第33話

 練習は10時からだけど、守衛室で鍵を借りるときの帳簿には9時37分と書いた。それから私が練習場に向かうと、出入り口の前でまもるくんが待っていた。おはよう、と言うと葵くんは挨拶を返してくれたけれど、どこか緊張した面持ちだった。やっぱり今日はバレンタインデーで、そんな日に少し早く練習に来るよう私からお願いしたのだから、葵くんも身構えちゃっているのだろうか。

「…なんか今日の実梨みのりちゃん、いつもより可愛いね」

シャイに笑いながら葵くんは言った。ここまで1カ月、今日のためにスキンケアをいつもより念入りに頑張って、伸びてきた髪を少しばかりコテで巻いてみたのを葵くんが褒めてくれた。

「そりゃあ、今日はバレンタインデーで特別だもん、そんな風に葵くんに褒めてもらうために頑張ったもの。もちろん、頑張ったのは見た目だけじゃないよ?ほら、これ、受け取ってほしいな」

そう言って私が大きなハートの入った箱を差し出すと、葵くんは余計に照れてしまいながらも、ありがとう、と言って受け取ってくれた。そんな葵くんを見て、私は自分を鼓舞してから言い始めた。

「ねえ、葵くん。この機会に、もう一度言わせてほしいの。私は葵くんが大好きです。だから、私と付き…」

「待ってください!」

私の「付き合ってください」に被さった声の主は華英はなえちゃんだった。ダッシュしてきたのか、息を切らしていた華英ちゃんは、ゆっくりとこちらに歩いてきた。駄目だ、ここでひるんではいけない。

「ううん、葵くん、こっちを見て。私と付き合ってください!」

私が続きを言い始めると、華英ちゃんは小走りになって、しまいには「私と付き合ってください!」は私と華英ちゃんの声が合わさってしまった。葵くんは照れと困惑が混ざったような表情をして、私と華英ちゃんを交互に見た。

「華英、あとちょっとだから!昨日、私と一緒に葵先輩に想いが伝わるように頑張ったでしょ!だからもうあと一押しして!」

華英ちゃんにエールを送ったのはなぎさちゃんだった。

「実梨ちゃん、昨日は大きなハートの型で葵くんの心も射貫けますようにって念じながらブラウニーを抜いたよね!だからきっと大丈夫!もうひと踏ん張り頑張って!」

渚ちゃんの少し後ろからかなちゃんの声が聞こえた。奏ちゃんと渚ちゃんは一瞬だけ視線を合わせると、すぐに葵くんのほうに向いた。

「…実梨ちゃんも華英ちゃんもありがとう。二人とも、真剣に俺のことを想ってくれているのはすごくよく伝わったよ。…でもごめん。今は実梨ちゃんと華英ちゃんの両方に恋心のカケラというか、恋の予感を感じてしまって、どっちのほうが好きとか分からないんだ。だから、俺からひとつお願いがある。俺の気持ちがはっきりしたら、こっちから告白する。それまで俺を見守っていてほしいんだ。いいかな?応援している奏ちゃんも渚ちゃんも多分もどかしいだろうけど、今の俺にはそうとしか言えない。ごめんね」

そう言い終えた葵くんは、華英ちゃんのチョコレートも受け取った。そして、私は「みんな寒いよね、ごめんね」と言って練習場を解錠した。

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