第43話

 練習場に戻ったときには、モモちゃんはトロンボーンを片付けながらしょうくんや知奈ともなちゃんと話をしていた。これはチャンスだ、と私は後ろを振り返り、かなちゃんと遼弥りょうやくんからそれぞれ強気そうなグーを前に差し出されたのでそこにコツン、コツンと私のグーを当ててから葵くんのほうへ歩いていった。「まもるくん、お疲れ様!」ととびきりの笑顔を意識して声をかけると、葵くんも「お疲れ様、実梨みのりちゃん」と応えてくれた。

「パーカッション、見学来てくれてよかったね」

私にかけるその声も表情も、葵くんはいつもより照れているように見えた。心なしか顔も赤く見える葵くんに、私は、よし、と心を強くして話した。

「うん、二人とも入ってくれそうな感じだし、いい子たちだよ。それより、葵くん、顔赤いけど大丈夫?さっき新入生たちをお迎えに行ったときので風邪ひいたんじゃない?」

そう言いながら私は右手で葵くんの額に触れた後、今度は両手で葵くんの首を触った。ところが、私のドキドキが伝わりそう…なんて悠長なことを考えている場合ではなかった。葵くんは額も首も熱を帯びていたのだった。

「葵くん、熱あるみたいだよ!しんどくないの?」

私の問いかけに、葵くんはくしゃみを両手で抑えたあとで答えた。

「ああ、少し怠いな…とは思っていたんだ。だけど、熱っぽいとは自分では思ってなかったからね…」

言いながら、葵くんはまたくしゃみをした。

「そういや悪寒もしてきたね…しんどいかも…」

私が葵くんのそばから視線で奏ちゃんを探して呼んでいる間に、モモちゃんがダッシュでこちらにやってきた。そして、わざとらしい声で葵くんに「大丈夫ですか~?」と気遣う声をかけた。小走りで来てくれた奏ちゃんは「実梨ちゃん、どうしたの?」ときょとんとして尋ねてきた。私は同時に三人を相手にすることを意識しながら話した。

「あのね、モモちゃん、葵くんは熱があるみたいなの。だから、奏ちゃん、私と一緒に葵くんを家まで送っていってもらえる?」

うん、とうなずいた奏ちゃんを見て、「そういうことだから、葵くんは私たちにまかせて!ね、モモちゃん?」

「実梨ちゃんも奏ちゃんも悪いね、でも助かるよ、ありがとう…」

だんだん弱々しくなる葵くんの声に、モモちゃんが食いついた。

「えー、だったら私も行きますよ!」

私は、どこかモモちゃんと勝負しているような気持ちになりながらも、モモちゃんを宥めるように言った。

「いや、でもモモちゃん、葵くんの家の場所、知らないでしょ?だから私たちに任せてくれていいよ!」

「だからこそ、葵先輩の家がどこか知りたいんです!私も心配してますし、葵先輩を!」

そこに遼弥くんが、まあまあ、とモモちゃんに声をかけた。

「モモちゃん、あまり大勢で行ったら今日は葵がしんどいだろ?心配しなくても、優しい先輩たちがちゃんと葵を送っていくから、今日のところは帰っていいよ、モモちゃん」

遼弥くん、グッジョブ!と私は思った。

「わかりましたぁ…。じゃあ、お大事にしてくださいね、葵先輩!元気になったら話したいこと、いっぱいあるんですから!では、お疲れ様でした」

ペコリと下げた頭を上げたモモちゃんの表情は、笑顔に悔しさが混ざっているのがよく分かった。

 ふらつきながらも自転車に乗る葵くんを心配しながら、奏ちゃんと私は葵くんの後ろをついていった。一度も葵くんがこけることもなく葵くんのマンションに着くと、奏ちゃんは「じゃあ、私はここで。あとは実梨ちゃんに任せたよ。葵くん、お大事にね。二人ともお疲れ!」

と言って自転車にまたがったまま奏ちゃんの家のほうへ向き直した。え、という間もなく奏ちゃんは走り去ってしまった。

「実梨ちゃんもありがとうね。ここからは俺一人で大丈夫だから、帰っていいよ」

そう言った直後にせき込む葵くんに、そういえば…と思って私は気遣う声をかけた。

「いえいえ。ところで葵くん、家に食料とかあるの?良かったら私が買い出しに行ってくるけど、どう?」

「えっと…じゃあ実梨ちゃんの厚意に甘えようかな…本当に悪いね、ありがとう」

すると葵くんは私に2千円を渡すと、スマートフォンでLINEに買い物メモを打って送ってくれた。

「それじゃあ、頼んだよ、実梨ちゃん」という葵くんの声は随分、ぜえぜえしていた。

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