第四話 砂の記憶
彼女と仲良くなった理由が何だったのか、私は覚えていない。
通っていた幼稚園、小学校、中学校が同じで、学年も同じだった。
しかし、「家同士が近かったから」でもなければ、「お互いの兄姉が友達だったのが縁で」という訳でもない。
私のほうは五つ上と三つ上の兄二人であり、彼女は三人姉妹の長女で、妹は三つ違いの双子だった。 その当時の兄たちに年下の女の子と仲良くなるスキルはなく、むしろ嫌われるスキルは桁違いに高かったので、そちら方面はあり得ない。
おそらく、同じ幼稚園や小学校に通う間のどこかで、自然に仲が良くなったのだろう。小学校低学年の時点では、既にいつも一緒だった。仔犬がじゃれあうように常に一緒に遊んでいた。
今でも覚えていることがある。
小学校低学年の頃、鳥取砂丘に遊びに行く機会があると、私たちはいつも二人で大きな絵を描いた。
砂丘は、県教育委員会の指導があり、子供だけで行くことは禁じられているから、学校の行事か親に頼んで連れて行ってもらわなければならない。私たちはその機会がくるのを楽しみにしていた。
砂丘に着くと、私たちは大急ぎで鳥やウサギやラクダ、時には同級生の中で気の合わない子の似顔絵と悪口を、できる限り大きく描いた。
なぜ大急ぎなのかというと、先生の集合の合図や親の呼ぶ声が聞こえたら、即座に戻らなくてはならないからだ。そして、それに少しでも遅れると、次の機会がなくなるかもしれないと思っていたからだ。
合図や声に急かされながら走って集合場所に戻る途中、小高いところで後ろを振り返ってみると、大急ぎで描いた私たちの絵はいつもどこかが歪んでいて残念だった。
彼女は途中で振り返ったりはしなかったが、後で聞いたら同じことを考えていたという。
「いつか、誰にも邪魔されずに思う存分、大きな綺麗な絵を描いてみたい」
それが、小さな二人に共通の大きな夢だった。
*
さて、小学校の高学年になると私の母親由来の遺伝子が『お祭り騒ぎ』を始めた。
そもそも、私の両親はどちらも背が高い。父はその当時の日本人には珍しい百八十センチ以上だったし、母も百七十五センチで女性としては大きいほうだった。
だから私が大きくなるのは運命だったのだが、小学校低学年まではクラスの中でも高いほうではあるものの、他にも背の高い子がいたのでそれほど気にしていなかった。
(私は三月生まれなので、既におかしな気配はあったのだが、気がつかなかった)
それが、小学校高学年になると背丈がどんどん伸びて、大変なことになる。
男子から『タケノコ』という、女の子にあるまじきあだ名はつけられるわ、スカートからはみ出した二本の足を見て、母が(もとはといえば彼女の遺伝子が元凶であるにもかかわらず)盛大に溜息をつくわで、大変だった。
クラスの男子から、
「やーい、タケノコのこのこ、また伸びたー」
と囃されると、兄が二人いることが裏目に出て私は喰ってかかった。こういう、向こう気の強い女の子をからかうことを、小学生男子は本能的に好む。
おそらく太古の昔から、Y染色体の一部に書き込まれていたに違いない。毎日、同じような小競り合いが飽きもせず、教室で繰り広げられた。
こういったものは惰性で延々と続くから、今にして思えば小学校の最期のほうは『ただの挨拶』か、他愛もない口癖に過ぎなかったのではなかろうか。しかし、私の心は確実に削られていた。
大人になって、旬のタケノコご飯で作られたお握りを気がつかずに食べて感動するまで、私はタケノコが大嫌いだった。
あだ名のせいもあるが、食べるとさらににょきにょきと際限なく背丈が延びそうで怖かったのだ。
そんなこんなで、私は小学校にいる間、背中を丸めて小さくなっていることが多かった。
しかしながら、この話は
「背が高かったとさ、めでたしめでたし」
では終わらない。
父親の遺伝子までが『お祭り騒ぎ』を始めたため、私は必要以上に力が強くなった。
体力測定では同じ学年の全国平均を全項目で上回り、いくつかの項目では鳥取県の学年別公式記録を更新する有り様だった。(しかも上の学年の公式記録すら更新したこともある)
こうなるともう、男子から見れば化け物扱いである。
何かあるたびに、
「お前が触ると壊れる」
「お前が歩くと揺れる」
「お前が息すると空気が薄くなる」
など、こつこつと嫌味が聞こえてくる。それは、聞いていて憂鬱になるほどだったが、しかし私はそれでも「朝起きて小学校に行く」ことがいつも楽しみで仕方がなかった。
それは彼女がいたからだ。
私のことを囃し立てる男子がいると、彼女は私の前に立って相手を静かに見つめ、なんともいえない悲しそうな顔をした。すると、男子はもじもじしながら逃げていく。
彼女も背が高いほうだったが、まだ平均よりも少し上という範囲に収まっていた。
その後ろで規格外の私が(その時だけは)縮こまっているのだから、どう考えてもつっこみどころ満載なのだが、それをさせない雰囲気が彼女にはあった。
理由を聞いてみたことがある。こう言われた。
「ママがよくやっているから、うつっちゃった」
彼女は三人姉妹だったから、怒鳴られるよりは悲しそうな顔をされることのほうが多いらしい。あまりの成育環境の格差に、私は目眩すら感じた。
彼女は女の子らしかった。小学校低学年の頃は意識もしなかったが、高学年になると自分との違いを意識せざるを得なかった。
まず、動作かお淑やかだった。何をするにもゆっくりとした動き方で、丁寧にやっていた。
休み時間は校庭に出ることなく、教室で本を読んで過ごしていることが多かった。
まるで、低学年の頃に二人で砂丘に絵を描いては走って帰ったことが幻で、それこそ砂に描いた絵のように風が吹いた途端に消し去られてしまったかのようだった。
それから、たまに体調がすぐれない日があった。朝から既に顔色が悪い時もあり、そんな日には途中で下校していた。にもかかわらず、保健室で彼女の姿を見かけたことはない。
私はよく小さな擦り傷や切り傷で保健室のお世話になっていたから、そこで会わないことがとても不思議だった。身体が弱いのだろうと、他の子は思っていたようだ。
確かに彼女は、どんなに暑い時期でも長袖だった。また、これは女の子らしい彼女からすると意外な点だったが、小学校高学年の頃にスカートを履いている姿を見たことがなかった。
(この事実は、当時の写真と卒業アルバム、うちの家族の証言などから補強されている)
中学生になって制服のスカートを着るようになると、今度は長めのスカートに黒いストッキングしか履かなかった。
「肌が弱くて」
と彼女自身は言っていたが、そのせいもあってか水泳の授業には出ていなかった。その時間に、教室の窓から外をぼんやりと眺めていた彼女の姿を見たことがある。とても痛々しかった。
そういえば、健康診断の時もいなかった。林間学校や修学旅行にも姿はなかった。
いつも長袖と長ズボンだったことから、小学生高学年の頃に遠慮のない男子の中から、
「あいつには刺青がある」
という噂が流れたことがある。
これには私が速攻でキレた。噂の発信源と思われる男子を捕まえると、彼女に泣いて謝るまで殴ることをやめなかった。
自分のことなら我慢することもあるが、彼女のことを悪く言うやつは決して許せなかった。
その言葉が実は「真実に近かった」としても、だ。
*
中学生になると、生息圏の違いは友情の大きな障害となる。
小学校という「まだ子供のじゃれあいにすぎない」世界から、中学校という別次元にステップアップすると、私の住み
そこには、私の能力をフルに発揮しても受け入れられるだけの奥行きや幅の広さがあったのである。
きっかけは『呼び出し』だった。中学校に入ってすぐに、上級生から呼び出されたのだ。
私の身体の大きさが彼らの中の何かを刺激したらしい。指定された時間に指定された場所へ行ってみると、なんだか動きにくそうな服を着たお兄ちゃんとお姉ちゃんが、六人ほど
格闘家の常識として、相手が三人以上の場合はよほど力の差がないと勝てない。この時は六人もいたので、その常識からすると勝ち目はないはずだったか、私は全然怖くなかった。
要するに子供の喧嘩は気持ちで負けたほうが負ける。年上の兄二人と勝負してきた私には、たかだか二才上の鍛えている気配もない奴らは、大した相手ではなかった。
また、兄も身体の大きさから同じような苦労をしてきたようで、中学校に入る前に「入ったら直ぐにやるべきこと」を念入りにレクチャーしてくれた。
まず、速攻で一番偉そうな男を狙って攻撃をしかけ、他の連中がまごまごしている間にそのままぶちのめした。
中学校は猿山と同じである。強い者がイコール偉い。
入学早々に上級生を
しかも、兄二人も相当なことを在学中にしてのけたらしく、そちらの伝説も私の階級を押し上げる要因となる。
階級が高ければ義務も生じる。
校内でいざこざが発生するたびに、私は呼び出されて武力をもって鎮圧した。中には高校生まで動員した奴らもいたが、そちらは政治力で弾圧した。
(要するに兄が丁重に『拳のご挨拶』に行って、相手に身の程を弁えさせた)
義務教育の公立中学は市内の四分の一程度の大きさなので、制圧するのにさほど時間は必要ない。二年生の中頃には、私の対抗勢力は他の学校にしかいなくなった。
校内では取り巻きがいつも私を中心として
つまり、彼女も私の周りに近づくことができない。
すっかり有頂天になっていた私はそれに気がつかず、彼女が近づいてこないことに密かに不満を抱きつつも、自分からは何も言わなかった。
語られなかった言葉は積み重なって、次第に高い壁となって私の視界を覆っていった。
*
中学二年生の三月。私は取り巻きの連中が誕生日を祝ってくれるというので、学校が終わった後で市内まで連れていかれた。
遊んでいて、つい帰るのが遅くなる。田舎町の夜は早くて暗い。さらに学校を出るときにはそうでもなかったのに、いつの間にか雨が降っていた。
まだまだ冬の名残が残る冷たい雨の中を、私は駅から急いで家まで走った。
家の前まで来ると――
門の外に人影が現れた。
今まで姿をどこかに隠していたらしい。待ち伏せされる心当たりは、かなり豪勢にあったので、私は腕をぶらぶらさせて戦いの準備を始める。
雨が降っていて、最初のうちは相手の姿がよく分からなかった。一歩一歩、慎重に近づく。そして、近付くにつれて次第に輪郭がくっきりと現われてきた。
(なんだか不良中学生にしてはシルエットが華奢だな)
と考え――私はどきりとした。その姿には見覚えがある。
彼女だった。
雨にしっかりと濡れそぼりながら、彼女は立っていた。外套やセーターが、ぐっしょりと濡れて彼女の腕にかかっていた。
それだけ濡れ切るためには、一体何時間立っていなければならないだろう。顔もすっかり白くなっている。
それでも彼女は立っていた。とても悲しそうな瞳が真っ直ぐに私のほうを向いていた。雨が目に入っているはずなのに、ヒタリと見つめていた。
痛かった。
彼女の視線もそうだか、それだけ彼女を心配させて悲しませてしまった自分が痛かった。
彼女は何も言わない。私の家から零れている団欒の灯りをぼんやりと受けて、仏像のように黙って立っていた。
(なぜ家に入らなかったのか?)
と、一瞬私は考えたが、すぐに理由に思い当たる。私と彼女の関係が消えかかっていることを、私の家族に知られたくなかったからだ。
そして、それは自分のためではなく、友達甲斐のない私を
私には彼女が何を言いたいのか、十分に伝わってくる。
彼女は昔のままだった。住む世界が変わってしまい行き来する門が閉ざされて、とうとう家の門の前でリアルに待ち伏せするしかなくなったのは、私の事情によるものだった。
「――ごめんなさい」
しばらくの間、私の喉にひっかかっていた言葉が、ころんと転がり出た。涙もころんと出た。彼女は少しだけ微笑むと私に小さな包みを手渡して、
「お誕生日おめでとう」
と言うや否や、
私はしばらく動けなかった。
彼女に対する申し訳のない気持ちは大きかった。しかし、それだけではない。
(ああ――)
私は見てしまった。見てはいけないものを見てしまった。
彼女が立ち去る前、身体を
今の私にはそれがとても馴染みのあるものだった。
彼女の腕には、誰かに殴られたらしい痕跡が無数についていたのだ。
彼女の生き
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