ働いて稼がねばと思うの。

「ところで、これから街の様子を見るとして、なにから?」

「そうですわね……主だった商店や施設を回って、これから町興しで協力を得る方々に挨拶まわりをしたいところですけど時間が中途半端ですわね。今日は一言だけ頭を下げるにしてもご迷惑の掛らないところとなると……」

「もう、トリエちゃん? そんなことじゃないでしょ? これはただの街案内よ?」

「駄目ですわ。こういう街に着いてすぐの挨拶は何よりも優先すべきことで『ちょっと近くまで来たから』は好意の証であり最高の口実なのですわよ?」

 あ、観光案内かと思いきや、がっつり営業回りのようだ。

 ……そういえばラーメン屋の店長も言っていたな。

「……確か、出来るだけ満遍なく挨拶しないと、自分のとこには来なかった、って、お裾分けを貰えない友達下位みたいな不満が出てくる。それから話が長くなりそうで一番親しく優しい事情を分かってくれそうな人は後回しで――そのかわりに、手土産を持って行くとかがいいんだっけか?」

「あらボンドさん、分ってますわね?」

「バイト先でいろいろ聞いたからね。まあ自然に気に掛けられてるって分ると気持ちがグラッとくるのは分る」

「ですわですわ」

 店長が脱サラ前の営業職時代に学んだ知識、その受け売りであるが正しいようだ。

「そ、そういうことかな?」

「まったく、ミーナさんはもう少し女子力を身に付けた方がよろしいですわよ? それだからせっかくのボインでバインな、だらし・ナイスバディが干物臭いんですわ」

「干物臭くありません! 第一それのどこが魅力的なのよ」

 俺はじっくりと見た! あご周りのラインは特に弛んでないのに、だらしない好い肢体なのか。言われてみれば確かに、ゆったりとした服の中から膨らみが曲線を主張しているきっとこのお姉さんは名画の裸婦みたいな体をしているのだろう。

 つまり芸術だ。性欲をそそる身体ではない。だから堂々と見よう。

 ――着痩せだな。

 確信! 脱いだら凄い。

「ほら、ボンドさんもじっくり眺めてますわよ? 服の上から中の乗っちゃってる体を」

「スカートに乗ってません!」

 そこまで言ってないのに……乗ってるな? 最高じゃないか。

「あの、ぼ、ボンドくん?」

「さあアピールタイムですわよ~。前屈みに胸を寄せて招き猫のポーズを」

「でも、あの、こんなソバカスだらけの癖っ毛のどこを見たいのよ……」

 何も着てない所に決まってんだろうがよ。……ていうか気にしてるみたいだけど、そこがいいんじゃん。さりげなく小さい三つ編みとか、最高よ。

「でもじっくり舐め回すように見てますわよ。ほら」

 グレイト。

「嘘よそんな……ぼ、ボンド君?」

 おねーさんは両腕で胸を抱き寄せ、やや複雑なコンプレックスの顔をしていた。

 期待と不安が溢れている。

 ――だからこそ手でカメラを作りしっかりフレームに収めて堂々と眺める。その恥じらいの表情こそが男にとってどんなエロより最高の化粧だもん。

「……ああうん。そこは男なんで言われたら見ますよそりゃ――見たいです」

「こら、そんなに何を見るの?」

「……スカートに乗ったお腹?」

「……乗ってません」

 まあ、からかい過ぎちゃいけないしね。本音は言わないけど。女の子が元気なら嫌われてもいいし。

 ちゃんと怒ってもらえたならそれでいいのだ。どうも根深いコンプレックスを感じているようなので――下手に褒めるのは避けようと思うのだ。ちゃんと冗談だと思ったみたいならさらに重畳。

 本腰入れて褒めても妙な勘違いをさせることもあるし。でも後で、しっかり何かフォローを入れるべきか。やっぱり気にしてるみたいだしな。

「――ほら、やっぱり」

 ……自分から、ただの照れ隠しです、とか言った方がいいかな?

「あら、胸にも顔にも触れないように、繊細な女性の気を逸らしてらっしゃるだけですわよね?」

 どきりとした。トリエは確信の笑みでこちらをニヤニヤ見ている。

「えっ? ……?」

 見られる前につい目を逸らした。

「……」

「……」

 そっぽを向いていると、年上のお姉さんは回り込み、無表情に。

 そして疑問げでおっかなびっくりな上目遣いで、前屈みになり無言でにゃーと招き猫をした。

 その瞬間服の中で、ぬるん、たぷんと垂れた大きな陰を俺の目は捉え――る瞬間どうにか目を逸らした。見てはいけない。思わずそう思わせるほどの巨峰が……。

 あ。ここはあえてガン見して悪にならなくちゃ。

「……見たくないんだ?」

 すごい嬉しそ――微笑ましい顔をしている。

 く、つまり子供を見る目だ。く。お姉さんめ。

 絶対に負けない。

「……その三段腹なら十分見れますけど」

「……ん。……これは恰好つけてるのかな?」

「そうですわよ。それぐらいの男の照れ隠しぐらい見抜けませんと」

 死体蹴りだよ。

「……あとで覚えてろこのお嬢様め」

「あら。優しい人なんか全然怖くありませんわよ?」

「そういうこと言ってるといつか襲われるぞ」

「あら? そんなことを言ってるボンドさんは、襲わないのでしょう?」

「悪かったな。背中にチャックが付いた狼だよ俺は」

 畜生ジーザス。お姉さんまで肉食獣の眼をして俺を恐れずじっと見てくる。

「……顔は?」

「ふーんだ。ブサイクじゃないからいいんじゃないですかねー」

「――本当に?」

「本当ですよーだ」

「……ふふっ」

 このお姉さんめ。嬉しそうに勝ち誇りやがって。

「……えい」

「うぉわっ!?」

 後ろから抱きつかれ、胸を押し付けられた。

「ちょ」

「――お姉さんはこれぐらい余裕よ?」

 ぐいぐいと、ムニムニと豊かな弾力が背中いっぱいに押し潰されて広がっている。

 それは数秒だが確かに意図して、更にぐりぐりと行われた。絶句し硬直した猫になっている俺を無視して。お姉さんははにかんだ笑顔で離れ、弾むよう先を歩いて行く。そして、

「……本当に結婚狙っちゃいますの?」

「それは別にいいです」

「あら、どっちの意味ですの?」

 二重の意味で、俺は置いてきぼりにされた。


 はいはい。ずっとチャラついていた訳ではありませんとも。

 その後はしばらく真面目に歩きながら真面目に街のそこ此処の説明を受けていた。それは街の名店や路地裏の隠れた穴場、おすすめのパン屋まで。当然、鍛冶屋、薬屋、本屋、魔道具屋といったファンタジーおなじみの店もある。

 学術的に言うと、文明水準は、中世の手工業レベルで落ち着いているようで。魔法、魔術、錬金術はあるらしいが大量生産が出来る複雑な機械加工の工場はないらしい。まだまだ人海戦術だそうだ。

 そしてこの街はやはり宿場町だけあって街道沿いには多くのそれらが軒先を連ねている。ちょっとエッチなゾーンもあった。下着姿のおねーさんが窓から手振ってきた。

 ただ連ねているだけで。今は宿のその半数が既に閉じられており、大仰なそれに反し閑散として、役場から空き店舗や貸家として出していた。

 街から離れた静かな山麓部分に貴族を泊める為の豪奢な宿もあるが、それは当の貴族がもう使わないからと町に下賜プレゼントしたとのことだった。しかしそこはいつでも使えるようにと手と人を入れているそうだが――要するに尊い人から貰ったものは全く使えず、さりとて捨てられずにいるのだという。

 悪くない、田舎町だ。しかし眺めて来た景色はやはりどこかぱっとしない。

 古都の赴きある風情ではない。典雅でも風流でもない。下町の商店街っぽさ。それは先に聞いた通りの歴史の薄さからかもしれない。|継ぎ接ぎ《パッチワーク》の古い家と新しい家、時代の変化感じる。倒壊寸前と立派な門構えと普通の家がモザイク状に点在していて。ぼくらの町って感じだった。

 昔の農村部は吹き曝しそのままの昔の村だった。

 挨拶回りの道すがらの案内はそこでそこまで見つつ。

 今は、

「こんにちはー。ニクスさん、いらっしゃいますのー?」

 木工細工の店だ。軒先から店奥まで、木杯、熊、猫、調度品の飾り細工、そしてあめ色、焦げ色、黄金色の、幾何学模様を描く数々の木箱がある。

 確か寄木細工だったか?

 削った木片を寄せて接着剤で固めて一本の角材のようにし、そこから金太郎あめのよう一枚の模様が切り出し、それを各種木工品の表面に貼ることで飾る。もしくは一本をそのまま削って不可思議な紋様を描く調度品を作るのだ。現実世界で見たそれと同じかどうかは分らないが。

「あいよ……なんだガストんとこの小娘か」

「お久しぶりですわね。……どうやらまだ潰れていないようですけど」

「見た通り埃だらけだな。しっかし相変わらず気持ち悪い話し方だなおまえさんは」

「何を言いますのやら。母直伝の淑女の嗜みですのに」

「生意気で礼儀知らずのチビジャリの頃がマシだな」

「ほんっとーに何を言いますのやら」

 人に過去アリなのやら。

「はぁ――で、何の用だ。町長の行き遅れまで連れてきて」

 ミーナは無言で冷ややかに目を尖らせている。効果は抜群だったようだ。

「女性になんてこと言うんですの――近くに寄ったので顔を見に来ただけですわ」

「へえー、男連れでてっきり婚約そのの挨拶か外堀埋めだと――」

「ただの挨拶ですわ」

 きっぱり言い切ったところでトリエは脇に避ける。

 挨拶の場を設けられたのだ。

「初めまして。スズキボンドと言います。旅の途中行き倒れていたところをお嬢様に助けていただきまして、せめてもの恩返しにと小間使いをさせて頂いております」

「ほぉー、そりゃ殊勝なこったな。せいぜい好きなだけこき使って貰うといい」

「男手に困ることがあればいくらでも貸しますわよ?」

「生憎いらねえよ」

「まあそう言わずに。今後彼はこの街で便利屋を営む予定ですから」

「――便利屋?」

 怪訝な眉に俺は業務説明を行う

「はい。生活のちょっとしたお手伝いや力仕事の代行、人手不足の解消、草むしりから子供のお守り、お使いから何から何までやらせていただきます」

「……なんだよそりゃあよ、仕事なのか?」

「大丈夫ですわ。とりあえずは役場の一部署扱いで、これまで役場でも請け負えなかった細事専門の、足回りの好い雑用扱いですから」

「ふーん。……おんぶに抱っこじゃねえか」

「そうですね。ですから、その分しっかり目一杯働かせていただきますので、これからどうぞお気軽にご利用ください」

「……」

 皮肉を言ったニクスが薄気味悪げにしている。

 まあ、嫌味に前向きな返答をされては立つ瀬がないし胡散臭いだろう。

 それを狙ってではないが。

 ただここで怯むわけにはいかなかった。客に自信のない料理を出す訳にはいかない――これも店長からの教訓だが。それでは自分のすることが無用で無益であることを自ら肯定してしまう、だから仕事をするときは常に前向きに献身しなければならないのだ。

 いや、勉強や遊びでもだったか。知りたいは知りたい、必要は必要、楽しい物は楽しいと疑うことなく赴く。そうして初めて身に魂に感じたものが入る、と。

 ならば他人にそれを信じさせるなら、まずその前に自分で自分のすることを信じなければいけない。要するに誠意だ。嘘を吐いていないか。

 ただ口から出る言葉がいくら正しく清くても逆に嘘くさい。自然ではないからだ。

 それを知ってか。トリエが、

「……実質タダ働きに等しいのに、ほんと珍しい人ですわね、あなたは」

 そう言った瞬間、

「……はあ、分かった。まあ俺んとこじゃ何もねえが、男手のねえ婆さんや出稼ぎで旦那の留守の奴らなら話は別だろ。せいぜい頑張んな」

「はい。精一杯頑張らせていただきます」

 捨て台詞のようなそれにも満面の笑顔で一礼した。それからニクスとトリエはしばらく雑談をして、自分も時々話を振られて店を出てから。

「はあ、口が上手いね」

「ふふふ。そちらこそちゃんと心得てますわね」

「まあそこそこ鍛えられたからね」

「え、え、なに?」

「要するにですが、ちょっとした小芝居ですのよ」

「いや、まあ、こっちは言葉はともかく割と本音なんだけど」

 やや置いてきぼりのミーナにトリエはネタ晴らしする。

 前向きで明るく善意的――正直、うさん臭さの代表の集まり。そんな態度を取る俺をあえてフォローもせず身内が否定的することで、ニクスの善意をくすぐったのだと。

 それを聞いてミーナはなんとも言えない苦笑いを浮かべていたが、

「仕事は誰が何を言おうと前向きにやればいいけど……もう少し普通に挨拶してもいいんじゃないかな」

 言う割にそれほど否定的ではなかった。

 その後。

 鍛冶職人、服職人、日用雑貨店、食料品店、薬屋、酒場に小料理屋に高級料理店、教会に魔道具屋に本屋までと、もろもろに挨拶をした。

 その挨拶の成果と言えば、

「はいはい」

「頑張りなさい」

「頑張ってね?」

「迷惑は掛けるなよ?」

「余計なことはしないようにな」

 と、おおむね好意的に、そして眉間に皺を寄せ頬を下げた迷惑顔だった。


 顔は笑顔なのに、どうにも鬱陶しげでお疲れの様子だった。

 とりあえず溜息を吐きたい――吐いていれば我慢出来る。

 やり過ごせる――そんな気配だ。

 皆冷めているというか満足してないというか乾いた態度というか、生返事というか。

 やる気で働いているのではなく、生きていく為の苦難でしかなく精一杯という感じだ。

 街の不景気を肌で感じ取っている。

 しかし現状維持策はそれなりに生きているのだろう。今日の食事もままならない、という者はまだ居ない。生活に面倒は出ていても、喘いでいるのではない。

 ただ――まだホームレスでこそないが今日の仕事を失った者はいた。聞くと幸い、隣の街で仕事を見つけて通勤しているらしい。土建業の人だったが、やはり住民数低下による市の財源の悪化で――町から出る仕事が減っているとのことだ。

 これから衰退の中期から末期が見え始めるということなのか。

 ジリ貧、という現状を知りながらそれを見るとなかなか焦燥する。

 そして最後にと、街から離れ農地を拝見していた。

「この辺りはだいたい何を作ってるの?」

 閑散とし、緑が増えた景色を目を細めて眺める。

「ええっと、畑は芋、サツマイモ、里芋、人参、タマネギ、根菜類をメインに、通年通せる青菜が数種類。穀物では米に麦、雑穀、トウキビ類――」

 町長の娘としての知識か、ミーナがやや緊張しながら話してくれる。

「同じ畑でただ違う野菜を植えるんじゃなくて、ちゃんと休耕期を設けて季節で大豆、シロツメクサなかを植えて、地力を回復させてるらしいのよ? 他にも土魔術を使える人が土を耕したり、獣使いと虫使いさんが害虫を駆除してて――確か、完全に自動化すると土の具合が分らなくなるから、しっかり人が手を土に入れてるとかで」

「精霊にも伺いを立てたりしますのよ?」

「そうそうそれ!」

「へえー。連作障害とかもちゃんと対策してるんだ」

 その方法が何やらファンタジックだが。どうやら農業に関しては特にしっかりやっているようだ。流石は元農村、聞けば街の産業二位の位置づけなのだとか。

 他にもボカシ肥料や腐葉土がどうとか自然農法だとか、半分以上訳が分からない農業理論を説明された。

 うん、手出しできない。ただの高校生にはガチ農業は無理がある。

 話の通り、生産品としての特別性や個性、ブランド力はないらしい。

 しかし、

「……ちなみに人気の農作物は?」

「ジャガイモですね」

「しかし名産地でも特産品でもありませんわ」

「あー地元人気か。売れてるのは?」

「花ですわね。状態保存の魔術や魔道具が発達してから長く鮮度を保てるようになって、遠くまで出せるようになりましたから」

「花」

「ただの平地で尖った環境も土も水も風もなく、でも反面とても安定した気候だから、ちょっとの温度調整で他より安定して供給できるの。ただ、それほど大きくもない農地で生活に必要な野菜もあるから、多く作るのは難しくて……」

「売り上げとしてはいまいちなんですね」

「――ちょうど見えてきますわ」

 言いながら彼女が指す方を見た。

「……なんじゃありゃ」

 目の前、まだ遠目にだが、緑の大地に、球状の皿が被さっている。

 透明の温室――ハウス栽培かと思っていたが、ビニールも鉄パイプも何も組まれていない。それどころかガラスでも――

 質量を感じない。シャボン玉のような何かがそこに光の屈折を作り浮いている。

 物質ではない。空気と光の膜が大地に蓋をしている。

 近くまで行くと、その中でぷかぷか宙に浮かぶ雲の小玉に花が根を張り咲いている。

 それを採集している人がいた。

「こんにちわー、マーベさん?」

 ミーナが声を掛けると、中のその女性が彼女に振り向く。

「あら、ミーナじゃないの。それにトリエも」

「お久しぶりですわ」

 そしてマーベと呼ばれた妙齢の女性がこちらを向いた。

「初めまして。お嬢様には大変お世話になっております、スズキボンドと言います。これから街の役場で便利屋として働くことになりましたので、この度はその挨拶に伺わせて貰いました」

「あらあらご丁寧にどうも――便利屋?」

 マーベは頭に巻いたスカーフを外し、結い上げた髪を解放して礼儀正しく頭を下げた。

「家庭でも仕事でも手が足りない時や、ちょっとした悩みの解決にどうぞ遠慮なくご利用ください」

「――孫の手や猫の手みたいなものかしら?」

「そんな感じですね」

「それでいまこの街の紹介がてら挨拶回りをさせているんですの。で、マーベさん、ちょっと見学してもいいですか?」

「ええどうぞ? こんな若い子に見られるなんて、おばさんちょっとうれしいわ」

「――おばさん?」

「あら、見えない?」

「いや、普通に妙齢だと思いますけど」

 要するに脂の乗った女盛りの娘盛りだ。激・艶っぽい。見た目ではミーナより三つ四つ年上に見えるが、淑女染みた落ち着きと、労働の汗も溌溂ハツラツとした溢れる輝きで彼女自身が滲み出ている。

 年下の俺が何を言っているのかと思うが魅力的な女は年齢に限らずどこまでも魅力的に見えるのだ。悪いか。見るだけなら年上超好きだよ。付き合うとなると自分の方のレベルの足りなさが気になるよ。

 性的に起つ立たないは全くの別問題だがな。

「ふぅーん……」

 常に目尻を下げたような流し目で。

 マーベは、俺と――近い隣にいるミーナと、一歩離れた隣に居るトリエをそれぞれ見比べる。不等辺三角形な距離感のそれを揶揄するようニマリと唇をしならせ、彼女は言った。

「――空いてるなら貰っていい?」

「えっ」

「そうですわね。ご依頼でしたら後日、役場に正式に部署が設けられてからご依頼くださいな」

 ミーナは激しく顔を赤らめ反応する。トリエはむしろ涼し気に当然としていた。「もう、トリエはもう少し乗りなさいよ。おかげで食べ損ねたじゃない」

「……ええっ!?」

 小さなお姉さんはものすごく動揺しているが、うん。巧妙に視線でそれを匂わせながら、口で恋愛を指してはいない。中々高度な意識誘導ミスディレクションだ。

 しかしさっきからまるで自分がモテる様になったみたいにちょっかい掛けられているが、皆、単に格好つけようとする少年を揶揄からかおうとしているだけだろう。そんなに娯楽(男、性対象ではない)に飢えているのか? 

 そういえば、街中に俺ぐらいの男――働き盛りの青年~青少年はほぼ居なかった。中年オヤジと爺とおっさんばかりだ。みな出稼ぎか修行かとは聞いていたが。

 これは本格的に需要(仕事の。男としてではない)があるのかもしれない。

「本当に何か御用がお有りでしたらお手伝いしますが?」

「いいわよ。間に合ってるから――仕事はだけどね」

「ですわね。ただ正直マーベさんはぶっちゃけマジ行き遅れを危惧してますので、彼との恋愛は自由ですからどうぞどうぞ」

「トリエちゃん最近容赦なくなったわねえ……」

 小皺の寄ったリアクションに確かなオバさん臭さを感じる、が、それは言わない。

「出来るくせにしなかったのが悪いんですわ」

「トリエちゃんも仕事で活きる傾向があるから、気を付けないとだめよ?」

「私これでも大変家庭的で、仕事より白い犬と温かな家を求めてますわよ?」

 そしてしずしず手を拭きエプロンを揺らしてこちらに来ると、彼女は見学を快諾し作業を見せてくれた。

 透明なドーム状のそれは結界で、中に光と人、空気を通し、熱量を操作できるという――現実のビニールハウスみたいなものだが、それとは違い開け閉めすることもなく中に入れた。花が植えられた雲球は【風の土】と言うらしく、言葉そのまま、風属性を持つ土をスポンジ状の塊にしているらしい。ほぼスーパーの三つ葉の根っこに着いたあれっぽいが、この世界の水耕栽培なのだろうか。

 そんな雲球だけでなく、空飛ぶ水球もある。こちらは風属性の水だとかで、実際、雲には地面から舞い上がった土壌成分が含まれているのでそのファンタジー的拡大解釈と思えばいいのだろうか。

 まあそんな講釈はともかく。透明な花壇に風船のようにぷかぷか浮かぶ、雲と水の極彩色の花珠はなんとも幻想的で、それは今日この日一番ファンタジーな光景だったかもしれない。


「一通り見て回った。わけですが、さて、この街の好い所って何だと思いますの?」

「さあね。……まあ、なんとも言えないのは分ったけど」

 しいて言うなら先ほどの花農家の光景だがそうではなくて。

 それはこの街の長所、売りになるところなのだが、それはいまいち見えてこなかったのだ。

 この町は、街は、ほどほどにのどかで、ほどほどに便利で、不自由こそしていないけど豊かでもなくて。静かに、無難に、余生を生きていくには最適な街だろう。

 ほどほどに人も居て、多すぎず少なすぎず世間が賑わっていて。

 逆に、この町が必要としているところが分らなくなる。極端な話、若い男が居なくてもこの街は回っている。そしてこの街が本当に必要とされる所ってなんだろうかと思う。本当に必要としているところが見えない。住民そのものはまるでもう発展自体を願っていないようにも思われる。どんな苦労をしていても我慢してしまえばそれでやり過ごせるという気配がする。

 やる気がない――本当に街興しをこの街の住民は願っているのだろうか。施政者のワンマン事業ではないのだろうか。

 そうも言ってられない疲れた現実があるのは事実だが。そこであきらめて、やり過ごそうとしている――

 うーん。これって多分一番の問題だよな。

 自分達の生活に――町に対する欲求が無い。

 それなら――外の街のよさって何だろうか。

 修行に出た若者が帰って来なかった原因は、都会の住みやすさや仕事の環境、華々しさだというが。それがこの街にないのならそれを見てくるべきかもしれない。

「……やっぱり、流石に一日眺めただけじゃ、この街に必要な事なんてわからないか……ここだけじゃなくて他の街も見た方がいいかな……」

 少し寂し気にミーナは苦笑する。

「そうなの? ボンド君」

「うーん……まずどこを目標にしたらいいかわかんないしね。最低限の基準ていうか水準? 差別化にしても区別にしても、話に聞いてるだけで都会の景色も分からないと、この街の景色の良い所も悪いところもないっていうか」

 比較対象なしに自分の背の伸びだけを比べてもなあ。

 まず、街の外から人を呼び込む為には、その外の人間の視点からでもこの街に魅力を感じなければならない筈だし。同じ長所で競争になったら、他にはないと思って作ってみたら既に同じものがありしかもそっちの方が性能がいい、なんてことになったら目も当てられないし。

「やっぱり、できれば他の街と一度比べて見た方がいいかも」

 改めて、この街の個性を見出すにしてもだ。

「――というわけで、日も傾いてきてるし今日はここまでだけど。お嬢様、悪いんだけど明日近くの大きい街に行ける? ていうか行って大丈夫?」

「分りましたわ、手配して予定を空けておきましょう」

「そういうことなら、私はここに残るわね。流石に二日もお店を空けられないし」

「お店?」

「えへん。お姉さんは酒場の看板娘をやってます。えへん」

「二度言いましたね」

「もう十何年のベテランでお局様ですわ」

 その瞬間、トリエに悲劇が起こったのは言うまでもない。

 


 遠慮したのだが神社の麓まで見送られて、俺はこの世界で初めての帰宅をする。

 今日から下宿させて貰う境内に上がると、そこには狐の巫女さんが佇んでいた。

 物憂げに、箒を両手に持って、木の葉や埃を掃除をするでもなく遠くを見て。

 こちらに気づくと、彼女は早速かしこまって。

「……お帰りなさいませ、勇者様」

「……ど、どうしたの?」

「……おかしかったでしょうか」

 敬語?か謙譲語(国語弱い)でお帰りなさいってすごい違和感だ。

 ていうか勇者呼びは止めてって言ったのに。さっきは名前で呼んでくれてたのに。

 どうかしたのかな? 考え直したのかな。

「いや、うーん……これから身内として? 共同生活するわけだし、そんな丁寧じゃなくていいっていうか、ちょっと雑ぐらい――お互いたまに不満を感じるくらいで丁度いいと思うよ?」

 それが普通――というか人間として最良だと思う。無駄な努力? ってわけじゃないけど、頑張り過ぎたら無駄っていうか。

「……そう、でしたか。すみません、こういうことはしばらくミナカ様だけでしたので」

 ああ社長さんと同居ですか。そりゃ敬語がデフォルトになりますか。

 いや、普通家族と話す感覚くらい――?

 そうか? 普通に話せない家族だって――彼女みたいに。まさか家族と話した経験がないとか?

「ああー、じゃあ……いや……たぶん前のままでいいと思う。そういや仲良くなるって強制じゃないし、礼儀を心得るのとは別だ……ごめんごめん」

「いえ――お気遣い、ありがとうございます」

「うん? いいって」

 苦笑する。お互い、曖昧に何かを察して。

 でも、

「でも……」

「……どうか、なさいましたか?」

「ああうん、いや、部屋掃除でゴキブリでも出た?」

「? ……いえ?」

 それとは別だ。最初に彼女の様子がおかしいと思ったのは。

 唇の角度が下がっている? 

(……ちょっと、……雰囲気が……)

 違ったのだ。今朝とは明確に。

 この物憂げ感は。気落ちして、塞ぎこんで、貯めこんでを、少しずつ水で薄めて消化しているような。

 何か考え事をしているとき独特の雰囲気だ。

「……じゃあ部屋の掃除はもう終わってる?」

「はい。ご覧になりますか?」

「あ、今大丈夫なの?」

 箒を見る。仕事があるんじゃないかと。

「はい。手持ち無沙汰のついでですから」

 手持ち無沙汰アイドルタイムで掃除……テスト前に無性に掃除がしたくなるあれだろうか。まあいいか、話せることなら話してるだろうし、危険信号が出たらお節介を焼けば。気を付けておけば。

「……あー、じゃあ部屋見たら悪いんだけど、これから夕飯の手伝いがてら家事教えてくれる?」

「えっ? ……あの、せめて今日ぐらいは、大っぴらに歓迎会をできない分持て成しをさせて上げてほしい、と……トリエさんの使いから言伝と食材を承っておりますので」

「え?」

 やられた。

 街の案内途中に聞いたのだが、なんと予定では酒場か旅館の一部屋を貸し切って、改めて歓迎の宴席を設けるつもりだったと。財政難の血税であり得ないと思った。そこで断ったのだが。

 これでは命に特に負担が行ってしまうではないか。

「うーん……ただ待つのとかお世話になるのが苦手なんだよね。だからそういうお持て成しってことで――ダメ?」

「……黙ってお持て成しされることも、お客さまの仕事です」

 それも礼儀として分るのだが。

「これからは身内ってことで一つ」

 それを聞いて彼女はひどく頑なに、でも弱ったように口元だけで何度も逡巡する。

 そしてようやく決意を固めた様子で、しかしとても形の良いそれがまたいじらしくおずおずと開かれる。

「……会ったばかりで、身内は、まだ、」

「……味方になってほしいなあ?」

「! ……それは、卑怯です」

「ふっふっふ」

「……どうしてボンド君は、こんな時だけ強引になって……」

「……」

 やばい。また自然に名前で呼んでくれたよ、勇者様とか呼んでたのに。

 本人は気付いてないけど素が出てる。素が出てるって今。ちょっと貴女今巫女さんじゃなくなってるって!

 ただの女の子(チャームポイント)です。

 それに泣く寸前ぽい声もグッと来る。が、

「……まあ、いじわるはこの位にして」

 そんな冗談を言うと素晴らしく冷たい怒気をこちらに向けて来ました。

「今のは真面目にごめん――で、今度は本当に真面目な話ね。真面目な話なんだけど時間を詰めたくてさ。出来ることは出来るだけは早く出来るようになっておきたい。猫の手孫の手レベルの手伝いとはいえあこれから便利屋するにもこの世界の家事炊事にも通じといた方がいいだろうし――どうしてもダメかな?」

 卑怯者! と、更に唇が尖りこちらを睨んでくる。

 無言でパン! と俺は合掌する、そしてちゃんと腰を曲げて頭を下げた。

 無言の攻防が、そんな誠意と事情のせめぎ合いがややあって。

「……分りました」

「……誠に申し訳ございません」

 頭を下げ続けている。彼女はやや溜飲を下げたのか、ようやく、

「……真面目過ぎるのも困りものです」

「いや、結構不真面目だと思うけど」

「口先だけです」

「いやいや。台所に立つ同い年の女の子の背中なんて最高のご褒美ですよ」

「……」

 はい、嫌なものを見る目をされてしまいました。ええ「何この人気持ち悪い……」を地でやらせてしまいました。

 まあ冗談なんだが、ここは全世界の男性諸君の為に弁明させて貰おう。

「いやいや、だってそんな姿、普通結婚してからとか付き合いだした恋人にとかそんな場面でしかありえないでしょ? それを不意打ちで見られるなんて感激しない?」

 ね? これはとても純粋ピュアな気持ちじゃないだろうか。決して背後からガオーとかガルルって獣化ビーストモードしたいわけじゃなくて、ただ普通の幸せの景色だと思うのだ。だから――

 そんな仮面越しにも分かるほどの胡散臭い物を見る目を止めてほしい。

「……くそ。じゃあ聞くけど。もし恋人が自分のために頑張ってくれてる姿を見てもきみは何も思わないっていうのかな?」

「……それは……そう、思うかもしれません」

 そうだろうそうだろうそうだろう! そこは男でも女でも変わらないだろう! そして男ならそういう時愛おしくて後ろからハグしたくなるだけで! 

 そういえば……女の子はそのときどうだかしらない。きっとソファーでルンルン気分で男の背中を見ながら待っているのだろうか?

 いやそれは夢見がちか。何せこの話題『彼氏が自分の代わりに台所に立ったら?』をクラスの女子に聞けば「女より料理が上手かったら絶対面倒臭い奴」「一口食べるたびにダメ出しされそう」「専業主夫ニートになりそうで怖い」とか「将来飯作らなくていいじゃん!」「家事って絶対分業だよね!」「絶対楽させて貰えそう!」と両極端に怖いことをかなり本気で言いやがった。

 思った。

 奴らは確かに女だ――でも乙女じゃない。

 男も男で「料理は女の仕事」とか「女だからできて当たり前」「できなきゃ生物メスとして認識できない」なんて言ってる奴も居るからそこはお互い様なのだと思う。

 思考が横に逸れた。

「……? どうしたんですか?」

「ああうん、女の子も男の子も、変わらないんだな、と」

 要するに、生き方の問題なんだよな。

 と、人生哲学を得たり。

 じゃあ行こうかと手の平で指し示し、彼女もうなずき、二人で境内を歩き始める。

「……私、そんな下心のある目をしてましたか?」

「――あれ? 俺そういう目をしてた?」

「……風でスカートが捲れた時の、男の子の顔、でしたと」

「……ああうんごめん、なんかごめん」

「……否定しないのですか?」

「うん」

 風がふっと吹く。

 止まる。そして、

「――可笑しいですね」

 それこそ可笑しげに、彼女は綻んだ口元を抑えて楽し気に笑った。


 夕暮れが差し迫っている。

 景色が時間の終わりを、一日の終わりをさやさやと運んでくる。

 とても静かだけど、どこかせわしない気配がそこに佇んでいる。

部屋は六畳一間に作り付けの押し入れ、文机、行灯、桐箪笥、と、純和風の部屋だった。埃一つ残さないように拭われたのだろう、そこかしこに磨きの照り返しが掛っていた。

 そこはしっかり感謝の辞を述べた。ありがとう、すごい綺麗にしてくれて、と。彼女を恐縮させてしまったが、そこは構わないと思わせて貰った。

 今までの異世界感が正直台無しだとは――言わぬが花だと。

 それを確認して、早速とまた建物の中を移動した。

 ここは神社として相当大きな規模なのか。社務所や本殿とは別に、そこで暮らす神職用の居住区画が整えられていた。

 俺達が今いるのはそこだ。他にも神楽を奉納する神楽殿、鐘楼に、これらを繋ぐ回廊が設置されている。

 だだっ広い。そこに、

「……ここで神様と二人で暮らしてるの?」

「先代の巫女様はだいぶ前にご逝去されまして。今は私がお預かりしております。ミナカ様は普段は本殿にいらっしゃるのですが食事だけは冷めたものを食べたくないと、ここで済ませようとしますね」

「それは分る。でも他に宮司さん――神主さんや巫女さんはいないの?」

「一通りの儀式や祈祷は仕込まれていますし、なにより本物の神様が居ますから、その世話係だけで十分なんですよ。普段もそれほど人が来ませんし」

「へえ、そういうもんなの?」

「さすがに年末年始は助っ人を頼みますよ?」

 命は言いながら台所の戸を横にスライドさせる。三和土たたきの土間に降り、つっかけ下駄に履き替える。

 そこには薪釜、水は水瓶からなのか水道の蛇口は見られない。

 流し台はあるようだけど、どうなっているのか。やはり井戸水を水瓶なのか。

 彼女は台所の隅に掛けられていた割烹着を巫女服の上から身に付ける。そして一本に括った夜色の髪を更にお団子にまとめて三角巾でふわりと包んだ。それから勝手口の脇、そこにあるもう一つの戸を開け、中に踏み入る。

 食品庫だったのか、ややあって、そこからいくつか野菜と肉と魚の包みをお盆にのせ戻って来る。調理台に置く。

 遅れておん臭が漂ってきた。いや、エプロンならともかく、割烹着はばばあ臭いというべきか。それも顔の上半分を隠す、狐の半面や、巫女服と相俟あいまりなんとも不思議な光景だ。

「それでは――お手伝いして頂けますか?」

「はーい。喜んで」

 くすりと笑いながら、彼女は棚の中からさらしを巻いた包丁を解く。丁寧に仕舞われている。

 と、それを一旦調理台に置き、手のひらを上向きにする。

 オープンハンドだ。卓球のサーブ前、球を握らず見えるように持つルール。そこで野菜の皮むきでもするのかな? ただ料理するのではなく演出かなと思いきや。

 何もない空中に、透明な点が生じた。

 ……ん? 

 それがどんどん大きく、雨粒のような――野球大に――サッカーボールまで膨れ上がると、見えない力で押しているようそれを手の平で移動させ、流し台の桶へとゆっくりふよふよと落下した。

 眉根を寄せる。そこに水が出来ている。そして彼女は何気なく芋を艶やかな指先で洗い泥を落とし始める。

「……えっ!?」

「はい?」

 何かおかしなところでもありましたか? と、疑問も何もなく返事が返ってくる。

 目を剥いたままいつまでも何も問わない自分にしびれを切らしてか、ようやく疑問げに、

「……あの、なにか?」

「いや、あの、ええぇ? なんか水が手から」

「あっ……そうでしたね、あなたは、異世界から来たから……」

 そういえば、口々に聞いていたが。

「……ま、魔法的な何か?」

 恐る恐る聞くと、彼女は平素な顔で言う。

「……はい。魔法ですよ?」

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