第三話 三好の大勝負

 さて、話はここで唐突に『小学校の事件』から三ヶ月前の、一月まで遡る。

 信濃大学文学部一回生の三好好三みよしこうぞうは、大いに焦っていた。

 彼は昨年末の役員改選で、格闘技同好会の『副務』に就任した。正確には「同級生の誰もが忌避したため、厳正なるジャンケンの結果として、めでたくハズレくじを押し付けられる」ことになった。

 この副務という役職は、格闘技同好会のマネジメントを牛耳る影の最大権力者であり独裁者たる『主務』の、単なる奴隷であり下働きである。

 一般部員は主務にとって『権力の源』であることから、多少の無理は言われても無茶な指令を下されることはない。

 部内ヒエラルキー最下層の副務は、人として数えられない。いつなんどき無理難題が降ってくるか分からない。

 そして、既に副務就任時点で、「同好会のメインイベントの一つである新入部員勧誘の、企画から実行に至るまでを指揮せよ」という重大任務(という名の無理難題)を、仰せつかっていたのである。

 だいたい新入部員勧誘というのは、入部一年目が訳も分からないうちに押し付けられて、結果の責任までとらされるものと相場が決まっている。

 うまくいって御の字。もしもうまくいかなかった時には、翌年ずっと「ねちねちねちねち」と、失態を責められ続ける。

 実際、二代前の先輩は勧誘の成果を出すことができずに、新入部員数がたったの一名という悲惨な結末を迎えた。その後一年間の扱いは、涙なしには語れない。(だから語らない)

 そのため、昨年の新入生勧誘では名誉挽回、汚名返上とばかりに、当時の一年目と二年目がなりふり構わぬ攻勢に出た。

 傭兵部隊の投入(成果配分と歩合制のバイト代で雇った美男美女軍団)から、『やれるやれる詐欺』(うちの同好会ではこんな楽しいイベントが目白押しです)まで、どう控え目に考えてもマルチ商法まがい、最低限の信義則すら無視した所業は、汚名返上どころか恥の上塗りである。

 周囲から氷点下三十度の冷たい目で見られたものの、最終的にまんまと釣られた者は十名にのぼった。

 ただし、現時点で残っているのは四名である。

 釣られた本人が言うのもなんだが、今どき格闘技同好会は正直言ってありえない。勧誘をやろうがやるまいが、好き好んでくる者はくるし、こない者は呼んでもこない。

 昨年並みとはいかないまでも、成果をあげるためには多少の無理はやむをえないと考えていたところ、予算申請書を提出した時に学生部の課長から五寸釘を刺された。

「そうそう、三好くん」

 簾頭の課長が一重まぶたの目を細めて言った。

「今年また去年のような騒ぎを起こしたら、次の予算はおりないかもね」

 事実上の最期通告である。

 先輩たちは昨年の悪の所業をあたかもきらびやかな英雄伝説であるかのように語ってハードルをあげまくるし、学生部からは虎視眈々と狙われる始末で、タイムリミットが迫っているにもかかわらず、勧誘方法はいまだ白紙の状態だった。


 *


「それでどうするんだよ」

 理学部一回生の沢渡登さわたりのぼるは、年明けから数えて五十回は軽く越えている質問を口にした。

(繰り返すことで妙案が浮かぶとでも思っているのだろうか)

 だいたい信州の大学に通う、登山家に似合いのさわやかな名前の癖に、沢渡はインドア派で理論家で粘着質で、枯れ木のように痩せていた。

 分け目くっきりの七三に黒縁メガネというのは、いくら地方国立大学とはいえ天然記念物だろう。

 なんでこいつが格闘技同好会に生息しているのか疑問に思う。鉄道研究会かミステリー研究会にでも寄生していればよいのに。

 まあ、人間性と口の悪さとしつこさを除いたら、彼もいいやつに違いない。

(ただし実際に除くと何も残らない)

 格闘技人気が過去のものとなり、同好会も昔はプロレスという名前であったものを、時代の流れには逆らえず、数年前に格闘技と変更した。

 それで多少は裾野が広がったものの、一般社会における格闘技の裾野が尻すぼみでは如何ともしがたい。

 さらに同好会中が、従来からの正統派プロレスマニアと総合格闘技ファンに二分されてしまうというオチまでついた。

 まあ、正統派と総合派の対立はあくまでも理論に限られており、イベントとなれば関係がない。こういう体育会系サークルはノリが命だ。

 沢渡もその点は弁えているようで、協力するという姿勢だけは崩していない。

(あくまでも姿勢だが)

「ほんと、この時点でなにも決まっていないんだからピンチだよね」

 ”空気を読む”という慣用句が記載されていない辞書を持つ女、文学部英文学科一回生の浅月深雪あさつきみゆきが言った。

 名前からして「どっちなんだよ」と突っ込みを入れたくなるほどどっちつかずな彼女は、言動や行動から能天気で屈託がない人物に見える。

 丸顔に大きな目がきらきら輝いており、黙っていれば可愛いほうなのだが、口を開いては空気の読めない発言を繰り返すものだから、『残念な美人』と言われていた。

 しかし、その屈託のない性格に反して、なぜか料理だけは上手である。アルバイト代が乏しい時には天使に見えるほどだ。

(それ以外、特に追い詰められている時の浅月の存在は悪魔的だが)

「格闘技同好会なんだから、なんかこうパーッとやろうぜ」

 残った同期の最後の一人、工学部一回生で正統派格闘技オタクの野沢真知のざわまさともが、月刊格闘技通信の最新刊を振り回しながら、小太りの童顔という外見からは想像もつかないハスキーな低音で語った。

(この声のお陰で、つまらないことをしゃべっても、語ると表現するのが似合っていた)

「パーッと、なにをするんだ」

「それはだな、こう、ド派手な仮設リングを作ってだな。そこにプロレスラーを呼んで試合をだな」

「そんな金はない。それに試合といっても誰が戦うんだよ。うちは理論的格闘家しかいないだろうが」

「あ」

 あ、じゃない。本当にエンジニアの卵か、こいつは。

「じゃあ、講演会だけでも」

 野沢の無意味にポジティブな思考に、沢渡がいつものように無駄に論理的に食いつく。

「いくらかかるのか知ってるのか。しかも、こんな交通の不便なところまで、わざわざやってくる奇特なプロレスラーなんかいるかよ」

「いるかもしれないだろ。長野市と上田市の陰謀により新幹線を奪われた可哀想な松本市を不憫に思うプロレスラーぐらい」

「そうだよねー、特急あずさで松本じゃあ、失恋傷心旅行だもんねえ」

 浅月、つっこむのそこじゃない。しかもその古い歌の話は、現代理系大学生には通じないぞ。

「なんだ、そりゃ」

 案の定、沢渡と野沢はきょとんとしている。

 ポジティブ野沢とネガティブ沢渡は、意見はあわないが気はあっている。二人で映画館に行って、その感想を徹夜で議論したりしている。

 それでも意見の対立で仲違いしたところを、ついぞ見たことがない。

「まあ、その、なんだ。意見は面白いが、実現可能性がな」

「三好」

「なんだよ」

「つまらん」

 沢渡がぼそりと言う。

「なんだよ。お前だってさっきは――」

「俺は抽象的に否定してないぞ。具体的にどうだと言っている」

 そういえばそうだ。沢渡はネガティブだが、根元から否定することがない。

「そうか、すまん」

「三好」

「なんだよ」

「つまらん。お前の名前ぐらいのインパクトは出ないのか?」

「あー、なんだよそれは!」

「お前のいいところは、自分の間違いを素直に認められるところだ。しかし、それではつまらん。たまには、その、あれだ。浅月――」

「なりふり構わず、自分の意見を押し通す突破力」

「そう、それがほしい」

 我々同期の間では、表現に困ると浅月にふるという癖がある。浅月も普段はとんちんかんな発言を繰り返すのに、このような時に限り、適切な表現を返してくる。

 そして、沢渡と浅月が言っていることは、自分でも昔から歯がゆく思っているところなので、耳が痛い。

「と言われてもなあ」

 なにかきっかけでもないと、そんな素晴らしい夢も見ようがない。

 三好は、野沢があきて放り出した月刊格闘技通信をぱらぱらとめくった。雑誌には真ん中にカラーページが差し込まれていることがあるが、そこにアマゾネス斎藤のインタビュー記事が載っていた。

 それを目で追いかけると――


 天からの啓示があった。


(まあ、こんなことやってみたら面白いんじゃないの)

 と、甚だ投げやりな啓示だったが、確かに今のこの状況を打破するためには大胆な発想と行動が必要だ。沢渡にも言われたが、三好の弱点はまずは無難な線を考えてしまうところだった。

 無難な落としどころばかり考えているのは楽しくない。たまには当たってみること。全身で当たってくる相手を跳ね返すのは容易なことではない。跳ね返されても、今の状況が悪化するわけではない。

 三好は携帯電話を取り出すと、記事の一番最期にあるインタビュアーの名前を見て、それから奥付にある編集部の代表電話の番号をプッシュした。

 さあ、大勝負の始まりだ。

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