第2話 延長戦に入りました
家人のM氏の妊娠が解ったのは、2010年4月のことだ。彼女はそのとき42歳、僕も42歳。ともに同い年です。
そのときのことを僕は、こんなふうにブログに書き残している。
《土曜日の日課である太極拳教室から戻って、そのまま仕事に行こうとしたとき、病院にでかけている連れ合いのM氏から、メールが届いた。
「なんとなんと(卵子:引用者註)着床しておりました! 正直信じられない~!
次は5日後に診察です。まだまだうまくいくかはわからんけど、とりあえず今夜はお祝いだね!
そして断酒はまだまだ続くのでありました」
なんと、妊娠したというではないか。
驚いた。約1年半ぶりのことだ。
つい昨日までは、妊娠の自覚的兆候もなく、本人は「死刑宣告を受けに(病院へ)行くようなものよ」とまったく浮かない顔をしていたのに。そして夫であるおれも、本人が自覚がないというのならそうなんだろうと、つまりは今回もまただめなんだろうとてっきり思っていたのだ。
それがこのメールだ。
9回裏ツーアウトからの一発逆転である。
ここからは延長戦にはいるのである。
もちろん、予断をゆるさないことは知っている。1年半前だって、胎嚢(たいのう)が見えるあたりまでは行けたのだが、そのちょっと先で、ミリ単位のいのちは尽きてしまった。
静かに。
そして、われわれの一縷の望みとともに。
流産と聞いて、ベランダでひとり泣いた。
同じことが、また起こるかもしれない。
でも、そんときはまたそんときである。そう強気になっても、そのときが訪れたならおれはきっと泣き崩れるだろう。
この1年半のあいだ、うまく受精はできても、着床にはいたらなかった。それが今回は着床までは達成できたのだ。
いまから泣くことはない、少なくとも。》
いま読むと、ちょっと小っ恥ずかしいくらいに舞い上がっている。
着床していたことは、そりゃうれしいことはうれしかったけれど、M氏はその1年半まえに流産していた。1年半まえとはいえ、そのときの辛さはまだ充分に実感として残っていたから、素直には喜べなかった。
我が事ながらブログの文面を眺めると、うれしいけれどぬか喜びになるかもしれないことを恐れて、自分の感情を抑制しようとしていることが見てとれる。
ほんとはうれしかったんですよ。
けれど、またダメだったときの落胆が怖くて、平生は息を殺すようにして生活していた。誰にも言わなかったし、両親にも伝えなかった。
まだ、われわれが喜ぶ時じゃないんだと。
真剣に、そう思っていたのだ。
とはいうものの、なにはともあれ、まずはお祝いしようじゃないかということになって、その夜は銀座でM氏と待ち合わせをした。そして、以前会社の人に教えてもらったポルトガル料理の店を予約して、でかけた。
その時期僕らは験をかついで断酒をしていたので、乾杯はノンアルコールビールだったけれど。(つづく)
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