8話「平凡な勇者」
「なんですか?」
まだ何かあるのかと、俺は疑問する。
「うむ。おぬしの魂の器を見ておかねばの」
「……魂の器?」
なんとなくファンタジーな響きを感じる。
「内容によってその調整もな」
よく分らないけど、どうせファンタジーなことなんだろうと思う。
「ええっと……一体どういうことですか?」
「魂の器と言うのは、そのままお主の魂が入っとる器の事じゃよ。肉体、精神、そして魂が持つ器量そのものじゃな。異世界からここに来た者はそれに『この世界の魔法』が反応し何かしらの変化をもたらす場合があるのじゃよ。お主らの世界の言葉で言うなら、特殊能力、固有能力、スキル、アビリティ、などと読んどるがの。その内容によっては制限を掛けなければ、自覚のないまま能力が暴走したり、能力を悪用し他人や己を傷つけることがあるのでな」
「……へえー」
中二かよ。右腕とか封印されたナントカが騒ぐのか?
ていうか、
「……この世界の魔法っていうのは?」
「うむ、それはこの世界が息とし、生けるものに与える祝福――いや、可能性の現出といったところかの。まあ奇跡じゃ奇跡」
「へえー……」
わっかんねえよバカ野郎。でもたぶん眠れる力が覚醒とか「何でもあり」なのではないかと思う。口にしたら台無しなので言わないが。
「まあそんなわけじゃ、ちょっとこっちに来い」
その雑な手招きに立ち上がり神様の前に行くと、命さんが新たな座布団をさっと滑り込ませた。そこに「失礼します」と一礼して座ると「楽な姿勢を取れ」と言われた。
楽にあぐらをかく。特に背筋も伸ばさない。
すると神様が、目を凝らし出す。
「さて、お主の場合は……」
何かを、深く覗き込んで来る。まるでその視線が指先の様に胸の中に忍び込まされているような感覚を覚えた。
本当に霊魂が見ているのか――かもしれない。ちょっとワクワクのどきどきだ。でも自分以上にこの世界の住人がガン見しているのが気になる。期待の視線だ。自分以上にわくわくのそわそわのドッキドキ!だ――その所為で目が覚めたわ。
冷静になったわ、浮足立ってた自分から。
OK、ここはファンタスティクな世界――つまり
ユーモアを心に念じるとそれが落ち着いて来た。
「……んん?」
心臓に悪い! 神様が怪訝に声を曇らせ眉間までくしゃくしゃにした。
何かあったのか? 問題か? もしかして実は魔王で危険物扱いされるとか。
なんだ? 生き物の命をたくさん奪えば奪うほどレベルアップとか――いやそれはむしろ勇者か。
「――な、なにかわかったんですか?」
「……ふむ、これはこれは……随分珍しい物がでとるのお」
「ななんですか?」
「これ、本人より喰いつくなフライト」
「は、はい……」
まったくだよ、この落ち着きのない大人め。でも俺も同じ気持ちだ。
早く知りたい。とりあえずそう危険ではなさそうな能力のようだが。
一体なんだろう?
「……さて、ボンドよ。もう少し近う寄れ」
「分かりました……?」
あれ、まだ何かあるのか? ああさっき言ってた制限か。
先に能力を開示してほしい、が、神様の前、不調法に座りながらの尻で移動する。
と、神様が額に指先を当て文字を書くようスッスとスライドさせた。その瞬間額から全身に向け熱が走る。
「うぉわ熱ちぃ!?」
「これでよし」
「……なんだったんですか?」
これで制限が付いたのだろうか。
しかし神様は何やら思案気に、
「……お主の資質は【揺れない天秤】じゃな」
「……揺れない天秤?」
「さよう。お主は『どんな技能でも、人並みの努力で、人並みの力』が身に付く力が備わっておる。更にそれは『どんな才能があっても、どんな努力をしても』じゃ。……極めて希有な資質じゃの」
「へえ、それが揺れない天秤ですか……?」
なんとなく器用貧乏っぽい語感と曖昧にぼかした表現ががあるのは気のせいだろうか?
俺と同じように聞いた面々が頭にはてなと疑問符を浮かべ始める。
うん、なんかおかしい。神様がしてくれた説明を反芻して、その意味を熟考してみる。
……さも凄そうなあれな名前してるけど。
「……どんな才能があっても、どんな努力をしても、人並みの力――って」
分かった。
「……それ、絶対的に、『普通』ってことじゃあないですか?」
鐘楼が会ったらゴーンと鳴っている気がする。
あれか? 人一倍の努力ってよく言うが一倍の努力は二倍でも三倍でもなく1×1でしかなくて即ちそれは人より努力したのではなく『人と同じだけの努力』って意味か?
そんな能力じゃないのか? いや、それはもう能力じゃなくて。
「――それ、能無しってことじゃ……」
「……いやいやいや。立派な、揺れない天秤じゃよ?」
ていうか、俺はこの世界で人並みかそれ以下の力しか身に着かないってことじゃないのか? 努力すればってことはしなければ普通に普通以下になるんじゃないのこれ。むしろマイナスなんじゃないの?
そう言ってくれよ(絶望)。
「……いや。気を遣わなくていいんで」
「……いやいやいや。立派な才能じゃよ。……苦手分野がないんじゃよ?」
「説得してません? めちゃ気を遣ってません?」
「そんなことないんじゃよ。そんなことないんじゃよ……」
嘆いてるじゃねえか。
「……ああなるほど! 絶対的な平均といったところですか。それで【揺れない天秤】……!」
ガストが何やら感心しているようだがそんなことはどうでもいい。
「いや、もういっそ、そんな能力なかったことにしましょう。俺はただの一般人、俺はただの一般人です。勇者じゃない――OK?」
みんな、あちゃーって顔をしているが、そんなことは重要じゃない。
「大丈夫ですよ。だってどのみち町おこしですから。そんなゲームみたいな超能力がったって何に使えるっていうんですか」
「……人の心を読めたりすればお客様の反応とか分りますわよ? 好きな植物を生やせれば農業革命にもなりますし、単純に戦いに向いた能力でも冒険者になればそれだけで一獲千金、町おこしの軍資金にも――」
「――で……それはいつまで? つづけるの? 誰がっすか?」
思うのだ。
「これは町おこしですよね? そう言うからには、やるのは俺だけじゃないし、俺だの身でのいけないんじゃないですか? って思うと、別に能力なんてあってもなくても変わらないんじゃないかと。ついでに言うなら、それ頼りってことは俺が帰ったらこの町終わりじゃないですか」
町長は、鳩が豆鉄砲を食ったよう、というか、目から鱗、の様子である。
納得はしていないのがありありだが。
よくよく考えてみれば俺にそんなものがある方がおかしい。ついでに言うなら、何かのチートとか優遇みないなものを手に入れても、それをどう生かすとか思いつかなそうだし。
でも、
「……つーか制限? する必要なかったんじゃ」
「その通りじゃな。じゃから先ほどのは制限ではなくサービスでな、神隠しの加護を与えた。お主弱いから魔物や悪意ある人間には印象が残らないようにの。これでより一般市民に紛れられるぞ?」
「へー、ようするにモブ化――それすら通り越して背景化するってことですか……」
うん、もう普通を通り越して薄っすらとした『地味』なんじゃないかと思う。それも日本一地味な県の一位でもペケでもなくど真ん中で紹介されない感じだ。
平凡という俺の個性が強化されたわけだ。
「……あ、悪目立ちしないならイイか。むしろすごくいい」
「良いのか?」
「小市民なんで」
「そこは順応力が高いと言っておくべきじゃのう。皆が逆に不安になるぞよ?」
「あ、そっか」
ともかくこれでチュートリアル的な話は終わりのようだ。
なにやら残念な能力であったが席に戻る。
数名が乾いた笑いを浮かべているが気にすることはない。
「ゆ、勇者殿――」
「……大丈夫なんじゃないですか? 言いましたけど、やること変わんないですし」
仮にそんな力があったとしよう――未来予知で明日の株価が分るようになるとか? 当たる天気予報ですこぶる農業?
逆にやる気なくしそう。生産系の能力でも同じだ。俺が何か作れても町の人間が作れなければ意味がない。
最後は町の人が頑張らなくちゃいけないのに。
それに、
(……何もしない内から失望するような相手なら迷わず見限れるし)
能力が平凡だ、という程度で見限るのならたかが知れてる。
前向きで善良な期待には応えたくなるものだけど、身勝手に失望する輩には応える気にはない。
最悪、怒鳴り散らして殴ってでも自分が帰る為に自分ひとりでこの街のために尽力すればいい。そんなことすれば巫女さんに迷惑が掛るからしないけど。
心の均衡は保たれた。
話の区切りがついたせいか面々がそれぞれ違う種類の息を吐いていた。
「さて、随分話し込んでしまったのう。朝食にはちと遅いかもしれぬがどうじゃ、お主ら今から町に出てはどうかの?」
確かに長い話だった。
朝っぱらの起き抜けからよく集中力が持ったと思う。
「そういうことでしたらミーナ、街の食堂に案内してやりなさい」
「分ったわお父さん――お父さんは?」
「私は領主様を見送ってそのまま役場の方に向かうよ」
「トリエ、君も同行しなさい。それから二人でボンド君にこの町を一通り紹介してくるといいだろう」
「分ってますわ。では早速――勇者様はもう少しここでお待ちいただけますか? ミーナさん手伝ってくださいます?」
「うん? ――あっ、そうだった」
「どうかしたんですか?」
「代々勇者様は変わった出で立ちであると聞き及んでおりましたので。僭越ながら代わりにこの世界の服を用意しましたの。ですがサイズをいろいろと用意しておりましたので」
「あ、なるほど」
会釈をし、トリエとミーナは足早に本殿を出て行き、町長のフライトが腰を上げ、それ倣い大人の面々が席を立ち始める
俺も彼らの見送りにと立ち上がり、戸口までだが見送った。
そしてそこで、
「領主様、町長さん、商会長さん、改めて、これからよろしくお願い致します」
真っ先に一礼する。三人は一度顔を見合わせて、代表してかバンナムが応えた。
「……ああ、――これからこの町を頼むよ、勇者君」
「はい。全力を尽くさせていただきます」
領主はそれに大きく頷きを返し、先に踵を返した。
それに続き、フライト、ガストが会釈だけで本殿の出口を出て行った。
しかし自分と同じくそこを動かない者達も居る。
神様と巫女さんだ。それに視線を送ると、
「儂はここに残る――一応神なのでな? おいそれと神域を出ることは叶わぬのじゃ」
「――私はミナカ様のお世話がありますので」
「分りました。お二人とも、これからよろしくお願いします」
「うむ。ただそう畏まらなくてもよいのじゃ」
「いや……そうですか?」
「うむ。食客より、家人より、家族として在れ」
彼女にも目で確認する。
「――はい。これからよろしくお願いします、勇――ボンド君」
何故だろうか、同じ名前呼びでも他に比べてそれは慣れ親しんだ温かみがある。
ついでに、彼女がほんのり嬉しげにはにかみながらに言うのが、凄く可愛く見える。それが気恥ずかしく顔が熱くなりそうだ。
そこで、遠くからトリエ達が恭しく招いてきた。
「勇者様ー。どうぞこちらにー」
「……じゃあ行ってきます」
「うむ」
「行ってらっしゃいませ」
軽く会釈をし、そそくさと二人の前から逃げるよう立ち去った。
廊下を左右に見渡すと、本殿を出たところから続く縁側の渡り廊下――回廊のその先に。
別の建物がある。その部屋の襖の前に、二人が立っている。
軽く駆け、二人の前に立ち止まった。
そこで彼女らにも改めて挨拶をする。
「お二人とも。これから色々とお世話になるけど、宜しくお願いします」
二人は慌てながらこちらと顔を見合わせ、
「――いいえ。どうかご遠慮なさらずに」
「慎ましさは好ましく思われますが、それ以上はこちらが辛くなりますわ」
「じゃあこれからはある程度ざっくばらんで」
「ええ。それがよろしいですわ」
「うふふ、じゃあ、年上ぶっちゃおうかな?」
「それから――」
彼女達は頷き合い、両手を前で重ね丁寧に腰を曲げて頭を下げた。
「――私たちも改めて謝罪いたします。こちらの事情に巻き込んで、ご家族と離れられることになってしまい真に申し訳ありません」
「……ごめんなさい。わたし、ただ勇者様は勇者様としてやってくると思ってたから……恥知らずにもほどがあるわ」
「ああいや—―」
そういえば、そうだった。
彼女たちも俺を召喚した要因だった。命さんと話したことが聞こえていたのか、それとも帰れないと動揺した時か。それをこの二人も気にしていたのだ。
なら――
「――ま、世界を救うとかはともかく、町おこしくらいなら確かに一般人の俺でも出来なくはないと思うから――大丈夫っすよ」
軽口で誤魔化させてもらう。
万が一にも帰れない――ということは、忘れて。
「……なるほど、そういう方ですか」
「ん?」
「いえ――ただ召喚される勇者はどうも選定した割にあまりまともな輩がいないと聞いていたものでして」
「トリエちゃん!」
「あーいいのいいの、初対面の人間をいきなり信用しようとか全幅の人任せにしようとかそんなのありえないでしょ。俺もただの役者さんだとか嘘くさい連中だなとか思ってたし」
まあ、あちらの世界に未練が無いとか執着しない――なんて人間と言うと、きっと真っ当な人間としてみれば、逆に不安になるところもあると思う。
仕方ないだろう、と遠回しにあっけらかんと言うと、ミーナは困惑し、トリエは面白げに微笑み頷きを返す。
「――ええ、そうですわね。ふふふ」
「――トリエちゃん!」
「では、改めて数々のご無礼お許しくださいませ」
「じゃあこれからよろしく」
「ええ。はい」
年上のお姉さんが一人重々しくため息を吐いている。
それが面白おかしくて笑った。
「では、こちらへ」
「……じゃあ失礼します」
トリエが襖を開け中に入ると、そこは畳と
それは革のブーツ、やや厚手のパンツ。立て襟のシャツにベスト、と、下着はボクサーパンツのような形だ。
わかりやすく言うと町人A、店員B、商人C、そんな感じである。
ただどれも材質が見たこともない。植物繊維でも動物の毛でも虫の絹糸でもない。
手に取ってみるとそれぞれ新品独特の硬さが抜けていて、一度か二度洗ったような感触だが、古着にしてはそれほど生地の痛みも縫製の解れもない。
と、中古品を確かめる眼と手つきをしてしまったが。
「街に溶け込み易いよう出来るだけ同じものを。昨日の内に慣らしておきました。勇者様は勇者様と分らない方がいいとうことなので……表向き、トリエちゃんの商会が雇った旅人にするということです」
「差し当たってはこの町で商会が新たに開く商売の人手として雇った、ということになりますので。これからボンドさんと呼ばせていただきますわね?」
「じゃ、じゃあ私は……ボンド、さま? 君?」
なるほど。
「分りました。じゃあこれからは表向きお嬢様とお呼びする上で敬語を使った方が宜しいでしょうね? ……と、こんなところ?」
「ええ。……ホントのところ、本当にウチの者ならともかく、気が引けますけど」
「――で。やっぱり勇者っていうのは明かさない方がいいんだ?」
「ええ。勇者様は勇者様というだけで面倒ごとに巻き込まれがちですから」
ファンタジックな有名税だ。
「それから、これと併せて普段使いのものが数着、人前に立って恥ずかしくない質のものを着回しが効くように幾つか用意させていただきました。あとは正装が一着、後ほどお届けしますわ」
至れり尽くせりであるが、社会活動に身なりを整えることは必須だ。しかし小市民の魂が気を咎める。
「……あ。じゃあトリエさん、今着てるこの服とか下取りとかに出せる?」
「よろしいのですか!?」
その瞬間彼女の眼は
「早速だけど物作りの参考になればいいと思うけど、もうこれ、あったりしない?」
「――型紙で近い物が幾つかございますわね。でも素材やデザインは……こんなにしなやかで、伸びも……肌触りもスベスベですわね」
「通気性も良いから運動だけでなく寝間着に使えるよ? 生地も薄くないからこのまま外に出れるし――」
「……なるほど。ああ、部分的に違う布地も使って、美的にだけではなく機能を張り合わせてるんですのね……」
まるで独り言のように呟き続けるその姿は、彼女の父親と全く一緒だ。こちらへの相槌に反して全く聞こえていないようである。もしかしたら彼女の専門分野なのかもしれない。くるくる周囲を回り物珍しい生地に触れ、その感触や縫製を隅々まで確かめている。
「……そういえば、これまでの勇者は一体どんな服着てたの?」
いったいどんな状況で召喚されたのか。夢を繋げるとか言っていたから、やはり寝ているとき限定なのだろうか。
それに熱中しているトリエに代わってミーナが答えてくれる。
「ええっと、詳しくはありませんが、お話では確か、概ね何かの制服のような恰好か……ボロボロの血塗れの雑巾のようだったと――」
「え? ぼ、ボロボロ? 血塗れ?」
「……ミナカ様のお話なんですけど、召喚者の条件には、この世界で生きられる覚悟のある人間と同じくらい、元の世界に執着がない、しがらみの無さがあって――そういう方々も多く含まれるんだそうです。だから……」
聞き捨てならないことが聞こえた。
死ぬ寸前か直後の異世界転移だったのだろうか。それなら確かに自分の世界に恨みはあっても未練やしがらみはないだろう。物語でよくあるのはトラック事故などの各種突然死だが、もしかして自殺も含まれるのか。
元の世界に執着が無い――というと、もっと他にも理由があるかもしれない。
家族や友達との不和、学校や職場での――居場所の無さもだろうか。それ自体が居ない天涯孤独や拗らせぼっちのニートもだろうか。
あまりいい話ではないな。
「……ところで」
「はい?」
「……このままお嬢様もお姉さんも、男の着換えを見るの? 下着とかまであるけど、そこまで? 目撃するつもり?」
トリエは既にさりげなくジャージの上を脱がしていた。
それを持ってしげしげと裏地の確認をしていたのだが、俺は半ば無理やり脱がされ年上の女にあと一枚でB地区を観察されるだろう。
「――し、失礼しました。下着はその、洗ってからで十分ですので」
「あ、それも?」
「そ、可能であればです」
「……しばらく保留で。せめて洗ってからひと月は風に晒させてほしい」
「わ、分りましたわ」
念入りに浄化、洗浄、日光消毒せねば股間の布地は渡せまい。
「じゃあ何か困ったら、声を掛けてね?」
トリエは顔を赤くしそそくさと、ミーナは余裕の表情で襖を占めた。
そこ越しの気配を確認しながら改めて服を手に取り、順にを脱ぎ替え袖を通していく。
襖越しに会話する。
「……ですが、ここでお暮らしになるので本当によろしいのですか?」
「ん? なにか不味いことでも?」
「いえ。巫女に手を出したら神罰か下りますわよ?」
「あのね、命さんにはそんなことしないよ?」
「あら、てっきり姉様が目的だとばかり」
むしろ彼女ならそういうことを求められないと思ったからだよ。そしてそうでなくても、
「……そういうのはしばらくいいかな。任された仕事に打ち込みたいし」
「……あら? ひょっとして訳アリですの?」
「お、突っ込んでくるんだ?」
「ふふふ。姉様にはここでよくお世話になりましたから」
念入りな忠告だ。ミーナがそんな彼女を必死こいて止めようとしている小声が聞こえるが別に構わない。
「……うーん。じゃあ正直に言うけど、他には内緒でね?」
「内緒ですわ」
「お姉さんの方も」
「う、うん。……強いなあ」
そういう訳でもないのだが、別に隠すほどの事でもないだろう。
「……いや、実はね? 片思いかもしれないってことに気づいたんだけどその相手と連絡が取れなくなっちゃって、この気持ちが本物なのか確認出来ないままなんだよなあ……ああ切ない」
「……軽く言いましたけど結構重い話ですわね」
「いやいや。単なる思い出だから。それも年一度思い出すか出さないかのレベル」
「あの……この世界に来たから、ですか?」
「ううん。向こうで気付いて向こうでだから」
「――終わった恋なのですか?」
「さあね? 在り来たりだけど、片思いすら始まってもいないわけだから」
「……萌えますわね」
「むしろそこは不完全燃焼なわけだけど」
「いえいえ、萌えますわ」
何か行き違いがあるのは分った。
「……まあ半分嘘だけど」
「半分?」
「……どの辺が、かな?」
「……ふっふっふ、そこは黙秘で」
「それでは逆にわかりますわよ?」
「じゃあ内緒してくれ」
「あら、内緒ですわね?」
「内緒なのね」
ブーツに紐を通すのが手間取った。畳の上なので、手に抱えて襖を開ける。
問題なく一通り着られた。サイズは不思議なことに
それでも二人に確認してもらう。
「――どう? どこかおかしな所はある?」
「いいえ? とてもお似合いですわ」
「じゃ、見立てが良かったってことで」
「恐縮ですわ。どこか窮屈だったりおかしくありませんか?」
「うん、まるで誂えて貰ったみたいにピッタリ。だけど、どうして? サイズなんて測ってなかったのに」
「それはトリエちゃんが――」
「目測で。そこにある箱の中から選んでおいたのですわ」
「そりゃすごい」
じいさんも似たようなことを出来たが、それは常連の顧客のみだった。
三人で回廊から延びる階段を下り、そこで慣れないブーツに足裏を入れ早速太陽の下に出た。屋根の影から離れれば光が降り注いだ。
風に温かさが含まれていた。すっかり朝は越えて昼の様相になりつつある。
「それじゃあ行きましょうか」
「ミコトちゃんも来られれば良かったのにね」
「姉様はミナカ様のお世話で忙しいのですわ」
「なんかそんな感じだね――ところで三人は仲がいいの?」
「年の離れた幼馴染、と言った関係ですわ」
そんな彼女たちの事情を聴きながら。
俺は鳥居の向こう、この世界の光景を初めて間近で目撃することになるのだった。
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