第六話 萌芽

 陸上自衛隊松本駐屯地では、四月の土曜日にお祭りが開催される。

 今年は四月二十日だった。普段は入ることができない駐屯地が朝から一般開放されて、屋台や出店や展示物もたくさん出るので、マニアと屋台目当てのお客さんでいっぱいになる。

 私は、私のパパ――笠井洋かさいひろしとサトちゃんと一緒に、毎年必ず遊びに行っていた。

 パパはまだ四十代であるにもかかわらず見事な白髪頭で、しかもそれが天然パーマなものだから、ところどころ丸まって大変なことになっている。その暴れん坊の髪を何とか後ろに流して、撫でつけていた。

 フチなしの丸メガネをかけ、その向こう側で大きめの瞳が笑っている。よく見ると睫毛まつげがとても長かった。身長は百七十五センチを少し超えるぐらいあるけれど、小太りなので威圧感はない。

 もろもろを総合して、会社では『カーネルさん』と呼ばれている。

 そのパパに朝聞いたのだけれど、航空自衛隊と海上自衛隊の場合は『基地』と呼ぶのに対して、陸上自衛隊は『駐屯地』と呼ぶという。陸上自衛隊は常に第一線の現場にいるから、という意味らしい。

 その意識が影響しているのかどうかは知らないが、お祭りも駐屯地入口から既に盛大に始まっていて、守衛所前にあるグラウンドの至るところに自衛隊のヘリコプターや戦車が展示されていた。

 大きな鉄の塊はそれだけで重々しい雰囲気を放つけれども、それが兵器ともなればさらに猛々しさまで感じられる。

 本物の拳銃や機関銃も展示されており、小さいながらも黒くて重そうなその姿を見ていると、私は威嚇されているような気分になった。

 サトちゃんは逆である。

「まあ、戦車だわ!戦車よ!」

 なんだか、昨年も同じようなテンションで同じようなことを言っていたような気がするが、展示物の隣に立っている自衛官のお兄さんに細かい質問をしては、

「へーっ、すごーい」

 と感嘆の声をあげている。その声に恥ずかしそうにしているお兄さん達が、可愛らしかった。

 展示されている特殊車両の中には兵器だけではなく、一度に二百五十人分の御飯を作ることができる炊事車や、医療設備を満載した手術車などの珍しい車両があった。

 それが「戦うことの中には、食べることや治すことも含まれている」と教えてくれていた。

 体験コーナーも充実していて、暗いところでも人の動きが分かるゴーグルの試着や、防弾チョッキやバックパックなどのフル装備を実際に試着してみるコーナー、戦闘ヘリコプターの操縦席に座ってみるコーナーがあって、どれも行列が出来ていた。

 戦闘ヘリコプターの一番前にある鼻の先のような部分に、操縦士の名前らしき塗装が施されているのを見たサトちゃんの目が「キラリ」と輝いていたが、あれは多分、

(自分だったらこんな風にデコレーションするわ)

 と想像していたのだろう。

 その体験コーナーの中でも一番人気だったのは、ジープに載って広い訓練場を回る『わくわくドライブ』と『どきどきドライブ』のコーナーだった。

 わくわくドライブは、カブトムシやクワガタ、ネコなどの飾り付けがされた特殊車両に乗ってゆっくりと場内を一周するだけのもので、小さい子どもに人気があった。

 どきどきドライブは、わざと道のないところを登ったり下ったりするという激しいもので、大人に人気があった。

 サトちゃんはいつものように脳内妄想全開で、わくわくドライブでは『敵地で孤立していたところを仲間に救出された兵士』を思い浮かべながら疲れた表情で物憂げに外を眺め、どきどきドライブでは『敵地に赴く特殊部隊の隊長』を思い浮かべながら歓声をあげており、おのおの自衛隊のお兄さんを苦笑させていた。


 さて、屋台をいくつか巡ってお昼ご飯を済ませると、少しだけ疲れたので私たちは駐屯地の売店に入った。

 売店には、普通のコンビニのような食品や日用品が並んでいるが、その隣に迷彩色やオリーブ色の鞄や帽子、Tシャツといった自衛隊グッズも並んでいる。

 その一角はマニアな皆さんが群がって混雑しているので、それを避けて奥にある隊員専用の食堂があるところで一息ついていた。

 食堂エリアは自衛官の皆さんが日常的に出入りするところらしく、壁には「売ります、買います」コーナーがあり、スクーターやパソコンを売りたい人が紙を貼り付けていた。

 部隊名と階級が必ず書いてあるのが、いかにも自衛隊らしい。

(階級の上下で取引条件が異なったりして)

 それを一つずつ丁寧に見ていると、自衛官にもごく普通の日常生活があることを改めて感じる。

 その隣の棚には保険のパンフレットがラックに入って置いてあり、

「自衛官の方へ」

 と、わざわざ表紙に大書されていた。それを見たサトちゃんが、

「自衛官専用の生命保険って保険料は高いのかしら。それとも安いのかしら」

 と言った。

「高いんじゃないの。危険なお仕事だし」

「いやいや分からないわよ。有事の際に役立つ武器を持っている訳だし。防護服もあるし」

「戦争状態になったら一般の生命保険は使えませんよ。『免責』といって、地震のような自然災害なんかも対象外のことがあります。ただ自衛官専用だから、その辺はどうなのかなあ」

 パパが真面目に答えた。

「訓練中の事故については士道不覚悟につき免責である、とか」

(サトちゃん、それはちょっと違うよ)

 と、私は思ったが言わなかった。パパとサトちゃんは、パンフレットを広げて細部を検討し始める。


 さて、駐屯地の中を歩いているとよく目にする光景に『知り合いの家族に出会った隊員の挨拶』がある。

 上官の家族に出会ったのか、背筋と指先を真っ直ぐに伸ばして敬礼する若い隊員さんと、家族の前でなんだか恥ずかしげな隊長さんの姿を、あちこちで見かけることができた。

 売店の中でも、あちらこちらでそのような姿が見受けられる。

(そういえば同じクラスに自衛官の子供はいたかな――)

 と、私がぼんやりその光景を眺めていると、売店の入口から見たことのある子供が入ってきた。


 佐藤俊一君だった。


 無視されるかもしれないが、声をかけてみる。

「俊一君、こんにちは!」

「あ――」

 なんだか(しまった、見つかった)という雰囲気ありありで、とてもぶっきらぼうだった。けれども、学校外なのでモードが違うらしく、予想外にも頭を軽く下げられる。

 ジャケットを着て、右手をズボンのポケットに入れているためか、普段にも増して大人っぽい感じがした。

 私は先日の校庭での『赤くなった彼の姿』を思い出し、めげずに話しかけた。

「一人できたの?」

「いや」

「誰かと一緒にきたの?」

「そう」

「お父さん?」

「そう」

「一緒なの?」

「いや」

 相変わらずの簡単な返事で、これでは話が全然見えないし、前に進ませようがない。「これはなかなか手強いぞ」と思っていた時、後ろからパパの声がした。

「こんにちは。お父さんと一緒に自衛隊本部の記念式典に出席してきたんだね。その後、急に大人だけの話があるから外で遊んで来るように言われたのかな」

「そう、ですが――」

 俊一君は目を丸くして、(何で分かった)という顔をした。それでも、大人と話をする時の言葉遣いに気を配るあたりは、さすがである。

「あ、これは失礼。山田さんから警察署長の息子さんだと伺ったので、それならばこういうお祭りには来賓として呼ばれるのではないかと」

「俊一君も一緒に出席したという点は、彼が正装しているという事実からの推理かと思いますが、単に正装ということだけなら『ピアノの発表会』の可能性もあったのでは?」

 サトちゃんが冷静につっこむ。

「可能性はありますね。ただ、ピアノの発表会の前後に正装のままで自衛隊のお祭りにはこないと思います」

「どうして『急に父から遊んでくるように言われた』と思われたのですか? 特に『急に』という部分の判断根拠が分かりません」

 俊一君も冷静につっこむ。パパはにっこりと笑うと、

「自分の財布を持ってこなかったのではありませんか?」

 と言った。

 私とサトちゃんは意味が分らずにきょとんとしてしまったが、俊一君は急に顔を赤くすると小さな声で答えた。

「――その通りです」


 *


 同時刻。駐屯地の一室で、『友の会』会員三名による臨時の会合がもたれていた。

「彼もずいぶん大きくなりましたな」

 八十代後半の、すっかり禿げ上がって鶴のように痩せた老人が、しわがれた声で言った。

「会長にお会いするのは七年ぶりですか」

 三十代後半だが、童顔のせいか二十代後半に見えないこともない、メタルフレーム眼鏡の男が笑顔で答える。

「君はほとんど定例会合に出てこないからな。近況を知るためにわざわざ席を設けないといけない」

「ご面倒をおかけしまして、大変申し訳ございません」

 丁寧な言葉の割にはまったく申し訳なさそうな感じのしない口調で、メタルフレームの男は言った。

「まあ、無精者は君だけではないから、これ以上は言わないが。代替わりが進むにつれて危機感が薄れるのは、見ていて誠に苦々しい。鉄人を見習ってほしいものだ」

 視線を向けられた先には、五十代半ばの巌のような堂々とした男が、背筋を伸ばして座っていた。

「――自分は親の遺言を守っているだけです」

 そう言って眉を潜める。すると彼の右目の横、こめかみにある古傷が白く浮き上がった。

「会員全員が、君のように生真面目にとらえてくれればよいのだがね。このままでは情報統制に支障をきたしかねない」

「いっそのこと、何人か粛清しますか」

 メタルフレームの男が、「幽霊会員に退会を勧奨する通知を送りましょうか」程度の気安さで、恐いことを言った。

「夜叉よ、それならばお前が筆頭候補だな」

「それは不味い。私は友の会会員であるからこそ、今の生活水準が維持できているわけですからね。粛清はやめましょう。怖い、怖い」

「別に怖くはあるまい。自分を粛清できる者などいない、と思っているのだろう?」

「そんなことは――」

「まあよい。せっかく松本まで無理をして呼んだのだ。役目を果たしてくれたまえ」

「もちろんですとも」

 先程『鉄人』と呼ばれた初老の男は、『会長』と呼ばれた老人と『夜叉』と呼ばれた中年男性の芝居がかったやりとりを、醒めた眼差しで見つめていた。

 彼は、自分がこの場に招かれていることに強い違和感を覚えていた。いや、今だけではない。それは彼が父親から使命を引き継いだ時点から、ずっと変わらず感じ続けているものだった。

 今日はその思いがいつにも増して強いだけだ。

 そして、その理由は分かっている。

 彼は夜叉のことを嫌っていた。元来、人を好きと嫌いに単純に二分することのない彼にとって、夜叉は唯一の例外である。

 この夜叉という男はいつもにやにやと緩んだ顔をしていたが、細めた瞳の奥は決して笑っていなかった。

『しまりのない狂気』

『笑う秘密兵器』

『爆笑最終兵器』

 彼を揶揄する呼び名はいくつかあるが、揶揄すると同時に彼の恐ろしさを現わす表現も必ず含んでいた。

 夜叉は代々、会長の命により友の会の闇の部分を司っている。そして鉄人と呼ばれた自分とその先代達は、代々その夜叉が友の会の障害になった場合の対抗手段という役割を与えられていた。

(目の前の緩んだチェシャ猫のような男のどこに、自分が全力で対応しなければならないほどの『力』があるというのか――)

 鉄人の眉間の皺に気づきもせずに、夜叉は会長に、

「それで、今回呼ばれた理由は何ですか?」

 と、ヘラヘラ笑いながら尋ねた。

 会長は眉を少しだけ上げると、こう言い切る。


「実はな、第二の封印が解けたのだ」


「な――」

 鉄人と夜叉が同時に呻く。さすがに夜叉は真顔に戻って言った。

「第一の封印はどうしたのですか。解けたという話は聞いてない」

「私もそんな話は聞いておらん」

 会長は悠長な声で言った。

「無論問い合わせてみたが、第一の封印は無事だという。しかし、第一の封印を解かなければ第二の封印を解くことはもちろん、そのための痕跡を探り出すことすらできないはずだ。なにしろ、我々にもどこにその痕跡があるのか分からんのだからな」

 会長は嘆息した。

「第一封印者の家系は、代替わりしたところで『見てくれだけの芯のない男』が当主になってしまった。封印が解けた事実を隠しているのかもしれんな」

「そちらは私が探りましょう。しかし、なんだってこんな面倒な仕組みにしたんでしょうね。先代達は」

「会員の誰かが全てを独占してしまうことを恐れ、それを回避したかったのであろうよ。なにしろ、その一部を運用したにすぎない友の会の財政は今のところ盤石だ」

「それはそうでしょうよ。株の上場に関する情報その他、市場を左右する機密事項が『だだもれ』じゃあ、もはや運用実績とは言いがたい。投機ですらありませんよ」

「ほんの一部なのだよ」

 会長は繰り返した。

「なにしろ、全てを手に入れたら世界を相手に戦争できるのだからな」

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