第8話:「踊れ、わたしのコッペリア!」

 結局眠れないぼくだった。


 ロールがときたま艶めかしいような寝息を立てるのと、昼間のドンパチで気持ちが高ぶっていて、目が冴えていた。もしかしたら気絶しているあいだに、呑気に熟睡していたのかもしれない。何度寝返りを打っても意識がはっきりしていたぼくは、スウェットの寝間着姿のまま、デッキに向かった。


 すでに日付は変わっている。警備の青年に挨拶をして、誰もいないデッキに脚を踏み入れる。様々な予備パーツを蓄えたコンテナが雑然と並ぶなか、月光に照らされるように無二姫(ワンオフき)『ケレリタス』の姿があった。


 シィ=ライトロードの搭乗するコッペリア。この前線基地の主力。ほぼ極限まで装甲を廃した痩躯のその機体は、まるで踊るかのように縦横無尽に空間を舞い、ファフロッキーズを屠る。ぼくのような下っ端作業員には触ることすらできなかった機体だ。いつも遠くから見ていた。


 デッキの入口近くには、ミュー=ミュリアリアの愛機『マグネス』が鎮座していた。『ケレリタス』とは対照的にずんぐりむっくりしたその青い機体は、背部の日輪のような兵装を折りたたんで、体操座りをしている。


 そして、デッキの片隅には、ずっと埃を被っていた『器用貧乏』が座り込んでいる。『マグネス』と似たようなずんぐりむっくりだが、その機能上要請される『マグネス』と違い、このような構造をしていることの意味はまだ明らかになっていない。『ケレリタス』のような神速もなければ、『マグネス』のような絶対兵器もない。あるのは無数の細い腕。しかも複座。『器用貧乏』と呼ばれる所以だ。専属のパイロットもいなかったから、固有名詞もついていない。


 「『ディラック』」


 ぼくはそう名付けた。いつも夢のなかでロールと一緒に乗り回しているエース機体。この機体とは外見はまったくちがうが、複座というところでは一致している。この単眼の機体は、ぼくなんかに乗られて喜んでいるのだろうか。それともデッキの片隅で埃を被っていたほうがいいと思っているのだろうか。


 オーパーツ(out-of-place artifacts)、あるいはロストテクノロジーと呼ぶほうが正確なのかもしれないが、かつて『魔石』を封じた『賢者』たちがこのコッペリアを遺していった。メンテナンスはできるものの、ぼくたちに一からコッペリアを作り上げる能力はない。それに小型の『魔石』炉も用意できないから、実質、よくわからないものを、なんとなく乗り回しているというのが現状だった。


 『ケレリタス』のように使用意図が明らかなものは別にいい。あれは逆に乗り回す人材がいなくて困っていたような機体だ。『マグネス』は長年の研究の結果、あの日輪の兵装が明らかになり、実戦に投入された。他にも、別の基地で運用されているコッペリアもあるが、未だに使用目的がわからない機体も少なくはない。


 『器用貧乏』もその中のひとつ――、であるはずなのだけど、ぼくはなんだか、この機体に見覚えがあった。『懐かしい』という感情を、何故だか抱いてしまう。『ディラック』という名が正解であることを、ぼくはどこかで知っている。ような気がする。


 他の『賢者』が遺したどのコッペリアとも開発系統が異なる未知の機体。その図体にも、それに似つかわしくない無数の細い腕も、複座も、何かしらの意味があるはずなのだけど、いまの人類にそれを解き明かすことはできずにいた。せいぜい、『ケレリタス』との身内戦で初見殺しをするくらいだ。


 「あ、そうだ」


 ぼくは『ケレリタス』に近づいていく。女王に仕える騎士のように片膝をついているその機体のタラップを登り、コクピットを開く。『ToeIC』による認証がされているから、それ以上の操縦はできないけれど。ぼくは若干後ろめたい気持ちになって、コックピットの中に潜る。油の匂いの中に、少しだけいい匂いがしてドキドキするも、本来の目的を思い出す。


 「やっぱりそうか」


 ぼくはコクピットから顔を出し、今度はデッキに降りてぐるりとその機体の周りを回ってみた。どうやらぼくが感じていた違和感に間違いはなかった。今日はもう遅いから、明日辺り作業員の誰かに――。


 「誰!?」


 甲高い声がして、ぼくは『ケレリタス』の機体から反射的に飛び退いた。懐中電灯の明かりが、ぼくを探すように左右に動き、やがて捉えられる。


 「ゼペット?」


 その声には聞き覚えがあった。神速の姫君。赤髪のツインテールの、どこか抜けている少女。


 「シィ? どうしたの、こんな時間に」

 「……眠れなくて」

 「君も?」

 「ゼペットも?」


 ほとんど無音のデッキの中、彼女のブーツのかつかつという音が聞こえる。靴だけは戦闘時のものだったが、服は薄いピンクのパジャマだった。その無防備な姿に少しどきりとしてしまう。


 「『ケレリタス』に変な細工とかしてないでしょうね」

 「してないって。じっくり見たことがなかったから、見ていたんだ。すごくいい機体だね」


 近くのコンテナに腰掛けたシィは、眩しそうにその白銀の機体を見上げた。


 「いつもわたしを助けてくれるの、『ケレリタス』。だから、もっともっと上手にならなきゃ、乗りこなさなきゃって思っちゃう。無二姫(ワンオフき)に恥じないような乗り手にならないと」


 責任感の強い子だと思う。そりゃ迷子になったり、すぐ血が頭に昇ったり、ぽんこつなところもあるけれど、ファフロッキーズやコッペリアに対する姿勢はいつだって真っ直ぐのように思えた。


 「『ケレリタス』もシィに乗ってもらえて嬉しいと思ってるよ、きっと。作業員だからわかる。あ、作業員ついでだけど、『ケレリタス』の――」


 と、そこまで言いかけたところで、ぼくが無意識的に彼女の脚を見つめていたことに気づかれてしまった。顔を真赤にして、ツインテールを揺らすシィ。


 「パジャマのズボンで脚が見れなくて残念ね」

 「い、いや、そういうわけじゃなくて」

 「『ずっと君の脚のことばかり考えていたんだけど』」


 声真似された。「だから誤解だって!」と反駁するも、「どこがどう理解を誤れるのよ!」とキレられる。次なる罵声を覚悟していたぼくに、不意に急に黙ったシィが、どこかあらぬ方向を見つめながら、こう言った。


 「あー、っと。またやっちゃった。言い過ぎ。そのことを言いたいわけじゃなくってさ。このあいだの決闘と迷子で迷惑をかけた分なんだけど、お詫びと言っちゃあなんだけど」


 頬をぽりぽりと掻く。


 「わたしの部屋に、その、来ない? ケーキとお茶くらいなら出すわ。お詫びで。そう、お詫びで」

 「……」

 「なによ」

 「いやあ、意外だなと思って」


 そんなことを言ったら、スパナが飛んできた。ぎりぎりのところで躱して、息を整える。


 「いまから行けばいい?」

 「いま何時だと思ってるのよ!」


 ひとしきりシィをいじっていたら、いい感じに緊張がほぐれてきた。いち作業員として接しているときには、まさに高嶺の花、一寸の隙もない聖騎士といった感じだったのだけど、こうして触れ合ってみると、随分と人間らしくて、話していて面白い。


 お守りとしての『ケレリタス』のキットを買い漁るなど、シィ=ライトロードの弱い部分が垣間見えたのも、この親近感のひとつの要因だろう。


 「……」

 「……」

 「あの」

 「えと」


 不意に気まずい沈黙が流れてしまって、どちらともなく口を開いたその瞬間、耳をつんざくような警報音が鳴り響いた。デッキの照明が次々と灯されていき、この前線基地のスピーカーが女性の声を流し始める。


 『ファフロッキーズの魔法陣、確認できました。降りてきます。シィ=ライトロードは動けますか? 起きてますか? 寝てたなら、首を洗って――じゃなかった、顔を洗ってください!』


 オペレーターのオペ子のどことなく恐ろしさのあるアナウンスに耳を疑っていると、シィ=ライトロードがぼくの乗っている『ケレリタス』に向かって走ってきた。いつものあの服ではなく、ピンク色のパジャマ姿。小さな胸がやけに揺れて見えるのはもしかして――。


 「ゼペット」

 「は、はい!?」

 「降りて。『ケレリタス』が重くなる」


 ぼくがタラップを降りているあいだに、シィはコクピットの中にするりと入って、脚を踏み込む。『ToeIC』の認証音声が鳴り響き、『ケレリタス』の炉に火が灯る。


 「……そういえば、ブーツだけいつもと同じやつだったな」


 カツンカツンとデッキを叩く音が同じだったから憶えていた。パジャマにその戦闘用のブーツなんて似合わないと思っていたが、もしかして、いざというときのために備えていたのだろうか。『マグネス』に助けてもらったあの過ちを繰り返さないために。


 「シィ=ライトロード、いけます」

 『はやっ! まじですか!?』

 「マジです。出撃許可を」


 デッキに降りたぼくは邪魔にならないところまで走って行って、外を見上げた。暗雲立ち込める天空に、紫色の筆跡で描かれた魔法陣。そこからゆっくりと降りてくるのは、F型、図体の大きなカエルだ。重力を無視するように、ゆっくりゆっくりと降りてくる。


 『司教の許可が降りました。シィ=ライトロード、出撃お願いします』

 「いくよ、『ケレリタス』」


 不意に柔らかな声音がスピーカーを通して響き、水蒸気の嵐を捲き上げて、その痩躯の騎士は月明かりを浴びて飛翔していった。


 「踊れ、わたしのコッペリア!」


 巨大なカエルが着地をして土煙を巻き上げる。それとほぼ同じタイミングで、『ケレリタス』は魔法陣の直下まで到達していた。複雑な軌道で水蒸気の煙を捲き上げて、急加速、急停止を繰り返す白銀の騎士。カエルの1動作に要する時間で、10の動きを織り交ぜているそのコッペリアは、致命的ではないけれど、無視できないダメージを、コンバットナイフで与えていく。


 「関節を狙ってる……」


 大味な『マグネス』とはまさに正反対、その繊細で緻密な攻撃は、まさに演舞のようだった。翻弄されるカエル。触れられればすぐに叩き落とされる、神速のために装甲を犠牲にしたコッペリア。けれど、そんなことも意に介さないような大胆な動きで外敵を追い詰めていく。


 「……こいつ!?」


 シィの焦ったような声が聴こえたのはそのときだった。順調にダメージを蓄積していった『ケレリタス』。すでにカエルはその鈍重な身体を脚では支えられなくなって、地面に伏している状態だった。ぎょろりとした眼だけは神速の姫君を追ってはいるが、もはやどうしようもない状態。『ケレリタス』の勝利を誰も信じていたであろうその刹那――、ぱかりと開いたカエルの口から、太く長い舌が飛び出したのだ。


 まるで蝿を捉えるカエルのよう(こんなことを言ったら、シィに怒られるだろうけれど)。カエル型は多く出現しているタイプだったけれど、いままでこんな攻撃方法は確認されていないはず。当然、四肢を使った攻撃しか想定していなかった『ケレリタス』は空中で、慣性を振りきれない。カエルの舌が迫っていく。


 「シィ!」


 ぼくがいくら叫んだところで、20メートルの巨人同士の闘いに関与できるわけもなく、無慈悲な物理法則に縛られている以上、あの状態、あの距離で、『ケレリタス』が迫り来るカエルの舌を回避できるはずはなかった。速度のためにすべてを犠牲にしたコッペリア、そのデメリットばかりが表面化してしまっていた。


 「『ケレリタス』、モード:タキオン!」


 シィのそんな叫び声とともに、白銀の機体が蒸気に包まれる。『マグネス』のあのチャージに匹敵するようなレベルで、『魔石』炉が回転を早めているのだ。そしてそんな蒸気を引き裂くように、外装がパージされて、極限まで神速を追求した『ケレリタス』が、その関節部分に火花を散らしながら、夜空を駆ける。三日月を背に大きくターンした『ケレリタス』は舌の追撃を振り切り、そのカエルの脳天めがけて鋭い蹴りをかました。ズズん、という音が響き、カエルが今度こそ完全に地に伏せて動かなくなる。


 「はぁー、はぁー」


 ただでさえ人体に負荷をかける急加速と急停止。それに加えていまの『タキオン』での稼働は、シィの肉体に対する『魔石』の負荷も軽くはないだろう。シィの苦しげな息遣いがデッキに響き、ぼくは巨大なカエルの上に佇む騎士を見つめていた。


 「シィ……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る