非核世界の『少女爆弾』
岡田延髄
カウントダウン
「――それで、調査の方は?」
薄暗い部屋に、初老の男の声が重く響いた。
「ええ、一通り事実関係を確認してきました」
男の隣にいた女が立ち上がると、部屋に地球儀の立体映像が浮かび上がった。
女は両手に医者のような薄い手袋をはめている。その手で地球儀に触れると、一部が拡大され、ヨーロッパ地方の地図が映し出された。
彼女はメガネを直すと、初老の男に向かって静かに説明を始めた。
「ご存知の通り、これはかつて大英帝国と呼ばれた超大国――イギリスの地図です。アメリカ合衆国、ソビエト社会主義連邦と並び、超三国と呼ばれていました」
初老の男が深く頷く。「先月までは、な」
「ええ……残念なことにイギリスは、すでに国としてのカタチを失っています」
女の言葉に呼応するように、地図上にいくつかのバツ印が浮かび上がってきた。
「きっかけは、かつて産業革命を支えた地下炭鉱での連続火災です。火は瞬く間に鉱脈から鉱脈へと燃えうつり、現在もなお炎上中。地理的要因から消火活動もうまく進まず、今後数百年は鎮火することはないと言われています」
女は淡々と言葉を続ける。
「しかも不幸なことに、当時のイギリスは貯炭準備が乏しい状況でした。発電所への輸送がストップし、最初に都市機能がマヒします。次に、一時的に仕事を失った炭鉱労働者による大規模なデモが発生。それはやがて、政府の対応の遅さに不満を持った一般市民の暴動へと発展し、わずか一カ月あまりでイギリス政府は崩壊してしまいました」
「かつては世界の過半を支配した国が――空しい最期だ」
初老の男は、まるでお手上げといった様子で両手を開いた。
「なぜ火災が起こったのか、原因は現在なお調査中。状況が落ち着くまで、国の運営は国連預かりとなっています」
女の話が終わると、空間に浮かんでいた立体地図は消える。純粋な暗闇が再び部屋を支配した。
「あの国はソビエト連邦とともに、このタワーの建設に非常に貢献してくれた。完成を最後まで見届けてもらえないとは……残念だよ」
男は窓の外に目をやる。彼の前には、まるで造り物のような純度の高い星空と、本物の地球の姿が広がっていた。
今世紀最大の建造物といわれる『タワー・ギガント』。
赤道沿いの巨大な人工島に造られたタワーの頂上は、宇宙空間にまで達している。人類初の宇宙エレベーターの構造を用いて造られた超巨大建造物。アメリカ、ソ連、イギリスの三国が中心となって開発を進め、完成披露の場まで、あとわずかというところだった。残る作業は内装工事のみ。初老の男と女性は今回その視察を兼ねて、頂上にある特別会議室を訪問していた。
男は、眼下に浮かぶ地球に話しかけるようにつぶやく。「第弐次大戦から十五年……国家間で争う時代は終わった。これからが、新たな時代の幕開けだったというのに」彼は、ゆっくりとソファーに身体を沈めた。
「もうひとつよろしいでしょうか? 別ルートから気になる情報が」
女は一冊のファイルを取り出すと、それを男に手渡す。
男はファイルを開き、中に入っていた一枚の写真に目をとめた。
それは金の懐中時計の写真だった。
だが、普通の時計とは少し違う。
本来であれば「12」と刻まれている文字盤の頂点に「0」という数字が刻まれている。他に数字は一切見当たらない。時刻を示す針は、零時三分前を指していた。
「……これがどうかしたのか?」
「国が崩壊する三か月前に、イギリス政府に送られていたそうです。そこには一通の手紙が添えられていました」
男が次のページをめくると、手紙のコピーが目に入った。無地の紙に書かれていたのは、たった一言のメッセージ。
『焼死』
「……どういう意味だ?」男は深く息を吐く。
「現段階では、なんとも言えません。これが何者かによる予言なのか――」女は男の目をじっと見つめ答えた。「それとも予告だったのか」
男は首を横に振り、軽く笑った。「相変わらずキミは陰謀論が好きだな」
「職業病みたいなものです」女は表情を変えずに答える。
「イギリスの火災は、ただの事故ではなかったと?」
「現段階ではお答えしかねます。ですが念のため火災原因については、もう少し調査を続けたいと思います」
「調査方針については、キミに一任する」男はゆっくりと足を組みかえた。「だが身体は壊さないようにしてくれ。今の国連を進化させた新たな共同体『世界連合』の立ち上げ、そこの事務総長の選抜など、やるべきことは山ほどあるのだからな」
「そちらも並行して進めます」女は淡々と答えた。「私個人としては、火災原因が判明するまで、他国にも警戒を呼び掛けるべきかと思いますが……」
男は悩むように、こめかみに手を当てる。「いたずらに不安は煽りたくないが……難しいところだな。新たな事実が見つかった時点で、また検討しよう」
男の言葉に、女はそれ以上反論しようとはしなかった。
「了解いたしました。では私はこれで……」
「ああ」男は何気なく次のページをめくる。すると途端に、眉間に深いしわを寄せた。「いや、待て……」
「はい?」
「そうは言っても、時期が時期だ。用心に越したことはない。各国に警戒を強めるよう、こちらから通達しておこう」
「……お心遣い感謝いたします。大統領」
女――FBI情報室特別捜査官エレン・バーグは深々と頭を下げ、その場を立ち去っていった。
さすがは若くして将来を有望視されているだけはある。スキがなく、それでいて数手先を読んで行動してくれる。大統領と呼ばれた男は、自分が有能な人員に恵まれていることに心から感謝した。
扉が閉まると、孤独な静けさが部屋に沈む。男は、再びファイルに目を戻す。金時計の拡大写真、その下に記された内容が、どこか彼の頭の隅で引っかかっていた。
『戦後間もなく消滅したメーカーのレプリカ品』
彼個人、時計にこだわりはないが、見覚えがあるような気がした。ただ記憶にフィルターがかかり、はっきりとした像を結ばない。気がかりではあったが、出発の時間はもう迫っている。
「まさか、な……」
ただの思い違いだろう。アメリカ合衆国大統領、J・G・ブロイシュは、その無骨な指で弾くようにファイルを閉じ、そのまま部屋をあとにした。
非核世界の『少女爆弾』 岡田延髄 @enzui
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