「恋の予感」から「愛の予感」へ

第56話

 トラックへ楽器や会場で使う道具の積み込みが終わり、ミーティングをして今日の練習は解散になった。明日はとうとう吹奏楽部とアンクラの第1回夏季合同定期演奏会当日であり、そして私の誕生日でもある。しかし、かなちゃんとあの買い物に行ってからもうすぐ1カ月が過ぎるのだけれど、今のところまもるくんからは何の働きかけもないままだった。デートもするし、互いの家を行き来もしたけれど、それでもことが起こらない。葵くんと二人きりになる予定があると分かっている日には奏ちゃんと一緒に買った下着セットを身に着けていて、どこか期待していたところがあってはがっくりとなるのを繰り返していた。やはり葵くんは、そういう欲求がないのだろうか。それともあったとしても、私では物足りないから湧かないのか。

 サークル棟Aの出入口の近くで、私は葵くんが出てくるのを待っていた。今日はこのあと、土曜夜市デートへ出かけることになっている。それも、葵くんのほうから誘ってきた。「実は密かにそういうの憧れていたんだ」と話す葵くんはいつもよりシャイに笑っていて、それが可愛らしく見えた。

 「実梨みのりちゃん、お待たせ」と声を掛けてくれた葵くんが、今日はどこかぎこちない感じがした。今更ながら緊張しているともとれる。

「どうしたの、何だかいつもの葵くんと違う気がするよ?」

「あ、いや…昨日からもう演奏会のことで緊張してあまり眠れてないんだ。でも大丈夫だから。行こうか、実梨ちゃん」

 葵くんと一緒に駐輪場のある木屋町の電停まで自転車で風を切った。随分蒸し暑くなってきたけれど、こうしているとちょうどよく感じる。それから、大街道に向かう路面電車に乗った。ぎゅうぎゅう詰めの身動きも取れない状態でつり革や手すりにつかまることもできないうえに走行中の振動で少しよろけただけでも他の乗客にぶつかりそうな満員電車の中で、葵くんはずっと左手を私の背中にまわして支えてくれた。そのせいか、冷房が若干効きすぎているくらいなのに私の周りだけ熱いベールに包まれているような気分になり、頭がポーっとのぼせてきた。

 大街道で乗客の半分以上が電車を降りたけれど、スクランブル交差点の信号待ちで今度は幅の狭い電停のほうがひしめき合っていた。私は葵くんとはぐれないように常に前後左右へ神経を使っていたけれど、その人だかりの中で葵くんのほうから私の手を握ってくれた。歩行者信号が青になって電停から人が散らばりはじめたとき、葵くんとつないでいる私の手があらわになって時折すれ違う人の視線が一瞬留まるのを感じ取って、私は少し恥ずかしくもあり嬉しくもあった。

 「実梨ちゃん、かき氷を食べようよ」

大街道を銀天街に向かって進んでいる途中でたこ焼きや焼きそばやフライドポテトにわたあめを買ってまもなく銀天街に差し掛かるころ、葵くんがそう誘ってきた。

「いいね。私、青りんご味がいいんだけど、なかなかないんだよね」

「大丈夫、青りんごも含めてシロップの種類が群を抜いて多いところ、俺は知ってるんだ。そこで買おう」

そうして私は葵くんの手を握ったまま大街道と銀天街の境目にある交差点を渡り、そのすぐのところにあるかき氷の屋台に連れてきてもらった。

「わあ、本当に青りんご味があるんだ。ねえ、葵くんはどの味にするの?」

「俺はマンゴーかな。それにバニラアイスも乗せてもらうよ」

その屋台のそばにあった休憩所に腰掛けて、私たちはかき氷を食べた。ふと、葵くんのほうを見た。あまりに葵くんがかき氷を口へ運ぶのに真剣で黙り込んでいるので、私は思わずフフッという声を漏らしてしまった。

「何、どうした?俺、どこかおかしいかな」

かき氷から顔を上げて私を見る葵くんは、どこか緊張が解けないまま口角を上げて笑った。

「だって、ずっと黙々とかき氷と向かい合って、私のほうを見てくれないから」

「ああ、俺はかき氷を食べるときっていつもこうなんだ。だからそんなに拗ねなくていいよ」

その落ち着いた声と微笑みはいつもの葵くんのようで、だけどやっぱりどこかがいつもと違う。だけど、葵くんがそこにいるというだけで、私の心もかき氷と一緒に溶けてしまいそうだった。

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