11

 メインになる唄があって、そこに繋がるような、それが印象的になるような展開を作っていく。

 誰かにこのコードを、このメロディを聴いてもらいたいから、余すところ無く楽しんでもらえるようにするために出来る音像を思い描いて、手元の楽器一本で形にするという作業。それが僕なりの作曲に対する想いだ。

 鷹居の音に触れた時、鷹居と一緒に歌おうと思えた時、僕達の手で紡ぎだしたあの音を聴いて欲しくて、誰かに僕らが好きだと感じたソレを共感して欲しかった。

 今、こうして曲を作っていて思うことは、僕は多分、誰かに聴いて欲しくて、誰かの共感が欲しくて堪らなかったんだと思う。鷹居に言われて、僕は自分が求めていた道を見つけることが出来た気がした。

「ねえ、君の方の僕は、いつもどんな風に歌ってた?」

 フロア奥のPA席に腰掛けて、ペンで頭を掻きながら顔を顰めていたあゆむが、こちらを見た。ステージ上で僕は紡いでいたアコースティック・ギターの音を止めると、僕達の間に静寂がそっと、吐息のように通っていった。

「きっと必要としている人に届けられた気がするって、歌い終わった後はいつもそう言って嬉しそうにしてたかな」

 あゆむはペンを顎に当てながら答え、それから大きく一度伸びをした。

「休憩しましょう、私ちょっと飲み物を買ってくるから、コウイチさんもどう?」

 頷くと、彼女はうん、と笑って立ち上がる。

「あゆむ」

 扉を開けて出ていこうとする彼女を引き止めた時、あゆむと目が合った。大きくて、水っぽい瞳をこちらに向けて、それから目を細めて微笑むと、どうしたんです、と首を傾げた。

「ありがとう」

「突然どうしたの?」

「こんな良いフレーズを持ってきてくれたことと、茉奈と鷹居のことを教えてくれたこと。なんだかちゃんとお礼をしていなかった気がしたから」

 彼女は扉に手を掛けたまま嬉しそうに目を細めると、開けた扉を締め直して、寄り掛かる。

「私、ここに迷い込んで貴方の顔を見た時、不思議と冷静になれてね。ああきっとこれは夢か何かなんだって。じゃなきゃ死んだ人が現れる筈なんて無いし」

「混乱してる僕に比べて、確かに君は冷静だったね」

「多分、私の顔を見てぽかんとしてるのを見て、ここは私の知っている現実じゃないってなんか納得しちゃったの。だって本当に私の知っている虹一君だったら、あんな顔しないもの。じゃあこの場所がどうあれば私は腑に落ちるんだろう、目の前の彼が別人である状況をどうにか理論付けるにはどうしたらいいかって、一気に頭の中が回転して、都合の良い予測を作り出すことが出来た」

「そして辿り着いたのが、平行世界」あゆむは頷く。変な話よね、と彼女は恥ずかしそうに笑った。「あれだけまた会えたら良いのにって思っていたくせに、いざ会ったら私は必死に君と彼が違うと否定してしまったんだから」

 彼女は頬を指で掻く。長さの揃った細くて綺麗な指先が器用に動く。

「私ね、隣で口ずさむ彼の姿がとても好きだったの」

「隣?」

「そう、隣」僕の言葉を彼女は反芻して頷いた。

「勿論彼がステージで歌っている姿や声、沢山の人を前にして愉しげな姿も好きだった。でも、隣でふと思い出したように口ずさむ彼の歌を聴けるのは特別で、その度に私はとても幸せな気持ちになれた。彼が歌う場所がどうであれ、私は歌い続ける虹一君の姿があれば、それで幸せだったの」

 言い終えると彼女は僕を見て歯を見せて笑い、再び扉に手をやると、閉じかけの防音扉を開ける。

「僕は、君の好きだった虹一にはなれない」

 扉を開けた彼女に向かって僕は言った。分かってる、とでも言うように彼女はこちらを見て目を細めた。

「でも、僕は君のことを、ちゃんと救えたらって、そう思ってる。君の持ってきた曲を、僕が形にして、君の想いを載せた詩を、僕が歌にして……。君も僕もちゃんと前に進めるように、背中を押せるような曲にしてみせる。二人で最高の曲にして、前を向こう」

 僕が歌い続ける事で、大きな世界は変わらなくても、たった一人の背中を押すことくらいは出来るかもしれない。

 九重虹一の代りにではなく、早見あゆむの為に、僕が歌ってみせるんだ。

「楽しみにしてる」

 僕の言葉にあゆむは淋しさを喜びの入り混じったような表情で応え、すぐに顔を伏せると、扉の先へと出て行ってしまった。

 僕は彼女を見送ると、アコースティック・ギターを椅子に立てかけ、フェンスを超えてフロアに降り立った。改めてステージ上に目をやると、照明がギターと椅子だけを照らしていて、まるで次の演者を待っているように見えた。

 僕は再び正面に目を向ける。奥のPA台に置かれたルーズリーフとペンケースを見て、僕は先程まであゆむの座っていた椅子に腰掛けると、ルーズリーフを手に取った。

 あれほど書けないと唸っていたにも関わらず、僕の用意したメロディに対して全ての詩がそこには書き込まれていた。幾つもの言葉や文章に二重線を引いては次の言葉を当て嵌めて、しっくり来るものを探していたようだ。消しカスのくっついた部分に何度も書き直した跡が見える。

 おとぎ話のような、並行した世界の二人を題材にしたその詩を見て、僕は思わず笑ってしまう。僕達の出来事をベースに書いているようだった。まるで違う世界の、互いの選ばなかった世界を垣間見て揺れて、でも自分の選択を信じ続けたいと、そう願っているような詩だった。

 手にした紙の下に、もう一枚重ねるようにして紙が隠されていたのを見つけて、僕はそちらも手に取った。可愛らしい小さな字で詩が書かれてあった。


 昨日に触れた指先、ざらつく紙の感触

 この先に行けたらなって願うけど

 何もないよって景色が寒色になって

 写真立ての中で埃被ってく

 さよならって言えたらいいのに

 さよならって言ってくれたら

 振り返ること、辞められるのに


 紙を置いて、その上に一枚目を重ねて置いた後、僕は再びステージに向かう。

 照明の下に座りなおし、ギターを抱え、そして目の前にハンディレコーダーを置くと録音ボタンを押して大きく息を吸った。

 そして誰もいない観客席に向かって、ピックを持った手を弦に向かって振り下ろし、大きく口を開いた。



 弾き語りのデモ音源を聴いた鷹居は、しばらく無言だった。

 ファミレスで二人だけ、ろくな注文も取らないまま向かい合って座り、僕はコーラを啜りながら、騒がしい周囲の粗雑な話題や、店員の高い接客用の声を聴きながら、彼の反応を待っていた。

 イヤホンを付けたまま鷹居は腕を組み、ハンディレコーダーをじっと見つめている。聴き終わった後、大抵彼は隅から隅まで徹底的に駄目だしをしてから最後に口達者に褒めていくのが通例なのだが、彼はさっきからずっとリピートを続けるのみで一言も喋ろうとしない。

 今までと違う反応に戸惑いながら、しかし聴き続ける彼に何も言うことができず、かといってじっとしていることもできなくて、結果ドリンクバーを何度も馬鹿みたいに往復しては彼の反応を待っていた。

 録音する際、彼女の詩を実際に使ってみた。まだきっと色々と納得しきれない部分があるだろうけど、今の時点でも十分に良かくて、メロディに載せてみた感触も上々だった。

 ただ、最後のサビには彼女が隠すように重ねていた詩のサビの部分をこっそり入れさせてもらった。戻ってきた彼女に録音をしたこと、詩をこっそり見たことは黙ったままにした。

 多分二枚目は入れるかどうかでとても迷っている詩だったのだろう。ただ彼女の書いたあの二枚目の詩を捨ててしまうのがなんだか勿体無く、出来れば残しておきたくて衝動的にデモ音源として録音してしまった。怒られても仕方が無いことをやったという自覚はあった。

 鷹居はハンディレコーダーの停止ボタンを押すと、付けていたイヤホンを外し、テーブルに投げ置くとすっかり冷めてしまったコーヒーに口を付ける。不味そうに顔をしかめ、彼はうん、と頷いてから僕を見た。

「葵が企画するイベントに、出るんだってな」

 彼の口から出た言葉は、まずそれだった。良かったでも、悪かったでもなく、他の話題を先にされたことに僕は更に戸惑う。彼の反応に困りながらも生返事で返すと、彼はスケジュール帳を取り出して再び冷めたコーヒーを不味そうに顔を歪ませながら飲んでから言った。

「お前、来月誕生日だったな」

「そうだね、鷹居は、もう過ぎたか」

「とっくに過ぎてる。音楽辞めた上に祝いのメールすらくれないんだからひどいよな」

「悪かった」

「気にしてないよ」彼は悪戯に笑みを作るとカップを空にした。

「バースデーライブみたいになったら面白かったんだけど、流石にそう奇跡は起こらないもんだ」

「そんな恥ずかしいこといいって。単純に誘われたから出るだけなんだから」

 からかうような彼の言葉に僕は呆れながら返答していたが、やがて鷹居はレコーダーを指さすと、「これはやるつもりなのか?」と言った。僕が頷くと、彼は再び腕組みをして、それからぶつぶつと独り言を唱え、それからカップを手にするとドリンクバーへと行ってしまった。

 全くわけが分からないと背もたれに身体を投げ出し、再び店内の様子を観察し始めたが、面白そうな事は一つも無くて、嘆息すると、天井に目を向けた。喫煙席から立ち上る白濁とした煙が天井で管を巻いているのが見えて、それを換気扇が追いだそうと躍起になっているが、煙は依然として生み出され、彼の虚しい努力をせせら笑っている。

 そうこうしている内に鷹居が湯気をたっぷり吐き出すカップを手に席に戻ってきた。ドリンクバーに向かった時と変わらずぶつぶつと何か唱えており、その度に手元が億劫になってコーヒーが跳ねて落ちかけるのが見えた。

 席に戻ると彼はもう一度レコーダーを手に取り、今度は右側にだけイヤホンを付けて再生を押す。

「アレンジについてどう考える」

「アレンジ?」

「綺麗なコードを使ってるからな、出来るだけこれを活かしたいんだが、丁寧になり過ぎると力強さが無くてサビの印象が薄くなりそうだ。出来ればリフや序盤は単音で丁寧に重ねて、後半は歪ませて力強くしたいな。まあ、実際に鳴らしてみないとどうなるか分からんが」

 真剣な眼差しで語り続ける鷹居を見ていると、彼は照れ臭そうに視線を逸らした。

「俺にもこの曲、一枚噛ませてくれよ」

「良かったのか?」

「ああ、本当に良いと思った」

 そう言うと彼は照れ臭そうに頭を掻いて、誤魔化すようにコーヒーを一息に飲み干すと、店員を呼んでデザートを二人分頼むと、再びドリンクバーに行ってしまった。

 レコーダーを片耳に差し込んだまま行ってしまった彼の後ろ姿を見て、僕は呆気に取られ、それからふと我に返ると、彼の照れ臭そうに言った変な褒め方がおかしくなってきて、思わず笑ってしまう。

 戻ってきた彼は笑い続ける僕を見て更に顔を赤くすると、鼻息を漏らして腕組みをすると、不愉快そうに僕をじっと睨んでいた。

「いや、なんていうか、そんなストレートに褒められたの初めてだと思ってさ」

 そうだったか、と彼は怪訝な顔をする。

「で、お前はこの曲をどうしたいんだ?」

「どうって?」

「脱退して、一度は音楽も辞めるって言ったお前が曲を持ってきたってことは、何か考えがあるんだろう?」

 ああ、と僕は彼の言葉に頷いた。

「できたらお前と、長江と文野で編曲して、この曲を録音したい。ちゃんとした音源として」

「それは、ストロヴェリィフィールズとしてまた曲を作りたいってことか?」僕は頷く。

「この曲に他の音を足すとしたら、鷹居のギター、長江のベース、文野のドラムしかないって、そう思ったんだ」

 鷹居はテーブルの前で手を組むと、額を置いて深く息を吐き出す。

 暫くの間、僕と彼の間に静寂が生まれた。

 学生達の他愛無い会話、男女の諍いじみた言い争い、メニューを確認するウェイトレスのやる気のない声、一人ノートパソコンのタイピングを続ける眼鏡の女性。

 その幾つもの喧騒の中、鷹居はじっと目を閉じ黙りこんでいた。

 少しして、彼は目を開けると、顔を上げて僕を見た。

「二人にも話してみよう」

「いいのか?」

「ついでにもう一つ、俺から提案がある」そう言って鷹居は人差し指を一本立てる。「折角ならこの曲を実際にライブでもやりたい。ツムギナイトにはストロヴェリィフィールズで出ないか?」

「それは、お前が良いならそれでも構わないけど」

「文野と長江、あとは葵が了承したらの話だけどな」

 弾き語りで歌うつもりだっただけに、鷹居からの提案は正直意外だった。そんな僕の心情を読み取ったのか、鷹居は人差し指を立てると、これで最後にしよう、と口にする。

「改めてお前が前に進み始めたからこそ、ちゃんとあのバンドも終わらせなくちゃならない。だから、もう一度ライブをするんだ。互いに進むために、な」

 鷹居率いるノー・リプライ・デイズのライブを見た日から、僕が在籍していたあの場所はもう過去になりつつあることを改めて自覚していた。戻ることの出来ない故郷みたいに寂しくて、けれど互いにそこにはもう踏み入れてはいけない気もして……。自ら幕を下ろしてしまった居場所を、多分僕はまだ引きずっていて、鷹居もそれを察していたのだと想う。だから、もう一度ライブをしようと彼は提案したのだ。終わるために、始まるために。

「茉奈の墓に言った時、言われたんだ」僕が出した名前に鷹居は黙って顔を上げた。僕は続ける。「茉奈をちゃんと過去にしてあげて欲しいって。もう進めない人に足並みを揃えたら、君まで進めなくなってしまうからって。僕は、茉奈の為に、自分の為に今度こそ前に進みたい。その為に、よろしく頼む」

 忘れたつもりになって、喪失感を見なかった事にして他で埋めようとして、でも埋められずにいた。当たり前だ。向き合わない限り片付くわけが無かったのだから。

 多分、鷹居達だって同じだ。僕達の間にきっと「いつか」という言葉を背負ってきた。紡木と出会っても、新しい一歩を踏み出しても、デビューを決めても、ずっと後ろ髪を引かれるようにして、微かに記憶に残った故郷に想いを寄せていたかもしれない。

「今度こそ本当に、最後だ」

 鷹居の言葉に頷く。

 脳裏に過ぎったのは、あゆむの姿だった。

 ずっと九重虹一の死に囚われていた彼女の為に。

 もう彼女が振り返ることに、怯えないように。



 ベッドの縁に背を預け四肢を放り出したまま、天井を見上げながら僕は呆けていた。

 アレンジと音源化の話をすると、あゆむはとても喜んでいた。全身を目いっぱいに使って感情を表現する彼女はどこか愛らしくて、そしてこんな子にここまで愛されていた恋人が少し羨ましくなった。

「早見あゆむ、か」

 ハヤミアユムという女性は、結局見つからなかった。

 ラヴ・ミー・ドゥに出入りするきっかけが駅で僕とすれ違ったところからするに、あの時呼び止められなかった彼女は音楽に興味を持たずに今日まで過ごしてきているのかもしれない。どこでどうしているのか、首元の痕に触れながら、彼女は今何を思っているのだろう。

 できるなら、こちらの世界のあゆむが幸福であることを願いたかった。僕と出会わなかっただけで暗く冷たい生活を続けることになってしまっていると考えると、どうしてか僕にも責任があるように思えてしまう。こんなこと、あゆむに出会わなければ感じなかったものだ。

 だが、知ってしまったのなら、僕はそれをどうにかするべきなのだと、そう思う。問題はあゆむを見つける手段がどこにもないというところだった。

「神様にでもなったつもりか」

 あり得た世界の景色を知っただけの青年が、彼女に干渉したいと思うのはいけないことだろうか。多分彼女と出会えないのは、きっと僕はそこまですべきでは無いからなのかもしれない。

 でも、あの歌詞を盗み見てしまったら、いてもたってもいられなくなった。支えを必要としていた彼女が手に入れた幸福を手に入れられず、ただ空虚に日々を過ごしているのだとしたら。

 僕を前に進ませてくれた彼女の為に、出来ることがあるなら、したかった。

 彼女の依頼した作曲をより本格的な形として残したいと思ったのは、僕と鷹居達との関係にちゃんと区切りを付けたかったことを同時に、彼女に対する想いもあったからだ。

「昨日に触れた指先、ざらつく紙の感触……」

 結局彼女の持ってきた最終稿にあの詩は入っていなかった。

 「もしも」や「たられば」をテーマにした綺麗で整った歌詞はとても歌いやすく、語感の良い言葉が散りばめられていて良く出来ていた。彼女にそう伝えると、とても満足そうにしていた。

 もしあの詩を盗み見ていなければ、何の迷いも無く歌えたと思う。

 言うべきか、黙すべきか。

 たった一つの選択で僕らが辿る道は大きく変わってしまう。それは僕とあゆむの出会いによって分かった事で、きっと僕のこの選択でまた世界は分岐して、僕の知らない僕とあゆむの結末が生まれていくのだろう。

 息をするように僕達は幾つもの選択をして、幾重にも広がる木枝のような分岐を繰り返している。その結果の上に成り立っているのが今の僕であり、この世界だ。いや、僕だけでなく誰もが選んだ選択を集約させた結果弾き出された未来がここであって、誰か一人の選択が一つ変わるだけで何億、何兆か、いやそれ以上の気の遠くなるような枝分かれは続いているのかもしれない。

 なら僕は、この世界を選んだ僕は、何が正しいと思っているのだろう。

 僕は起き上がって窓を開けて、狭いベランダに身を乗り出した。それから大きく欠伸をする。元々そんな頭が良い訳でもないし、可能性の話をしたとしてあゆむみたいな不思議な体験をそう何度も出来るとは限らない。

 彼女はこの曲を完成させるために必要な交差だったと言った。この曲は、こちらの僕とあゆむにしか作れない曲であり、僕達はその曲を並行した世界が交わってでも完成させるというルートに辿り着いただけ。

 なら、作るしかないのだろう。

 僕が、あゆむが、完成と思える曲を、この手で。

 暮れかけの空に向かって息を吐いた。真っ白い煙が立ち上る。

 あれから吸ってないな、と不意に思って煙草を探すが、すぐにあゆむの顔を思い出して止めた。止めると同時に、なんだかおかしくなって笑ってしまう。

 最近はあゆむのことが気になってしようがないらしい。あれほど茉奈ばかり想っていたのに、なんとも僕は薄情な男だ。

 空に舞い上がった白い吐息が闇に溶けて消えていくのを見届けて、僕は肌寒さに身を震わせると部屋に戻った。流石にもう秋とは言えない気温になってきた。暖房を入れ、パーカーを一枚羽織ってから、僕はギターを手にとって鼻歌混じりに爪弾き始める。

 テーブルの上の歌詞を見ながら、彼女の生み出した言葉を一つ一つ咀嚼していく。


 暫くして携帯が振動と共にランプが点滅する。テーブル上で震えるそれを見て、予め入れていたスケジュールの通知であること確認し、僕はギターをギグバッグに入れ、クローゼットからモッズコートを取り出して羽織り、エフェクターケースと共に部屋を出た。

 陽が落ちる間際の薄暗い世界を眺め、僕は白い息をまた吐き出した。

練習の合間を縫って入れてもらった時間を使って、僕はこの曲を完成させなくてはならない。

「……よし」小さな声で呟くと、アパートを出てスタジオへ向かう。

 頭の中で歌詞はちゃんと反芻出来ている。

 曲の構成も何度も確認した。

 あとは、かつてのメンバーの力を借りるだけだ。

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