13

 流石はノー・リプライ・デイズが立案した企画だ。ツムギナイトの客入りは上々で、紡木のメガネにかなったアーティスト達が出て場を沸かせている。時にはバンド、時には弾き語り、時にはDJと、様々な音楽の在り方を見ているのは楽しかった。

 物販の一番隅に九重虹一の名前で作った簡易的なプラカードと、配布用の音源を並べたまま暫く腕組みをして座っていたが、やがて自分の出番が近くなってきて、僕は物販で一度大きく伸びをしてから、楽屋へと向かう。

「とうとう出番だな」

 騒々しい観客の群れをかき分けるようにしてやってきた鷹居は僕の肩を叩くと、親指を立てて笑みを浮かべていった。待ちわびたとでも言わんばかりの満面の笑みだ。

「どうやら、ストロヴェリィの時代を知ってるファンも来てくれてるらしいぜ」

「それはまたコアなファンもいたもんだ。あの頃と比べられるのは、少し怖いな」

「でも、それを選んだのはお前だからな」

「ああ、分かってる」そう言って僕は肩を叩くと、楽屋に繋がる扉の前で立ち止まり、一度深呼吸をして、それから両頬を思い切り二、三発叩いた。

「なあ、この先どうするんだ」

「さあ、どうだろう。少なくとも、今までみたいに音楽はやらない」肩を竦めながら言って、それから「でも、時々顔を出すくらいは、したいかな」と付け足した。

 そうか、と鷹居は微笑むと、「ここからがスタートだな」と彼は言った。

 スタートなのかどうかは分からないけど、僕にとって今日は多分、一つの通過点なのだろう。ここから一体どうなるのかも分からないし、どんな選択肢があるのかすら未知だ。

 でも、とりあえず一歩足を踏み出したのだから、進める限り進んでみようと思った。

「そういえば、お前の作ったあの曲、タイトルは無いのか?」

 鷹居の言葉を聞いて、付けるのを忘れていた事に気付いた。手焼きのジャケットにも書く時もどうしてか付けるのを忘れていた。

「すっかり忘れてた」鷹居は溜息を吐き出した。

「全く、そんな様子でどうやったらあんな曲書けるのか、俺は知りたくて堪らないね」

 呆れた様子の彼の言葉に、僕は首を横に振った。

「多分、もう二度と書けないと思う。この曲を作っている間は、なんていうか、そう、夢の中にいるような気分だったから。いや、実際に夢だったのかもしれない」

「夢の中で作曲か。まるでビートルズだな」

「ビートルズ?」鷹居の口から出たバンドを反芻する。

「ポール・マッカートニーが、夢の中で浮かんだ曲をそのまま現実で作ったことがあるんだ。それは今も名曲としてちゃんと語り継がれている。お前も知ってる曲さ」

 鷹居の言葉に、僕はああ、と頷いた。「イエスタデイ、か」彼も頷く。「夢の中で出来た名曲だ」

「そして、お前が作ったあの曲も、これから先色んな人の心に残り続ける名曲に違いない」

 言い過ぎだと照れ笑いをしたが、鷹居は真っ直ぐに僕を見据えていた。

「お前にとってのイエスタデイは、あの曲だよ」

 それだけ言うと、彼は楽屋に入っていった。

 楽屋に入っていく彼の姿を見送ってから僕も楽屋に足を踏み入れる。既に文野と長江の準備は整っているようで、入ってきた僕を見ると長江が不敵に笑みを浮かべた。鷹居はストレッチをしながら、嘗て何度も演奏したストロヴェリィフィールズ時代の曲を口ずさんでいる。

「次入ります。ストロヴェリィフィールズさん、音楽が始まったら、入場お願いします」

 九重虹一バンドだと長江が呆れ顔で言ったが、スタッフは悪戯にはにかむと、楽しみにしていますと言って楽屋から姿を消した。

 フロアの照明が薄暗くなっていく。かかっていた音楽の音量が下げられ、最後には聞こえなくなった。

 やがて、入場時の曲がかかり、フロアの観客の歓声が楽屋裏にいても聞こえた。僕達四人は円陣を組むと中央に手を重ねた。僕の上に乗る文野の手が、強く僕の掌に押し当てられている。

「三人共、本当にありがとう。あんな身勝手な離れ方をしたのに、それでもこうして決着をつけるチャンスをくれて」

「それは俺達も同じだ」鷹居の言葉に、文野と長江が頷く。「きっと今日が無かったら、俺達はずっとわだかまりを抱え続けていたと思う。虹一の事も、ストロヴェリィフィールズの事も、そして、茉奈の事も。だから、ありがとう」

 重なった手に力が入るのを感じた。

 本当に、これで終わる。

 また、始まっていくための僕達のライブが、始まってしまう。

「行こう」

 返事は無かった。代わりに上に重ねられた手が、力一杯に僕の手を押し込んだ。

 四人の手はそのまま崩れて離れていく。鷹居がよし、と気合を入れるのが聞こえ、僕も深呼吸でそれに応える。

 頃合いを見計らって僕達はステージに足を踏み入れた。

 拍手。

 声援。

 眩しい照明。

 そのどれもが久しぶりで、少し戸惑った反面、心が踊る。

 胸が強く鼓動を打っている。

 呼吸が緊張で乱れていくのを、何度か深呼吸をして整えて、中央のマイクの前に立つと、ステージの上から周囲を見渡す。

 観客で埋め尽くされたフロアの光景は圧巻だった。つい先日まで、たった一人にだけ歌い続けていたからか、想像以上に圧迫感があった。

 アンプの横に立てかけられたストラトキャスターを手にして、マイクに何度か声を通し、ギターのチューニングを見てから、他の三人に目配せをする。文野がスティックを回す。長江が肩を竦める。鷹居がギターを鳴らすと、頷いた。

 僕は正面に目を向ける。

「始めまして、九重虹一バンドです。皆さんの中には以前のバンド名を知っている方もいるようですが、今度こそ、このメンバーでの最後のライブです。僕達も楽しみます。だから、皆さんも楽しんでいってください」

 早口に言い終えると、フロアから歓声が上がった。オーディエンスの反応を受けて鼓動が強く胸を打つ。落ち着けと自分に言い聞かせながらギターを構えると、瞼を閉じた。

 七峰茉奈の姿と、早見あゆむの姿が浮かぶ。

 大丈夫だと、言ってもらえた気がした。

 目を開けて、改めてフロアの光景に目をやる。

 どうしてか、一瞬二人がこの場所にいるような気がしてしまったのだ。そんなことある筈無いのに、そんな想いを抱いた瞬間、緊張に震えていた手が、心が、声が、平静を取り戻していく。

 大丈夫、行ける。

 僕はネックを握り締める。


 歌い続けてくれたら、私は、ずっと貴方を好きでいられる。


 あいしてる、ありがとう。


 ギターを鳴らす。アンプを通して増幅された音が広がると同時に、他の三人の音もまた濁流の如く流れ出す。

 文野のカウントの音が聴こえ、四つのカウントと共に曲が始まる。

 鷹居の鮮やかなアルペジオリフと、長江の高音と低音を縦横無尽に駆け巡るベースライン、堅実且つ力強い文野のドラムプレイ。それらの音を背後に受けて、僕はギターバッキングと共にマイクに齧りつくようにして、歌い始めた。

 観衆の中に紡木葵を見つける。

 歌う僕の姿を見て彼女は、少し羨ましそうな表情を浮かべていた。一体何が羨ましいのだろうか。紡木はこれから先、この三人と一生を共にするのだから、何も羨ましがることは無い。選択を違えた僕が出来なかった道に、彼女は立って、突き進んでいける。

 羨ましいのは、僕の方なのだから。

 不意に、彼女の首から掛かっている物が目に入る。

 メタルプレートで出来たティアドロップタイプのピックが付いたペンダント。

 なんとなく、納得がいった。

 様々な選択の中に、紡木葵も含まれていて、もしかしたら僕は「彼女が成長するため」にいたのかもしれないと、そんな想いを抱いた。

 何も心配するな、前に行け。

 そんな想いを込めて僕は歌う。僕の精一杯を、僕が残せる全てをここに注ぎ込もう。君がいつか、何者にも恐れず歩いていけるように。

 鷹居のギターソロと当時に観衆が湧いた。一年前ではきっと弾くことのなかった力強くて感情的なギタープレイを鷹居は観客に魅せつける。それを横目でちらりと見て、次に下手の長江を見る。彼もまた、ベースライン同様縦横無尽にステージ上を駆け回っている。荒々しいが、正確なその演奏に僕は思わず声を上げて笑ってしまう。

 そんな二人のプレイの手綱を正確に引く文野のドラムを聴いて、もう随分と離されてしまったことを強く実感する。

 ただ、せめて今日のライブだけは。同じ位置に立っていたい。

 最後の曲が終わるまでは、食い付いてやる。

 ギターソロが終わると同時に、僕は再びマイクに齧りつき、ギターを掻き鳴らした。



 静動含めたストロヴェリィフィールズのかつての楽曲達を演奏し終え、残すところあと一曲となった。汗にまみれ、疲労の滲む僕に比べて、楽器隊の三人は余裕の表情だ。当たり前だ、彼らはつい先日二時間弱のライブを駆け抜けてみせたノー・リプライデイズのメンバーなのだから。

「本当に、今日は呼んでいただいてありがとうございます」

 拍手の音に僕は深い息を吐いて、水を飲む。冷たい感触が喉から体内を巡っていく。その感触が、僕の意識をハッキリとさせる。

「次で、最後の曲です。同時に、この四人でやることは二度とありません」

 乱れた呼吸が落ち着いてくる。鼓動が、力強く脈打っていた血液が次第に落ち着いていく。

「一年前に止まってしまった道をちゃんと終わらせるために、僕は今日ここでライブをしています。三人が今新しい道を突き進んでいるように、道を違えた僕もまた、新しい道を歩んでいくために。でも、この先どこに向かうかは決まっていなくて、今、正直とても怖いです」

 不意に、観客の中に茉奈を見た気がした。

 見間違えただけなのはちゃんと分かっている。彼女はもう、昨日に留まってしまって、僕だけ明日に来てしまった。だから、あの手をもう僕は引いてやれない。茉奈との別れは、もう済ませてきたのだから。

 ただ、一瞬僕の目に映った彼女は微笑んだように僕には見えた。

 例え見間違えだったとしても、笑いかける彼女を最後に見られたのは嬉しかった。

「時々、選ばなかった道の先を思い浮かべて後悔する時があって、僕はずっとそんな想いから、進むことを怖がっていました」

 目の前に広がる観客は、僕を真っ直ぐに見つめている。気を抜くと呑み込まれそうなくらい彼らの視線は熱を含んでいた。僕は呑み込まれまいと一呼吸入れて、再びマイクに向かう。弦に手が当たって、歪んだギターの音がアンプから囁くように漏れ出て、それはやがてフィードバックによってノイズが生じた。ノイズの中で僕は口を開いた。

「僕は、選んだ道を受け入れていこうと思います。幾多あった岐路の中で、ここに立つという選択をしたのは、僕以外にいないのだから」

 赤いマフラーが目の端で揺れた気がした。目で追うと、バーカウンターの傍にマフラーを巻いた女性が立っているのが見えた。あゆむでは、無かった。

 いて欲しかったなと思っている自分がいることに気付いて、思わず笑みを零してしまう。

 僕はギターのフレットに目をやり、一番初めのコードを左手で押さえ、胸いっぱいに息を吸い込むと、顔を上げた。

「前に進むために、作った曲です、聴いてください」


 迷わずに、ストロークした。

 四人の音が合わさって、最後の曲の演奏が始まった。


 僕とあゆむの、夢の中の一曲が。


 僕にとってのイエスタデイが。


 会場に、ナインスコードが、鳴り響いた。

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