3話「異世界召喚と、その平凡なリアクション。前編」
意識が浮かび上がる。
ヒンヤリとした空気が頬を撫でている。わかる、朝だ。
夢だった。それを理解した。
眠い、寝返りを打つ、二度寝だ。目覚まし時計が鳴るまで寝よう。
まだ日も昇りきっていないのか、瞼を叩く光は暗い。
「――おお」
「成功だ! これで街が救われる!」
「……ふむ」
知らない男の声がする。
――あ? まだ夢だったのか?
なら夢なら夢らしく眠気の中で静かにしていて欲しい。
まあいいや寝よう……。
「……まだ、寝てますね」
「よし、起こそう」
「そうですわね、このままじゃ埒が明かないですし」
夢が夢を起こす相談をしている――夢なのに。
夢なら夢らしく目覚めの歌を邪魔するべきだろう。それなのに夢達は小声で何事かを相談をしている。誰が起こす、とか、どうやって、とか。
そして衣擦れの音がした。
それは声を実体を伴ってやってくる。
「……起きて下さい、勇者様。……起きて下さい」
誰かが掛け布団越しに俺の胸元をゆさゆさと揺さぶってくる。
やけに優しく、余所余所しく、それは気持ちよく眼を起こそうとしていた。
むしろなるべく起こさないようにとの心遣いに感じた。もうそれだけで気持ちよく起きれそうなものだが――
「んん……あと五分」
「定番ですわね」
とりあえず甘えて言ってみると、そんな声が帰ってきた。
女の子の声だ。起こそうとした声とは別の女の子の。
その彼女の声とまた別の声が相談を始める。とりあえず、このまま寝かしておいて、自然に起きたら……と、それに幼女の声が加わって、やけに悪戯めいた楽しげな声で――あ、身振り手振りに入った? 大丈夫大丈夫、相手がきれいな女子なら許してくれる――
ただしイケメンに限る。その逆ですか。分ります。
そして今度は耳元で衣擦れの音がした。小声でし、失礼します。
と、謝られてから、耳穴に細い指先がつぷっと差し込まれた。
「ぉっ!?」
思わずビクンとして体をうねらせ布団をめくって体を起こした。
猛烈にくすぐったかった。
「――な、なに?」
突っ込まれた耳穴をほじり直し、電撃のようなくすぐったさを何度も拭い去る。
寝惚け眼も擦り直し、ぼやける視界の中そこに居る誰かを見つめた。
いや、誰かもわからない大人たちが。ファンタジックなコスプレ衣装を着ている。
「……誰?」
「起きたみたいだね」
「おおぉ、勇者の目覚めだ! これで街も救われる!」
「ふむ……」
内訳としては、中年、中年、じじいが。口々に。
彼らはそれぞれ、にやにや、わくわく、むむむ? と三者三様の熱視線を送っている。
俺は思った。
「……え? ……なに?」
まず改めて、この人達誰!?
家宅侵入者か。
いや、辺りを見まわした。
テンプレだが知らない天井である。それどころか――壁も床も窓も障子もそして間取りも何もかもが知らない物で出来ている。
俺の家じゃない。その事態をゆっくり確認すると、警戒心と共にこれがドッキリであることを疑った。拉致られた。そしてまだ眠気が残る頭でじっくり考える。ドッキリでなく犯罪者だったら怖い――
――でもこんなファンタジック衣装の犯罪者って、どうだろう。
ドッキリか多分ドッキリだ。つまりドッキリだ。
(――テレビだこれ!)
田舎者丸出しで済まない。それはもう一瞬で舞い上がってそして落ちた。
役者か。シチュエーションはよく分らないが、とりあえずドッキリだ。
「……ええっと」
なんでこんなことになってるのか。
「……とりあえず、名前、聞いて良いですか?」
警察に通報する準備をしていた。万が一ドッキリじゃなかった場合と、無許可の撮影に対する映像の差し押さえの為だ。両親がOKを出したのかは知らないが俺個人としてはこういう騙しは許せない。ちゃんと台本を渡せ。
「初めまして勇者様。私は隣街で商会を開いているガストと言うものです。これからどうかよろしく」
「はあ――」
「私は左門・フライト。この村の村長を務めております、土地や住居のことはこれから是非ご相談させて頂きますので」
「はあ……」
「……儂はこの辺りの領主を務めておる、バンナム・ライズという者だ。これからの活躍に期待しているよ、勇者殿」
「……はあ……そうですか……」
順に。優男で色男風の中年――ガストは嫌味なく丁寧な挨拶をした。
中肉中背、ややあごのたるみが目立つ中年、フライトはどこか脂ぎった笑顔で。
じじい、妙に威厳と貫禄な雰囲気を持つバンナムは、挨拶もそこそこつぶさにこちらを観察するような視線を向けてくる。
しかしシチュエーションは少しわかった。
(勇者とか……)
ファンタジー系だ。最近こういうテレビでもオタク文化が流行っているのだろうか。パイを投げられたり車に括りつけて爆破スタントとかいきなり床が開いてドボンとかそういうのならまだしも、ちょっと奇をてらい過ぎていると思う。
子役タレント向けの、動物や魚が喋り出す奴――どこで幻想を信じるのか――
そういう方向性か。じゃあ、信じない方向で行こうか。夢のない子供で済まないがもうそろそろ夢を見ている方が恥ずかしいので。
高二病的なジャスト年齢なんですまない。
「驚いているかね?」
バンナムが髭を摘みながらそう言ってくる。先ほどから何か思案しているようだが――そう、こちらを値踏みしているような様子だ。
つまりリアクション待ちか。撮れ高を気にして焦っているのか?
でもごめん、普通に返させて貰うわ。
「……ええ。そりゃあもう当然に」
「――君は、今自分がどのような状況に置かれているのか、理解出来ているかな?」
ガストが朗らかな笑顔で尋ねてくる。人を落ち着かせる空気を身に纏っているが。
そんなの関係ねえ。
「……いいえ。正直まったく……ていうかまだ眠いんで」
「ああ、そうか。すまないね。もう一度寝るかい?」
「……寝ていいんですか?」
「ああうん。でも出来れば起きていてほしいかな?」
「ああ……じゃあ、起きてます……」
「ごめんね? ありがとう助かるよ」
暗に、もう少し撮影に付き合ってくれるかな? と言われた気がした。
お仕事、大変ですよね? 分ります。ちゃんとお付き合いいたします。そこまで我儘でも子供でもないんで。
そんな傍ら町長フライトと領主バンナムが、
「もっと取り乱したり狂喜乱舞するという話では……」
「いやいや、そう妙に意気揚々でやる気と下心があるそれから比べれば、これは当りじゃろう、あくまで話しに聞く限りだがな」
役者さんの努力が光りますね。
素人という不確定要素がある以上このドッキリは常に即興劇のはずだから。
見事に台本にないセリフを状況に合わせて口にして演出している。
(……プロってすごいなー)
仕事人、って感じだ。
「ありていに言ってね? 君は異世界に勇者として召喚されたんだよ」
「はあ、そうですか……」
でも正直、このファンタジードッキリのシチュエーションには上手く乗れる気がしない。
異世界召喚って、あれだろう、チート、奴隷、ハーレム、無双、そんなのだ。
勇者って言ったし。じゃあ魔王か? これから魔王を倒せとか言ってくるのか?
そんでコスプレ衣装を渡してそいつを倒して来いとか
で、えええ? って感じで。魚群みたいに鉄砲玉と不良の軍団が路地でいきなり沸いて出てきてとか?
――いや、正直見てみたい、か?
とりあえず半目で、彼らを冷静に眺めてみた。
ネタが滑った芸人を見る目だが、どうだろうか。
「あらあらおじさま方、勇者様が置いてきぼりですわよ」
どこか高飛車な声色が響く。
「――初めまして勇者様。私はトリエ。商会長ガストの娘です。そしてどうか私達の不躾な発言をお許し下さい。皆さま少々気が急いているので」
彼女は三人の奥からたって出た。
金髪縦ロールのツインテール――お嬢様然。少々古いイメージのそれだ。
ツンデレっぽい。トリエは 煌めくような金髪で豪奢な服を上品に着こなし、見事な所作で挨拶をした。それがまた嫌味無く填っている。分かり易いお嬢様の彼女は周囲をフォローしながら優雅に笑い、
「――皆さま、詳しい事情も知らず見知らぬ土地に呼び出されていらっしゃるというのに、まずはその非礼を詫びることからではありませんか?」
「あはは、そうだねトリエ、すまなかった。年甲斐もなくはしゃいでしまいました。ご無礼をお許しください、勇者様」
「――ほら、お父さんも」
「む、むう、そうだなミーナ。……すみません、勇者殿」
トリエの隣――もう一人女の子が居た。そばかすに癖毛の、地味だが、決して美人でも花のような可愛さでもないが、屈託も棘も無い顔立ちの女の子が。愛嬌良く愛想よく苦笑いで頭を下げてくる。
そして頭を下げた面々が、一向に頭を上げてこない。
逆らったら首が刎ねられるとか、会社でとんでもないミスをした社畜のようだ。
「あ……いえ、こちらこそそちらの事情を知らないので、まだ謝るのは早いかと」
やや見惚れながらそう告げる。訳も分からず謝られると、たとえそれが台本だとしても酷く気分が悪い。
と、バンナムが何故だかほんの少し目を剥いた。
「あの、頭を上げてください。逆に申し訳ないんで」
そう言うと、彼女達はすっと顔を上げ、こちらの困った顔を見る。と、
「――ありがとうございます。優しいんですね、勇者様は」
「いや、そういうわけじゃ……」
トリエがそう言うが、思いっきり戸惑っているだけだ。
既にこの台本はいつまで続くのかと半ば思いつつ。
(……いや、どこなんだ? ここ)
頭が回りだす。
ため息を吐く。いい加減、眠気も晴れてきた。
瞼を擦り、改めて周囲を見渡す。
――大きな木造の建物なのか。
天井の作りから察して、どこか宮作りのような。神社や寺の拝殿ってこんな感じじゃなかっただろうか。それか武道場。とりあえず日本であることは確定?
部屋が薄暗くぼんやりと明るいのは行灯らしく仄暗い景色に怪しさと神秘さを加えている。
日本だとわかっても外はどうなっているのか。
テレビ局か? 少なくとも地元にこんな場所はなかったと思う。
首をかしげこれまで見ていなかった、彼らの反対側を向く。と、
「……」
もう一人いた。
それと目が合っている。
「……ええっと」
狐の面――顔の上半分を隠した。
それはここにいるファンタジックな面々の中で一際異彩を放っていた。
異様な気配。そこに強烈に存在しているのに、まるで存在していないような。
狐に化かされているような。
「……おはようごさいます、勇者様」
「? ……ああ、はい。……おはようございます」
ああこの声は、最初に揺さぶって、耳に指で起こしてくれた人だ。
同時に――耳に、違和感が残った。
どこかで聞いた声のような――はて、どこだったか?
頭が靄もや掛かる顔を上げると、狐さんが頭を下げたまま口を開いた。
「……勇者様、異世界に召喚され混乱されているとは思われますが、どうかお願いが御座います」
「……はあ」
了承したわけではないが。
区切りとしてか、狐の巫女が顔を上げる。
衣擦れの音――丁寧なそれが響き、静謐とした空気を感じた。
朝のそれではない。緊張だが、これは彼女の感情だろうか。
真っ白な肌で、色素の薄い唇を引き結んで。その唯一見える表情だが、
(……何か悪い事でもしたのか俺)
まるで罪悪感に満ちているようだ。
しかし、先ほどの二人とは違う。女性としてだ。
ただ黙っているだけで。
そこには女性としての覇気や色気や可愛げ、愛嬌など微塵もない。浮世離れしていると言えばいいのか人を男を――それどころか同棲ですら寄せ付けい気配がある。
まるで濃密な影を纏っている。長く艶やかな黒髪もそれを手伝い――?
真っ黒な黒髪は、夜色の蠢く闇の輝きを秘めている。
――その印象が逐一変わっている。
見えない万華鏡が目の前にあるようだ。
印象が解けてバラバラになっていくような……。
違和感を覚える。
「……どうか、この街を救って下さいますか?」
「……ええっと……街?」
何のことか。
疑問した。勇者と言えば世界を救うのではないのか? 魔王とか神とか実は人と。
「……はい、街です。勇者様には、この街を街興しして頂く為にお越し頂きました」
聞き間違いじゃない。
街。街を街興しするために。
「……世界じゃなくて?」
「……街です」
脚本どうなってる!?
このドッキリ盛り上がらんぞ!?
「……いや……あの、冗談……ですよね?」
周囲を見渡す。しかし誰一人としてドッキリ大成功! のプラカードを持ってくる輩は居ない。
町長は酷く恥ずかしげだ。そんなどうしようもない理由で勇者を呼んでしまって済まない――無言でそう謝っているような気がする。
そんな役者の迫真の演技に俺が乾いた笑いを浮かべていたところ。
「……いいえ。残念ながら冗談ではありません」
狐の巫女さんがまた言った。
「あなた方の世界で言うところの異世界召喚、その対象にあなたは選ばれました」
うん。うん、中二病臭がプンプンするぜ。
そういうのはもういいから。止めようよ、こういうの。さすがにちょっと内心で笑えなくなってきたよ。笑いで一番大変なのは引き際だと聞いたよ?
だってさ?
「いや……異世界召喚ってそんな、ありがちなネット小説じゃないんだからさ」
周囲の役者さんたちが、まるで痛ましいものを見る苦笑いを浮かべ始める。
何この、俺の方が間違ってる気配。あ、違うよ? 俺ネット小説なんか読まないよ? 深夜番組が面白いから夜更かしするだけで。チョロッと深夜アニメに手を出したことがあるだけで。そう言うのが多いって知ってるだけで。
オタクじゃないから。
そこでガストがどこか達観したように言ってくる。
それは完璧に困った子供を見る目で。
「……やはり信じられませんか?」
「ええ、まあ」
「――まあそうですわよね。いきなりそんなこと言われたら混乱の極みですわ。信じられなくて当然のことと思います」
「仕方なかろう。この世界に呼び寄せられた者は、最初は皆目を疑い耳を疑い、そしてどうしようもなく動揺しあるいは狂乱すると聞く。その点、その者はまだそれに到達していないほど状況を把握出来ていないということだ……」
バンナムがとても丁寧に酷いことを言っているような気がする。
皆熱演だな。ていうかどこに俺を着地させるつもりだ?
あれか。何が何でもその気にさせてアホ丸出しなリアクションをさせる気か。
そうだな?
そこで、冷静に、俺は彼らが一番困るであろう質問を言わせてもらう。
「……ええっと……じゃあ何か異世界的な証拠を見せてくれませんか。俺の世界には絶対無い物を――なんでもいいんで」
これはドッキリなんだから。そんなこと無理だと思った。
異世界じゃないんだから。
最新技術はすごいんだなー程度にしか驚かない自信はある。
仮にすごい仕掛けで魔法を使ってもトリックで気功術でもトリックで仕込みでもトリックで手品でもトリックでトリックでトリックだと言わせて貰おう。
冷静だ、余裕だと思った。絶対テコでも顔面を動かしてやらねえ。
「……まあ、必ずそう言われるということは分かっていたんじゃがの」
「……え、そうなんですか?」
「うむ。なにせこの世界に召喚されたのは君だけではない。この勇者召喚の儀式も大分前からのことだからね。もう対応の手引きまで作られているほどだよ」
「ああ……そうなんですか……」
何その業務マニュアル。困らないの? 慣れてるの?
そうか、この手の話は最初大概その手の展開しかしない。脚本だって素人だってそりゃ回り込むか。そして魔法だろう? 現実にない=魔法だろう? 手から火でも天井から水でもタライでも分かり切ってるんだよその展開――
「では、神様においでになって頂くとしよう」
ハードル上げたなおい! 神様? 神様だぞ!? 役者さんじゃないんだよね!?
最新の立体映像技術のCGとか?
ま、そんなとこだろう。
バンナムがそう言うと、何気に皆さん整列し礼儀正しく姿勢を整えて始めた。
その流れに従い、とりあえず俺も布団の上に正座になる。
これから何が始まるのだろうかと心して待つ。蝋燭が消えて暗転するのか。それともスモークが炊かれてもくもくしてくるのだろうか。
……しかし、誰も何もする気配がない。
スタッフがスイッチを押す音も、仕掛け《ギミック》が稼働する音もだ。
何やらとても厳粛で整然とした空気が辺りに満ちている。
「――あれ?」
そういえば、自分の隣にいた巫女さんはどうしたのかと。
彼女がいなくなっていることに気付く。いや、
「巫女さん?」
部屋の上座、そこにいた。
社がある。人サイズの神棚というべきか。
扉と、屋根と、門が構えられた。そこに何を奉っているのか――
ここが神社であるならおそらくご神体が収められているのであろうが。
その前には祭壇があり、御神酒、榊、中央に御神鏡が祀られていた。
そして誰が座るのだろうか、その正面には大きく典雅な座布団――和物の座椅子があった。狐の巫女はその横で、鈴付きの短杖を握っていた。
それを鳴らす。リン、リン、リン、と、ゆっくりノックするよう揺らして。
それから。
「ミナカ様、ミナカ様、おいで下さいませ……」
それが神様の名前か、誰かを呼んだ。
途端鈴の音が――空気の残響が止まった。
それは既に広がっていた。再生していたテープがぶつりと途切れたように。
それに入れ替わり、部屋の中に
『――もう来とるじゃろうが。まったく、儀式の最初から居たというのに演出のためだけに一度引っ込まされるとか、面倒臭いのう……』
えっ、そうなの? なんかすまない。
――スピーカー染みた反響はない。
今この部屋のどこかにいるように、そこから響いている。一体どこに隠れているのかと辺りを見回すがでもどこにもいない。
そんな俺の様子にかまわず皆頭を下げていて、巫女は神様と会話を続ける。
「申し訳ありませんミナカ様。神聖なこの場で魔術など使うわけにもいかず」
『よいよいミコトよ。それは儂の神気の所為じゃからのう』
「ミナカ様の御威光の賜物です」
『ふふ、まあそういうことにしておこうかの――単に後片付けが大変じゃからの』
ドッキリって役者よりスタッフが一番大変だって言うよね。
ていうか今めっちゃくちゃメタな楽屋ネタぶっこみやがったよな。こいつら本当に俺を騙す気あるのか?
『そこの坊主、お前のこともとうに知っておる』
「……まあ、とっくに顔は見えてますよね」
『くっくっく、まあそうじゃな。で、お主からわしは見えるか?』
「いいえ。まったく」
「ここじゃ」
それは藪からスティックに。
祭壇の前、大きな座椅子ソファーの上に誰かが胡坐を掻いている。
「……」
幼女だ。
……いや、今そこ確かに誰も居なかったよな。
パカ、とか、ススス、とか、床がクルンとか、ストンの。
扉が開く音も熱も風も気配すらなかった。こんな派手なのに。
「すごいトリックですね」
「――と、お主は言う」
「……と、言えばなんでも分ってるっぽいですよね」
「まあの。……しかしなんじゃ、やっぱり派手な演出をした方が良かったかの。霧を出したり鏡を光らせ扇で踊りながらフィーバーしたりカラスやネズミがどばーっと大洪水で逃げ出したり」
天井にも床にも不自然な切れ目はない。
「……ああー、そうですかー……」
「なんじゃそのやる気の無さは」
「いや、正直、地味に凄くて。でも演出的にもっと派手さが素人目に見ても欲しいような」
「ほっほっほ、まあ気にするな」
「いや、気にしないと……」
「つまり今何時この場所が異世界だとは信じぬという事じゃな」
「申し訳ないのですが」
子役タレント相手に何をやっているんだろう俺は。
「ふっふっふ。正直者じゃのう」
そんな可愛い幼顔で偉そうなことを言われても微妙である。一瞬すごい怪奇で不気味だったはずなのに色々と台無しである。これだったらいっそ露骨なまでにブッダとかイエスキリスト様のコスプレを配置してほしかった。
宗教団体からクレームが来てアウトか。
「――さて、ではどうすれば良いかのう、やはり魔法か? とりあえず表出るかの」
「おも――ヤクザじゃないすか。いや、ていうかそれでも正直半信半疑ですかね、そういう怪奇現象なら自分の世界にも最近最新映像技術で堂々とあるんで」
「ううーん、しーちゃんとよっくんの言った通りじゃのう、世界を滅ぼす勢いでやらんと神など信じぬとは。やはりどの世界も信じる心を失っとるのぉ」
「誰すかその二人は」
「破壊神シヴァとヨグ・ソトースちゃん」
中二病の神じゃないすか。ああそうですか。とりあえずそれ系ですか。
うん、正直もうお腹いっぱい。
「……あ、すいませんもういいですか?」
「うん?」
「いや、もう異世界でもドッキリでもどっちでもイイ感じなんで。ぶっちゃけそろそろ元も場所に帰らないと学校に遅刻すると思うんで、帰りたいんですけど」
その瞬間、何故だか周囲が絶句した。
ん、なんだこの空気。
「……なに? お主、まさか……」
自称神様の幼女に倣い、控えていた皆々様も何故だかどよめき始めた。
演技力は満点だよホント。どこの劇団だ。チケット抑えとくから。
「……しらんのか?」
「え? 何がですか?」
「帰れんぞ?」
帰れない。へえー、どこに?
「うん?」
それは異世界から現実にという意味か? ただ単に距離的に今すぐは無理ということか。そんなことないだろう(笑)。
しかし急激に、それは現実感で襲いかかってきた。
「じゃから、帰れんぞ?」
「え?」
「お主は、今、帰れない」
「ははは……まさか……」
周囲を見回す。そこに居る誰もが驚愕の表情を示しそして絶句していた。
なにこれ。とても信じ難いものでも見るように、看護婦さんが医者の小声に反応し重病を悟ったときのように、処女と童貞を卒業したとクラス委員長に気づいたように。
ガチで重い雰囲気だったわけで。演技力が限界突破していたわけで。
演技じゃないっぽい。
それは自分の現状を示しているわけでこの企画のプロデューサーを呼びたくなったわけでクレームを入れてる場合じゃないわけで。帰れないと言われているわけで。皆勤賞を逃しそうになっているというわけで。ちょっとガチで心臓がバクバクしてきたわけで。
素で顔が無表情になったわけで。
「……ちょっと失礼」
立ち上がった。ちょっとここがどこなのか確かめたい。
帰れないのはまずい。異世界とかどうでもいい。まず日本かどうかだ。
大がかりなドッキリなら起きたらいきなり海外だったとか聞いたことはある。昔の番組で変なショッカーにいきなり拉致られてヒッチハイクさせられたとか。
役者さん達が何やらどよめき慌てつつあったがその顔を見る余裕はもう無かった。
ただ一言――帰れない、という日常的一言が。
今まで見てきた非常識な状況に以上に急速に危機感を煽ってきた。
信じたわけじゃないが現代日本だったら帰れない筈がない――
立ち上がると一気にそのまま駆け出し人と人の隙間を駆け抜け、そこにある大きな木の戸を開け外へと飛び出た。
薄暗い部屋を抜ける。
軒下と縁側から飛び出し、地面へと裸足のまま降り立つ。
目の前には空が広がっている。
その上には空が広がっている。
建物や、視界を遮る物はない。山の高い位置にあるのか。
青い空の彼方は太陽が昇ったばかりのほんのり黄金色。
周囲を見渡す。足元がひんやり冷たい。やはりどこかの神社の境内なのか、石畳と小石が地面には敷き詰められていた。
手水場が置かれている。しかし和風だ。
間違いない、ここは日本だ。なら大丈夫帰れる。
役者さんの迫真の演技に騙されちまったぜ。完敗だ。俺の完敗だよ。その演技をほめたたえよう。
そう思い背後に振り返った瞬間、空を大きな影が跳んだ。
――グギャアァアアアアアアアアアアアォン!
そこには馬鹿でかい空飛ぶトカゲが宙を舞っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます